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日本共産党が輝きを失った理由。党内ナンバー4の「暴露本」を読む [共産党]


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日本共産党が輝きを失った理由
党内ナンバー4の「暴露本」を読む
(「神社新報」平成18年6月15日)
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 かつて日本共産党が光り輝いて見えた時代があった。いまから三十年前の一九七〇年代、共産党が政権与党となる民主連合政府が明日にも実現される、と若者たちは信じてゐた。国会での議席は四十議席にまで増え、革新自治体が東京、大阪、京都など各地に続々と誕生した。しかし夢は夢のまま、急速にしぼんでいった。なぜだらうか。

 その根本的理由について考へる格好の題材がある。話題のベストセラー、筆坂秀世・元参院議員が書いた『日本共産党』。四十年近くも党に在籍し、献身的活動で党内ナンバー4の地位にまで上り詰めたのち、不祥事をきっかけに議員を辞職、離党した筆坂氏が体験的に赤裸々に描いた、秘密のベールに隠された革命政党の内幕。

 これを読むと、党組織の、そして共産主義そのものの欠陥が浮かび上がってくる。それは罪穢れやすい人間、および人間の組織を絶対なる神の地位に置く大前提の誤りであらうか。


党員は疲れてゐる

 筆坂氏は昭和二十三年に兵庫県の山あひの貧しい農家に生まれた。五人兄弟の末っ子。兄姉はみな中卒。「秀世君は勉強がよくできるから」と教師が母親に薦めてくれたおかげで一人だけ進学したが、夢もなく、勉学への意欲もない荒れた生徒だった。高校を卒業後、大手銀行に就職。父親は喜んだが、満足できなかった。「人の金勘定で一生を終へるのか」と思ふとむなしさが先に立った。

 そんなとき「反戦・平和」「進歩」「平等」を呼びかける共産党の小冊子が心をとらへた。「社会を変へ、進歩させるのは君たちだ」。探してゐたものが見つかった、と思った。半年後、入党。そのとき党は筆坂氏にとって間違ひなく希望だった。

 共産党は「労働者階級の前衛部隊」とされる。東京・代々木に党本部、全国四十七都道府県の県庁所在地に県本部が置かれ、さらに三百十六の地区委員会がある。党を指導する最高機関は中央委員会で、その決定は絶対である。革命政党ならではの完全な中央集権の縦構造社会が建前だ。

 しかし理想は理想。現実はじつに人間くさい。

 たとへば、党の基本である「民主集中制」は形骸化してゐる。民主的に討論し、意見を集約し、実行するどころか、党大会の議案や党の綱領をすべて読んでゐる党員は三割といはれる。議論らしい議論もないといふ。

 党財政は表向き豊かである。年間総収入は三百億円。自民党を八十億円も上回る。だが実態はむしろピンチを迎へてゐるらしい。発行部数三百万部の機関紙「赤旗」の恒常的な赤字を埋めるとともに党の活動資金を生み出すはずの「赤旗日曜版」の部数が減ってゐるからである。このため党の活動に専念する常任活動家の給与の「遅配」「欠配」も珍しくないらしい。

 政党助成を「憲法違反」と断じて受け取りを拒否してゐる一方で、総選挙ごとに七億円の供託金が没収されるから、財政が窮迫しないわけはない。公称四十万人の党員は物品販売などによる日常的なカンパに疲れ果て、党の結束は低下してゐる。それかあらぬか、選挙活動に参加する党員は六、七割。革命政党の鉄の規律は失はれてゐる。

 これに対して党は党勢拡大を呼びかけてゐる。ところが皮肉なことに、拡大を目指す運動が逆に組織をむしばんでゐる。昨年は「赤旗」の二百万部拡大運動が展開されたが、拡大どころか、逆に四万の読者を減らしたといふ。前代未聞の珍事だが、原因の究明もされず、むなしくスローガンが繰り返されてゐる。

 筆坂氏は指摘する。そもそも「赤旗」拡大で政権を取れるはずはない、と。共産党を中心とする連合政権を樹立するためには、衆議院で百議席を確保する必要がある。それには少なくとも党員百二十万人、「赤旗」五百万部が必要だが、ほとんど不可能に近い。

 社会主義の理想は地に墜ちてゐる。それはもちろん日本だけの現象ではない。最初の社会主義国・ソ連はすでに崩壊した。十九世紀にマルクスが示した史的唯物論による社会主義社会の理想は人々の熱情と犠牲とは裏腹に、世界のどこにも実現されてゐない。いはゆる科学的社会主義それ自体に根本的な誤りがあるのではないのか。

 たとへば前衛党論といふ考へ方がある。党は正義を体現する前衛だといふのだが、党を組織する現実の人間はつねに間違ひを犯す。共産主義運動の父であるマルクスであれ、レーニンであれ、そして知的エリート集団の共産党であれ、絶対なる神ではない。しかしキリスト教文化圏から生まれた共産主義は、党を絶対神もしくはキリストの地位に置いてゐる。迷へる子羊たちを導く救ひ主=前衛党といふ前提は、いはば神話に過ぎないのだが、その神話が党の自縄自縛を招いてゐる。

 一例として、筆坂氏は拉致問題をあげる。

 六年前、党首討論で不破哲三委員長は森喜朗首相(いづれも当時)に、北朝鮮による拉致問題は疑ひの段階を脱してゐない、その段階に相応しい交渉のあり方がある、と指摘し、問題の棚上げを求めた。二人の討論を伝へる「赤旗」は、拉致「疑惑」は「宣伝」とまで表現した。拉致問題を取り上げることは、北朝鮮をおとしめる政治意図があるといふ主張である。

 たしかに根も葉もない疑惑なら理屈は通るが、その二年後、訪朝した小泉首相に対して、疑惑の張本人・金正日主席は拉致を事実と認めたことから、棚上げ論の判断ミスが明らかになった。

 けれども党は党首の誤りを認めようとしない。むろん自己批判もない。前衛党のトップおよび組織は、つねに正しい、からである。そして不破質問が社会的な批判にさらされるやうになると、今度は、もともと質問などなかったかのやうに隠蔽工作が図られたのだった。


無謬なる神ではない

 人間はつねに、自分は正しい、と思ひたがる。けれども神ならぬ生身の人間が完全無欠ではあり得ない。逆に過ちを犯しやすいのが人間で、だからこそ、正義を追ひ求めようとする。正しくありたい、と願ふことと、自分が正しい、といふことは異なる。そして、自分が正義そのものだ、と思ひ込んだとき、正義はその人の手からするりとすり抜けていく。

 同様に、前衛党が正義を振りかざせば振りかざすほど、胡散臭さが増していく。党の無謬性といふ神話ゆゑに、党と幹部の誤りが隠蔽され、一方では批判者の口が封じられ、閉鎖社会のなかでの陰湿な排斥、無慈悲な粛正といふ不正義が敢行される。筆坂氏の離党はその典型であらうか。

 日本共産党に昔日の面影はない。昨年の総選挙で獲得した議席は九。七〇年代のピーク時の半分以下。国民の支持は得られない。党は今世紀の早い段階で民主連合政府を樹立することを目指してゐるが、終局的理想とされる共産主義社会は完全に輝きを失ってゐる。一般国民にとっても、そして党員にとっても。

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