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なぜ「支払い済みだ」と突っぱねないのか ──「ソウル地裁慰安婦判決」を批判する全国紙論説を批判する [慰安婦]

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なぜ「支払い済みだ」と突っぱねないのか
──「ソウル地裁慰安婦判決」を批判する全国紙論説を批判する
(令和3年1月10日、日曜日)
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昨日の全国紙の論説は「慰安婦判決」でほぼ一色でした。
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一昨日のソウル地裁判決は「計画的、組織的、広範囲にわたる反人道的犯罪行為」と断じ、日本政府に慰安婦1人当たり1億ウォンの賠償を求める前代未聞の衝撃的内容でしたからまったく当然なのですが、日本の新聞の論説もまた、少なくとも私にとっては、首を傾げざるを得ない内容でした。


▽1 日韓双方に解決策を求めた朝日新聞

過去に慰安婦報道で重大事故を引き起こし、その後、社内検証で襟を正したはずの朝日新聞は、どうにも癖が抜けないのか、今回も韓国寄りでした。

「慰安婦判決 合意を礎に解決模索を」と題する社説は、慰安婦問題が日韓関係に「大きな試練」をもたらすことになったのは、前政権による2015年の「合意」を現政権が評価せず、骨抜きにさせたのが最大の原因と解説したうえで、「合意」を再評価して解決を模索するよう韓国政府ではなくて、日韓双方の政府に対して要求しています。〈https://digital.asahi.com/articles/DA3S14757182.html

不快なのは、わが非を忘れて、傍観者を装う白々しさではありません。日韓の歴史について、基本的な理解を欠いている事実認識にあります。

朝日新聞はほかの記事で、この裁判について「旧日本軍の慰安婦だった12人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟」と表現していますが、それなら日本政府はこれまで「損害賠償」を拒否してきたとでもいうのでしょうか。そんなことはありません。まったく逆でしょう。

高崎宗司・津田塾大名誉教授の『検証 日韓会談』(岩波新書、1996年)によれば、もともと個人補償は国交正常化交渉の過程で、ほかならぬ日本政府が繰り返し主張したことでした。しかし韓国政府は一括受け取りに固執し、結局、韓国政府が韓国民に仲介することで合意しました。けれども合意に反して、韓国政府は経済協力金を経済発展に投じ、「漢江の奇跡」を成し遂げたものの、慰安婦にも徴用工(生存者)にも補償金を支払うことを怠りました。

そして今日の「慰安婦問題」が引き起こされたのです。合意に基づき、個人補償分も一括して支払った日本政府に何の落ち度がありますか。「賠償」は終わっているのです。

朝日の社説が2015年の「合意」に遡って議論しようとする態度はさすがです。それだけ歴史の事実を重視する立場を貫くのなら、さらに遡って日韓会談の「支払い済み」の具体的資料を示し、韓国政府に非を認めさせるべきではありませんか。日本政府への要求なら「支払い済みの証拠を示せ」と強く訴えるべきではないでしょうか。


▽2 「解決済み」「国際法の原則」で済ませる産経新聞

朝日新聞の報道に批判的な産経新聞も、大して変わりません。

産経新聞は「『慰安婦』賠償命令 歴史歪める判決を許すな」と題する「主張」で、もっぱら韓国側を批判しています。しかし言うところの「歴史」には、朝日新聞と同様に、「支払い済み」が脱落しています。〈https://www.sankei.com/column/news/210109/clm2101090002-n1.html

主なポイントは、2015年合意と「主権免除」原則の2点です。

まず、2015年の「合意」です。「最終的かつ不可逆的な解決」が確認されたのに、合意を反故にしたのは文政権だと指摘しています。朝日新聞と同様に正しい見方ですが、不十分です。

1965年の国交正常化に際して、日韓基本条約とともに結ばれた「請求権ならびに経済協力協定」では、韓国は国および国民の請求権を放棄し、両国ならびに両国民の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」し、かつ以後は「いかなる主張もすることができない」と第2条に明記されています。「主張」の指摘はまさにこれです。

しかし協定の第3条は「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとする」と定め、「紛争」の発生を想定しています。そして争いが持ち上がったのです。産経の「主張」のように「解決済み」とは言い切れないのです。

とはいえ、慰安婦たちが訴えたような「被告から賠償を受けていない」というのは事実に反します。既述したように「支払い済み」だからです。「解決済み」ではなくて「支払い済み」なのです。

ソウル地裁が日本政府に賠償を命じたということは、「支払い済み」の事実を認定しなかったということになります。正しい事実を認定しない判決は無効であり、これは冤罪です。産経新聞はなぜそう指摘しないのですか。

2点目は「主権免除」です。

「主張」は、日本政府が国家は外国の裁判権から免除されるという国際法の原則に立っていること、したがって「却下」が相当と見て、審理にも参加しなかったことなどを説明し、今回の判決は「日本の国家主権への侵害」だと断罪しています。

また「主張」は、今後について、日本政府は控訴はしない、判決文も受け取らない、となると、日本政府の韓国内資産が一方的に差し押さえ、売却される可能性があると懸念しています。まさに国交断絶、開戦前夜と言わんばかりです。

しかし「主権免除」の原則は揺れています。古典的な解釈は通用しなくなっている、だから今回の判決も出されたのではありませんか。日本の外務当局が教科書的な論争を好むとしても、古くて危うい机上の議論より、もっと実際的な、そして多くの共感が得られる方法をなぜ探さないのですか。。

つまり、日本政府は「支払い済み」の証拠を示すことです。産経新聞の論説委員はそのようにお考えにはならないのでしょうか。


▽3 「支払い済み」を明らかにした女性基金委員長

読売新聞は「社説」の「元慰安婦訴訟 『主権免除』認めぬ不当判決だ」で、「政府は対外発信力を強化して、日本の取り組みを丁寧に説明し、各国の理解を得なければならない」と訴えています。じつにけっこうですが、「解決済み」と述べるばかりで、「支払い済み」への言及はありません。観念論です。〈https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210108-OYT1T50244/

毎日新聞の「社説」は「韓国の元慰安婦訴訟 対立深刻化させる判決だ」で、やはり「主権免除」を論じています。〈https://mainichi.jp/articles/20210109/ddm/005/070/069000c

国際司法裁判所が「反人道的」を理由に原則の例外と認定してきたのは、拷問とジェノサイドである。「慰安婦制度」を例外と認めるなら新たな判断になるが、第二次大戦中の行為に当てはめるのは無理がある。人権被害の救済を重視する国際法の流れは、大戦への反省から生まれたからだ、と指摘しているのは新鮮味があります。

毎日はまた、判決が慰安婦問題での日本の取り組みを無視しているとも述べるのですが、政府の謝罪や女性基金事業には触れても、残念ながら「賠償済み」との解説はありません。

日経新聞の「社説」も同様で、「国際慣例に反し理解しがたい慰安婦判決」と題して、「主権免除」「解決済み」と論じるばかりです。〈https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH0874J0Y1A100C2000000?unlock=1

さて、私が「支払い済み」と申し上げる根拠は、既述した高崎宗司・津田塾大名誉教授の『検証 日韓会談』にそのように解説されているからです。

高崎先生は昭和19年の生まれで、大学で教鞭を執りつつ、日帝支配に対する謝罪と賠償を日本政府に求める運動を展開してきました。そして、アジア女性基金運営審議会の委員長をも務めました。

『検証 日韓会談』は、版元の岩波書店の説明では、「戦後補償、日朝交渉といった課題を前に、明らかにしておくべき歴史的経緯をたどる、初めての本格的通史」とされています。正常化の過程で、「補償」がどう扱われたかなどが、外交文書や未公開文書などあらゆる資料を駆使して、生々しく描いてあるとの触れ込みです。

御用学者ならいざ知らず、ほかならぬ高崎先生の研究が「支払い済み」を明らかにしていることの意味は小さくないでしょう。高崎先生もそのようにお考えかと私は思います。それとも先生の研究に間違いがあるのでしょうか。


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【関連記事】国民的和解と融和について考える──両陛下のオランダ公式御訪問を前に(「神社新報」平成12年5月15日)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2000-05-15?1610240593
【関連記事】朝鮮を愛した神道思想家の知られざる軌跡──大三輪長兵衛、葦津耕次郎、珍彦の歩み(月刊「正論」1999年4月号から)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1999-04-01
【関連記事】靖国の祈りを絶やさないために──「愛媛県玉串料訴訟」違憲判決に思う(日本学協会「日本」平成9年6月号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1997-06-01


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国民的和解と融和について考える──両陛下のオランダ公式御訪問を前に [慰安婦]

以下は斎藤吉久メールマガジン(2013年5月5日)からの転載です


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国民的和解と融和について考える──両陛下のオランダ公式御訪問を前に
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 一昨日、シーファー前駐日アメリカ大使は、ワシントンで開かれたシンポジウムで、従軍慰安婦問題について言及し、「正当化できる理由はない」と述べ、いわゆる河野談話の見直しの動きについて、「見直せば、アメリカやアジアでの日本の国益を大きく損なう」との見方を示し、慎重な対応を求めました。

 前大使には慰安婦問題に関する正確な情報が不足しているのではないかと私は思います。

 たとえば、オランダという視点からは、別の見方ができます。

 そんなわけで、前回に続き、拙文を転載します。平成12年5月に宗教専門紙に掲載された記事です。

 この年は「日蘭交流400年」で、両陛下の公式ご訪問も予定されていましたが、両国間には重苦しい歴史問題が横たわっていました。

 それでは本文です。なお、一部に加筆修正があります。



 慶長5(1600)年、オランダ船リーフデ号がいまの大分県臼杵市に漂着した。それからちょうど400年を迎えた今年、各地で記念の行事が催されている。

 先月19日には臼杵市で大分県などが主催する「日蘭交流400年記念式典」が開かれ、オランダのアレキサンダー皇太子とともに御臨席になった皇太子殿下は、「本日、400年前のヤコブ・クワケルナック船長らの漂着と同じ日に、記念式典が開かれることは誠に意義深いことであります」とお言葉を述べられた。

 今月下旬には天皇皇后両陛下が同国を公式訪問されるが、友好親善どころか、「歴史と向き合う旅になりそうだ」と伝える新聞もある。

 2月にコック首相が来日したとき、小渕首相は「両国関係が損なわれた一時期があったが、戦後50年の村山談話の立場を再確認する」と語り、第2次世界大戦のオランダ領東インド(インドネシア)の「戦争被害者」問題について反省とお詫びの気持ちを伝えた。

 いったい両国間に何があったのか?


◇「歴史のトゲ」はインドネシア
◇ 苦難の日本軍強制収容所生活

 日本とオランダの「歴史のトゲ」は蘭印と呼ばれたインドネシアにある。

 慶応大学の倉沢愛子教授(インドネシア現代史)によると、オランダ東インド会社がバタビア(いまのジャカルタ)の町を建設したのは1619年、オランダの東洋での根拠地がこの町であった。

 東インド会社は交易を進めながら領域を拡大していったが、放漫経営のために1799年に倒産、その後の植民地支配はオランダ国家の手に移される。領地は拡大し、スマトラ、ボルネオ、セレベスなどの島々にまで及んだ。

 1941(昭和16)年12月8日、日・米英間に先端が開かれ、翌年2月にシンガポールが陥落、3月1日、日本軍がジャワ島に上陸した。

 電撃的攻撃で9日目にはオランダは降服する。慌ててオーストラリアに逃げた者もあったが、オランダ人20数万人の多くが取り残された。

 日本軍による占領統治が始まり、ジャワ島は陸軍第16軍の統治下に入った。

 やがて民間人への締め付けが厳しさを増し、すでに収容所に入れられていた元高級官吏や重要企業幹部など4492人の「敵性濃厚者」のほか、青年・壮年男子1万5252人の「居住制限者」は刑務所、学校、民家などに収用され、婦女子や少年、老人男性の「指定居住者」4万6784人は一定地区に生活することを義務づけられた。

 収容所の衛生状態、食糧状態は劣悪で、戦後のオランダの発表では、オランダ領東インド全体で13万5千人が捕虜もしくは抑留者となり、そのうち約2割に当たる2万7千人が死亡したとされる(ジャン・ラフ=オハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』の倉沢教授による「解説」から)

 7年前の夏、國學院、皇學館両大学の学生ら数人とバングラデシュのマングローブ植林に出かけた帰り、インドネシアに立ち寄った。

 スカルノ・ハッタ空港に到着後、日本の援助団体オイスカの人たちに案内されたのが、ボゴールの植物園である。オランダ総督府が置かれていたところで、総督邸が日本時代には軍司令部となり、いまは迎賓館として使われていると聞いた。

 翌日、ジャカルタで独立記念塔(モナス)を見学した。台座に設けられた大パノラマは48場面の独立史がテーマで、「インドネシア人が労務者として強制労働させられ、何千人もの死者を出した」とする日本時代のひとこまもあった。

 ジャワ島の伝説に、稲穂が黄色く稔るころ、北方から使者がやって来て、それまで自分たちを苦しめていた奴らを追い出す、という物語があり、日本軍が上陸してきたとき、「あれは日本軍のことだったのか」と囁き合ったと聞いたが、それから3年半の日本占領の記憶はインドネシア人にとってもけっして明るいものではない。

 戦後50年で出版された『日本軍強制収容所(ヤッペンカンプ) 心の旅 レオ・ゲレインセ自伝』の難波収氏による「訳者まえがき」によれば、蘭印の降服で9万3千の蘭印軍と約5千の米英豪軍が日本軍の捕虜となった。

 うち3万8千の蘭印軍の将兵と3千の海軍軍人の計4万1千人が捕虜として収容されたが、捕虜たちは飢餓、傷病、暴行などに苦しんだほか、道路、飛行場、鉄道などの建設作業に従事させられた。

 タイ─ビルマ間を結ぶ泰緬(たいめん)鉄道の敷設に駆り出された連合軍捕虜の数は6万1千人で、そのうち1万6千あまりが死亡し、1万8千人のオランダ兵には3100人の犠牲者が出た。

 パカンバル鉄道建設では、オランダ兵とイギリス兵合わせて6593人が送り込まれたが、輸送船の沈没で1626人が死亡し、現地で696人が斃れた。ほかに1万7千人の労務者が命を失った。

 自伝を書いたゲレインセは「ガニ股野郎ども(日本人)」が進攻してきたとき14歳で、母親と妹とともに強制収容所に移され、飢えと暴行、強制労働で肉体的、精神的な死の苦しみを味わい、戦後、オランダ本国に引き揚げたあとも少年時代の忌まわしい記憶に苛まれ、失業や家庭崩壊を経験したという。

◇ オランダ人「慰安婦」の恐怖
◇ 「女の楽園」カンビリ抑留所

 前出の『ジャンの物語』はオランダ人「慰安婦」の手記だが、これによれば、1923年にジャワ島に生まれたジャンは日本軍のジャワ島侵攻後、母親や妹らといっしょにアンバラワ収容所に抑留され、そのあと44(昭和19)年2月から約2か月間、17歳以上のオランダ人女性35人とともに、スマラン日本軍慰安所の「慰安婦」であることを強いられた。

「これほどすさまじい苦しみがあろうとは思ってもいませんでした」とジャンは語る。

 倉沢教授によると、インドネシアでは当初、現に売春を営んでいる者のなかから、本人の自由意思に基づいて「慰安婦」が採用された。やがてオランダ人女性が目を付けられ、最初は希望者から採用されたが、ジャンたちは「強制的」に収容所から連れ出された。

 その後、1944年4月から抑留所の管理が州庁から軍に移管されたのに伴って、俘虜を「慰安婦」として強制した「国際法違反」が第16軍上層部に知られ、慰安所は閉鎖された。

 戦後の戦犯裁判では、スマランのオランダ人慰安婦問題に関して13人が起訴され、1名が死刑、10名が懲役刑となった。懲役刑を受けた10名には性病検査を担当した2名の軍医も含まれていた(『ジャンの物語』の「解説」)。

 日本軍の「罪状」の連続には気が滅入るが、ホッとさせられる物語も伝えられている。

「文藝春秋」昭和34年10月号に、「白い肌と黄色い隊長」と題する菊地政男の記事が掲載されている。弱冠27歳の山地正二等兵曹(海軍)が所長を務めるカンビリ抑留所の秘話である。

 抑留所には1800人の婦女子が収容されていたが、総督令嬢や知事夫人、市長夫人など反抗的、ヒステリックな女性たちは扱いづらかった。

 そのなかで山地はヨーストラ夫人というリーダー格の協力を得、抑留者の自治を認めて安心して生活できる抑留所づくりに努力する。新しい宿舎のほかに診療所や老人ホーム、教会や学校が建てられた。200台のミシンが導入され、農園も作られ、自給自足の体制ができあがる。

 衣服や靴、食器、鏡、石鹸なども支給され、抑留所は「女の楽園」の異名をとる、明るく秩序のある模範的存在として知られ、陸軍から見学者も訪れるほどだったが、民政部長の決裁で慰安婦の提供を求められたときには山地は頭を抱え込んだ。

 悩んだ末に、大河原長官に決死の直訴を試み、やがて慰安婦採用は不許可になる。

 終戦後、ヨーストラ夫人は「人間山地はわれわれか弱い婦女子をよく理解し、民族を超越した人間的な温かい愛情を注いでくれた」と感謝の言葉を捧げ、451名の抑留者は山地への感謝状に署名した。

 視察にやって来た連合国軍の調査団は「抑留所内に学校があるというのは連合国側にも見られない。感謝と敬意を表する」と山地に握手を求めた。

 のちに本国に帰国したヨーストラ夫人は「オランダ金鵄勲章」を授与され、また山地との交流も続いた、と菊地は書いている。


◇ 「親善を壊すようなことはして
◇ くれるな」と語られた昭和天皇

 インドネシアでの戦犯裁判では236名が死刑に処せられ、サンフランシスコ講和条約に基づいて日本政府は抑留民間人への補償金1千万ドルを支払った。

 にもかかわらず、オランダの日本に対する「戦争責任」の追及は止まない。

 昭和46年秋に昭和天皇が香淳皇后とともにヨーロッパを御訪問になったときには、オランダでは過激派の反対運動が激しく、水の入ったビンがお車に投げつけられるといった不祥事などが起き、オランダ政府は陳謝の意を表明した。

 平成の時代になってからは新たな個人賠償訴訟が持ち上がった。ジャワ島スマランのオランダ人慰安婦事件が一般に知られるようになったのは、平成4年夏の朝日新聞の報道がきっかけという。

 補償事業を進めている「アジア女性基金」が一昨年の夏、オランダでの事業を開始したほか、当時の橋本首相はお詫びの親書をコック首相宛に送った。

 しかしこの一方で、オランダ人の中に、日本批判ではなく、オランダ自身の植民地支配を反省しようという気運が生まれている。

 オランダ領東インドに生まれ、抑留経験を持つ、オランダの著名な評論家ルディ・カウスブルックは、『西欧の植民地喪失と日本』(原著の『オランダ領東インド抑留所シンドローム』はオランダでベストセラーになった)で、「背が低くて黄色い曲がり足のサル」という日本人像がオランダでは戦時中ならいざ知らず、いまも信じられている。植民地を奪われた挙げ句に捕虜となった遺恨のままに造り上げたステロタイプのイメージから一歩も出ようとしない、とオランダ人に自省を求めるのである。

 オランダ人は横柄に日本人に謝罪を求め、日本人が謝罪すると、「謝るそぶりだけ」と拒絶する。日本人の誠意を受け入れないのは日本人に対する恨み、闇雲な遺恨だ、とカウスブルックは指摘している。

 しかし偏見なら日本側にもある。オランダ人「慰安婦」が「白馬」と呼ばれたのは、白人に対する民族的優越感もしくはコンプレックスのなせる技であろう。

 それにしても、あってはならない戦争が残したあまりにも深い傷を癒し、人種的偏見や恩讐を超えて、両国の新の和解、融和を図るにはどうすればいいのか?

 昭和46年10月15日付の朝日新聞は、昭和天皇御訪欧に随行した宇佐美宮内庁長官の帰国会見の言葉をこう伝えている。

「オランダなどでの反対運動については、陛下には前もって情勢を申し上げていたので、十分承知されておられた。……陛下は、国民の親善を壊すようなことはしてくれるな、とだけいわれたし、反対運動をして実際に捕まった者に対しては穏便に取りはからって欲しいと伝えた」

 昭和天皇にとって50年ぶりの御訪欧は、変わりやすいヨーロッパの秋空がウソのように晴れたと伝えられる。まさに「天皇晴れ」。そして「皇后スマイル」はわだかまりの消えないヨーロッパ人の心を洗ったという。

 今回はどうであろうか?
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正義を共有できる韓国人はいないのか──国連総会で慰安婦問題を取りあげた次席大使 [慰安婦]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年10月15日)からの転載です


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正義を共有できる韓国人はいないのか
──国連総会で慰安婦問題を取りあげた次席大使
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 1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ平和条約調印直後に正常化交渉が始まり、難航の末、日韓基本条約が締結され、国交が正常化したのは65年6月です。

 同時に「請求権ならびに経済協力協定」が結ばれ、日本が多額の経済協力を実施することになり、一方、韓国は国および国民の請求権を放棄し、両国ならびに両国民の財産・請求権については「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認」するとともに、以後は「いかなる主張もすることができない」とされました。

 日本が実施した無償協力3億ドル、円有償協力2億ドル、民間借款3億ドルにおよぶ、当時の韓国の国家予算をはるかに上回る経済協力は、朴正煕政権によって、ほとんどが経済建設に投入され、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展の基礎が築かれました。

 それから60年、韓国政府はこの条約を反故にしようとしているかに見えます。


▽1 「戦争犯罪であり、人道に反する罪に該当する」

 報道によれば、韓国の辛東益・国連次席大使は10月11日、人権問題を扱う国連総会第3委員会で、「武力紛争の下で行われた性暴力の問題、とりわけ第二次世界大戦当時の従軍慰安婦などを含む組織的な性暴力・性奴隷の問題の深刻さに対し、深い憂慮の念を表する。これは戦争犯罪であり、人道に反する罪に該当する」と指摘し、国連機関と加盟国に対して、(1)効果的な被害者救済措置、(2)賠償金の支払い、(3)加害者の処罰に向けて、最大限の努力をするようにと要求したのでした。

 韓国が国連総会で慰安婦問題を取りあげたのは14年ぶりだそうです。

 これに対して、日本の児玉和夫次席大使は発言を求め、慰安婦問題について「多くの女性の名誉と尊厳を傷つけた、ゆゆしき問題と日本政府は認識し、誠実に謝罪してきた」と説明し、「先の大戦に関する賠償などの問題はサンフランシスコ条約や2国間条約で法的に解決済み」と反論しました。

 しかし韓国側は、「財産・請求権の問題も含め、2国間で解決はしていない」と応酬し、旧日本軍の行為が「戦争犯罪に相当する可能性」もあると指摘、さらに「日本政府の法的責任は残っている」と述べ、賠償請求権問題に関する協議を日本政府に重ねて要求したのでした。

 韓国メディアは、「日本政府に対し、従軍慰安婦問題をめぐって謝罪や賠償を求める韓国政府の方針を、国際社会を通じて再確認するとともに、慰安婦問題をめぐる2カ国協議の提案を受け入れない日本政府に対し、多国間外交の場で圧力を掛けるための措置だ」という国連韓国代表部の関係者の言葉を伝えています。

 国際問題化させ、国際的な圧力で日本を追い詰めようという、韓国人一流のやり方です。

 今回の発端は、今年8月、韓国の憲法裁判所が元慰安婦の賠償請求権をめぐり、同国政府が具体的な措置を講じてこなかったのは違憲、との判断を下したことにあります。

 その後、韓国政府は9月に賠償請求権に関する協議を日本に申し入れ、10月6日に訪韓した玄葉光一郎外相に対し、「被害者が高齢だ」などとして、元慰安婦の賠償請求権をめぐる政府間協議を開始するよう、改めて提案していました。


▽2 個人補償を徹底しなかった韓国政府の責任

 5年前、日朝交渉再開に関連して、「歴史を無視した日朝交渉「北の言い分」──「過去の清算」はもう終わっている」という記事(雑誌「正論」2006年5月号掲載)を書きました。くわしくはそちらを読んでいただくとして、簡単に問題点を列記します。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1805nicchou.html

 第1点は、日本と韓国が戦争した歴史はありません。したがって賠償はあり得ません。

 第2点は、1945年8月に朝鮮南部で日本に代はって支配者となった米軍政庁は、日本人の公的、私的財産を残らず没収しました。私有財産の没収は明らかな戦時国際法違反ですが、やがてそれらは韓国政府に委譲されました。

 日本はサンフランシスコ条約で、朝鮮でのすべての権利、権限、請求権を放棄させられました。日本人が終戦後の混乱で遺棄を余儀なくされた財産の総額は、GHQの調査によると、軍事資産を除いた分だけでも、53億ドルといわれます。

 一方、韓国は1965年の「請求権ならびに経済協力協定」で、国および国民の請求権を放棄したのです。元慰安婦への賠償請求権は放棄されています。

 韓国側がそれでも請求できるというのなら、日本も請求権を主張せざるを得ません。

 第3に、韓国人個人への補償はすでに行われています。

 韓国の朴正煕政権は日本からの経済協力金のほとんどを経済建設に投入する一方、かつて日本に徴用され死亡した者8500人の遺族に対して、一人当たり30万ウォン、総額92億ウォンの補償を支払いました。

 この個人補償は、日本側が第五次日韓会談で、韓国民個人に対して日本が直接補償する方法を繰り返し提案したのに対して、韓国政府が一括して受け取り、韓国民に仲介する方法を韓国側が主張したことの結果です。

 けれども結局、韓国政府は終戦後に死亡した者や被爆者、慰安婦などを補償対象とせず、そのことが個人補償問題が今日まで尾を引く原因を作りました。責任は韓国政府にあるのであって、日本にはありません。

 しかも十分すぎる対価として、韓国は世界に誇るべき近代化の果実を得たのではないですか。

 第4に、戦争中、日本軍が慰安婦を連れていたことは歴史の事実で、否定する研究者はいないようです。しかし戦前は売買春は合法で、大戦中の日本および日本人をことさら残虐、非人間的と断定することはできません。

 逆に、日本軍関係者は慰安婦を「戦友」と呼びます。朝鮮および朝鮮人は過酷な時代をともに戦う最大の協力者であり、慰安婦も同様でした。慰安婦出身の女兵士伝説すらあると聞きます。けっして被害者ではありません。

 5点目。朝鮮人女性の多数を日本の官憲が強制徴用し、性的な奴隷とした、というような歴史的事実は確認されていません。

 2004年に「日本の指導者たちの悪意に満ちた歴史認識を正す」ために在日の大学教授らが編集を担当し、民団中央本部が発行した小冊子「韓国と日本──あらためて近代史を考える」には、「従軍慰安婦」についての記述がまったくありません。


▽3 韓国政府による韓国人慰安婦は正当化される?

 6点目。日本は村山内閣時代の1995年、元慰安婦への補償などを目的に「アジア女性基金」を設立しました。国家としてはすでに解決済みの問題について、それでも真摯に取り組もうとする日本の努力を、最初は肯定的だったのに、やがて否定的態度に変わり、受け入れなかったのは韓国の方です。

 日本が謝罪していないわけでもありません。宮沢首相も、村山首相もお詫びの言葉を述べています。

 法の精神を忘れ、正義の感覚を失っているのは日本ではなく、韓国です。

 日露戦争に日本が勝利したあと、韓国を日本の保護国とする日韓協約(乙巳保護条約)が調印され、韓国統監府が設置されたあと、外交権を奪われたことを不満とする皇帝が、オランダでの万国平和会議に密使を派遣した歴史を思い起こすのは私だけでしょうか。

 一面的な正義を振りかざし、国際的圧力をかける手法は、韓国人のお家芸かも知れませんが、日本を非難する資格が韓国にあるのでしょうか。戦後の韓国で駐留アメリカ軍向けの将兵慰安総合遊興村が運営され、ベトナム戦争時には韓国軍直轄の慰安婦が組織されたことが知られているのではありませんか。

 日本軍の慰安婦が戦争犯罪、人道に対する罪だというなら、韓国政府による韓国人慰安婦は何でしょうか。正当化されるのですか。

 戦争はいつの時代も過酷です。先の大戦で、朝鮮人民は帝国臣民としてともに戦う、もっとも協力的な戦友でした。24万もの朝鮮人青年が志願兵として戦い、うち2万人が落命し、靖国神社にまつられ、いまの慰霊の誠が捧げられています。

 ポツダム宣言の受諾を国民に知らせる終戦の詔書は、日本とともに戦った関係諸国に遺憾の意を表し、日本国民として命を捧げた人々に対して「五内(ごだい)ために裂く」と御無念を表明されています。

 現代の韓国には正義の感覚を共有できる韓国人はいないのでしょうか。

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中国による対米工作の憂鬱 [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月24日土曜日)からの転載です

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中国による対米工作の憂鬱
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 アメリカ下院での慰安婦対日非難決議案の採決が当初、いわれていた今月中ではなく、5月になる見通しと伝えられています。4月下旬に予定される安倍首相の訪米が、いよいよもって反日デモの高まりに迎えられる可能性が指摘されています。

 ここで思い起こされるのは2つの歴史です。1つは十数年前、猛烈な反日デモに迎えられた宮沢首相の訪韓、もう1つは70年前の蒋介石による日米開戦に向けた対米工作です。

 平成4年1月、朝日新聞は、ある大学教授が慰安婦問題に日本軍が関与していたことを示す「資料」を「発見」したとする「特ダネ」を載せました。資料は関係者の間ではよく知られていたもので、「発見」ではありません。しかも内容は、官憲による「強制連行」を裏付けるものではなく、業者によるトラブルを軍・警察がやめさせようと指示するもので、完全な誤報といわれます。

 しかし、一面トップの「スクープ」は大反響を呼び、韓国マスコミは反日をあおり、宮沢首相は抗議デモが荒れ狂う韓国で「謝罪」を迫られました。首相訪韓は以前から予定され、北朝鮮の核武装や南北統一問題を協議するはずでしたが、本題はすっかりかすんでしまいました。

 日韓が連携するアジア外交の完全な失敗で、誰が漁夫の利を得たのかは明らかです。今日、北朝鮮の核問題がこれほど憂慮されていることからすれば、このときの外交の失敗が返す返すも悔やまれます。

 朝日新聞の「スクープ」記事は宮澤訪韓に合わせたものといわれ、当然、「社会の公器」としての責任を追及する声もありますが、今回のアメリカ下院の慰安婦決議も安倍訪米に焦点を合わせ、指摘されているように、外部勢力が政治工作を行っている点で類似性が見られます。震源は同じなのではないかと疑わせるほどです。目的は日米関係の離反でしょうか。

 となれば、思い起こされるのは日米開戦の歴史です。当時、けっして関係が悪くはなかった両国が、なぜ戦争しなければならなかったのでしょうか。

 昭和17年の「朝日年鑑」によると、当時のアメリカは、人口が本国1億3000万人、属領1900万人でした。「世界一の持てる国」で、農産物、エネルギー資源の多くは生産量世界一を誇っていました。

 第一次大戦後、イギリスをしのいで世界経済の中心地となり、世界の金(gold)のじつに80%を保有し、GNPは日本の8倍。対日貿易は輸入が6億4000万円、輸出が10億円(昭和14年)で、日本はイギリス、カナダに次ぐ第三の貿易相手国で、経済関係は親密でした。

 当時のアメリカ人は日本人をどう見ていたのでしょう。面白いことに、サイデンステッカー・コロンビア大学名誉教授は、日本人のアメリカ観が均一的なのに対して、アメリカ人の日本観は

「漠然として取り止めがない」

 と評しています。

 アメリカが排日移民法を成立させ、その発効の日に日本全国で前代未聞の反米デモが繰り広げられたのは1924年ですが、当時のアメリカの対日観はそれほど明確ではなく、日本に関心を示していたのは西海岸に限られていました。排日法にしてもカリフォルニア・ロビーの議会工作がなければ成立しなかったのです。

 日米関係が急速に悪化したのは、反日的な政治工作、世論工作があり、功を奏したからということになります。事実、アメリカが日中戦争に介入していった背後には

「夷をもって夷を制す」

 という蒋介石のたくみな工作がありました。

 日中戦争で劣勢に立つ蒋介石は宋美齢夫人の長兄、キリスト者でハーバード大学卒の親米派・宋子文をワシントンに派遣して、援助獲得交渉に乗り出しました。宗美齢夫人も流暢な英語でアメリカ議会をはじめ、各地で中国の窮状を訴え、アメリカの孤立主義的世論を中国支援へと変えたことが知られています。

 真珠湾攻撃を受けて、ルーズベルトは

「汚辱の日を忘れるな」

 と演説しましたが、その日、重慶ではまるで大勝利を手にしたかのような歓声が沸き上がりました。蒋介石には、アメリカの対日戦参加は日本の敗北を意味したからです(臼井勝美『日中戦争』など)。

 今回のアメリカ下院の決議案に対して、日本政府が大物ロビーを雇って決議案阻止に動いている、という批判がされていますが、実態は逆であって、中国のアメリカに対する政治工作が長期的に継続的に行われています。日本の外交は明らかに後手に回っています。

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また曲がってしまった慰安婦問題 [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月18日日曜日)からの転載です

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また曲がってしまった慰安婦問題
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 慰安婦問題に関する河野談話(平成5年8月)に関して、日本政府は先週の金曜日、

「軍などによる強制連行を直接示すような資料は見当たらなかった」

 とする答弁書を閣議決定しましたが、これに対して、案の定というべきか、韓国政府が

「歴史の誤魔化し」

 と強く反発しています。しかし、韓国政府の反発の中身をみると、またしても議論のすれ違い現象が起きているようです。

 まず、Korea.netにもの悲しい写真付きで載っている韓国政府の遺憾表明(昨日付)をみてみましょう。
http://www.korea.net/news/news/newsview.asp?serial_no=20070317009

 ──韓国は土曜日、軍も官憲も女性たちに強要しなかった、という日本の発表に強い遺憾の意を表明した。
 日本政府は、慰安所設置に果たした政府の役割を1933年に謝罪したのを否定した。
 朝鮮人など20万人の女性が慰安所で働くことを強制された、と歴史家はいっている。
 
 ここには重大な事実誤認があります。

 第一は、日本政府の答弁書は、社民党の辻元議員の質問書に対するものであり、広く「発表」するという性質のものではないでしょう。それを「発表」と理解した根拠はどこにあるのでしょうか。衆議院のホームページにも質問主意書、答弁書いずれも、いまだ掲載されていません。どんな情報の「発表」に基づく批判、反発なのでしょうか。誰かが「発表」したのでしょうか。

 何年か前、検定中の日本の教科書について、韓国政府がその中身について批判したことがありました。検定作業中で、原稿が公開されていない教科書の中身を批判することは非公開段階の日本政府の情報を入手し、その了解もなしに勝手に公にするという友好国としての国際的信義に反する行為を韓国政府が行ったことになりますが、今回も同様の構図なのでしょうか。

 答弁書は辻元議員のホームページには載っています。日本のメディアなどがアウトラインを報道していますが、韓国政府は何らかの方法で答弁書を入手し、正しく読んだうえで、「遺憾の意」を表明しているのでしょうか。

 答弁書を入手せずに、読まずに、反発しているのなら、主権国家としてあまりに軽々しい行動といわざるを得ませんが、逆に、答弁書を入手したうえでの反発なら、これもまた問題です。韓国の反発は答弁書の中身を正しく理解しているようには見えないからです。

 日本政府の答弁書は、河野談話の段階に時間をもどして、当時の調査において、

「強制連行を示す資料が見当たらなかった」

 ことについて、あらためて確認したまでのことです。それがどうして、河野談話を否定した、という解釈になるのでしょうか。答弁書には否定どころか、

「歴代の内閣が継承している」

 と明記されています。

 辻元議員の質問書にある「強制性」とは、軍・官憲による強制連行があったか否か、ですが、韓国政府は、慰安所で働くことを軍などが「強要した」という話にねじ曲げ、さらには根拠があるとも思えない20万人説を持ち出しています。これでは話し合いは成り立ちません。

 かつて慰安婦が存在したのは事実だし、慰安所の設置・管理に軍が行政的に関わるのは当然でしょう。しかし、「人間の尊厳」という大仰な正義を持ち出して、日本を非難する資格が韓国にあるのでしょうか。戦後の韓国で駐留アメリカ軍向けの将兵慰安総合遊興村が運営され、ベトナム戦争時には韓国軍直轄の慰安婦が組織されたことが知られているではありませんか。

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慰安婦答弁書に韓国メディアが過剰反応 [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月17日土曜日)からの転載です

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政府答弁書に韓国メディアが過剰反応
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 政府はきのうの閣議で、慰安婦問題に関する河野談話に関して、

「軍などによる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」

 とする政府答弁書を閣議決定しました。

 答弁書は、社民党の辻元議員が提出した、安倍首相の慰安婦問題に関する質問主意書(3月8日付)に対するもので、答弁書はまだ衆議院のホームページにも載っていませんが、同議員のサイトに質問主意書と答弁書の両方が載っています。
 http://www.kiyomi.gr.jp/kokkai/inquiry/01_q/20070308-1200.html
 http://www.kiyomi.gr.jp/kokkai/inquiry/02_a/20070316-1214.html

 辻元氏の質問は大きく4つあります。

1、安倍首相の発言について、
2、アメリカ下院での発言について、
3、河野談話について、
4、中曽根回顧録について、

 の4つで、とりわけ1では「官憲による強制連行」について、質問が並んでいます。

 これに対して、答弁書は、この強制連行に関して、政府は河野談話に先立って、平成3年12月から5年8月まで資料と聞き取りによる調査を行ったが、軍・官憲による強制連行を直接示す資料はなかった、その詳細については河野談話と同じ日に公表されている、と答えています。

 河野談話が出された当時の状況をそのまま答弁したという内容ですが、案の定、早くも韓国のメディアが過剰反応を見せています。

 朝鮮日報は、日本の共同通信の報道をほぼそのまま伝えるかたちですが、「狭義の強制性を裏付ける証拠がないのは事実」という安倍発言を追認したかたちで、韓国など被害当事国からの反発がさらに強まる見通しだ、と伝えています。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/17/20070317000010.html

 曲解もはなはだしいのは、中央日報で、日本政府は河野談話が認めた強制性を否認する公式の立場を決めた、と報道しています。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=85584&servcode=200§code=200

 たしかに河野談話は、慰安婦の募集について、官憲などが直接これに荷担したこともあった、と述べています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/

 しかしこれは朝鮮人慰安婦ではなく、インドネシアでの戦争犯罪に関するもので、この場合は関係者は戦争裁判で死刑をふくむ処罰を受けています。

 また、政府の答弁書は、慰安婦に対してお詫びと反省の気持ちを申し述べた河野談話の継承を表明しているのであり、中央日報が伝えるような「河野談話が認めた強制性を否認」したわけではありません。

 客観的事実よりもあらまほしき幻影を追い続けるのが韓国メディアの悲しいサガなのでしょうが、内容の如何に関わらず、このような答弁書が出されれば、過剰反応は目に見えています。とすれば、むしろ日本政府に、内外に曲解を拡大させる悪循環を断ち切るようなきちんとした対内、対外広報戦略が求められるのではないのでしょうか。

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アメリカ下院、慰安婦追及に中国のカゲ [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月15日木曜日)からの転載です

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アメリカ下院、慰安婦追及に中国のカゲ
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 アメリカ下院では、慰安婦問題を追及し、日本政府に公式謝罪を要求する決議案の審議が続いているようですが、案の定というべきか、驚くべきニュースが飛び込んできました。

 産経の古森記者によると、この決議案を提出したマイク・ホンダ議員は、中国系団体の政治献金に異様なほど依存しているというのです。献金者には中国当局に連なる在米反日団体の幹部たちがおり、ホンダ議員の日本の「戦争責任」追及にはこれら中国系団体との連携があったことは明らかだ、と古森記者は書いています。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070315/usa070315001.htm

 日本の泥縄式のロビーイング活動など足元にも及ばない政治工作が長期的、継続的に、組織的に行われている一例なのでしょう。心憎いのは、ほかでもない下院で1人しかいない日系議員に目をつけたことです。

 ホンダ議員は1941年、カリフォルニア州生まれ。幼少期を収容所で送ったと伝えられます。人権問題に精力的に関わってきたはずなのに、中国の人権問題に関しては及び腰といわれます。選挙区の住民は3割が中国系、韓国系などアジア系だといいます。

 ホンダ議員のホームページには慰安婦問題に関する議会での演説が載っていますが、その内容は慰安婦20万人説を主張するなど一方的といえます。
http://www.house.gov/list/press/ca15_honda/comfortwomentestimony.html

 韓国側の主張を完全に受け入れる半面で、日本側の反論に耳を貸さず、日本人の支持を失ったといわれ、そうなればなおのこと、中国、韓国系の支持を固めるために、日本への批判を強めていったことは想像に難くありません。現地からの情報によると、日系人はほとんど近寄らないといいます。

 ホンダ議員は韓国メディアの取材に応じ、日本側の反対の動きについて、

「日本が名誉な評価を受ける国になることを心より願う」

 と語ったと伝えられていますが、同じ州に住んでいるわけでもない外国の政治勢力に乗せられ、誤った事実関係をもとに、祖先の生まれた国をおとしめようとする行為は、「名誉」なことなのでしょうか。

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日本軍の「後ろめたさ」が生んだ慰安婦 [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月8日木曜日)からの転載です

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日本軍の「後ろめたさ」が生んだ慰安婦
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 アメリカ下院では日系のホンダ議員が提出した慰安婦決議案の審議が続いていますが、これに対して安倍首相が

「決議があっても、われわれが謝罪することはない」

 と国会で語ったことが内外に波紋を呼んでいます。

 そんな折り、慰安婦問題を深く考えさせてくれる批判的なリポートを知人が送ってくれました。藤永壮・大阪産業大学教授の「植民地公娼制度と日本軍『慰安婦』制度」です。

 藤永教授は、朝鮮半島の近現代史が専門で、慰安婦に関する著書が何冊かあります。ここに取り上げるリポートは、文科省の科学研究費の補助を受けて、京都大学の水野直樹教授らのグループが朝鮮・台湾の植民地支配制度を総合的に研究するプロジェクトの一環としてまとめられたもので、早川紀代『戦争暴力と女性3 植民地と戦争責任』(吉川弘文館、2005年)にも収められています。

 藤永教授がこのリポートで、くり返し強調するのは「欺瞞性」です。

 まず用語の欺瞞性です。

 ──本質は「軍用性奴隷」であったのに、公文書では「慰安所」、あるいは「酌婦」「特殊婦女」などと呼ばれた。将兵の性欲処理施設に過ぎないことに対する日本軍当局の後ろめたさが生んだ欺瞞的用語である。この欺瞞性は軍独自の発想というよりも、帝国日本の性管理システムに共通していた。
 明治初年に、「娼妓解放令」で人身売買の禁止を宣言しておきながら、その後、「売買春」自体は禁止されていない、と解釈され、みずからの意思で「売春」を行う女性が行政の鑑札を受け、同様に鑑札を受けた貸座敷業者が場所を提供する、という欺瞞的な理屈が組み立てられた。

 藤永教授が指摘する欺瞞性とは何でしょうか。なぜ軍は後ろめたさを感じたのでしょう。

 藤永教授はこう説明します。公娼制度が社会の倫理意識に反している。反文明的である、と自覚し、批判的な考えが政府の内部にあった。反倫理性、反文明性を日本国家が自覚していた。反文明が欧米諸国に察知される可能性がある場合には、「娼妓」という言葉が積極的に避けられ、用語の言い換えが行われた、というのです。

 ──日露戦争中、欧米人が多数居住するソウルなどでは、「国家の体面」に配慮し、禁止する建前をとられた。日本人私娼が押し寄せてくると、日本領事館はその取り締まりのため、「第二種料理店」と「抱芸妓」という内地の制度を簡略化した公娼制度を導入した。それでも欧米人の目を気にして、「貸座敷」「娼妓」という用語を避けた。この「言い換え」の手法」は満州、上海でも共通している。
 こうした「言い換え」が頻繁に行われたのは、欧米諸国に対して「国家の体面」を配慮した結果であり、日本の行政が公娼制度の反倫理性・反文明性を熟知していたことを意味する。「慰安婦」という用語は欺瞞性の最終形態で、その本質が何であるかを日本軍自身が自覚していたことの証明である。
 第一次大戦を契機に、朝鮮人接客業者が帝国内を移動するようになり、ネットワークができた。十五年戦争期になると、性管理システムは「慰安婦」動員の装置となった。満州では日本人官僚が朝鮮人女性を「慰安婦」として積極活用するよう指示していた。日本国家は朝鮮人接客婦を「慰安婦」に仕立てていった。朝鮮人接客婦はしばしば暴力的手段で売買された。

 このように藤永教授は論理を展開しています。

 具体的な行政資料をもとにした研究リポートは説得力がありますが、よく分からないのは、欺瞞的用語の言い換えおよびシステムの原因である「後ろめたさ」の本質です。藤永教授は、欧米に対する国家の体面と説明していますが、官僚たちはなぜ体面を気にしたのでしょうか。

 私は二つのことを考えます。ひとつは、そもそも「秘め事」であり、日本人的な感覚で、インテリならなおのこと、直截的な表現が嫌われること。もう一つは、欧米に対する体面というよりも、まさに欧米的な倫理観、つまり性を忌避するキリスト教的倫理観の影響です。近代国家を目指す近代の日本は欧風文化を積極的に導入し、そのことがさまざまな伝統文化とのきしみを生み出しました。その事例のひとつと見ることはできないのでしょうか。

 もともと日本の性観念には古来、キリスト教倫理観とは異質の大らかさがあるはずです。男女の結びつきによって新たな命が生まれる。「むすひ」こそ命の根源だという考え方です。

 たとえば、千葉大学の江守五夫名誉教授は、日本にはルーツの異なる二つの婚姻形態がある、といいます(『婚姻の民俗』)。ひとつは南方系の一時的訪婚、もうひとつは北方系の嫁入婚です。前者は結婚相手の選択がヨバイなど男女の自由な交遊を通して行われ、後者は男女七歳にして席を同じうせず、結婚相手は家長が決します。

 注目したいのはもちろん一時的訪婚です。江守教授は、じつに興味深い同じ民俗学者の瀬川清子・大妻女子大学教授の研究を紹介しています。長崎の五島で、ヨバイに用いられる寝宿をよそ者が侵入するという事件があり、娘宿が廃止されることになりました。別れの会の席で、娘たちは小学校長に食ってかかったそうです。

「娘宿がなくなったら、ヨバイの機会が失われ、結婚相手が見つけられない」。

 結局、一年後に娘宿は復活したというのです。

 欧米の文明的倫理観念とは異質の性の観念がここにはあります。江守教授は、こうしたヨバイの習俗は明治年間まで実際に求愛、求婚の機能を果たしていた、と指摘しますが、それは言い換えれば、南方系の一時的訪婚が明治以降、急速に廃れていったということを意味します。理由として容易に想像がつくのは、キリスト教倫理観の影響でしょう。明治の欧風化によって、日本人の性の観念がピューリタン的なものにゆがめられていった、ということではないでしょうか。

 藤永教授のいう「後ろめたさ」とはそのことでしょう。欧米の倫理を理解できるインテリほど、神経質にならざるを得なかったはずです。藤永教授のリポート全体を流れている厳格な性の観念それ自体がもはやキリスト教的です。売春が、あるいは性奴隷制度が反倫理的であるというより、性の観念それ自体に認識の隔たりがありそうです。

 さて、アメリカ下院の「慰安婦」非難決議案は可決の可能性がかなり高い、と伝えられます。民族の基層文化に関わる性の問題について、文化的に異質の国が、しかも議会という政治の場で取り上げるというところに、もともと無理があるのでしょう。しかし基本的文化に関わることだけに、その違いがなかなか認識できない。今回の決議案が日系議員によって提出されているというのは何という皮肉でしょうか。

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慰安婦問題の何が事実なのか [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年2月26日月曜日)からの転載です

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慰安婦問題の何が事実なのか
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 慰安婦問題について日本政府に「公式謝罪」を要求する決議案が審議されているアメリカ下院の公聴会で、韓国人元慰安婦は、慰安婦として強制動員された状況や、経験した惨状について、涙ながらに証言したと伝えられます(朝鮮日報など)。

 その後、慰安婦は日本の国会内で開かれた集会や韓国国会でも証言しました。このうち韓国の国会では

「死ぬ前に日本政府から謝罪の言葉を聞けるように尽力してほしい」

 と語ったといわれます。韓国国会では、

「日本政府に金銭的補償を求めない」

 としてきた従来の韓国政府の態度を改めるべきだ、と韓国政府に要求する決議案が審議されており、元慰安婦は参考人として招かれ、証言台に立ったのでした。(朝鮮日報)。

 これに対して、加藤駐米大使は記者会見で、「日本は誠意ある対応をしているのに、蒸し返して注文をつけている。日米関係に悪影響を及ぼす」と非難し、麻生外相は

「アメリカ下院の決議案は客観的事実に基づいていない。日本政府の対応を踏まえておらず、はなはだ遺憾だ」

 と批判しています。

 一方、以前からこの問題を取り上げ、批判してきた人々は、この日本政府の姿勢をやり玉に挙げ、

「日本政府は、大物ロビイストを高額で雇い、アメリカ下院の決議案採択をやめさせようとしている」

 と、批判のトーンを高めています。ある歴史学者グループは

「歴史の事実を踏まえて、冷静に対応すべきだ」

 と訴える声明を発表しているほどです。

 まさに問われているのは、「事実」です。そして「冷静さ」です。しかし、

「歴史的事実が歪曲される」

 と懸念を表明している歴史学者こそ、歴史の歪曲を進めている張本人かも知れません。冷静さを失っているのは批判者自身かも知れません。

 たとえば、声明文は、慰安婦たちは

「売買され、だまされたりなどして、国外に連れて行かれ、慰安所で本人の意思に反して使役された」

 と断定していますが、誰と誰が売買し、誰がだましたのが歴史的事実なのか。

 これまでの経緯を振り返れば、慰安婦問題の発端は、「真珠湾五十年」の平成3年暮れ、韓国人元慰安婦が日本政府に損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたことに始まります。「青春を返せ」と名乗りを上げたのが、今回、アメリカ下院で証言した韓国人元慰安婦の1人です。

 彼女の涙の訴えは、多くの日本人に衝撃を与えました。しかし、家庭の貧困から身売りされたのが人生の転落の始まりだった、というもっとも重要な「事実」は伏せられていました。

 戦後補償問題は国交正常化の時点で解決済みですが、一部の大新聞と歴史学者はその「事実」を受け入れませんでした。翌年1月、大新聞は一面トップに「スクープ記事」を掲載しました。今回の声明文に名を連ねる歴史学者が、慰安婦問題に軍が関与していたことを証明する資料を「発見」したというのです。

 しかし「資料」は、以前から歴史学者の間では知られていたもので、「発見」ではありません。そしてその内容は、軍が慰安婦を「強制連行」したという「事実」ではなく、業者の「強制連行」を軍・警察がやめさせようとしていたという「事実」を証明するものでした。

 ところが、新聞記事は

「挺身隊の名で強制連行した」

 と用語解説し、この歴史学者の

「軍の関与は明々白々。謝罪はもとより補償すべきだ」

 というコメントまでが載り、記事はまたたく間に大反響を呼んだのです。「挺身隊」の名目で「慰安婦」にされた「事実」が見つかってはいないのにです。

「事実」に忠実であるべきはずの大新聞の記者や歴史学者が、「事実」をゆがめたのです。

 今回のアメリカ下院の公聴会でも、元慰安婦第1号の韓国人女性は、自分が慰安婦となった最初の「事実」を語ったのでしょうか。

 歴史学者の声明文には

「実行は、主として植民地の総督府または軍の選定した業者などが直接行なったが、占領地で慰安所を設置した軍も、人身売買や誘拐などの事実を知っていたと考えられる」

 とありますが、歴史の「事実」を明らかにする歴史学者が、「考えられる」というような推測で「事実」を語るべきではないでしょう。

 むしろ韓国の方が「事実」に忠実といえるかも知れません。

 韓国女性省が「日本軍慰安婦サイバー歴史館」をネット上に開設したのは、「日韓国交正常化40年」の平成17年でした。「日韓友情年」と位置づけられたこの年、わざわざ「独立運動が開始された日」の3月1日に、「日本の悪行に対する韓国人の認識を促進するため」の事業を韓国政府は開始したのです。

 元慰安婦のお婆ちゃんが女の子に

「慰安婦というのはね、日本が引き起こした戦争で日本軍に従軍し、性の奴隷となった女性たちを指すのよ」

 とお婆ちゃん言葉を用い、アニメーションで説明するネット・ミュージアムはさながら「反日」の拠点ですが、慰安婦の証言のほか、裁判記録や学術論文・図書など各種の資料も載せています。

 そのひとつ、昭和12年に上海派遣軍野戦郵便長として従軍した佐々木元勝の『野戦郵便旗』は、郵便局近くにあった「上海寮、皇軍将兵慰安所」に言及しているのですが、

「ここは半島人(朝鮮人)が営業していた」

 とあります。「日本の悪行に対する認識の促進」が目的のはずの「歴史館」が、図らずも、いわば「朝鮮人自身の悪行」という「事実」を暴露しています。

 だとすれば、歴史の「事実」を声高に語り、正義を振り回すことは、単なる偽善としかいえないでしょう。

 インドネシア・スマランのオランダ人元慰安婦については、戦後の戦犯裁判で関係者が法に基づいて処罰されています。一方、アメリカ軍にも慰安婦がいた「事実」が知られています。アメリカに日本政府を批判する資格はありません。

 大新聞や歴史学者に続いて、「事実」を見失い、「冷静さ」を失いつつあるアメリカに対して、アメリカ人自身の批判も生まれています。

 保守派のシンクタンク自由議会財団のマリオン・ハリソンは、アメリカ下院の決議案は、アメリカの傲慢さを示すバカげた試みである。アメリカ政府は日本政府への管轄権を持っていないし、決議案は日米関係に悪影響を及ぼす、と訴えています。
http://www.theconservativevoice.com/article/22880.html

 アメリカにはまだ良識が生きています。

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ぶり返される戦争責任論 [慰安婦]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年2月9日金曜日)からの転載です

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ぶり返される戦争責任論
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 来週の15日にアメリカ下院外交委員会で開かれる日本軍慰安婦聴聞会にオランダ人元慰安婦が証人として発言する、と韓国の中央日報が伝えています。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84460&servcode=500§code=500

 記事によると、この女性は、

「慰安婦問題に対して日本政府が公開で謝罪しなければならない、という内容の慰安婦決議案がアメリカ下院で成立してほしい」

 と語り、証人出席要請を快諾したのだそうです。

 80代半ばの老境に達したこの女性も、記事を書いた記者も、日本政府の謝罪を望んでいるのでしょうか。

 日本軍が占領統治したインドネシアでオランダ人が慰安婦にされた歴史は、残念ながら事実のようです。

 慶応大学の倉沢愛子教授によると、インドネシアでは当初、現に売春を営んでいる者のなかから本人の自由意思に基づいて「慰安婦」が採用されたといいます。やがてオランダ人女性が目をつけられ、収容所から「強制的」に連れ出された女性もいたのでした。

 戦後の戦犯裁判では、このオランダ人慰安婦問題に関して、13人が起訴され、1名が死刑、10名が懲役刑となりました(ジャン・ラフ=オハーン『オランダ人「慰安婦」ジャンの物語』の倉沢教授の「解説」)。

 法に違反した者は法によって裁かれ、その罪を償ったのです。

 一方、次のような歴史も伝えられています。「文藝春秋」昭和34年10月号に掲載された「白い肌と黄色い隊長」と題するエッセイには、ホッとさせられる、ある抑留所の秘話が紹介されています。

 ──この抑留所には1800人の婦女子が収容されていたが、総督令嬢や知事夫人、市長夫人など反抗的、ヒステリックな女性たちは扱いづらかった。
 そのなかで山地正二所長(27歳、海軍二等兵曹)はヨーストラ夫人というリーダー格の協力を得、抑留者の自治を認めて、安心して生活できる抑留所づくりに努力した。新しい宿舎のほかに診療所や老人ホーム、教会や学校が建てられた。200台のミシンが導入され、農園もつくられ、自給自足の体制ができあがる。
 衣服や靴、食器、鏡、石けんなども支給され、抑留所は「女の楽園」の異名をとる。明るく秩序のある模範的存在として知られ、陸軍から見学者も訪れるほどだったが、民生部長官の決裁で慰安婦の提供を求められたときにはさすがの山地も頭を抱え込んだ。
 悩んだ末に大河原長官に決死の直訴を試み、やがて慰安婦採用は不許可になる。
 終戦後、ヨーストラ夫人は「人間山地はわれわれか弱い婦女子をよく理解し、民族を超越した人間的なあたたかい愛情を注いでくれた」と感謝の言葉をささげ、2451名の抑留者は山地への感謝状に署名した。視察にやってきた連合国軍の調査団は「抑留所内に学校があるというのは連合国内のも見られない。感謝と敬意を表する」と山地に握手を求めた。
 のちに本国オランダに帰国したヨーストラ夫人は「オランダ金鵄勲章(きんしくんしょう)」を授与され、山地との交流も続いた。

 このエッセイによると、戦争の記憶はけっして悲惨なものばかりでないことが分かります。

 インドネシアでの戦犯裁判では236名が死刑に処せられ、サンフランシスコ条約に基づいて日本政府は抑留民間人への補償金1000万ドルをオランダ政府に支払いました。

 にもかかわらず、オランダの日本に対する「戦争責任」の追及はやみません。それはなぜなのでしょう。

 元慰安婦がアメリカ議会で証言するとのことですが、誰にでも言論の自由があり、発言権はあるけれども、恨みを残す生者の証言によってのみ歴史を判断することは公正とはいえないでしょう。元慰安婦たちが心に負った傷は深いかもしれませんが、すでに死んだ者たちには発言権さえありません。

 アメリカ下院は元慰安婦の証言をどのように判断するのでしょうか。

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