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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1 ──4段階で進む「女性宮家」創設への道 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで 1
──4段階で進む「女性宮家」創設への道
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


補章 4段階で進む「女性宮家」創設への道──女性天皇・女系継承容認と一体だった

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 いわゆる「女性宮家」創設論議の歴史的経緯を、年表風にまとめて、振り返ってみたいと思います。なお、これは「産経新聞」平成18年2月17日付3面に掲載された一覧表「皇室をめぐる最近の主な出来事」を参考にしています。

 阿比留瑠比記者による、この日のスクープは、平成8年に宮内庁内で皇位継承制度に関する基礎資料の作成が始まり、政府の非公式検討会がすでに16年5月に女性天皇・女系継承容認を打ち出していたことなどを明らかにしました。

 阿比留記者の場合は皇位継承論がテーマですが、以下の年表は、戦後の皇室関係史全体を俯瞰し、とくに宮中祭祀と「女性宮家」創設論に焦点を当て、組み立て直したものです。


第1節 〈前史〉敗戦から平成の御代替わりまで


▢昭和20(1945)年7月26日、ポツダム宣言

「吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」

▢同年8月15日、玉音放送。
「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

▢同年10月6日、アメリカ国務省のヴィンセント極東部長がラジオ放送で対日占領政策をアメリカ国民に説明。
「日本政府に指導され、強制された神道ならば廃止されるだろう」

▢同年12月15日、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の禁止に関する件」)が発令される。
「本指令ノ目的ハ宗教ヲ国家ヨリ分離スルニアル」。
 指令は過酷で、神道に対する差別的圧迫が加えられました。
「(神道指令発令で)わが国における祭祀は(伊勢)神宮・皇室・各神社とを問わず、すべて宗教行為としてこれを官辺にて管理することを一切禁じたのである。まさに有史以来の一大変革と申さねばならぬ」(八束清貫「皇室祭祀百年史」)
 宮中祭祀は「皇室の私事」とされ、存続しました。

▢昭和21年1月1日、いわゆる「人間宣言」。
「朕(ちん)ト爾等(なんじら)國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信?ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳?トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ」〈http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/056/056_001r.html〉。

▢同年7月12日、GHQのバンス宗教課長が教育課長宛文書で、学校での教育勅語の奉読を禁止。
「もっともリベラルな解釈をしたとしても、新憲法の精神に反している。教育勅語は、たぶん歴史的史料として取り扱う大学レベルを除き、公立学校で奉読されるべきでないし、教科書にも掲載すべきでない」

▢同年10月8日、文部省が教育勅語の奉読を禁止。
「式日等において従来、教育勅語を奉読することを慣例としたが、今後は之を読まないこととする」(発秘第三号、文部次官通牒)

▢昭和22年5月3日、日本国憲法、皇室典範が施行。旧皇室典範、皇室令が廃止。宮内庁は宮内府(宮内庁の前身)となり、内閣総理大臣所轄の機関に代わった。祭祀を担当する掌典職は官制を離れ、職員は内廷費で雇われる内廷の職員となった。
 以前は、大日本帝国憲法を頂点とする国務法の体系とは別に、皇室典範を根拠とする、皇室に関係する宮務法の体系があり、たとえば明治以降、近代的に整備された宮中祭祀は皇室祭祀令(明治41年)によって明文化されていました。
 日本国憲法施行に伴い、皇室典範、皇室令は廃止され、天皇の祭祀は明文法的根拠を失いました。新しい皇室典範は新憲法に基づき、一般の法律として制定されました。宮務法の体系が国務法に一元的に吸収され、失われたのです。
 けれども、新憲法施行と同じ日に、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒(皇室令及び付属法令廃止に伴い、事務取扱に関する通牒)によって、祭祀令に定められた祭祀の伝統は守られました。

▢23年6月19日、衆議院本会議が「教育勅語等排除に関する決議」を全会一致で可決。
「民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである」

▢同日、参議院本会議が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議。
「われらは、さきに日本國憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが國家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に拂拭し、眞理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている。
 しかし教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかりわれらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にするとともに、政府をして教育勅語その他の諸詔勅の謄本をもれなく回収せしめる。
 われらはここに、教育の眞の権威の確立と國民道徳の振興のために、全國民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する」

▢26年6月、貞明皇后大喪儀。皇室喪儀令に準じて行われ、国費が支出され、国家機関が参与した。
 占領後期になると、神道指令の解釈・運用は厳格主義から限定主義に変更されましたが、宮中祭祀は「皇室の私事」という位置づけを克服できませんでした。
 斂葬当日の22日、全国の学校で「黙祷」が捧げられました。政府は、当日に官庁等が弔意を表することを閣議決定し、文部省は「哀悼の意を表するため黙祷をするのが望ましい」旨、次官通牒を発したのですが、その数日後、「日本の学校で戦前の国家宗教への忌まわしい回帰が起きた。生徒たちは皇后陛下の御霊に黙祷を捧げることを命令された。キリストに背くことを拒否した子供たちはさらし者にされた」と訴えるアメリカ人宣教師の投書がニッポン・タイムズ(現ジャパン・タイムズ)の読者欄に載ったのをきっかけに、新聞紙上で宗教論争が始まりました。

▢27年4月28日、サンフランシスコ条約発効。日本が独立回復、神道指令は失効。
 しかし「宮中祭祀は天皇の私事」とする憲法解釈はその後も超えられませんでした。
 調印日にふたたび学校で「黙祷」「宮城遥拝」が実施されると、アメリカ人宣教師が「また命令された。新憲法は宗教儀式の強制を許すのか」と再抗議し、紙上論争は10月半ばまで続きましたが、GHQは宣教師たちの立場を擁護しませんでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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特定の信仰に基づく宗教的儀礼 ──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 1 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年9月2日)からの転載です


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特定の信仰に基づく宗教的儀礼
──両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論 1
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第5節 両論併記にとどまる百地先生の「大嘗祭」論

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 百地章日大教授(当時)の「大嘗祭」論について、続けます。

 なお、念のため申し上げますが、私は先生を個人攻撃しているのではありません。ケンカを売っているのでもありません。日本の歴史そのものと関わる皇室の伝統を守るために、感情的になるのではなく、冷静な学問研究の深まりを願っているのです。

 人生の大半を民族派の国民運動に捧げている、人生の大先輩がいつものよう穏やかに、しかし毅然として、こう語られたことがありました。

「百地先生といえども神仏にあらず。斎藤さんといえども神仏にあらず」

 仰せの通り、まったく同感です。人はみな長所もあれば、短所もある。完全無欠な人間など、この世にいるはずもありません。よほどうぬぼれの強い人間でない限り、そんなことは他人から言われるまでもありません。人はみな足りないところがある。それが人間の魅力でもある。足りないところがあれば、お互いに補えばいいのです。

 だからこそ、私は共同研究の必要性を呼びかけています。目の前のさまざまな混乱を解決し、そしてやがて来る次の御代替わりに向けて、総合的な天皇研究がいまこそ必要なときはありません。1人でできることは限られています。

 さて、大嘗祭とはいかなるものなのか、先生は大嘗祭をどうお考えなのでしょう。残念ながら、先生には大嘗祭について、「論」というほどの中味がありせん。

 大嘗祭とは何か、という学問的考察が不十分なまま、宮中祭祀一般=「皇室の私事」、大嘗祭=皇位継承の重儀=「皇室の公事」という憲法理論を憲法学者がうち立て、そのことを成果として誇っているというのです。そんなことって、あり得るのでしょうか?

 もし先生が、大嘗祭の何たるかを少しでも学問的に考察していたなら、宮中祭祀=「皇室の私事」などとする、「1.5代」象徴天皇論者に塩を送るような憲法論をうち立てる必要はなかったのではないか、と私は心から悔やんでいます。

 学問的な追究不足がオウンゴールを招いたのです。返す返すも残念です。”


▽1 特定の信仰に基づく宗教的儀礼


 具体的に見てみましょう。

 御代替わり当時、先生が政府に進言したと説明されている「憲法と大嘗祭」(『政教分離とは何か』の第10章)に、「大嘗祭の本質」についての説明があります。

 驚いたことに、本文で本格的に論じるのではなく、補注で簡単に言及しているだけです。しかも、学術書ではなく一般読者向けの歴史雑誌を参考資料として掲げ、

「大きく2つの見方があり、そのいずれかに力点が置かれているようである」

 として、2つの説を併記し、わずか10数行で説明するにとどまっています。

 つまり、ご自身ではこれ以上の学問的考察を加えていないのです。「ようである」という表現も、「そもそも行うか行わないかが大問題」(石原信雄元内閣官房副長官)になっている大嘗祭について、「憂慮」した第一線の研究者にしては、ずいぶんとのんびりしています。

「闘い」の人には、大嘗祭が斎行できるか否か、だけが関心事なのでしょうか。守るべき対象の何たるかを見極めずに、「闘い」を挑む姿勢は、私には無謀としか見えません。
先生によると、2つの説のうち、「第1説」は

「天皇が神聖な稲穂で炊かれた御膳を神にお供えすると共に自らも召し上がられる(大嘗を聞こし召す)こと、つまり神と天皇が神饌を共に食し合う(共食)するということに主眼を置く説」です。

「第2説」は

「大嘗祭において天皇は大嘗祭の中に設けられた寝所の『真床覆衾(マドコオブスマ)』にくるまれることによって天照大神と一体となり、新たに生まれかわられるということを重視するもの」

 であると説明されています。

「第1説」については、

「稲穂はニニギノミコトが天照大神から授けられたものであり、天照大神の霊威が籠もっている」

 などという、特定の宗教的な考えが背景にあると解説されています。

 いずれの説にしても、「大嘗祭の本質」は一定の宗教的な考えに基づく宗教的儀礼だということです。両論併記にとどまる百地先生もまた、そのようにお考えなのでしょうか?

 ここにそもそもの問題があると、私は思います。つまり、誤った大嘗祭理解に基づいて、誤った憲法論が組み立てられたのです。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
 このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
 おかげさまで賛同者が300人を超えました。
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ご負担軽減に失敗した宮内庁 ──御公務をなぜ「分担」しなければならないのか? 2 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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ご負担軽減に失敗した宮内庁
──御公務をなぜ「分担」しなければならないのか? 2
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 私は運動家ではありませんが、日本の現状と行く末を心から憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第2節 御公務をなぜ「分担」しなければならないのか?──典範改正、制度改革は必要か?


▽2 ご負担軽減に失敗した宮内庁
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 宮内庁は御在位20年を契機として、陛下の御公務ご負担軽減に取り組んできました。その場合の理由は「ご健康問題」でした。

 20年暮れの御不例を経て、翌21年1月には、「今後の御公務および祭祀の進め方について」の方針が発表されました〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/gokomu-h21-0129.html〉。

(1)春と秋の叙勲に伴う拝謁は回数・日程を削減する
(2)首相級の外国賓客のご引見などは公賓・公式実務賓客の場合に限る
(3)新年や天皇誕生日の祝賀行事は行事内容の見直しを行う
(4)全国植樹祭などはご臨席のみで、「お言葉はなし」とする
(5)宮中祭祀の新嘗祭は「夕の儀」のみ、旬祭は5月と10月のみ親祭とする

──などとされました。

「調整・見直し」の背景には、

「昭和の時代、例えば、昭和天皇が74歳になられた昭和50年当時と比べると、外国賓客や駐日大使との御会見・御引見等については、約1・6倍、赴任大使や帰朝大使の拝謁等については、約4・6倍、都内や地方へのお出ましについては、約2・3倍と、大きく増加しており、これらに伴い、両陛下のご負担も増大しました」

 という認識がありました。

 ところが、それから3年、今度は、御公務ご負担軽減のために皇室典範改正が必要だというのです。女性皇族に婚姻後も皇室にとどまっていただき、御公務を「分担」していただく、というのです。目的も「ご健康問題」ではなく、「皇室の御活動」の維持です。

 キーマンである園部逸夫内閣官房参与は有識者ヒアリングで、陛下の御公務のご負担を減らす必要があること、そのために皇太子殿下や秋篠宮殿下以外の皇族が身分を維持したまま御分担できるようにすることを繰り返し説明していました。

 天皇陛下の御公務のご負担が大きいから、軽減が必要である、ということは容易に理解できます。けれども、陛下の御公務を、なぜ女性皇族が御結婚したあとも「分担」しなければならないのか、が分かりません。明らかに説明不足です。

 まして、政府の資料にあるように、現行制度では婚姻後、女性皇族は皇籍離脱するから、「皇室の御活動」の安定的維持、「両陛下のご負担」軽減が緊急課題だ、という論理はまったく理解不能です。

 天皇は天皇であって、天皇の国事行為・御公務と天皇皇后両陛下のご負担は別であり、まして「皇室の御活動」などとひとくくりにされるべきではありません。

 結局のところ、宮内庁は数年前から「ご負担」軽減策を具体的に進めたけれども、成果は実らなかったのです。私が一貫して指摘してきたように、祭祀が激減した一方で、御公務はかえって増えたのです。

 政府・宮内庁は、何が、どう増えたのか、なぜ減らないのか、という客観的な検証もなしに、女性皇族による御公務「ご分担」、皇室典範改正へと一足飛びに飛躍させています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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論理の飛躍──御公務をなぜ「分担」しなければならないのか? 1 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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論理の飛躍
──御公務をなぜ「分担」しなければならないのか? 1
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 私は運動家ではありませんが、日本の現状と行く末を心から憂い、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、1人で始めました。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

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第3章 伝統を拒絶する官僚たちの暴走

第2節 御公務をなぜ「分担」しなければならないのか?──典範改正、制度改革は必要か?


▽1 論理の飛躍
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 平成24年2月に公表された政府の資料によると、「女性宮家」を創設する目的は「皇室の御活動」の維持であり、「両陛下のご負担」軽減でした。

「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることになっていることから、今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下のご負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」(「有識者ヒアリングの実施について」)〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html

 しかし、この文章は理由と結論が論理的につながっていません。

 前半の

「現行の皇室典範の規定では、女性の皇族が皇族以外の方と婚姻された時は皇族の身分を離れることになっている」

 は現行の皇室制度の中味ですが、後半の

「今後、皇室の御活動をどのように安定的に維持し、天皇皇后両陛下のご負担をどう軽減していくかが緊急性の高い課題となっている」

 とは直接的に結びつかないはずなのに、いとも簡単に順接的につながっています。論理の飛躍です。

 政府の資料は、

「このため、各界の有識者の方々から、皇室の御活動の意義や、女性の皇族に皇族以外の方と婚姻された後も御活動を継続していただくとした場合の制度の在り方等について幅広くご意見を伺い、今後の制度検討の参考とする」

 と続きますが、これも飛躍です。

 いつのまにか「天皇の御公務」が「両陛下の御活動」に衣替えし、「皇室の御活動」にすり替わっています。”


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
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古代に女系継承が認められていた? ──何のための歴史論か 2 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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古代に女系継承が認められていた?
──何のための歴史論か 2
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 私は運動家ではありませんが、やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを、ひとりで始めることにしました。いまのままでは悪しき先例が踏襲されるばかりです。趣旨をご理解の上、友人知人の皆様への拡散を切にお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第5節 何のための歴史論か──「女性宮家」創設論のパイオニア・所功京産大名誉教授


▽2 古代に女系継承が認められていた?
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 女系継承にしても、「女性宮家」にしても、歴史に前例がありません。歴史家である先生はそれをどうお考えなのでしょうか?

「いや、前例はある」

 と主張されるのか、それとも、

「前例はないが新例を大胆に開くべきだ」

 と訴えているのか、そこが必ずしもはっきりしません。

 先生がこれまで「女性宮家」創設を訴えてきた目的は皇位継承論でしたが、今回は、政府の目的論に沿うように、「皇室の御活動」論にすり替わっています。

 先生はまず「皇室の御活動」について、こう意見を述べています。

「現在の皇室は、平成に入りましてからも、昭和天皇をお手本とされます今上陛下が中心 となられまして、皇后陛下を始め、内廷と宮家の皇族方に協力を得られながら、多種多様な御活動を誠心誠意お務めになっておられます。
 その御活動は、日本社会に本当の安心と安定をもたらしており、また国際社会からも信頼と敬愛を寄せられる大きな要因になっていると思われます」

 何度も述べましたように、社会的に行動し、実践されるのが天皇・皇族方の本来のお役目ではないはずですが、それはともかく、こうした認識に立って、

「しかしながら、戦後、日本国憲法の下で法律として制定されました皇室典範は、明治の典範と同様の、かなり厳しい制約を規定するのみならず、さらに皇庶子の継承権をも否認しております。そのため、男性の宮家が減少し、皇族女子も次々に皇室から離れていかれますと、これまでのような御活動の維持が困難になることは避けられません。
 したがって、早急に改善をする必要があると思われます」

 という論理で、先生は「女性宮家」創設に賛意を表しています。

 そのうえで、

「ただし、〈女性宮家創設の〉より重い大きな目的は、皇位の安定的継承を可能にすることであります」

 と述べ、持論である皇位継承論を展開しています。(注。〈 〉内は筆者の補足)

 指摘したい第1の点は、古代律令制の規定の解釈は正確か、ということです。

 先生はこう主張しています。

「〈皇位継承について〉最も重要な点を申せば、…〈中略〉…『皇位の継承者は皇統に属する皇族』でなければならない。つまり、正統な血統と明確な身分を根本要件といたします。この点、現在、『皇統に属する男系の男子』が3代先(次の次の次)までおられますから、典範の第1条は当然現行のままでよいと考えられます。
 ただし、その間にもそれ以降にも、絶対ないとは言えない事態を考えれば、将来は改定する、ということを忘れてはならないと思います。
 その際に大切なことは、一方で従来の歴代天皇が全て男系であり、ほとんど男子であった、という歴史を重視するとともに、他方で古代にも近世にも8方10代の女帝がおられ、また大宝令(たいほうりょう)制(701年)以来、『女帝の子』も親王・内親王と認められてきた、というユニークな史実も軽視してはならないことであります」

 過去に女性天皇がおられたという歴史の事実、古代律令制に「女帝の子」も親王・内親王とする定めがあったという歴史の事実を重んじて、将来の皇位継承制度を考えるべきだという主張かと思います。

 けれども、それは歴史論として妥当なのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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イギリスの伝統主義との違い ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 8 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月11日)からの転載です


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イギリスの伝統主義との違い
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 8
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「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを始めました。皆様、ご協力のほどよろしくお願いします。〈https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論


▽8 イギリスの伝統主義との違い
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 櫻井よしこさんが掲げる伝統主義は、戦後の日本社会において、絶対的に支持されているわけではありません。それは70年前の日本の敗戦と深く関わります。

 数年前、日経新聞電子版に、イギリス生まれのデービッド・アトキンソン小西美術工藝社会長兼社長による「なぜ英国の文化財は美しいのか」という一文が載りました。同社は文化財などの修理・施工を手がけて300年の歴史を誇りますが、アトキンソンさんは2010年に会長に就任しました。

 アトキンソンさんが日英の文化財政策を比較し、まず指摘するのは、文化財(建造物)の指定物件の数に圧倒的違いがあることです。

 イギリスでは、2010年6月時点で37万4千件が文化財登録されていますが、一定の敷地内に複数の建物がありますから、それらを含めると全体で50万件弱になると報告されています。日本でいう「国宝」級は1万件弱、「重要文化財」級は2万件を超えます。

 これに対して、日本では2010年6月現在で、建造物の国宝・重要文化財はあわせて2380件に過ぎません。イギリスの50万件とあまりにも違う。日本の指定の幅は狭い、とアトキンソンさんは指摘しています。

 補助金の規模も同様で、建造物の修理に充てられる国家予算は、イギリスが年間500億円なのに対して、日本は80億円に過ぎません。イギリスでもっとも指定対象になりやすいキリスト教会の数は1万4500件ですが、日本では神社だけでも8万社あるというのに、です。イギリスの500億円の国庫補助は、日本に置き換えれば1100億円規模に相当するそうです。

 イギリスでは1700年以前に建てられた建造物なら、すべてが登録文化財とされるとアトキンソンさんは指摘しますが、日本ではそうはなりません。

 最大のネックは何かといえば、それは、とりわけ神社・神道に対して、憲法の規定をことさら厳格に解釈・運用する政教分離政策であり、その背景には、ヨーロッパのキリスト教諸国に追随し、国力を高め、やがて世界の列強と戦火を交え、一敗地に塗れた日本の近代の歴史があります。

 日本が国策を誤り、世界規模で悲惨な戦争を引き起こし、国を存亡の縁に陥れた、その中心に天皇および神道の伝統主義があると考えられ、いわゆる戦争責任を問われています。この近代史理解を超えなければ、伝統主義の復権はあり得ません。

 天皇の祭祀が占領期以来、「皇室の私事」と法的に位置づけられたままなのは、近代の歴史を清算できていないからです。「1.5代」象徴天皇論が宮内庁トップにまで蔓延るのも道理です。日本の近代を問い直さなければなりません。

 櫻井さんのヒアリングのように、天皇の祭祀を表面的になぞり、単に伝統主義を振りかざすだけでは、祭祀を改変させ、皇室の伝統をゆがめようとする、「1.5代」天皇論に取り憑かれた側近たちを説得することは困難です。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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櫻井よしこさんにとって天皇の祭祀とは何か? ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 7 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月10日)からの転載です


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櫻井よしこさんにとって天皇の祭祀とは何か?
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 7
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 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。



第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論


▽7 櫻井よしこさんにとって天皇の祭祀とは何か?
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「各国民の儀礼や慣習などが信仰心や道徳に明らかに反しないかぎり、それらを変えるよう国民に働きかけたり、勧めたりしてはならない」

「キリスト教信仰はいかなる国民の儀礼や習慣をも、それが悪いものでないかぎり、退けたり傷つけたりせず、かえってそれらが無事に保たれるように望んでいる」

 これが1659年にバチカンの布教聖省が宣教師に与えた指針で、やがて20世紀になると、日本の信徒には靖国神社参拝が認められ、中国では孔子廟での儀式参加が許されました。

 さらに第2バチカン公会議では、異教世界の価値を明確に認めるようになりました。

「カトリック教会は、これらの宗教の中にある真実にして神聖なものを何も拒絶することはない」(「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」)

 強烈な唯一神信仰を捨てたカトリックは、そのルーツが異教儀礼だとしても、国民的儀礼、国家的儀礼ならば、唯一神への信仰には反しないと正式に教えているのです。信教の自由を侵さないし、したがって政教分離問題を招かないことになります。

 日本では、昭和7年に有名な上智大学生靖国神社参拝拒否事件が起きました。事件の内容は、今日、教会指導者が理解しているところとはまったく違うのですが、それはともかく、当時、日本の教会は、信者が異教儀礼に由来するような行為を公的に認められた場合の対応について照会し、これに対してバチカンは、靖国神社の儀礼参加を国民的儀礼として許したのでした。戦没者への敬意は宗教儀礼ではなくて、国民の義務だという判断でした。

 これが今日、広く知られるようになった1936年の指針「祖国に対する信者のつとめ」ですが、戦後、1951年に出されたバチカンの新しい指針もこれを確認しています。

「戦没者への敬意は宗教儀礼ではなく、国民儀礼と見なされてきた。日本政府は明確に言明してきたし、この数世紀間に儀式の意味は変化した。だから靖国参拝は許可され、教皇特使ドハーティ枢機卿は昭和12年に参拝したのだ」

 異教儀礼に由来する靖国神社の国民的儀礼への参加が許されるどころか「信徒のつとめ」とされるのなら、もともとが国民的あるいは国家的な儀礼である天皇の祭祀ならなおのこと、キリスト教の信仰に反し、信教の自由を侵すことにはなりません。

 逆に、稲作民の稲と畑作民の粟を捧げる天皇の祭祀は、稲作民、畑作民それぞれの信教の自由を保障する機能を持つものといえます。

「空飛ぶ教皇」と呼ばれたヨハネ・パウロ2世は、精力的に世界中を飛び回り、ローマ教皇として初めてイスラム教のモスクを訪問し、黙祷しました。

 カトリック教会は、独善性を捨てるのに、きわめて長い年月と莫大な犠牲を要しましたが、日本の天皇はまったく異なり、千年以上も前から、毎日欠かさず、あらゆる神々に祈りを捧げ、多様な宗教が平和的に共存する社会を実現してきたのです。

 これが、天皇が古来、「祭り主」とされる意味であり、「しらす」という意味なのではありませんか?

 論より証拠、明治以来、側近たる侍従や祭祀に携わる内掌典として、キリスト教徒が近侍していることが知られています。唯一神の信仰と矛盾しないことは明らかです。

 昭和59年4月17日の参院内閣委員会で共産党の内藤功議員が、もし異宗教の信者である侍従に御代拝させることになれば、違憲の疑いがある、と宮内庁に質問したことがありますが、天皇の祭祀が宗教的活動でないとすれば、まったく問題にはなりません。

 櫻井よしこさんは、天皇の祭祀とはいかなるものと考え、御公務と定義すべきだと主張しているのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

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「教会の外に救いなし」 ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 6 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月9日)からの転載です


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「教会の外に救いなし」
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 6
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 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論


▽6 「教会の外に救いなし」
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 しかし、ここに根本的な誤りがあるのではないでしょうか。学問が未熟なのです。未熟な学問が皇室を窮地に陥れているのです。

 鎌田先生は神社祭祀の専門家でしたが、宮中祭祀の専門家ではありませんでした。両者は似て非なるものです。そのことを先生はどこまで掘り下げていたのでしょうか?

 大嘗祭を「稲作儀礼」とする説明は明らかに、いわゆる天孫降臨神話が念頭に置かれています。皇祖天照大神が天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に際して稲穂を授けられたとする物語です。

 けれども、天皇の祭祀がこの信仰に基づく稲作儀礼であるならば、皇祖天照大神を祀る伊勢神宮の祭祀が1年365日、稲の祭りであるのと同様に、皇祖神を祀る賢所で、皇祖神に稲の新穀を捧げれば十分です。

 ところが、実際、天皇は大嘗宮(新嘗祭なら神嘉殿)で、皇祖神ほか天神地祇に、稲のみならず粟の新穀を供えられ、みずから召し上がるのです。

 新嘗祭のひと月前、10月に行われる神嘗祭(かんなめさい)も、同様に神前に新穀が捧げられますが、もともとは伊勢神宮の祭りで、天孫降臨神話に基づくとされ、新嘗祭とは異なり、賢所で行われ、主として米の新穀が供されます。歴史も新しく、賢所神嘗祭は明治4年に始まりました。

 祀られる神、祭場、祭式、神饌が異なるのです。なぜ天神地祇なのか、なぜ大嘗宮(神嘉殿)なのか、なぜ粟なのか、です。少なくとも新嘗祭、大嘗祭はけっして稲作儀礼ではありません。

 天皇の祭祀が稲作儀礼であるという理解なら、以前、原武史明治学院大学教授(当時)が、もはや農耕社会ではない現代において、農耕儀礼である宮中祭祀の廃止を検討したらどうか。皇太子は格差社会の救世主として行動すべきだ、と問題提起したように、宮中祭祀廃止論も十分な説得力を持ち得ます。

 稲作信仰だとすれば、「皇室の私事」とされるべきだという主張も十分、あり得ます。政教分離規定に反するという法的判断もあながち間違いとはいえません。

 けれども、後述するように、宗教的な儀礼ではなくて、複数の宗教的ルーツを持つ国家的儀礼だということなら、どうでしょうか。判断はまったく変わってくるはずです。信教の自由を侵すこともありません。

 たとえばバチカンは、かつて「教会の外に救いなし」を基本的原理とし、異教徒や異端者と激しく敵対しました。けれども、数百年来、異教世界の儀礼や慣習・習慣について、信仰心や道徳に明らかに反しないかぎり、むしろ尊重するように、と信徒に教えています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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神道学者も政府も大嘗祭=「稲作儀礼」 ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 5 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月8日)からの転載です


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神道学者も政府も大嘗祭=「稲作儀礼」
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 5
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「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを始めました。皆様、ご協力のほどよろしくお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論


▽5 神道学者も政府も大嘗祭=「稲作儀礼」
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 少なくともヒアリングでの意見を読むかぎり、ですが、櫻井さんの意見には、宮中祭祀の変遷史に関する理解もさることながら、天皇の祭祀とは何か、について、深い問題意識があるようには見えません。

 仰せのように歴代天皇が祭祀を重視してきたのは無論ですが、その祭祀とは具体的にどのような内容で、その意義は何か、明らかにされているわけではありません。

 より本質的な議論が欠けているからこそ、いわゆる「女性宮家」創設論などという、過去にない、混乱した議論が生まれてきたのでしょう。櫻井さんにはぜひともそこを追及してほしかったと思います。

 けれども、櫻井さんばかりを責められません。

 試みに、今回の有識者ヒアリングの「論点整理」を開いてみると、冒頭の引用文と大同小異のことが書かれています。

 興味深いのは、小泉内閣時代に行われた皇室典範有識者会議の報告書(平成17年11月)です。参考資料に、大嘗祭について次のように誤解を招きかねない説明がされています〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html〉。

「『大嘗祭(だいじょうさい)』とは、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖(天照大神)及び天神地祇(すべての神々)にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式。皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式」〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html

 稲作社会の収穫儀礼だという説明は、御代替わり当時の政府の理解と同じです。内閣官房がまとめた『平成即位の礼記録』(平成3年)はつぎのように説明しています。

「大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、はじめて、大嘗祭において、新穀を皇祖および天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖および天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、かならず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世一度の重要な儀式である」

 宮内庁の『平成大礼記録』(平成6年)の説明もほとんど同じです。

「大嘗祭は、稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇陛下が即位の後、はじめて、大嘗宮において、悠紀主基(ゆき・すき)両地方の斎田から収穫した新穀を、皇祖および天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖および天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である」

 大嘗祭が稲作儀礼だというように、なぜ政府が誤って理解したのかといえば、そのように説明する研究者が当局のなかにいたからでしょう。

 御代替わり当時、宮内庁掌典職に在職し、祭事課長を務めた鎌田純一皇學館大学名誉教授(神道史学)の『平成大禮要話─即位禮・大嘗祭─』(平成15年)は、同様に、

「稲作農業を中心としたわが国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの」

 と説明しています。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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「祭祀は御公務にはなっておりません」 ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 4 [女性宮家]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月7日)からの転載です


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「祭祀は御公務にはなっておりません」
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 4
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 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論


▽4 「祭祀は御公務にはなっておりません」
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 質問タイムとなり、園部逸夫内閣参与(当時)は

「宮中祭祀が現在、天皇陛下の御公務にはなっておりませんので、これは除かれるのでしょうけれども、女性皇族にはどういう御活動が相応しいでしょうか?」

 と尋ねました。

 これに対して、当然ながら、櫻井さんは猛然と反論します。

「いまの御質問は、非常に重要な問題を含んでいると思います。
 私の意見陳述の中で、祭祀が天皇の最重要のお役割だということを繰り返し申し上げました。いま、参与がお尋ねになったことは、女性皇族が民間人となられたときのなさるお仕事の一部として、祭祀も挙げられましたが、これは妥当ではないと思います。
 祭祀は天皇がなさるものでありまして、この祭祀を皇室のプライベートな行事、プライベートな仕事と定めた戦後の在り方自体に、私は異議を唱えております。
 祭祀は天皇がなさるべきものであり、民間人となった女性皇族がなさるものではないと思います」

 園部参与の

「祭祀は陛下の御公務になっていない」

 という指摘は、著書の『皇室制度を考える』でも何度か言及され、祭祀は天皇の私事と解説されています。

「宮中祭祀をはじめ宗教的性格があると見られることが否定できない行為は、天皇は象徴としての立場で行うことはできず、私的な立場によってのみ行うことができると解されており(通説。政府見解)、現行制度の解釈としては妥当といえよう」

 天皇の祭祀には宗教性が否定できないから、憲法の政教分離の原則上、国の機関としての立場では行えないというのが政府の見解だ、というのが園部参与の見方です。

 しかし、いまだ占領期の昭和26年に貞明皇后の御大喪が旧皇室喪儀令に準じて行われ、50年前には賢所大前の議を含む、今上陛下の御結婚の儀が「国の儀式」(マスコミ報道では「国事」)として挙行されていますから、戦後、一貫した、揺るぎない憲法解釈・運用ということにはなりません。

 蛇足ながら、園部参与は最高裁判事の時代に、陛下の祭祀に参列していたと聞きますが、国の機関としては行えないと仰せの宮中祭祀に参列したのは、国の機関たる最高裁判事としての立場でなのでしょうか、それとも私人としてなのでしょうか。私人としてだとすると、なぜ参列することになったのか、園部参与にうかがってみたいものです。

 さはさりながら、

「祭祀を皇室のプライベートな行事、プライベートな仕事と定めた戦後の在り方」

 と言い切っている櫻井さんも、「戦前vs.戦後」という二項対立的な歴史観にとらわれている点で、何ら変わりがないように見えます。けっして戦前=伝統ではないからです。

 戦前=伝統と考える通俗的な歴史観にこそ、混乱の原因があるのです。皇室の伝統と一般には考えられているものには、じつは125代にわたる「伝統」と明治維新後の近代化された「伝統」、言い換えれば「伝統」に擬せられた近代との2つがあるのでした。

 尊皇派のなかには、「伝統」を装った近代を正統的な「伝統」だと思い込み、礼賛している人もいます。それとは逆に、反天皇派のなかにも、これを古代からの「伝統」と見定めて否定する人がいます。

 こうして議論は複雑化せざるを得ないのでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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