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[歴史発見] 朝鮮人「強制連行」はなかった。明確に否定する五十年前の外務省資料 [韓国]


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歴史発見
朝鮮人「強制連行」はなかった
明確に否定する五十年前の外務省資料
(「神社新報」平成16年4月26日)
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「強制連行」が「従軍慰安婦」に代はる「歴史歪曲」のキーワードとして浮かび上がってゐる。
朝鮮神宮遠景.gif
 今年の大学入試センター試験の世界史には「第二次大戦中に朝鮮人の強制連行があった」を正解とする出題があった。ある高校用教科書には「戦争中の日本の労働力不足を補うため、朝鮮では労働者の強制連行もおこなわれ」とある。一方、北朝鮮は昨年の国連総会で「日本は八百四十万人を強制的に徴発した」と主張した。拉致問題など取るに足らぬといひたいらしい。

 しかし外務省は「強制連行があった」とは認めてゐない。国連では日本大使が明確に否定し、川口順子外相は昨年九月の国会で山谷えり子議員の質問に答へる形で、「北朝鮮の主張は根拠が何に基づくものなのか不明」と突っぱねてゐる。


▽併合後に爆発的に増えた朝鮮の人口

 外務省は昭和三十四年七月に、「在日朝鮮人の渡来および引き揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」と題する記事資料を発表してゐる。

 当時、在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって、「戦時中に渡来した在日朝鮮人の大半は日本政府が強制労働させるために連れてきた。いまでは不要になったので送還される」との誤解や中傷があり、反論の必要に迫られたのだった。

 わづか四頁の簡単な資料だが、「在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、戦時中に徴用労務者として渡来したのは二百四十五人に過ぎない」「彼らには所定の賃金等が支払われている」と「強制連行」説を否定してゐる。

 この四年前、三十年七月には『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(法務研修所)といふ詳細な報告書が公刊されてゐる。在日朝鮮人問題について政府関係資料をもとに多面的に考察した随一のものとされる。

 とりまとめたのは、海外神社史に関心のある人なら知らぬ者のゐない『朝鮮終戦の記録』の著者森田芳夫氏。同書の第一章「戦前の日本内地移住とその処遇」を読むと、「強制連行」がいかに根も葉もないことかが理解できる。

 同書によると、明治四十三年の日韓併合から昭和二十年の終戦にかけて朝鮮在住朝鮮人の人口は千三百万人から二千五百万人へと爆発的に増加した。多くは南鮮の農民だったが、いかんせん土地の生産性は低く、春になると半数近くが食糧に窮した。総督府の農村振興策は十分な成果を上げず、過剰な人口は資本主義の生育期にあって労働力を必要としてゐた日本内地の鉱山、工場、都市へと流れた。

 内地にゐる朝鮮人の数は明治四十四年末にはたったの二千五百二十七人。しかし大正十三年に十万を超え、昭和十五年には百万の大台に乗り、終戦の前年には百九十万人と鰻登りに増えた。内地人三十八人に一人が朝鮮人といふことになる。


▽内鮮一体のために苦悩する日本政府

 渡来者は貧困者が多かった。「内地に行けば何とかなる」。旅費以外、無一文で船に乗る者が四割を超えてゐた。日韓併合後、朝鮮人は日本国籍を持ち、日本内地への渡航は基本的に自由のはずだった。しかし教育程度が低く、日本語も分からない、純朴な朝鮮人が生存競争の激しい内地社会にいきなりやってくればトラブルが起きる。内地の失業問題も深刻化する。

 政府は「強制連行」どころか、逆に移住阻止の対策を立てざるを得なかった。

 昭和九年に政府ははじめて在内地朝鮮人に対する総合対策を打ち出す。朝鮮人を朝鮮内で安住させるため農村振興策を徹底させるなど根本的対策が明示されるとともに、在内地朝鮮人の内地融和を図る画期的なものだった。そればかりか、十三年には朝鮮総督府は内鮮一体の立場から渡航取締の緩和を強く要求してさへゐる。

 時代が移り、日華事変以後の戦時体制下で、日本政府は朝鮮人の集団動員を図る。とくに炭坑は戦時増産が至上命令で、多くの労働力を必要としてゐた。十四年九月~十七年一月までは自由募集、同二月~十九年八月までは官斡旋・隊組織による動員、同九月以降は国民徴用令による動員だったが、むろんむりやり連れてくる「強制連行」ではない。

 国民徴用令の施行は十四年七月だが、朝鮮での全面発動は遅れた。移入労務者に徴用が実施されたのは十九年八月の閣議決定以後だが、労務管理が粗悪な事業所には徴用が避けられたし、他方では家族援護の万全が図られた。決して奴隷状態におかれたわけではない。

 逆に政府は内鮮一体政策を推進し、昭和十九年の臨時議会で昭和天皇には「とくに命じて、朝鮮および台湾の住民のために、帝国議会の議員たるの途をひらき」と述べさせられ、翌年には朝鮮在住民から七人の貴族院議員が生まれた。

 森田氏の著書からは「強制連行」とは似ても似つかぬ、むしろ内鮮一体化の実をあげるために苦悩する日本政府の姿が見えてくる。

 けれども、試験問題で国民的批判が沸き上がると、入試センターは「教科書に載ってゐる」と弁明し、文科省は「教科書の記述は一般的な学説状況に基づいてゐる」と正当化した。しかし入試や教科書に関与してゐる歴史家たちは歴史の真実をどこまで客観的、実証的に追究してゐるのか。仄聞では、「強制連行」は朝鮮大学校教授による政治的プロパガンダが典拠といはれる。

 歴史を歪曲して教科書に記述し、授業で教へ、試験で「強制連行があった」と答へなければ不正解とする歴史教育は断じて許されない。文部当局者は偏った政治思想教育の片棒を担ぐやうな政策をなぜ採り続けるのか。

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