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「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う [眞子内親王]


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「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う
(令和3年12月1日、水曜日)
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皇太弟殿下は昨日、56歳のお誕生日をお迎えになった。先月25日に行われた宮内記者会の会見では、お祝いどころか、第一問から眞子内親王殿下の御結婚に関する厳しい質疑が根掘り葉掘り加えられた。だがしかし、宮内庁に矢面が向けられることはなかった。

内親王殿下の御結婚は儀式が行われず、一時金の支給もなかった。御結婚当日には皇太弟殿下は妃殿下と連名で、「(結婚の公表以来、予期せぬ出来事が起こり)皇室への影響も少なからずありました」「皇室としては類例を見ない結婚となりました」などと綴られた「感想」を発表されていた。

記者会はまず、この「皇室への影響」の中身を問いかけた。これに対して殿下は、2点について答えられた。1点は、天皇・皇族方の発言などを誤り伝えるメディア報道についてで、報道が誤りであるなら、それは至極当然のことであった。

私が気になったのは2点目である。殿下は、「普通であれば行われている三つの行事、納采の儀と告期の儀と入第の儀を行わなかったこと」と述べられた。

さらに、「私の判断で行わなかった」「元々は皇室親族令にあるもので、今はもう皇室令はないので、絶対にしなければいけないというものではない」「慣習的に行われているもので、私は本来であれば行うのが適当であると考えている」「行わなかったそのことによって皇室の行事、儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられる」と続けられた。

私が気になるというのは、儀式を行わないという殿下のご判断の根拠が、かつての皇室令は廃止され、慣習として受け継がれている、だから必ずしも法的義務はないという法解釈にあるとすると、厄介なことになりそうだと思ったからである。


▽1 皇室親族令の廃止と依命通牒の通達

皇室の婚姻について定めた、戦前の皇室親族令(明治43年)が、昭和22年5月3日の日本国憲法の施行に伴って廃止されたことは、歴史の事実である。

しかし案外、知られていないことだが、同日、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、第三項「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」によって、皇室親族令の中身はいまなお生きていると考えられる。戦後75年、いまだ「新しい規定」はないからである。

平成3年4月25日の参院内閣委員会で、宮尾盤宮内庁次長は「(依命通牒の)廃止の手続はとっておりません」と明白に答弁しており、法的効力はいまもあるとみるべきだ。皇室令の法的効力は失われたが、依命通牒の法的効力は失われていない。とすると、「慣習的に行われている」では済まないのではないか。法は守られなければならない。

殿下は、納采の儀と告期の儀と入第の儀の「三つの行事」を行わなかったと仰せだが、正確にいえば、皇室親族令附式に規定された、内親王が臣籍に嫁する場合における式には、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、の6つがある。

このうち「三つの行事」以外は行われたという意味なのだろうが、中味も順序も「慣習」に従っていない。たとえば、三殿に謁するの儀は洋装で、庭上から「私的」に行われた。また、本来は予定されないはずの先帝先后の山陵に謁するの儀は、諸儀礼に先立って行われた。だからこそ「類例をみない」のである。

皇室親族令は確かに廃止された。しかし依命通牒第三項によって附式は生きているとすると、附式の定めに従わない、したがって合法性が疑われる眞子内親王の御結婚は、皇室行事の「軽さ」に「影響」したどころではなく、皇室の遵法精神が疑われる事態を招いたのではないかと危惧される。

殿下は関連質問でも、小室氏の文書を読んだうえで、「殿下の判断」で、3つの儀式を行わないこととしたと述べられたが、そうなるとますます殿下ご自身の法的責任が問われかねない。これはじつに厄介である。


▽2 「従前の例によれない」という判断

問題は宮内庁の立場である。「皇族に関すること」「儀式に関すること」(宮内庁法第2条)を所掌事務とする宮内庁がどのようにサポートしたのかである。

まず依命通牒だが、平成3年の国会答弁で宮尾次長は、「宮内府内部における当面の事務処理についてのいわゆる考え方を示したものでありまして、これは法律あるいは政令、規則というようなものではございません」と答えている。内部文書だから依命通牒には法的効力はない。したがって、附式の中身は「慣習」に過ぎない、という意味らしい。

この解釈は殿下の説明を端的に後押ししているが、宮内府長官官房文書課から各部局長官に対して通達された依命通牒は、「内部文書」とみなすべきなのかどうか。

注目されるのは、同じ日に、同じ委員会で、宮尾答弁に続いて行われた秋山收内閣法制局第二部長の答弁である。

秋山氏は「通牒は三項、四項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨である」と答えている。第四項には「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を處理すること」とある。

つまり、皇室親族令は廃止された以上、法的効力は認められない。「従前の例」に従えないなら、「当分の内の案」を側近が皇太弟殿下にお伺いを立て、「殿下が判断」されたということになるだろうか。

だとして、「従前の例によれない」と判断した根拠は何か。誰の判断なのか、殿下だけの判断なのか、が問題となる。


▽3 皇室の歴史と伝統をねじ曲げた宮内庁

依命通牒が重要なのは、戦後の宮中祭祀継続の法的根拠とされたからである。皇室祭祀令は廃止されたが、依命通牒第三項によって附式は踏襲されてきた。そして天皇の祭祀は占領期も、社会党政権下でも、続いてきた。

ところが、昭和50年9月1日をもって祭祀は改変され、簡略化の一途をたどった。主導したのは祭祀嫌いの入江相政侍従長と無神論者を自認した富田朝彦宮内庁長官であった。祭りをなさることが天皇第一のおつとめと考える伝統的天皇観を、側近中の側近が毛嫌いし、拒否し、法的に失墜させたのだった。

その根拠として使われたのが依命通牒第四項であった。「従前の例によれない」と判断することになった根拠は、宮中祭祀改変の場合は、憲法の「政教分離」原則だった。そして伝統的「祭り主」天皇は憲法的「象徴」天皇に鞍替えさせられたのである。

しかし、このときどのような議論が宮内庁内で行われたのかは、戦後史の謎である。

今回のきわめて異例な御結婚の背後には、昭和の祭祀改変と同様の法的論理が影を落としている。皇室令を「慣習」と切って捨て、皇室の歴史と伝統は守られなかった。殿下にとって苦渋の選択だったことは重々、承知しているが、殿下だけの判断ではあり得ない。賢い宮内官僚たちは陰に隠れたままである。

今回の御結婚について、宮内庁は十分な身辺調査を怠った。その責任について側近は誰ひとり言及していない。しかも、実際の婚姻について、簡単に法的ルールを変え、歴史と伝統をねじ曲げた。形式がたやすく変えられるということになると、古来、儀式中心の世界である「皇室への影響」は計り知れないことになる。何でもありになり得る。

側近たちは殿下にどのような助言を申し上げたのか、それともしなかったのか。宮内庁はダンマリを決め込んでいる。その結果、「殿下の判断」ばかりがクローズアップされている。藩屏なき皇室、ここに極まれりである。


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皇室におけるラブ・マリッジとアレンジド・マリッジ──額田王から「ICUの恋」まで
(令和3年11月20日、土曜日)
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▽1 額田王と大海人皇子の問答歌の真相

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

誰もが知る万葉集の代表歌のひとつである。作者の額田王は古代の皇族で、大海人皇子(40代天武天皇)の妃である。「袖を振る」は古い求愛表現である。大海人皇子による次の歌と対になっていて、「蒲生野問答歌」と呼ばれる。

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも

「袖振る」に対して「人妻」とは聞きづてならない。題詞には「(38代天智)天皇が蒲生野で狩りをされた時に額田王が作った歌」とある。天智天皇と天武天皇は34代舒明天皇と宝皇女(35代皇極天皇、重祚して37代斉明天皇)を父母とするご兄弟で、額田王をめぐって三角関係にあった、とかつては解釈されてきた。

だが、そもそも歌は相聞歌ではなく、雑歌に分類されており、恋の歌とはされていない。国文学者の池田彌三郎は、宗教的な宮中行事の際に催された宴席で、大海人皇子が無骨な舞を舞ったのを才女の額田王が「袖振る」とからかい、これに対して皇子が四十路の額田王を「にほへる妹」としっぺ返しした、と理解した(『萬葉百歌』1963年)。今日ではこれが定説化しているという。

しかしそれでも、宝塚歌劇団の「あかねさす紫の花」(1976年初演)などは逆に、文字通りの「万葉ロマン」と解して、再演を続けている。「律令国家形成の立役者となった中大兄皇子、大海人皇子という才気溢れる二人の兄弟が、女流歌人・額田女王を巡って繰り広げる愛憎劇」と説明されている。

万葉集だけではない。古代の貴族社会のラブロマンスは「世界最古の長編小説」とされる『源氏物語』にも描かれ、現代に伝えられている。王朝文学に描かれたラブロマンスは、民衆の熱烈な憧れとして続いている。そして、現代の「テニスコートの恋」や「ICUの恋」とも繋がっているのだろう。


▽2 インド人たちに笑われた日本人の「恋愛」

バングラデシュという国の孤児院を支援するため同国に通っていたころ、南東部のチッタゴン丘陵地帯にチャクマと呼ばれる東アジア系の少数民族が居住していて、「日本人と同じように嬥歌(かがい。歌垣)の文化を持っている」と聞かされ、驚いたことがある。

男女が山に登り、恋の歌を歌い合い、求婚するというのである。まさに万葉集に収められた古代日本の相聞歌を彷彿とさせる。

しかしバングラデシュでは、チャクマは少数派である。

バングラデシュは世界最大級のムスリム人口を抱える国で、男女の区別が宗教的にはっきりしている。だから、戸外で女性を見かけることはまずない。

厳格なイスラム教徒が多い地方に行くと、どうしても外出が必要なときは女性は黒づくめのブルカ姿になる。物珍しく思って、不用意にカメラを向けようものなら、身の危険を覚悟しないといけない場合もあると聞いた。

ダッカのような大都会では、夕暮れ時に若いカップルを、数少ないデートスポットで見かけたが、あくまで最近の現象らしい。公衆の面前で仲良くしすぎるのはご法度で、警察に注意されることもあるという。結婚は当然、親同士が決めることになる。

同じころ、南インドのカリカットに足を伸ばしたら、思いがけず、ヒンドゥー教徒の結婚式に招待された。みんながみんな着飾った華やかな席に、ラフなスタイルの日本人がカメラを片手に、しかも招待者として、いきなり現れたのだから、否が応でも目立ち、質問攻めにされた。

とりわけ若い女性たちの関心は結婚で、「日本人はどうやって相手を見つけるの?」などと無邪気に聞くから、「恋愛(love marriage)と見合い(arranged marriage)と半々かな」と適当に答えたら、いっせいに笑われた。「私たちは親が決めるの。それがいちばん幸せなのよ」と真顔で応じるのを見て、宗教と文化の違いを思い知らされた。

インド世界と日本とでは愛のかたちが違う。


▽3 明治の近代化が契機

千葉大学の江守五夫名誉教授(民俗学)によると、日本人の婚姻習俗には次のようないくつかの類型があるという(『婚姻の民俗』1998年)。

(1)南方系の一時的訪婚
(2)北方系の嫁入婚
(3)玄界灘型嫁入婚
(4)北陸型嫁入婚

柳田国男は古代には妻訪婚が支配的だったが、中世武家社会に嫁入婚が形成されたと説き、かつてはこれが通説だった。しかし、嫁入婚がすべて妻訪婚から変化したとする一元的な通説には疑問がある、と江守氏は述べている。

むろん「親が決める」婚姻がすべてではない。かつての日本では、祭りや盆踊りなどは男女の交歓の場であった。

以前、東京・川の手の社家出身者から興味深い思い出を聞いたことがある。彼女が子供のころ、お宮の周りは水田や蓮田が一面に広がっていた。街灯もなく、夜は闇に包まれる。盆踊りのお囃子が聞こえると、どこからとなく若い男女が集まってくる。懐中電灯などはないから、代わりに蛍を捕まえて、和紙にくるみ、耳にさす。闇夜にかすかな灯りが動いていくのはじつに優雅で、美しい。

「お母さん、私もやってみたい」とねだると、母親に「あれは下々のすることです」とたしなめられた。何十年も前の思い出を笑いながら私に聞かせてくれたものだ。

神社のお祭りや盆踊りは、むろんいまも続いているが、もはや愛の交歓の場ではなくなっている。というより、日本人の愛のかたちが、少なくとも表向きはずいぶんと変わってしまったように見える。それはいつ、なぜなのか。

江戸の町は女性の人口比率が低かったといわれる。当然、チョンガが多く、遊郭が発達した。湯屋(銭湯)は混浴(入込湯)で、老中松平定信は風紀の乱れを理由に「入込湯厳禁」の御触れを出した。しかし御触れは守られず、混浴禁止がきびしく守られるようになったのは明治以後らしい。近代化、すなわち欧米のキリスト教文化の影響である。

お堅いイメージの伊勢神宮のお膝元にも、かつては遊郭があった。江戸中期には参宮街道沿いに妓楼70軒が軒を連ねたらしい。遊女の数は1000人に及び、三大遊郭のひとつに数えられた。いまでは想像もつかない。

いま宇治橋を渡り、内宮の宮域に入ると不自然なほど、芝生の西洋風庭園が広がっている。江戸期には神職の自宅や茶屋などが立ち並んでいたのを、明治になり撤去させられたという。神聖さを増すための明治の改革によるものだが、以前の茶屋は名物餅を提供するだけの単なる休憩所だったのかどうか。古社と花街とは古来、深い関係が指摘される。


▽4 キリスト教が変え、キリスト教が変わる

民俗学者の瀬川清子・大妻女子大学教授は、男女の出会いに関する、戦前の興味深い逸話を記録している。

長崎・五島列島には「若衆宿」の風習があったのだが、ある島では学校の校長が「娘宿」の解散を命じた。これに対して生徒たちが強く抵抗したというのである。「娘宿が無くなったら、私たちは結婚できない。どうやって相手を見つければいいのか?」。娘宿は相手を観察し、吟味する大切な場だった。それで1年後には復活したという。

明治の学校教育は欧化主義そのものだった。その背景にはキリスト教主義があり、教師はいわば宣教師であった。この島ではキリスト教的結婚観との相剋が起き、日本的結婚観に対して変更を求め、この場合は敗れたのである。

同様にキリスト教の影響から変更を要求され、そして実際、変質させられた祭礼もある。たとえば東京・府中市の大国魂神社の例大祭「くらやみ祭」である。かつては夜間、文字通りの漆黒の闇の中で行われ、男女の出会いの場でもあったが、明治になって改められた。

それでも、地方の古いお宮には、奉納された陰陽石がそのまま境内の片隅に残されていることがある。多産や豊穣を祈願する大らかな生殖器崇拝をいまに伝えている。

いや、それどころか、川崎市・若宮八幡宮の境内社・金山神社(かなまらさま)の祭り「かなまら祭」などは年々、熱気を帯びている。昭和50年代に始まった新しい行事だが、男根神輿の渡御には横須賀の基地などから外国人たちが数多く参加する。

性を神聖なものとみる素朴な信仰は世界に共通している。古くはヨーロッパにもあったが、キリスト教の浸透で廃れてしまったらしい。日本ではキリスト教の影響で歪められたとはいえ、根強く残っている。そして逆に、いまや欧米人が強い関心を示している。「自由」は近代の概念のはずだが、日本の古代にこそ「自由」はあった。


▽5 オモテの世界とオクの世界

さて、長々と書いてきたのは、結局、何を言いたいのかといえば、日本人のなかで評価が大きく分かれる眞子元内親王殿下の「ICUの恋」である。内親王殿下の「自由恋愛」を強く拒絶する人が多い一方で、逆に支持者が少なくないのは、なぜなのか。

それは、おそらく現代日本人のなかに、皇室への強い憧れとともに、古代からの自由な「愛のかたち」が静かに受け継がれているからではないだろうか。愛は永遠なのである。

他方で、欧米のメディアなどに支持が多いのは、キリスト教的個人主義の伝統に加えて、逆に清教徒的な禁欲主義がもはや過去のものとなっているからではないかと私は疑っている。欧米人たちも変わったのである。

その意味では、日本人の結婚事情を笑ったインド人たちが、内親王殿下の「ICUの恋」をどう見ているのか、ぜひ聞いてみたいものだと思う。

ただ、強く注意を喚起しなければならないのは、日本の皇室の場合、「天皇無私」の伝統を崩してはならないことだ。額田王は天武天皇の妃だが、天武天皇の皇后はあくまで鸕野讃良皇女(持統天皇)である。問答歌はあくまでも余興なのである。

以前、書いたように、太上天皇の「テニスコートの恋」は側近たちによってアレンジされたものであったが、自由恋愛のように信じられてきた。その影響はいまに及び、今上天皇は皇太子時代、将来、皇后となるべき女性に「僕が一生全力でお守りします」と仰せになり、ハートを射止められた。「学習院の恋」「ICUの恋」にも影響は続いている。

オクの世界ならそれでもかまわない。けれども、オモテはそうではないし、そうであってはならない。天皇に「私」があってはならないからだ。「天つ神の御心を大御心として」(本居宣長『直毘魂』)、すなわち公正かつ無私が天皇の大原則だからである。自由恋愛ではすまない。元内親王殿下がいつの日か、そのことを理解してくださるかどうか。


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「男系男子」継承の理由が説明されない。だからアメリカ人にも理解されない [眞子内親王]


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「男系男子」継承の理由が説明されない。だからアメリカ人にも理解されない
(令和3年11月14日、日曜日)
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誰でも一度は聞いたことがある、ABBAの代表曲「ダンシング・クイーン」には、1976年6月に結婚されたスウェーデンのカール16世グスタフ国王の結婚披露宴で初披露されたというユニークな歴史がある。

王妃となった女性は第二次大戦中のドイツ生まれで、その父親はドイツ人、しかもナチス党員だったというので、とくにユダヤ人たちからは歓迎されなかった。しかし王室は「王妃の父親は王族ではない」として「ノーコメント」を貫いた。さすがの見識である。

ところが日本では、それが感じられない。


▽1 一貫しない「私人」の論理

たとえばNHKである。御結婚で皇籍を離れられた眞子元内親王殿下の渡米について、しつこいほどの報道が続いている。まるでストーカーである。

昨日の夕刻は「あす午前 日本を出発 アメリカへ」と伝え、今日は朝から「きょう日本を出発しアメリカへ」(8時15分)、「羽田空港に到着 このあとアメリカへ出発」(8時51分)、「アメリカに向けて日本を出発」(11時5分)とたたみかけている。

民間人になられた元内親王を、なぜそこまで執拗に追いかける必要があるのか。そして宮内庁もまたしかりである。

報道によれば、西村泰彦長官は11日の定例会見で、小室圭氏のNY州司法試験不合格について、「とくにコメントすることはございません」としながらも、「次回、頑張ってもらいたい」と述べたという。社交辞令では済まされない。

今回の御結婚は徹頭徹尾、「ICUの恋」の成就のため「私人」の立場が貫かれた。それゆえに皇室伝統の儀礼も一時金支給も避けられた。宮内庁もノータッチの姿勢を保ったはずである。それならなぜスウェーデン王室のように、「ノーコメント」で済ませないのか。記者がネチネチと質問したとしても、「民間人」のプライバシーに踏み入る必要はない。

それでも立ち入るというのなら、御結婚について十分な身辺調査を怠った責任を、宮内庁はあらためて問われなければならない。いま佳子内親王殿下の警護が厳格化されていると伝えられるのは、宮内庁自身、遅まきながら、責任を自覚してのことではないか。宮内庁は元内親王を、完全には「私人」と見なしていない。論理が一貫していない。


▽2 アメリカ人が感じる「民間人」「ジェンダー」への違和感

それなら、新生活が始まるアメリカでは、御結婚はどう受け止められているのか。

目に止まったのは、FNNの中川眞理子NY支局特派員による「小室眞子さんの結婚を報じた米メディア『民間人』と『ジェンダー』に微妙な温度差」と題する記事である。

中川記者によると、御結婚はアメリカでも関心が高いらしい。そしてメディアの報道には「コモナー(民間人)」「ジェンダー」の2つの用語が頻出すると指摘している。

まずは「民間」への違和感である。中川記者の解説では、王室のないアメリカ人は、「すべての人は平等」と考える。英語で「私はコモナーです」と言えば、必要以上に自身を卑下しているように聞こえる。だから「コモナー」はめったに使われない。それなのに今回の結婚報道では、この単語のオンパレードだというのだ。

もうひとつは「ジェンダー」。NBCに寄稿したコーネル大准教授の記事の見出しは、「プリンセス・マコのコモナーとの結婚は、皇室を滅ぼしうる、性差別を示唆している」と痛烈に批判したと伝えている。

アメリカのメディアが驚きをもって報じているのは、「日本では女性に皇位継承権がないこと(+女性皇族の減少)」と「結婚によって皇室を離れること」の2点だという。

中川記者の記事は、イギリス王室では結婚によって王族の立場を離れることはない。だから、日本では女性皇族が結婚によって皇籍を離脱し「民間人」、すなわち「コモナーになる」ことに驚いたのではないかと説明している。

NYタイムズは「世論の感情を逆なでしたのは、海外で生活をするという二人の決断だったかもしれない。お姫さまは皇室を出たあとも、伝統的な慣例に従うことを求められている」と書いている。日本の伝統と文化を受け継ぐ皇室や皇族に対する日本国民の反応が、閉鎖的で古くさいものに見えてしまうのかも知れないと中川記者の解説は続く。


▽3 欧米から批判される謂れはない

中川記者は、アメリカのメディアが、「日本人にとっては別次元」であるはずの「職業や居住の選択肢が限られるなど皇族に課せられた様々な制約と、日本社会における男女不平等の問題」が焦点になっていると指摘し、だから、海外で理解されるには、「日本国内で女性皇族の減少や皇位継承権など皇室の将来について議論を尽くし、男女平等な社会の実現に向けて努力していくことが必要だろう」と訴えるのである。

中川記者の結論は常識的で批判には値しないが、「微妙な温度差」どころではない歴史的事実について、何点か指摘しておきたい。

まず、皇子が親王と呼ばれ、皇女が内親王と称されるのには古代律令に規定があり、皇女にも皇位継承権があったことである。歴史上、8人10代の女性天皇がおられ、最初の女帝・推古天皇は593年の即位であった。イギリスに最初の女王が誕生したのは16世紀のことである。男女平等の観点で単純に比較するなら、日本の方がはるかに進んでいた。

内親王に皇位継承権が認められなくなったのは、近代である。明治憲法は「皇男子孫の継承」、皇室典範は「男系男子の継承」を定めている。むろん理由がある。近代化すなわち欧化主義の影響であろう。いまさら欧米から批判される謂れはない。

近代天皇制の大きな特徴のひとつに、終身在位制の採用がある。譲位は制度として否認された。となると当然、女性天皇は否定される。なぜなら、女帝擁立はほかに男子が見当たらない状況なのであって、それでもなお女帝が即位されるなら、皇統は女系化するからだ。

イギリス王室なら、父母の同等婚、女帝即位後の王朝交替という二大原則から、王朝名が変わり、新たな父系継承が始まる。王位の断絶ということはない。女王の王配をヨーロッパ各王室に求めることもできる。しかし皇室はそうはいかない。

蛇足だが、イギリス王室はじめ、ヨーロッパ王室では王族同士の婚姻という大原則は崩れてしまった。もはや参考になるものではない。

古代の日本なら皇族同士の婚姻しか認められなかった。時代とともに拡大したが、明治においても内親王の婚家は華族までとされた。戦後は「民間人」にまで広がったが、内親王が「民間人」と結婚され、そしてもし皇位が継承されるなら、古来、男系で継承されてきた皇位は終わりを告げることになる。だから、甲論乙駁の議論が続くのである。


▽4 日本人自身が変わってしまった

現行憲法はGHQによる「押し付け憲法」ともいわれる。占領軍の置き土産だが、憲法学者の小嶋和司先生が指摘しているように、皇位継承の男系主義について、GHQ内で批判があったとは聞かない。つまり、是認されたということになる。

日本国憲法は「皇位の世襲」を定め、現行皇室典範は「男系男子の継承」を規定している。憲法はむろん男女平等を定めているが、皇位継承とはそもそも次元が異なる。国民の平等原則を皇室に持ち込むのは論理矛盾というものだ。占領軍も理解していたに違いない。

「皇室を滅ぼす」のは「性差別」ではなくて、むしろ「ジェンダー」の方だろう。中川記者はアメリカ人たちにそのように説明しなかったのだろうか。あるいは、そのように説明する知識を持ち合わせていないということか。

しかし中川記者のみを責めることはできない。なぜ皇位継承が男系主義で貫かれてきたのか、論理的に説明できる知識人など、いまの日本には見当たらないからである。だから、アメリカ人にも理解されないのである。

「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」と結論づけた、かの皇室典範有識者会議(平成17年)では、「なぜ皇位継承は男系でなければならないのか、を説明した歴史的文書などは見あたらない」と事務局が説明したと伝えられる。一方、男系派もまた、「もはや理由などどうでも良い」とサジを投げる始末である。

当たり前のことなら、あえて文書化する必要はない。男系主義の理由を論理で説明しなければならないのは、もはや日本人自身が変わってしまったということだろう。今日、男系継承主義は当たり前ではなくなったのである。それはなぜなのか。

中川記者にはそこを考えてほしい。「皇室の将来についての議論」はそのあとでも遅くはないと私は思う。


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「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道 [眞子内親王]


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「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道
(令和3年10月31日、日曜日)
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紆余曲折の末、26日、眞子内親王殿下が結婚された。正確にいえば、宮内庁職員が自治体に婚姻届を提出、受理され、翌日、皇統譜に皇籍離脱が登録された。皇室親族令附式に基づいた諸儀式は一切行われていない。

国民のひとりとしては末長い御多幸をお祈り申し上げるばかりだが、違和感は拭い切れない。古来、皇室は儀式中心の世界だからである。これは内親王の御結婚と呼ぶべきものだろうか。

もっとも中心となるべき、儀服を召しての賢所外陣での拝礼は、洋装で庭上からの拝礼に変更された。しかも附式では予定されていない先帝先后の御陵への御挨拶が、皇祖への御拝礼に先行された。伝統主義の立場からはあり得ないことだ。

異例続きとなった一因はマスメディアの過剰かつ執拗な報道のあり方にある。そのことは御結婚会見の回答にも現れているが、報道の異様な加熱と暴走の背後にあるのは、天皇・皇室に対して戦後の日本人がいだく大きな意識変化である。

もっといえば、国民の尊崇の中心であり、国の威厳、価値の代名詞でもある、古来の天皇意識の忘却と喪失である。そして皇室もまたその激流から無縁ではあり得ないところに深刻さがある。伝統的価値を伝える藩屏も見当たらない。


▽1 皇室と朝日新聞の「公私」概念の違い

たとえば、朝日新聞である。

27日の社説「皇室の『公と私』 眞子さん結婚で考える」は、一見すれば常識論である。2人の幸せを願いつつ、一時金辞退の先例化を憂い、自由が制限された皇族の立場に同情し、「公と私」の議論の深まりを国民に要求している。キーワードは、憲法、個人、自由、権利、主権者である。

用語の使い方からして、眞子内親王殿下は「秋篠宮家の眞子さま」である。最初から敬語表現はない。人はみな「平等」だからであろう。御結婚で、「眞子さん」「2人」と変わった。皇族も「ひとりの人間」とされている。

社説は「皇族は公人であり、その言動に国民が関心を抱き、厳しいことも含めて意見を言うのは当然だ。一方で皇族もひとりの人間として意思や感情を持ち、培ってきた価値観がある。国民が思い描く理想の姿とどこかで差異が生じることがあってもおかしくないし、そもそもその『理想の姿』も人によって様々だ」と解説している。あくまで主権者は国民なのである。

「公」の存在である天皇・皇族にも「私」の領域があり、どこまで自由を認めるべきか、国民は議論すべきだと訴えている。朝日の社説では、「公と私」は互いに対立する概念になっている。だから、議論が必要だということになる。

けれども、皇室古来の「公と私」とは対立概念ではなかったのではないか。民の側のさまざまな「私」の存在を認め、「私」と「私」の対立を和らげ、治め、これらを統合することが、天皇の「公」というものではないのだろうか。

それゆえに天皇は「無私」なる存在とされ、公正かつ無私なる祭祀をなさる祭り主であることが第一義とされたのであろう。天皇に姓も名もないのはそのためではないか。「私」を去って、超然たるお立場にあるのが「公」である。

しかし、朝日の社説では皇室が大切にしてきた歴史と伝統は無視されている。論理の出発点は憲法であり、一神教世界由来の近代主義である。朝日の「公」とは国事行為のみを行う国家機関としての「公」であろう。


▽2 天皇による多神教的祈りの意味

斎藤智子・朝日新聞元皇室担当記者の「眞子さまがみせた覚悟へ、心から拍手を」も同様である。内親王殿下個人の性格に注目し、これまでの経緯を振り返り、「ひとりの女性」の生き方を綴ったうえで、「心からの拍手を送りたい」とエールを送っている。

ここには皇室の長い歴史への眼差しも関心もない。新しい生き方を追求する潔さと覚悟を礼賛するのは勝手だが、なぜ「無私」の伝統の現代的価値を探ろうとしないのか。

「私」を礼賛すれば、「私」同士の対立を促すことになり、「無私」を貫いてきた皇室の存在意義は失われるだろうに、現代のエリートたち、戦後民主主義の申し子たちには、ハナから通じないのだろうか。そして国民も、なのか。

「天皇」が生まれたころ、日本は氏姓社会だった。『新撰姓氏録』を見れば、京都周辺だけでも、さまざまな氏族が存在していたことが分かる。京都や奈良の古社はしばしば、古代氏族の氏神を源流としている。

古代において祖先が異なる、神が異なる、祭り方が異なるということは、深刻な対立抗争の原因ともなり得ただろう。そのことは現代の世界に目を転じ、一神教同士の抜き差しならない対立や、一神教内部の血で血を洗う抗争を見れば、容易に想像される。信じるものが違えば、衣食住が異なるし、言葉すら変わる。

古代律令は「天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と命じている。歴代天皇は皇祖のみならず、天神地祇を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて、「国中平らかに安らけく」と祈り続けてこられた。それが新嘗祭・大嘗祭であり、皇室第一の祭りとされてきた。

あらゆる神々を祀るのは、世界広しといえども、日本の天皇のみである。日本が古来、例外的に血腥い宗教的戦争に巻き込まれずにきたのは、天皇の多神教的祈りゆえだろう。一神教世界ならあり得まい。

特定の祭日だけではない。天皇は食膳ごとに、「わがしろしめす国に飢えた民がひとりいても申し訳ない」と、食物をひと箸ずつより分け、名もなき民に捧げられた。サバの行事といわれる。食事もまた国と民のための祈りなのであった。

そのことは、現代においてこそ大きな意義があるのではないか。

天皇には「私」があってはならない。ことさらに私人を装って行われた今回の御結婚に違和感を禁じ得ない理由はそこにある。いつの日か、内親王殿下が気づかれる日が来ることを信じたい。「ICUの恋」を悲劇に終わらせてはならない。


▽3 最大の責任は宮内庁にある

最後に、宮内庁の対応について、蛇足ながら付け加えたい。皇室の伝統的価値を理解できないらしいのは側近たちも同じである。

御結婚会見で異様なのは、「誤った情報が事実であるかのような」というフレーズが何度も繰り返されていることである。とてもお祝いの場とは思えない。

事実ではない情報が事実を装って流布されたというのなら、宮内庁はどこまで真相を把握していたのだろうか。

もし情報の誤りを知っていたのなら、なぜ訂正を求めなかったのか。情報の誤りを知りつつ放置したというのなら、宮内庁の不作為によって、皇室の権威を貶める結果を招いた罪は大きい。

逆に、真相を知らなかったとすれば、これまた責任が問われる。そもそも真相とは如何なるものなのか。宮内庁は十分な身辺調査を行ったのか否か。傷ついた内親王殿下の御結婚を招いた最大の責任は、宮内庁にある。

西村泰彦宮内庁長官は定例会見で、御結婚後について、「これまでとは違ったご苦労がおありかと思いますが、2人で手を携えて力を合わせて乗り越えていっていただきたい」と述べたと伝えられるが、傍観者の白々しさを感じるのは私だけだろうか。

宮内庁は藩屏としての役割を果たしていない。現代の皇室はつくづくおいたわしいかぎりである。


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ご結婚前に「私人」になられた内親王殿下──天皇の「無私」か、憲法の「自由」か? [眞子内親王]


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ご結婚前に「私人」になられた内親王殿下──天皇の「無私」か、憲法の「自由」か?
(令和3年10月17日、日曜日)
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眞子内親王殿下が26日にご結婚になる。心からお祝い申し上げたいところだが、あまりにも異例続きだ。公人ならぬ「私人」なら、自由で、何でも許されるということなのか。それでは古来、公(おおやけ)中の公であり、「私」を去ることを大原則としてこられた天皇・皇室の歴史と伝統をみずから否定することになりはしないか。

たとえば、ご結婚までのご日程である。

先週の12日には昭和天皇、香淳皇后が鎮まる武蔵野陵、武蔵野東陵に謁せられた。宮内庁発表によると、19日には宮中三殿に謁っせられ、22日には皇居・御所を訪れられて、天皇、皇后両陛下にご挨拶になり、25日には太上天皇・皇太后両陛下にご挨拶になる。すでに伝えられているように、納采の儀などは行われない。


▽1 皇室の伝統の否定

既述したように、皇室の婚姻に関する古来の儀礼を集大成した皇室親族令(明治43年)の附式では、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、と続くことになっている。親族令は廃止されたが、附式はいまも生きている。

清子内親王殿下の場合は、平成17年3月19日に納采の儀が行われ、半年が過ぎたあと、11月12日に賢所皇霊殿神殿に謁するの儀が行われ、さらに宮殿・松の間で朝見の儀が行われた。帝国ホテルで結婚式が行われたのは同15日である。

納采の儀は先方の使者が幣贄を携えて殿邸に参上し、結納が行われる。入第の儀は先方の使者がお迎えにあがる。かつて内親王のお相手は華族までとされたが、今は昔、今回は「家」が関わる儀礼は行われない。名実とも「私人」の婚姻なのである。

三殿に謁するの儀から朝見の儀までの順序は親族令に準じているが、参内朝見の儀は宮殿ではなく、御所で行われる。親族令では予定されていない先帝先后の山陵に謁するの儀は諸儀礼に先立って行われた。

殿下の「希望」によるものと伝えられるが、天皇、皇太子なら締め括りとして行われる儀礼である。先んじて行われたのは、婚姻による皇籍離脱後では文字通り「私人」のお立場となり、格好がつかないからなのだろうか。しかし皇祖皇宗へのご挨拶が後になるのはどうみてもおかしい。皇室の伝統の否定なのである。

今回のご結婚の異例は、皇籍を離脱して「私人」となるのではなくて、すでに「私人」扱いされている点にある。支持する人たちは、結婚の自由を叫び続けているが、天皇・皇族はそもそも「私人」ではあり得ない。一時金を断る云々は方便に過ぎない。


▽2 天皇より憲法が優先

天皇は古来、固有名詞では呼ばれない。かつては乳人制度があった。肉親のご葬儀に参列されることもなかった。天皇こそ公そのものであり、「天皇無私」とされた。

「およそ禁中の作法は神事を先にす」とされ、天皇の祭りは皇祖のみならず天神地祇を祀り、皇室の繁栄ではなく、「国中平らかに安らけく」と祈り続けるものである。稲作民の稲のみならず、畑作民の粟が捧げられるのもまた然りである。

皇祖天照大神は絶対神とはほど遠く、皇祖神の「コトヨサシ」に由来する天皇の「シラス」統治は、唯一神を根拠とするキリスト教世界の一元的支配とは大きく異なる。

「祭り主」天皇の公正かつ無私なる祈りこそが、多様性ある国家の平和的統合をもたらしてきたのではなかったか。天皇の「無私」が民の「自由」の根拠である。それがまったく逆に、キリスト教世界由来の現行憲法のもとでは、天皇の祭祀が「私事」とされ、逆転現象が起きた。

そして今回のご結婚である。世が世なら、天皇ともなり得るお立場の内親王なのである。天皇の「無私」か、憲法の「自由」か。内親王殿下のご結婚が私たちに問いかけているのは、戦後体制に馴染み過ぎた現代人が歴史的天皇のあり方の価値を再確認できるのか否かである。憲法の解釈・運用がおかしいのか、それとも憲法自体が誤りなのか。

宮内庁は今回のご結婚で、みずからの落ち度を密かに認めたものらしい。すなわち不十分な身辺調査という不作為である。であればこそ、佳子内親王殿下の場合は厳格化が伝えられている。本来なら長官が責任を認め、職を賭してお諌めすべきだった。

しかし陛下より憲法に忠実な国家公務員に成り下がった現代の側近には、もはや藩屏は務まらない。天皇より憲法が優先されるのである。


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昭和天皇の御陵にお参りされた眞子内親王殿下の異例 [眞子内親王]


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昭和天皇の御陵にお参りされた眞子内親王殿下の異例
(令和3年10月12日、火曜日)
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眞子内親王殿下の御結婚はあまりにも異例続きである。

報道によれば、殿下は今日、雨の中、昭和天皇、香淳皇后がそれぞれ鎮まる武蔵野陵、武蔵野東陵にお参りになり、御結婚の報告をされた。宮内庁によると、皇室の慣例によらず、ご本人の「希望」によるものとされる。

皇室には独自の冠婚葬祭の定めがある。殿下のこれからの幸せを祈りたいのは山々だが、今回の御結婚は皇室が大切にしてきた伝統からほとんど逸脱している。

皇室の婚姻に関する儀礼を集大成した皇室親族令(明治43年)の附式には、
1、納采の儀
2、告期の儀
3、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
4、参内朝見の儀
5、皇太后に朝見の儀
6、内親王入第の儀
と続くことになっている。

むろん戦後、日本国憲法施行とともに皇室令は全廃されたし、したがって皇室親族令も廃止された。しかし、このとき宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、「從前の規定が廢止となり、新らしい規定ができていないものは、從前の例に準じて、事務を處理すること」(第3項)とされている。

また、この依命通牒について「廃止の手続きはとっておりません」という宮尾盤次長による平成3年4月25日参院内閣委員会での答弁からすると、依命通牒第3項はいまなお効力があり、廃止された皇室親族令に代わる新しい規定がない今日、内親王の婚姻はこれまでと同様、親族令附式に準じて行われるべきものと考えられる。

しかしすでに、今回、「納采の儀等は行われない」と伝えられている。依命通牒は守られず、したがって、皇室親族令附式は無視されている。

そして今日の先帝先后の山陵に謁するの儀である。

親族令附式では、先帝先后の山陵に謁するの儀は、天皇、皇太子の御結婚の場合に行われるべきもので、親王、内親王の場合は行われない。天皇、皇太子の場合も、宮中三殿での儀礼その他すべてが終わったあと、締め括りとして行われ、しかも神宮神武天皇山陵並びに先帝先后の山陵に謁するの儀としてセットで行われることとされている。

附式に予定される皇祖皇宗、天神地祇へのご挨拶がない一方で、附式では予定されていない内親王の儀礼が行われることは異例中の異例といわねばならない。内親王の婚姻としてこれは許されるのか。

殿下の昭和天皇、香淳皇后へのお思いはよくよく理解できる。けれども、皇室がもっとも大切にしてきた「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)という祭祀第一主義が蔑ろにされてはいるのではないかとの疑いがどうしても晴れない。

天皇・皇室の祈りは国と民のための、絶対他者のための祈りであり、私的な祈りではないはずである。内親王は婚姻によって皇籍を離れられるにしても、離れ方に問題があり過ぎるのではないか。これでは皇室の歴史と伝統を否定することになりかねない。

ご挨拶を受けられた昭和天皇、香淳皇后はどのように思われるのだろうか。挨拶のない皇祖皇宗はどうだろうか。逆に、異例を正すため、蛮勇を振るって、殿下に献言するような側近はいないのだろうか。

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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い [眞子内親王]

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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い
(令和3年10月2日、土曜日)
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眞子内親王殿下が今月26日に結婚される、と宮内庁皇嗣職が発表した。同時に、「複雑性PTSD」を患っておられるとも発表された。御結婚問題それ自体でさえ気が重いことなのに、何ともおいたわしい限りである。おそばにおられる父君も母君も、さぞ複雑な思いでその日をお迎えになられることだろう。

内親王殿下の御結婚は本来、国民にとっても、心からお祝い申し上げるべき慶事のはずである。しかしどう見てもそうはなっていない。それはやはり藩屏たるべき宮内庁の責任が大きいといわざるを得ない。


◇内親王は私人ではない

人は個人として尊重され、みな平等である。結婚は2人の個人的問題である。一般にはそう考えられるが、内親王の御結婚は国民の結婚とは事情が異なる。納采の儀も結婚式も行われない。一時金も受け取らないといっても、内親王は内親王であり、私人ではない。ところが、宮内庁の説明では、逆に、むりやり私人を装うことで、結婚を成立させようとしている。

公(おほやけ)とは古くは天皇を指したという。「天皇に私なし」といわれ、天皇に姓はなく、固有名詞で呼ばれることもない。昔なら内親王も皇位継承の可能性があったのであり、私人ではあり得ない。ところが、いまや「天皇無私」の大原則が危機に瀕している。枝を矯めて花を散らすがごとしである。

今回、納采の儀が行われないというが、ふつうなら告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀と続く諸儀式も行われないのだろうか。皇祖神や歴代天皇、天神地祇、そして先帝へのご挨拶もないとすると、前代未聞といわねばならない。

皇室第一の原則は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)である。皇祖神に始まる歴代天皇との繋がりを否定して内親王の立場はないし、天神地祇への神祭りなくして皇室の存在意義はあり得ない。

かつて天皇が仏教に帰依した時代、もっとも大切にされたのは「金光明最勝王経」である。「王法正論品第二十」では前世とのつながりが説明され、「国を治むるに正法をもってすべし」と教えている。因果応報、悪政には天罰が下り、悲惨な結末を迎えると警告されている。

皇祖天照大神からこの国の統治を委任され、公正かつ無私なるお立場で、「国中平らかに安らけく」と祈り、国と民の統合を第一のお務めとする祭り主が天皇であるという考えと共通するものがある。私人でありようはずがない。


◇日本社会も皇室もキリスト教化した

しかしキリスト教は異なる。「天の父」の教えが強調され、祖先とのつながりは否定される。たとえばイエス・キリストは「タラントンのたとえ」を話された。タラントンとは神が人間個人に与えた才能(タレント)である。キリスト教では人間は個人でしかない。

渡部昇一先生の本には、宣教師に「入信せずに死んだ親は天国に行けるのか?」と質問し、「洗礼を受けなければ天国には行けません」との返答に憤然として宣教師を追放した酋長の逸話が載っている。祖先とのつながりより、キリスト教信仰が優先される。

近代になり、日本はキリスト教世界の文物を積極的に導入した。その先頭に立ったのが皇室であった。キリスト教の社会事業を物心ともに支援したのも皇室である。戦後、ICUが創設されるとき、設立準備委員会の名誉総裁となったのは高松宮宣仁親王殿下だった。

戦前から昭和天皇の側近には多くのキリスト者がいたが、昭和天皇ご自身がキリスト教に染まることはなかった。しかしいまはどうだろうか。日本社会自体、「純ジャパ、半ジャパ、ノン・ジャパ」が入り乱れ、ICU化している。そして皇室もである。

天皇・皇族が皇祖皇宗からの繋がりを失った個人と意識されるようになったとき、「天皇無私」を第一義とし、公正かつ無私なる祭り主を第一のお務めとする皇室の歴史と伝統は、幕を閉じることになる。

それはちょうど、「祭り主」天皇の歴史的意義も、男系継承の伝統的意味も見極めずに、安易に女系継承容認に走る皇位継承論と同じ構図である。25年も前に女系容認に舵を切った宮内官僚が、今回も十分な身辺調査を怠り、引き返すことのできない地点にまで内親王殿下を追い込んだのである。PTSDの原因を作ったのは宮内庁であろう。

藩屏なき皇室、ここに極まれり、ということだが、ここまできた以上、国民はどうすべきなのか。言いたいことは山ほどあれど、ぐっと飲み込んで、見守るほかはないということだろうか。返す返すも宮内官僚が恨めしい。


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皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観 [眞子内親王]


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皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観
(令和3年9月5日、日曜日)
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眞子内親王殿下が「駆け落ち婚」をなさるという話題で持ちきりだ。「愛」を貫き通す女性の強さにあらためて驚かされる一方で、皇室の品位を保つために周囲の努力がどこまでなされたのか、疑いが晴れない。宮内庁の責任は大きいはずなのに。

「駆け落ち婚」の可能性は、すでに昨年の皇太弟殿下のお誕生日会見で示されていた。殿下は「結婚することを認める」と明言されていた。

一般の国民であれば、結婚は自由である。殿下が引用されたように、憲法には「婚姻は両性の合意によってのみ成立」するからである。しかし内親王の婚姻は民間人の婚姻とはまったく異なる。皇室および国の権威に関わるからである。「本当に素晴らしい男性」では済まない。

しかしそれを強く言えば、皇太弟殿下ご自身の「学習院の恋」にも疑問符が付く。であればこそ、父君はよほど悩まれたに違いない。おいたわしい限りである。


▽1 身辺調査は十分だったのか

以前、書いたように、古くは皇族女子は皇族に嫁するのが常例だった。時代が下がるにつれ、婚家の対象は拡大し、内親王が臣家に嫁する例が開かれたものの、江戸末期まで10数例を数える内親王降嫁はほとんどが摂関家と徳川家に限られた。明治の皇室典範は「皇族の婚嫁は同族、または勅旨によりとくに認許せられたる華族に限る」と制限を明確にしている。

一般の民間人と結婚することなどあり得なかったが、戦後は制限が失われ、先帝も今上も皇太弟も民間に婚家を求められた。そして清子内親王も眞子内親王もである。とりわけ先帝陛下の「テニスコートの恋」は自由な恋愛結婚の先駆けとなり、「開かれた皇室」の象徴ともなった。そして自由への憧れはますます強まっているかに見える。

だが、早計である。軽井沢の最初の出会いこそ偶然だったとはいえ、その後は側近によってアレンジされていたことが分かっている。当時の宮内庁長官は「恋愛説」を国会で否定している。そこが今回とはまるで異なる。「ICUの恋」の場合、側近たちの関わりがまるで見えてこない。

世間を騒がすことになった原因はそこにある。警備を担当する皇宮警察は何をしていたのだろうか。やがて天皇となる皇太子の結婚と、いずれ皇籍を離脱する内親王の違いがあるにしてもである。宮内庁はどの程度、身辺調査したのだろうか。あるいは、調査らしいことはしなかったということなのか。いずれにしても責任は重い。


▽2 皇祖神へのご挨拶はどうなるのか

先帝陛下のころは、「公事か私事か」が国会でしばしば議論された。野党は憲法を盾に「私事」説を訴えた。しかし「公事」なればこそ、国家予算が投じられ、宮中三殿での結婚の儀ほかが「国の儀式」(天皇の国事行為)とされた。

しかしいまは完全に違う。内親王の婚姻はもはや「公事」ではなく、「私事」と考えられているものらしい。昨年暮れ、西村宮内庁長官が介入し、「説明責任を果たすべき」と発言したのは、逆に異例なのだろう。それだけ側近たちの姿勢が「テニスコート」時代とは一変したのである。

今回は、一時金が辞退されるだけではなく、納采の儀(結納)も行われないと伝えられる。だから「駆け落ち」と称されるのだが、忘れてはならないもっとも重要なことは、皇祖神へのご挨拶がなされないらしいことである。

内親王の結婚の儀は、天皇や皇太子、親王とは異なり、そもそも賢所大前では行われない。それでも納采の儀ののち、告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀、皇太后に朝見の儀、内親王入第の儀と続くことがが皇室親族令附式に規定されている。結婚の礼の前に、内親王は賢所皇霊殿神殿に謁することとされているのだ。それがどうやら行われないらしい。

古代律令には、天皇の兄弟および皇子が「親王」とされ、皇女もまた同様に「内親王」とされると定められ、皇祖神のご神意次第によっては皇位の継承もあり得るお立場だった。時代が変わったとはいえ、皇祖神へのご挨拶なしに済まされるものなのかどうか。「およそ禁中の作法は神事を先にす」(「禁秘抄」)が皇室のしきたりのはずなのにである。

といって、宮中祭祀は「宗教」だという観念、および憲法の政教分離主義にとらわれた現在の官僚たちには、何の助言もできないだろう。皇太弟殿下がますますおいたわしく思われる。


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先帝「テニスコートの恋」と眞子内親王「ICUの恋」との雲泥の差。変質した宮内庁 [眞子内親王]

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先帝「テニスコートの恋」と眞子内親王「ICUの恋」との雲泥の差。変質した宮内庁
(令和2年12月20日)
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8年前、J-CASTニュースに「『テニスコートの恋』の真相」と題する、佐伯晋・元朝日新聞記者の記事が載った。佐伯さんは昭和6年生まれ、朝日新聞でお妃選びの取材を担当し、社会部長、取締役、専務を歴任。先月、老衰で亡くなったとの訃報が伝えられた。記事は「テニスコートの恋」の取材ノートが元になっている。「責任をもって調整、アレンジされた恋愛結婚だ」というのが佐伯さんの結論だ。〈https://www.j-cast.com/2012/05/14128824.html?p=3

世間では、先帝陛下の御結婚が自由な恋愛の結果であるかのように信じられている。その現代の伝説はその後の皇族方の御結婚にも大きく影響を与えている。今上陛下も皇太弟殿下も民間人との恋愛結婚を選ばれた。そして眞子内親王殿下の御結婚をも左右することとなった。

しかし先帝陛下の御結婚は純粋な恋愛だったのか。疑り深い私はどうも腑に落ちない。たとえば御用邸のある葉山が舞台なら分かるが、軽井沢に御用邸はない。なぜテニスなのかも、これもよく分からない。そもそも当時の宮内庁が自由な恋愛を認めるはずもないと考えるのが常識的な見方というものだろう。

週刊朝日オンラインが昨年4月、先帝陛下と皇太后陛下のキューピッド役を務めたという織田和雄さんのインタビュー記事を載せた(聞き手は上田耕二記者)。織田さんの父・幹雄さんはオリンピック三段跳びの金メダリストで、朝日新聞に入社し、のちに早稲田大学教授ともなった。和雄さんは次男で、先帝陛下とは学習院時代からテニスを通じて交流があった。しかし記事にはなぜ軽井沢のテニスコートなのか、まったく説明がない。〈https://dot.asahi.com/wa/2019042700002.html?page=1

けれども佐伯さんの回想を読んで、なるほどと思った。そしてますます現代の皇室がおいたわしく思われてならなくなった。藩屏による必要なお膳立ても調整も感じられないからである。浮かび上がってくるのは官僚の責任逃れと底知れぬ脱力感である。


▽1 恋愛説を国会で否定した宮内庁長官

佐伯さんの記事をもとに、出会いから御成婚までを時系列で振り返ってみたい。

1955年 お妃選びが本格化。旧華族中心に選考が進む
1957年8月 軽井沢テニスコートでの出会い。お膳立てではなく偶然だった。恋に落ちたわけでもない
9月 宮内庁首脳が聖心女子大などの女子大数校と複数の名門女子高校に、極秘で推薦依頼を開始。聖心の場合、推薦の筆頭が正田美智子さんだった。独自調査が始まり、民間に調査対象が広がった
10月 東京・調布で2回目のテニス。黒木従達・東宮侍従が美智子さんをお誘いするよう水を向けたのだった
1958年1月 旧華族のK嬢が選外に。松平信子・常磐会会長が今度は旧華族のH嬢を検討するよう提案
2月 皇太子殿下に黒木侍従が「正田さんを調べてみるよう小泉信三さんにお願いしたらどうですか」と助言か
同月 皇太子殿下が選考首脳の小泉信三の勧めで南麻布のテニスクラブに入会
3月 皇太子殿下の御学友の紹介で、美智子さんが同じテニスクラブに入会
3月3日 小泉邸で首脳会議。K嬢断念の正式決定とH嬢を調べることが決まる。小泉が美智子さんを候補とするよう提案し了承される
4月初旬 旧華族で候補だったH嬢が選考からはずれる
5月2日 宇佐美毅・宮内庁長官邸での会議で、美智子さんへのお妃候補一本化がほぼ決まる
9月18日 黒木従達・東宮侍従が、美智子さんの実家の正田家へ皇太子さまによる求婚のご意思を伝える
10月26日 美智子さんが外遊から帰国
11月3日 正田家が箱根のホテルで家族会議
11月5日夜 黒木侍従を正田家に遣わし、誠意に満ちたお言葉を伝えさせる
11月12日 皇太子殿下が3時間半かけて秩父宮妃らに御説明
11月13日 正田家が小泉信三に正式に受諾を伝える
11月27日 皇室会議。御婚約発表
1959年2月6日 宇佐美長官が衆院内閣委員会で、「世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません」と「恋愛説」を否定
4月10日 御成婚。結婚の儀


▽2 守旧派を切り崩す切り札

宇佐美長官が国会で「軽井沢で恋愛が始まったという事実はまったくない」と恋愛説を完全否定しているにも関わらず、「テニスコートの恋」説が広まったのはなぜか。それは時代性と関わる。〈https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=103104889X00519590206¤t=1

佐伯さんの説明では、昭和30年ころといえば、皇族の恋愛結婚なんてそんなはしたないと考えられていたし、民間出身のお妃には否定的な考えが根強かった。女子学習院OGで組織される常磐会が隠然たる発言権を持っていて、宮内庁内にも人脈が根を張っていた。常磐会の会長は秩父宮雍仁親王妃勢津子殿下の母・松平信子さん(鍋島直大侯爵の四女。松平恒雄参院議長夫人)だった。

であればこそ、旧華族出身者がお妃選びの候補とされた。しかし新しい時代となり、経済的に困窮する旧華族もあり、拝辞する候補もいた。旧華族がリストから次々と消えていき、民間に候補者を探さざるを得なかった。

正田美智子さんが最有力候補として浮上したとき、選考首脳たちは事前に情報が漏れることを恐れた。大騒ぎになることは目に見えていた。そこで一計を案じ、常磐会の松平会長らが推す旧華族出身のK嬢の線で進んでいることを強調しつつ、黒木東宮侍従らは南麻布のテニスクラブを出会の場と定め、交際を深められるようお膳立てしたのだった。クラブは選考首脳・小泉信三邸のそばだった。

民間からのお輿入れを拒否する守旧派を打ち崩す切り札は、皇太子殿下が恋愛してくださることだった。選考首脳たちはそのためのお膳立てを極秘に重ねていった。最後は皇太子殿下が時間をかけて秩父宮妃を説得された。それだけ、民間人女性が皇室に入ることは敷居の高いことだったのである。

そこが現代とまったく違うところである。それなら現在はどうであろうか。


▽3 繰り返される傍観者の無責任

事実とは異なるはずの「テニスコートの恋」伝説が一般社会と同様に、皇室にもすっかり浸透してしまったかのようである。かつては「国家」と書いて「ミカド」と読んだ。「おおやけ」とは皇室を意味し、「天皇に私なし」とされたが、いまや天皇・皇族は私人化している。藩屏がいないからだ。

宮内庁はかつては陛下に仕える家族的組織だったというが、いまや他省庁出身者の寄せ集めで、皇族方の御結婚を親身になってアレンジしようとする幹部たちを見出すことは不可能だろう。隠然たる勢力を誇った常磐会も同様で、先帝御成婚の轍を踏むことはあり得ないのではないか。

そして「ICUの恋」事件が生まれたのであろう。西村泰彦宮内庁長官は「海の王子」側に「説明責任」を要求している。当然ではあるが、内定までに宮内庁が行ったであろう身辺調査が明らかに不十分だったことの「責任」は不問なのだろうか。3年前、山本信一郎長官は「立派な方」と会見で述べ、先帝陛下は御裁可になったと伝えられる。「海の王子」への要求は責任逃れではないのか。

私は傍観者の無責任を痛感する。内親王殿下の婚姻に深く心を痛めているのは、本来、口を挟むべき立場にない国民である。逆に皇室を支えるべき立場の長官らには責任観念が感じられない。

私が不快感を禁じ得ないのは、同様の無責任が繰り返されているからだ。

先帝陛下の御在位20年のころ、宮内庁は御公務御負担軽減策を実施したが、御公務の件数は減るどころか逆に増えた。文字通り激減したのは天皇第一のお務めと歴代が信じ、実践してこられた宮中祭祀のお出ましだった。宮内庁の御負担軽減策は見事に失敗したのに、誰も責任を取ろうとはしなかった。

それどころか御負担軽減には女性皇族が婚姻後も陛下の御公務を分担していただく必要があるという理屈で検討が始まったのが、いわゆる「女性宮家」創設だった。しかし歴史にない「女性宮家」創設は天皇の歴史を一変させる女系継承容認の隠れ蓑であるという疑いが晴れない。「ICUの恋」への国民の心配もそこにある。

言い出しっぺと目される元侍従長は旧伯爵家の出身で、曽祖父は宮内大臣を務めたらしいが、皇室の伝統と権威を守り抜こうというお考えはお持ちでないのだろうか。なぜ男系の絶えない制度を模索せず、逆に男系主義を破棄しようとするのか。宮内庁の変質をつくづく思う。


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西村長官さま、小室家の説明責任要求の前に、宮内庁自身の責任が問われるのでは? [眞子内親王]


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西村長官さま、小室家の説明責任要求の前に、宮内庁自身の責任が問われるのでは?
(令和2年12月13日)
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西村宮内庁長官が10日の定例会見で、眞子内親王殿下との御結婚について数々の批判があることについて、「説明責任を果たすべき」と、お相手の小室圭さん側に説明を求めたという。

とうとうここまで来たのかと嫌がうえにも重苦しい思いに駆られる異例の要請だが、事ここに至った経緯とことの重大さを思えばこれも当然なのだろう。

ただ、どうにも腑に落ちないのは、宮内庁自身の責任が曖昧にされているように思えてならないことである。


▽1 風岡、山本の歴代長官は知らなかったのか

眞子内親王殿下と小室圭さんの御結婚話は、平成29年5月のNHKのスクープに始まる。

同年秋以降に予定されていたという内定発表は前倒しされ、9月3日、山本長官は会見で「ご結婚のお相手としてふさわしい誠に立派な方」と小室さんを評した。おふたりの記者会見が設定され、陛下(先帝)の御裁可も得られていると伝えられた。結婚の儀は翌年秋との見通しが示され、国民の祝福ムードも高まった。

ところがである。ほどなくして、スキャンダルな情報が次から次へ、これでもかと溢れてきて、空気は完全に一変した。とうとう予定されていた納采の儀は延期され、今日に至っている。

そこで、きわめて疑問に思われるのは、宮内庁の情報力である。

陛下が御裁可になったということは、宮内庁による事前の身体検査に小室さんは合格していたということになる。けれども、その後のメディア報道で簡単につき崩されてしまった。宮内庁の情報収集力が話にならないほど、お粗末だったことになる。

馴れ初めは8年前の平成24年らしい。ちょうど風岡次長が長官に昇格したころということになる。次長は山本前長官である。

おふたりはデートを重ね、1年後には小室さんがプロポーズしたという。おふたりの行動は、警護する皇宮警察が知らなかったはずはない。しかし小室家の闇までは知らなかったということだろうか。そんなことがあり得るのだろうか。

もし宮内庁が小室家のスキャンダルを掴んでいたなら、婚約内定会見などあり得なかったろう。むろん陛下の御裁可はいうまでもない。問われているのは、小室さん側ではなくて、宮内庁ではないのか。


▽2 藩屏がいない皇室

風岡長官は建設省の出身で、国交省事務次官を務めたあと、宮内庁次長となり、羽毛田長官退任のあと長官に昇格した。山本次長は自治省出身の総務官僚で、とくに選挙に詳しく、内閣府事務次官まで務め上げている。とすれば情報分野に疎いということは考えにくい。だとすれば、なぜこんな前代未聞の醜聞に立ち至ったのだろう。

皇太弟はここ数年、お誕生日の会見で、宮内記者会の質問攻勢を受けている。年に一度のお祝いの日のはずなのに、さぞかし気が重いことだろうと拝察される。おいたわしい限りである。

その責任は間違いなく宮内庁にある。皇室を支えるべき立場にありながら、逆に権威を貶めているということにならないか。内親王はけっして私人ではないし、内親王の婚姻は私事ではない。ところが現実には、天皇・皇族方は限りなく個人化している。支えるべき藩屏がいないからだ。

結果として、皇室の権威はどんどん失墜していく。古来、皇室を戴く日本という国の名誉もまた同様である。皇室批判はタコが身を食うのに似る。宮内庁の罪はまことに重いといわねばならない。けっして小室さん側に責任を押し付けて済むことではない。

おりしも「皇女」制度というものの検討が始まったらしい。天皇・皇室の歴史と伝統からすれば、ヒメミコ=皇女であり、内親王ならいざ知らず、臣籍降嫁した女王に「皇女」の地位を与えることなどまったくあり得ない。悠久なる歴史がまったく無視されている。

しかし歴史からの逸脱はいまに始まったことではない。

宮内庁は20年以上も前から、皇室の歴史にない「女性宮家」創設、女系継承の容認を進めてきたことが分かっている。今回の御代替わりでは、譲位と践祚が分離され、代始改元は退位記念の改元となり、大嘗宮は角柱、板葺きになるなど、やりたい放題だった。そんな謀叛の集団と化したような宮内庁に、小室さん側に正常化を要求する資格があるようには思えないのである。


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