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東宮妃批判も擁護論も前提に誤りあり ──西尾幹二先生への反論を読む その2 [西尾幹二]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年6月28日)からの転載です

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東宮妃批判も擁護論も前提に誤りあり
──西尾幹二先生への反論を読む その2
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 西尾幹二先生の「御忠言」「諫言」批判を続けます。

 前回は所功先生を取り上げましたが、今回は竹田恒泰氏の反論について、少し古いですが、「WiLL」平成20年7月号に掲載された、「御忠言」への反論をテキストに考えます。

 結論を先に言えば、竹田氏は、西尾先生の「御忠言」に反論したいはずなのに、じつのところ、「御忠言」の前提となっている、皇室の原理とは異なる原理を、驚いたことに容認し、のみならず共有して、それを前提に議論を進めています。

 これではまったく反論にはなりません。東宮批判と擁護論がかみ合わずに堂々巡りするのは当然です。


▽1 誤った3つの前提

 まず「WiLL」本年6月号に載った、西尾先生の「諫言」の前提となっている論理を整理すると、以下の3点になろうかと思います。

(1)皇室は「伝統」の世界である。近代の学歴主義、官僚主義とは対立する

(2)宮中祭祀およびご公務が天皇・皇族のお務めである。天皇・皇族のお務めは国家・国民が優先されるべきである。お務めは両陛下、両殿下によって担われる

(3)皇室は左翼の巣窟とみられるような機関には関心を持つべきではない

 この3つの前提は8年前の「御忠言」と変わっていません。とすれば、この3点について、誤りだと論証できれば、あるいは皇室の皇室観とは別物だと証明されれば、西尾先生の東宮妃批判は音を立てて崩れます。

 そして、実際、この3点すべてにおいて、完全な誤りであるか、部分的に問題点を含んでいることが容易に知られます。先生の「御忠言」「諫言」に反論するのなら、3つの論点を検証し、否定できれば、それで十分です。


▽2 否定せずに是認

 ところが不思議なことに、竹田氏の東宮擁護論は逆に、西尾先生と似たり寄ったりです。

 竹田氏は冒頭で、西尾先生の「作法」を問題としています。反論できないお立場の皇族方に対して、公のメディアで、容赦なく批難を浴びせるのは「卑怯」だというのです。

 なるほど仰せの通りですが、真正面からの批判ではなく、「言い方が気に入らない」「やり方が汚い」というような批判は、世間では口喧嘩の常套句で、往々にして相手の言い分を認めていることが多いものです。

 竹田氏の東宮妃擁護論もまさにそれで、竹田氏は西尾先生の論理を否定しているのではなくて、逆に是認しているのです。


▽3 「皇室は伝統の世界」と認める

 まず(1)の伝統主義です。これは西尾先生の「諫言」のもっとも大きな柱です。

 先生は、「雅子妃の行動が皇室全体の運営に何かと支障をきたしている」とし、その原因について、皇室の「伝統」主義と「近代」主義との相克と理解しています。

 これは8年前の「御忠言」とまったく同じです。先生は、皇室を「伝統」の世界であり、「徳」が求められる世界だと決めつけ、「徳なき者は去れ」と妃殿下に「下船」を要求したのです。

 しかし、皇室は「伝統」オンリーの世界ではありません。「伝統」と「近代」の相克どころか、「伝統」と「革新」の両方が皇室の原理です。また、皇位は世襲であって、徳治主義とは無縁です。先生の理解は完全に誤っているだけでなく、矛盾をきたしています。

 これに対して、竹田氏は、皇室の伝統主義と近代の能力主義との対立と理解する西尾先生の皇室観について、否定するどころか、以下のようにはっきりと肯定しています。

「確かに皇室は伝統の世界であり、その秩序は学歴主義とは本質的に原理が異なる。学歴主義・効率主義などが皇室に入り込めば、それなりの摩擦が生じるとの論には一定の説得力があるように思える」


▽4 論理の展開だけが異なる

 竹田氏の反論は、西尾先生の議論の前提である皇室=「伝統の世界」論、「伝統」対「近代主義」相克論ではなくて、西尾先生の説明不足に向けられています。

「西尾氏は東宮妃殿下の高学歴については述べるが、学歴主義と諸問題が生じたことの因果関係を示していない。『原理が異なる』だけでは説明したことにはならない」

 十分な説明なら、竹田氏は納得するということでしょうか。

 さらに竹田氏は「皇室に学歴主義・効率主義が入り込んだのは東宮のご結婚が最初であろうか」と問い、「皇室に学歴主義が入り込むことは今に限ったことではなく」と説明し、「問題の本質は学歴主義ではないと断言」します。

 つまり、竹田氏は、西尾先生の「伝統」対「近代」の相克の図式を暗黙のうちに認めているわけです。「本質ではない」と指摘しているだけです。

 竹田氏は、「(西尾先生の)学歴主義の議論は問題の本質から外れている」と批判し、「問題の本質は……お世継ぎ問題ではないか」と問いかけ、お世継ぎ問題の圧力が1人の女性に集中する制度の欠陥を改める必要があると主張しているのです。

 要するに、竹田氏の東宮擁護論は、皇室=「伝統の世界」論に立ち、「伝統」対「近代」の相克論を認めることにおいて、西尾先生の東宮妃批判と前提は同じであり、論理の展開だけが異なるという、いわば一卵性双生児の関係にあるといえます。


▽5 祭祀もご公務もそっちのけ?

 つぎに(2)の宮中祭祀およびご公務について考えます。

 西尾先生は宮中祭祀およびご公務が皇室の大切なお務めであり、私的関心より優先されるべきだという考えに基づいて、皇太子妃殿下の行動を批判しています。

 祭祀にお出ましにならず、ご公務はそっちのけ、それでいて国連大学に入り浸るのはもってのほかであり、妃殿下の病状に寄り添う皇太子殿下にとって国家・国民が二の次なのはただ事ではない、というわけです。

 けれども、宮中祭祀についていえば、もともと天皇の祭りであって、四方拝にしても、新嘗祭にしても、妃殿下の拝礼が予定されているわけではありません。ご公務にしても、たとえば憲法は天皇の国事行為について規定しているのであって、皇太子妃のご公務に関する明文規定はありません。

 まして官庁主催のイベントやメディア主催の展覧会などにお出ましになることは、皇太子妃の伝統的なお務めではあり得ません。

 歴史的にいうならば、臣籍出身の皇后、皇太子妃は、近代以前は「皇族」ですらありませんでした。あくまで「皇族待遇」だったのです。

 それが明治22年制定の皇室典範で「皇族」と称することが規定され、皇后は「陛下」と尊称され、「両陛下」と併称され、大婚に際して勲一等に叙され、宝冠章を賜うことが定められました。

 亡くなったとき「崩御」と表現され、「追号」を贈られるようになったのは、大正15年の皇室喪儀令以後のことです。


▽6 漠然たる批判に漠然たる反論

 これらの改革は、『皇室制度史料』によれば、ヨーロッパ王室の影響を受けた結果でした。それが近代というものであり、現在、宮内庁のHPに「両陛下」「両殿下」と記され、メディアが「ご夫妻」と当たり前のように表現しているのはその結果です。

 西尾先生は、皇室の「伝統」ではなくて、「近代」以後の官僚、マスメディアと同じ立場に立ち、その自己矛盾を抱えつつ、ただ漠然と、祭祀やご公務が大切だと主張しているに過ぎません。

 これに対して、竹田氏もまた、皇太子妃にとっての祭祀、ご公務を具体的に掘り下げているわけではありません。

 少なくとも「WiLL」の反論では、国連大学に熱を上げる妃殿下を、「反日左翼と決め付け」る西尾先生に対して、竹田氏は、「全く根拠が示されていない」「議論の飛躍」「妄想」と切り捨て、「(西尾先生の)イデオロギーは反日左翼と分析するほかない」と一刀両断にしているだけです。

 もっとも竹田氏は、さすが祭祀に関しては、天皇の祭りであって、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」「天皇は『上御一人』である」「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった」と正しく指摘しています。

 けれども、それ以上のものではありません。

 宮中祭祀およびご公務について確たる根拠を示されずに「反日左翼」のレッテルを貼るなら、竹田氏の「作法」も西尾先生と大して変わらないことになるでしょう。


▽7 失われた御代拝制度

 竹田氏は「天皇の本質は何か」と問い、葦津珍彦を引用して、天皇=「祭り主」論を展開しています。

 そして、「西尾氏は[天皇は伝統を所有しているのではなく、伝統に所有されている]ともいうが、天皇は伝統に所有されてなどいない。天皇と伝統は不可分一体であり、所有・被所有の関係にはない」とも反論しています。

 しかし、葦津は天皇=単なる「祭り主」論の立場ではありませんし、皇室=「伝統の世界」論者でもありませんでした。竹田氏が葦津を引き合いにする手法はかなりクセがあることは、当メルマガで何度も申し上げました。

 祭祀の実態からすれば、旧皇室祭祀令が慣習的に機能していた昭和50年代まで、皇后や皇太子妃の御代拝が制度として認められていました。お風邪を召されたときなど、側近の女官に代わって拝礼させる制度が以前は生きていました。

 もしこの制度がいまも生きていれば、妃殿下は西尾先生から批判されることはなかったでしょう。

 ところが、御代拝の制度は憲法の政教分離主義に凝り固まった当局者によって廃止されてしまいました。西尾先生も、竹田氏も、そのことをなぜ批判しないのでしょうか。問題の核心はそこにあるのではないでしょうか。

 もしかして、西尾先生は戦後の祭祀改変の実態を知らずに、妃殿下を攻撃しているのでしょうか。竹田氏は現実を見定めずに反論しているのでしょうか。

 西尾先生は批判すべき対象を見誤り、竹田氏は反論すべき視点を見失っています。


▽8 「国民統合の象徴」であり続ける困難

 最後に、すでに言及している(3)の「左翼」について、もう少し考えたいと思います。

 西尾先生は、皇室は「反日左翼」とは無縁であるべきだとお考えのようです。これに対して、竹田氏は、西尾先生こそ「反日左翼」とレッテルを貼るのですが、皇室が「反日左翼」と無縁であるべきだとする考えでは一致しているようです。

 とすると、お二方とも、皇室は伝統主義者・保守主義者だけのために存在するとお考えでしょうか。排除の論理が皇室の原理なのでしょうか。

 どう考えても、そうではないでしょう。そうではないからこそ、現代の皇室そして東宮は苦悩されているのではありませんか。

 西尾先生も、竹田氏も、皇室の祭祀を重要視しておられるようですが、天皇の祭祀は、皇祖神に稲を捧げて祈る稲の祭りではありません。天皇は皇祖神のみならず天神地祇を祀り、稲作民の稲と畑作民の粟を供して、国と民のために祈られるのです。

 これが葦津珍彦のいう天皇=祭り主の意味であり、「国および国民統合の象徴」の意味だと私は考えます。

 天皇は稲作民だけの天皇ではありません。畑作民だけの天皇でもありません。同様に、皇室は右翼のための皇室ではありません。逆に左翼の皇室でもありません。右翼であれ左翼であれ、天皇にとってはみな「赤子」です。

 しかし現代という時代に、「国および国民統合の象徴」であり続けるのは、どれほど困難なことでしょうか。


▽9 相矛盾する価値の追求

 現代の皇室にとって、最大の苦悩の1つは、相矛盾する価値をも追求しなければならないことでしょう。

 西尾先生は皇太子殿下の「雅子さんを全力でお守りします」発言を批判します。よき夫であろうとし、よき家庭を築こうとするマイホーム主義は、「天皇に私なし」という皇室の伝統から遠ざかっていくという危惧は、じつにもっともです。

 しかし、家庭の崩壊が指摘されて久しい現代において、東宮が社会的模範となることは価値がないことでしょうか。

 皇室伝統の乳人(めのと)制度を破って、最初に母乳で子育てを始められたのは香淳皇后でした。最初にお手元で子育てをされたのは、皇太子妃時代の、いまの皇后陛下です。

 皇室=「伝統の世界」だと言い切るのなら、伝統を破ったことを、西尾先生はなぜ批判されないのですか。なぜ雅子妃だけを標的にするのですか。

 古来、天皇は親族の葬列に加わることさえ避けられました。「天皇無私」のお立場に徹されたからです。けれども現代の皇室は、相矛盾する私的価値をも追求しなければならないお立場に立たれています。

 西尾先生は「伝統」対「近代」の相克が問題の原因と見ています。そうではなくて、「伝統」と「近代」という2つの価値を追求するがゆえに皇室は苦悩されているのでしょう。

 西尾先生も竹田氏も、そのことをご理解にならないのでしょうか。

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所先生、焦点がズレていませんか ──西尾・加地両先生「諫言」への反論を読む [西尾幹二]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年6月13日)からの転載です

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所先生、焦点がズレていませんか
──西尾・加地両先生「諫言」への反論を読む
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 案の定ということでしょうか。

 前号で「WiLL」6月号の西尾幹二・加地伸行両先生による「諫言」対談を批判しました。

 8年前の西尾先生の「御忠言」のときには、当メルマガは10数回にわたって、かなり徹底して追及しましたが、当時からまったく進歩が見えません。

 先生は「雅子妃問題」を、近代社会の能力主義と皇室の伝統主義との相克というワンパターンの図式で捉えている。しかし、そうではない。皇室は「伝統」オンリーの世界ではない、とあらためて批判したつもりです。

 編集者にも読者にも原因がある、と指摘したつもりです。

 ところが、メルマガの書き込みなどを見ると、どうも分かっていただけないようです。皇室は「伝統」の世界だと信じ切っている人が、やはり多いのでしょうか。けれどもそれは明らかに間違いです。


▽1 「伝統」と「革新」が皇室の原理

 考えてもみてください。日本の宗教伝統である神社神道しかり、和服や日本食、木造家屋などなど、伝統オンリーならとっくに廃れているでしょう。

 単に古いから意義があり、続いているのではなくて、現代的な意義を十分に兼ね備えているからこそ、いまも力強く光り輝いているのではないのでしょうか。

 繰り返しますが、「伝統」オンリーではなくて、「伝統」と「革新」の両方が天皇・皇室の原理です。

 明治の近代化の先頭に立たれ、戦後復興の先頭に立たれたのが、日本の皇室です。天皇が祭り主であることの重要性は、古い儀式の継承に意味があるだけでなく、それ以上に、現代的な意味が天皇の祭祀に見いだされるからです。

 それを「伝統」オンリーと誤って信じ込めば、「伝統」対「近代」の図式で迫る「御忠言」「諫言」にまんまと引っかかることになるでしょう。

 そして、実際、釣られてしまった読者が多いのでしょう。ネットなどで批判が沸騰し、編集部にも苦情が殺到し、そして事件が起きました。

 しかし編集部は涼しい顔です。「賛否はもとより、じつに多岐にわたるご意見を賜りました。ありがとう存じます」と7月号の編集後記に書かれています。商業雑誌は売れてなんぼの世界ですから、読者の挑発に成功した満面の笑みすらうかがえます。

 ただし、文明の根幹に関わる天皇論を商材にして、きわどいビジネスを展開することが望ましいのかどうか、は別問題でしょう。


▽2 わずか4ページの反論

 さて、7月号に「加地・西尾両氏への疑問」と題する所功先生の反論が載りましたので、検討することにします。

 西尾・加地両先生の「諫言」が載った6月号の発売日は4月26日です。所先生の「疑問」は記事によると、3日後の4月29日に執筆されたようです。

 所先生が記事の冒頭で、碩学の対談にしては信じがたい内容にショックを受けたと打ち明け、「管見の一端を取り急ぎ率直に略述します」と説明しているように、わずか4ページの、急ごしらえの文章です。

 内容的にも重厚とはいえません。その理由の1つは締め切りだと思います。

 まず、「疑問」がもともと編集部の企画だったのかどうか、私は疑っています。新編集部にとっての創刊号となる6月号の編集段階では、西尾・加地両先生の「諫言」対談に対する反論が企画されていなかったのではないでしょうか。

 前編集部の場合、入稿のデッド・ラインをギリギリまで引きずっていましたが、それでも印刷・配本の都合上、最終締め切りには限界があります。新編集部には「ギリギリ」はないかも知れません。とすれば締め切りはおのずと早まります。

 所先生はご常連の筆者の1人で、締め切りについてはよくご存じのはずです。しかも、ちょうど大型連休中です。7月号に押し込むページ数も限られるだろうし、筆者が急いで書き上げられる枚数にも限界があります。

 西尾先生らの「諫言」が16ページなのに対して、所先生の「疑問」がその4分の1しかないのはそのような編集上の事情によるものなのでしょう。

 もしそうだとすると、編集者の姿勢も自然と透けて見えます。


▽3 4つの「疑問」

 所先生の「ショック」は、西尾先生たちが「読者を誤解に導きかねない発言や、常識的にあり得ない非現実的な提言をも、あえて『諫言』と称し公表しているからです」。

 そして「疑問」は、次の4点です。

1、「諫言」対談の冒頭で、編集部の司会者が「週刊文春」に載った、昨年の天皇誕生日の皇后陛下と皇太子妃殿下との会話を取り上げているが、実際にあり得たのか。宮内庁は事実誤認とHPで公表している。

2、加地博士は、神武天皇2600年祭で皇太子・同妃両殿下が神武天皇陵に参拝せず、皇霊殿に参拝するに「とどまった」と述べているが、旧皇室祭祀令に準じて、陛下に代わって祭祀を行われた。嫌みを言われるようなことではない。

3、加地博士は、「新しい打開策」として、皇太子殿下が摂政となり、皇太子はおやめになり、秋篠宮殿下が皇太子となるというような妙な提案をしている。皇室典範を改正しなければ不可能であり、非現実的な幻想に過ぎない。

4、同調する西尾博士は、「週刊新潮」の記事を持ち出し、天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の頂上会談で今後の皇位継承が決まったことに感銘したなどと語っているが、憲法解釈、皇室典範の原則を根本的に変更しなければ実現できない。内閣官房・宮内庁が連名で「厳重抗議」した「事実無根」の「暴走記事」を検証もなく論拠とするのはなぜか。


▽4 なぜ基本が失われているのか

 所先生の「疑問」はごもっともです。しかし、2や3は論外として、1と4については、もともと当事者にしか知り得ず、事実かどうかはヤブのなかです。

 私には先生の「疑問」が宮内庁関係者による反論のようにさえ聞こえます。そして、私にとって興味深いのは、「諫言」と「疑問」の焦点がズレていることです。

 編集者や西尾先生たちにとっての「諫言」は、いわゆる「雅子妃問題」が焦点です。ところが、所先生は「雅子妃問題」にはほとんど目を向けず、お得意の分野である、宮中祭祀の祭式と皇位継承問題に話題を変えています。

 所先生は皇室論のスペシャリストのはずです。正面から妃殿下問題と向き合い、皇位は世襲であり、徳治主義ではないこと、天皇は「上御一人」であって、皇太子妃が皇位継承するわけではないこと、皇室は近代主義と対立しないこと、つまり、皇室の基本原則をなぜ主張されないのでしょうか。

 基本を誤っているからこそ、皇太子殿下のみならず妃殿下にまで「徳」を求める声が高まるのであり、あまつさえ「下船せよ」と命じるお門違いの識者まで現れ、さらに皇位継承に口を差し挟むようになるのではありませんか。

 原則を誤っているから、皇室の「伝統」「祭祀」を知らずに、「伝統を守れ」「祭祀をせよ」と言い立てる博士たちが現れ、メディアがそれを煽り、議論は堂々巡りするのでしょう。

 先生の反論が両博士の口をふさいだとしても、「雅子妃問題」は解決されません。両博士に同調する読者がたくさんいるからです。

 それなら、なぜ基本原則が失われているのか、問題はそこであり、所先生にはその核心をぜひ考えていただきたいと私は願っています。

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血統主義と徳治主義の調和──西尾論文批判の続き [西尾幹二]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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血統主義と徳治主義の調和
──西尾論文批判の続き
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 西尾幹二論文批判を続けます。今週は「正論」9月号に載った、新田均・皇學館大学教授による西尾批判を取り上げます。

 新田論文はいつになく抑制が効いた、しかし、さすが神道学者ならではの大論文です。

「徳なき者は去れ」

 と東宮に迫る西尾論文に対して、新田論文は、一方で皇位の世襲主義をいいつつ、徳治主義を要求するのは矛盾であるばかりでなく、矛盾を突かれることを恐れて文章表現を書き換え、隠蔽しているのは小賢しい、とまずは正しく指摘しています。

 西尾論文の矛盾・破綻はこの指摘に尽きるのですが、新田論文はさらに西尾論文がほったらかしにした、血統主義と徳治主義との関係如何について筆を進め、歴史上において両者の調和点をぎりぎりのところで模索した北畠親房の思想を紹介しています。

 結論的に新田論文は、天皇が国民のために祈るだけでなく、国民が天皇のために祈る祭祀国家の側面を強調し、伝統に対する謙虚な学習者ですらない人物の言葉によって、国民の祈りの伝統が断絶する国家的な危機の訪れを危惧し、論者や国民に祈りを求めています。

 まったく仰せの通りなのですが、ニーチェ研究を50年も続けてきたらしい研究者がいまさら神への祈りを捧げる可能性は高くはないだろうし、日本人自身が明治以来、百年以上も、啓蒙主義にどっぷりと浸かってきたからこそ、

「(雑誌論文の)読者のほとんどすべてが西尾論文に賛成」

 という現象も起きるのでしょう。

 それならどうすればいいのか? 求められているのは、新田教授が指摘する国民の祈りのほかに2点あります。1つは天皇・皇室に関する情報の普及。もう1つは議論の活性化です。月並みといえば月並みですが、これが案外、難しいのです。

 前者についていえば、天皇・皇室に詳しい知識人による社会的な活動がきわめて乏しいという現実があります。新田教授のケースはきわめてまれで、それだけにその存在は貴重なのですが、世に神道学者と呼ばれる人たちは怠慢といいたくなるほど出不精であるだけでなく、ほかの学問分野と比較して明らかに、戦後社会からは敬遠され、軽んじられてきたのです。今日の状況はそのツケというべきです。

 後者についていえば、西尾論文は絶好の機会を提供したともいえます。マスコミの世界では皇室番組は視聴率を稼ぐための「色もの」扱いです。話題を練り上げ、読者を挑発し、ビジネスを展開するのは商業ジャーナリズムの常套手段です。今回の場合、西尾論文が一冊にまとまったようですが、今後、前号で紹介したような田中卓皇學館大学名誉教授や新田教授の批判を受けて、どのように議論が深まっていくのか、それとも話題づくりで終わるのか、見定めたいと思います。

 蛇足ですが、最後に天皇の祭祀について補足します。

 新田論文は

「『信仰』という観点から、皇太子殿下のことを云々するのであれば、本質的な問題点は『祭祀にご熱心なのかどうか』『祭祀が妨げられているような状況におかれているのかどうか』という一点でしかあり得ない」

 と指摘しています。

 当メルマガの読者ならすでにご承知のように、まさに問題点はここにあります。

 繰り返しになりますが、昭和40年代以降、皇室祭祀の破壊がほかならぬ側近によって進められてきました。西尾論文は、皇太子妃殿下が平成15年以降、

「祭祀にいっさいご出席ではない」

 と何度も批判していますが、昭和天皇の側近の日記などによれば、昭和50年8月15日に宮内庁長官室で会議が開かれ、皇后、皇太子、皇太子妃の御代拝の制度が廃止されたのです。

 いまもそのままになっているところに問題があります。

 皇室祭祀の正常化を国の基本問題として速やかに模索する必要があります。

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日本の文明自身の「皇太子妃問題」 ──西尾幹二先生の東宮批判に対する竹田恒泰氏の反論 [西尾幹二]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2008年8月12日)からの転載です


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日本の文明自身の「皇太子妃問題」
──西尾幹二先生の東宮批判に対する竹田恒泰氏の反論
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 当メルマガはvol.41から、雑誌「WiLL」に掲載された西尾幹二先生の東宮批判を検証しています。今号は、同誌7月号に載った旧皇族・竹田恒泰氏の反論を取り上げます。


▽1 本質はお世継ぎ問題か

 竹田氏の反論で興味深いのは、西尾先生が「皇太子妃問題」の本質を学歴主義と見るのに対して、そうではなくてお世継ぎ問題だと考えていることです。お世継ぎ問題の圧力が1人の女性に集中する「現行制度の欠陥」にほかならない、というのです。

 古来、機能してきた側室と宮家という両輪が近年では機能しなくなっている。したがって皇室典範を改正し、一定の皇族を確保することが必要だ、と竹田氏は訴えています。

 たしかにお世継ぎ問題が妃殿下に精神的重圧をもたらしたであろうことは間違いないでしょう。けれども、いみじくも西尾先生が、妃殿下のご病気とは別に、小和田家の不可解な動きについて指摘しているように、「妃殿下問題」は妃殿下だけの問題ではありません。

 いつの時代にも皇位継承は「綱渡り」でしたが、とりわけ今日において、男系男子による皇位継承が絶えないような制度上の整備が急務であることは間違いありません。

 けれども、東宮家がお世継ぎ問題で苦しんだ背景には、同じ「WiLL」7月号の渡部昇一・日下公人対談で指摘されている「一夫一婦制」や「恋愛結婚制」、それから皇太子の婚期の遅れがあったことも見落とされるべきではありません。けっしてお世継ぎ問題が本質とはいえないと思います。


▽2 多神教文明と一神教文明の相克

 それなら何が問題の本質なのか?

 竹田氏が指摘するように、西尾論文には「明らかな誤りや、勝手な憶測や妄想を前提とした記述も多い」でしょうが、それでも多くの読者の共感を得ているのは、一定の妥当性があるからです。

 西尾先生は「皇太子妃問題」を、近代社会の能力主義とは異質の存在であり続けたはずの皇室に、皇太子殿下の御成婚によって「学歴主義とクロス」した結果と見ていますが、正確にいうならば、伝統と近代との相克ではなくて、多神教文明と一神教文明の相克なのだろうと私は考えています。

 異なる文化を受容し、統合するのが日本の多神教文明であり、その中心に位置するのが天皇の祈りです。古来、皇室は海外文化受容のセンターであり、近代以後は文明開化の先頭に立たれ、欧米の進んだ文物を受け入れてこられました。

 皇位を継承する祭り主はあくまで天皇お一人であるにもかかわらず、天皇は皇后とともに、あたかもヨーロッパ王室のキングとクイーンのように、「一夫一婦制」的に「両陛下」と呼ばれるのは、ヨーロッパのキリスト教文化を受け入れた結果でしょう。


▽3 多神教文明の力を発揮できるか

 日本の皇室がいま苦難の中にあるのは、皇室が受け入れた欧米の近代主義が「あなたには私のほかに神があってはならない」という一神教文明の産物だからです。寛容な多神教文明と排外的な一神教文明の相克は熾烈です。

 妃殿下が宮中祭祀に「出席されない」、あるいは拒否しているといわれるのも、身も心も欧米化し、日本的なアイデンティティを失った結果なのでしょう。

 しかし、そのことは妃殿下だけの問題ではなく、日本人一般にいえることです。西尾先生が指摘する学歴主義も効率主義も日本人の血となり、肉となっています。

 つまり、「皇太子妃問題」は日本の文明自身の問題なのだと私は考えています。大らかに受容する日本文明本来の力を発揮できれば、問題はやがて克服されると私は思います。カギを握っているのはむろん天皇の祭祀です。

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西尾幹二先生の御忠言を読む──どこが誤っているのか [西尾幹二]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 西尾幹二先生の御忠言を読む
 ──どこが誤っているのか
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 評論家の西尾幹二先生がこの数カ月間、月刊「WiLL」誌上で皇太子・同妃両殿下へのご忠言を展開し、話題になっています。現代の日本を代表する知性が、妃殿下の主治医を複数にせよ、と提言するだけならまだしも、療養中とされる妃殿下を「獅子身中の虫」とまでに指弾しているのですから、注目されるのは当然です。
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 しかし当たり前のことですが、同意するところもあれば、そうでないところもあります。西尾先生が「妃殿下問題」を深く憂えていることは痛いほど理解されるのですが、皇室問題を考えるうえでの基本的観点が少し違うのではないか、と思う点がいくつかあります。

 今回は先生の「WiLL」5月号の論考「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」について考えてみます。


▽1 学歴主義とクロス

 先生の論考は、「平等とか人権といった近代の理念のまったく立ち入ることのできない界域(エリア)が社会の中に存在すること」が「天皇制度の意義」だと認めるところが出発点です。

 ところが、近代社会の能力主義とは異質の存在であり続けたはずの皇室に、皇太子殿下の御成婚によって「学歴主義とクロス」しました。

 小和田家の人々は「学歴エリートを絵に描いたような一族の、その中でももっとも優秀なハイクラスの人材であるといわれ続けていた」のであり、「知らぬ間に能力主義が皇室の外堀を埋めてしまっていた」のでした。

「原理を異にするふたつの世界、近代を超克した理不尽なまでの伝統の世界と、個人の努力や意図が生きる能力主義の世界とがぶつかった」結果、「軋(きし)み」が始まり、「人格否定」発言が飛び出しました。

「このままでは妃殿下は鬱病になる」という予感は的中し、さらに「事態は悪化」しました。

 環境調整を必要とする妃殿下の病状は容易ならざる事態だと西尾先生は指摘します。「環境を変えなければダラダラと慢性的な病状が長期にわたって日本の皇室を機能不全に落ち入れる可能性」があるからです。

 問題は「1人の人間の治療に最終目的はなく、国家の安泰に本来の目的がある」のであり、「皇統の将来への憂慮の方が優先されるべきである」と先生は指摘します。

「雅子妃問題」は反天皇論者の格好のターゲットとなり、天皇制度廃止論の危険水位は上がっているが、学歴能力主義と高級官僚の家系が「反近代」の天皇家とクロスしたがゆえに起こった例外的な災厄であり、雅子妃個人の問題であって、船酔いで船に乗っていられないのなら、下船していただくほかはない、と西尾先生は言いきるのです。


▽2 「能力主義との相克」だけではない

 西尾先生の問題意識はよく理解できますし、主治医を複数にし、外務省出向組を異動させる、という提案も同意できますが、妃殿下に「下船」を勧告することへの同意は躊躇されます。

 なぜかと言えば、第一に、ことの本質が、近代社会の能力主義と皇室の伝統主義との相克という図式ではとらえきれない、と考えるからです。

 なるほど皇位の継承は世襲であって、能力主義とは無縁ですが、近代ヨーロッパの文化を率先して受容してきたのが日本の皇室なのでした。古来、異なる多様な文化を積極的に受容し、統合してきたのが皇室の伝統です。

 第二に、「学歴主義とのクロス」なら、皇后陛下にも当てはまります。

 過去の皇后とは違い、旧華族出身ではない「平民」の出身で、そしてミッション系の最高学府に学び、首席で卒業されたのが皇后陛下でした。しかし独自の思索の結果、皇室の伝統を深く理解されたのだと拝察します。

 だとすれば、妃殿下にも「下船」以外の可能性があり得ます。

 西尾先生は「皇室は原理を異にしている」ということを強調しすぎるように私には見えます。

「別な原理」というのなら、皇后陛下の御父君がその身を置いたビジネス社会も、皇后陛下自身が学ばれたミッション・スクールも原理は異なります。しかし古来、異なる多様な原理を受容し、それらを統合し、多神教的、多宗教的文明の中心に位置してきたのが天皇なのだと思います。その意味でこそ、皇室は「異質の界域」なのでしょう。


▽3 両殿下への過度な期待

 第三の問題は、皇室の伝統とは何か、そして皇太子・同妃両殿下の役割とは何か、です。

 西尾先生は、「伝統に対する謙虚な番人でなければならない」ことを、今上陛下がそのことをよくわきまえ、歴史に対して敬虔に、国民に対しては仁愛を示し、祭祀を尊重、遵守しているのに対して、将来、「国家の象徴となられる」皇太子・同妃両殿下にはその自覚がおありなのか、と問いかけています。

 先生が指摘するように「皇室外交」なるものが「皇室の伝統」でないことはいうまでもありません。しかし「歴史に対する敬虔さ、国民に対する仁愛」も、あえていえば、「願望」に過ぎません。

 天皇の制度は英明な天皇ばかりが例外的に続いたから、古来、世界史にまれなほど長期にわたって継承されてきたのではありません。

 戦後唯一の神道思想家といわれる葦津珍彦(あしづ・うずひこ)が指摘しているように、いいことばかりが重なったから、天皇制が存続してきたのではないのです。実際、日本書紀などには、統治者としての適格性を疑うような古代の天皇について記録されています。

 過度な期待を持つべきではありません。


▽4 不明確な妃殿下の役割

 先生は「両殿下の自覚」を問いかけていますが、将来、皇位を継承されるのは皇太子殿下であって、お二方で皇位をになわれるのではありません。

 それなら妃殿下はどのような役割を果たすべきなのか、じつはそれが不明確です。

 西尾先生は「祭祀の尊重と遵守」に言及しています。宮中祭祀こそ皇室の伝統ですが、祭祀をみずから行うのは天皇お一人です。

 戦前なら皇室祭祀令の定めがあり、妃殿下の拝礼も決まっていました。西尾先生は妃殿下が平成15年以降、「祭祀にいっさいご出席ではない」と書いていますが、昭和50年代以降、側近らによって皇后、皇太子、同妃の御代拝の機会が奪われたというのが実態です。責められるべきは妃殿下ではなく、宮内官僚です。

 皇位を継承するのは天皇お一人です。皇位は皇祖神の神意に基づきます。「皇統の移動」などというものは、私たち民草が君臣の別をわきまえずに論ずるまでもないことです。祭祀王たるお立場を継承する第1番目の地位についてくださったことで、国民としては十分ではないか、と私は考えます。

 葦津が指摘しているように、北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)の『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』以来、万一、仁政が行われ難きときには、皇位は傍系の仁者に移る、と認められてきました。しかしそれは神の領域です。

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