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「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道 [眞子内親王]


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「天皇無私」原則の現代的意義を理解しようとしない朝日新聞「眞子さま御結婚」報道
(令和3年10月31日、日曜日)
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紆余曲折の末、26日、眞子内親王殿下が結婚された。正確にいえば、宮内庁職員が自治体に婚姻届を提出、受理され、翌日、皇統譜に皇籍離脱が登録された。皇室親族令附式に基づいた諸儀式は一切行われていない。

国民のひとりとしては末長い御多幸をお祈り申し上げるばかりだが、違和感は拭い切れない。古来、皇室は儀式中心の世界だからである。これは内親王の御結婚と呼ぶべきものだろうか。

もっとも中心となるべき、儀服を召しての賢所外陣での拝礼は、洋装で庭上からの拝礼に変更された。しかも附式では予定されていない先帝先后の御陵への御挨拶が、皇祖への御拝礼に先行された。伝統主義の立場からはあり得ないことだ。

異例続きとなった一因はマスメディアの過剰かつ執拗な報道のあり方にある。そのことは御結婚会見の回答にも現れているが、報道の異様な加熱と暴走の背後にあるのは、天皇・皇室に対して戦後の日本人がいだく大きな意識変化である。

もっといえば、国民の尊崇の中心であり、国の威厳、価値の代名詞でもある、古来の天皇意識の忘却と喪失である。そして皇室もまたその激流から無縁ではあり得ないところに深刻さがある。伝統的価値を伝える藩屏も見当たらない。


▽1 皇室と朝日新聞の「公私」概念の違い

たとえば、朝日新聞である。

27日の社説「皇室の『公と私』 眞子さん結婚で考える」は、一見すれば常識論である。2人の幸せを願いつつ、一時金辞退の先例化を憂い、自由が制限された皇族の立場に同情し、「公と私」の議論の深まりを国民に要求している。キーワードは、憲法、個人、自由、権利、主権者である。

用語の使い方からして、眞子内親王殿下は「秋篠宮家の眞子さま」である。最初から敬語表現はない。人はみな「平等」だからであろう。御結婚で、「眞子さん」「2人」と変わった。皇族も「ひとりの人間」とされている。

社説は「皇族は公人であり、その言動に国民が関心を抱き、厳しいことも含めて意見を言うのは当然だ。一方で皇族もひとりの人間として意思や感情を持ち、培ってきた価値観がある。国民が思い描く理想の姿とどこかで差異が生じることがあってもおかしくないし、そもそもその『理想の姿』も人によって様々だ」と解説している。あくまで主権者は国民なのである。

「公」の存在である天皇・皇族にも「私」の領域があり、どこまで自由を認めるべきか、国民は議論すべきだと訴えている。朝日の社説では、「公と私」は互いに対立する概念になっている。だから、議論が必要だということになる。

けれども、皇室古来の「公と私」とは対立概念ではなかったのではないか。民の側のさまざまな「私」の存在を認め、「私」と「私」の対立を和らげ、治め、これらを統合することが、天皇の「公」というものではないのだろうか。

それゆえに天皇は「無私」なる存在とされ、公正かつ無私なる祭祀をなさる祭り主であることが第一義とされたのであろう。天皇に姓も名もないのはそのためではないか。「私」を去って、超然たるお立場にあるのが「公」である。

しかし、朝日の社説では皇室が大切にしてきた歴史と伝統は無視されている。論理の出発点は憲法であり、一神教世界由来の近代主義である。朝日の「公」とは国事行為のみを行う国家機関としての「公」であろう。


▽2 天皇による多神教的祈りの意味

斎藤智子・朝日新聞元皇室担当記者の「眞子さまがみせた覚悟へ、心から拍手を」も同様である。内親王殿下個人の性格に注目し、これまでの経緯を振り返り、「ひとりの女性」の生き方を綴ったうえで、「心からの拍手を送りたい」とエールを送っている。

ここには皇室の長い歴史への眼差しも関心もない。新しい生き方を追求する潔さと覚悟を礼賛するのは勝手だが、なぜ「無私」の伝統の現代的価値を探ろうとしないのか。

「私」を礼賛すれば、「私」同士の対立を促すことになり、「無私」を貫いてきた皇室の存在意義は失われるだろうに、現代のエリートたち、戦後民主主義の申し子たちには、ハナから通じないのだろうか。そして国民も、なのか。

「天皇」が生まれたころ、日本は氏姓社会だった。『新撰姓氏録』を見れば、京都周辺だけでも、さまざまな氏族が存在していたことが分かる。京都や奈良の古社はしばしば、古代氏族の氏神を源流としている。

古代において祖先が異なる、神が異なる、祭り方が異なるということは、深刻な対立抗争の原因ともなり得ただろう。そのことは現代の世界に目を転じ、一神教同士の抜き差しならない対立や、一神教内部の血で血を洗う抗争を見れば、容易に想像される。信じるものが違えば、衣食住が異なるし、言葉すら変わる。

古代律令は「天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と命じている。歴代天皇は皇祖のみならず、天神地祇を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて、「国中平らかに安らけく」と祈り続けてこられた。それが新嘗祭・大嘗祭であり、皇室第一の祭りとされてきた。

あらゆる神々を祀るのは、世界広しといえども、日本の天皇のみである。日本が古来、例外的に血腥い宗教的戦争に巻き込まれずにきたのは、天皇の多神教的祈りゆえだろう。一神教世界ならあり得まい。

特定の祭日だけではない。天皇は食膳ごとに、「わがしろしめす国に飢えた民がひとりいても申し訳ない」と、食物をひと箸ずつより分け、名もなき民に捧げられた。サバの行事といわれる。食事もまた国と民のための祈りなのであった。

そのことは、現代においてこそ大きな意義があるのではないか。

天皇には「私」があってはならない。ことさらに私人を装って行われた今回の御結婚に違和感を禁じ得ない理由はそこにある。いつの日か、内親王殿下が気づかれる日が来ることを信じたい。「ICUの恋」を悲劇に終わらせてはならない。


▽3 最大の責任は宮内庁にある

最後に、宮内庁の対応について、蛇足ながら付け加えたい。皇室の伝統的価値を理解できないらしいのは側近たちも同じである。

御結婚会見で異様なのは、「誤った情報が事実であるかのような」というフレーズが何度も繰り返されていることである。とてもお祝いの場とは思えない。

事実ではない情報が事実を装って流布されたというのなら、宮内庁はどこまで真相を把握していたのだろうか。

もし情報の誤りを知っていたのなら、なぜ訂正を求めなかったのか。情報の誤りを知りつつ放置したというのなら、宮内庁の不作為によって、皇室の権威を貶める結果を招いた罪は大きい。

逆に、真相を知らなかったとすれば、これまた責任が問われる。そもそも真相とは如何なるものなのか。宮内庁は十分な身辺調査を行ったのか否か。傷ついた内親王殿下の御結婚を招いた最大の責任は、宮内庁にある。

西村泰彦宮内庁長官は定例会見で、御結婚後について、「これまでとは違ったご苦労がおありかと思いますが、2人で手を携えて力を合わせて乗り越えていっていただきたい」と述べたと伝えられるが、傍観者の白々しさを感じるのは私だけだろうか。

宮内庁は藩屏としての役割を果たしていない。現代の皇室はつくづくおいたわしいかぎりである。


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ご結婚前に「私人」になられた内親王殿下──天皇の「無私」か、憲法の「自由」か? [眞子内親王]


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ご結婚前に「私人」になられた内親王殿下──天皇の「無私」か、憲法の「自由」か?
(令和3年10月17日、日曜日)
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眞子内親王殿下が26日にご結婚になる。心からお祝い申し上げたいところだが、あまりにも異例続きだ。公人ならぬ「私人」なら、自由で、何でも許されるということなのか。それでは古来、公(おおやけ)中の公であり、「私」を去ることを大原則としてこられた天皇・皇室の歴史と伝統をみずから否定することになりはしないか。

たとえば、ご結婚までのご日程である。

先週の12日には昭和天皇、香淳皇后が鎮まる武蔵野陵、武蔵野東陵に謁せられた。宮内庁発表によると、19日には宮中三殿に謁っせられ、22日には皇居・御所を訪れられて、天皇、皇后両陛下にご挨拶になり、25日には太上天皇・皇太后両陛下にご挨拶になる。すでに伝えられているように、納采の儀などは行われない。


▽1 皇室の伝統の否定

既述したように、皇室の婚姻に関する古来の儀礼を集大成した皇室親族令(明治43年)の附式では、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、と続くことになっている。親族令は廃止されたが、附式はいまも生きている。

清子内親王殿下の場合は、平成17年3月19日に納采の儀が行われ、半年が過ぎたあと、11月12日に賢所皇霊殿神殿に謁するの儀が行われ、さらに宮殿・松の間で朝見の儀が行われた。帝国ホテルで結婚式が行われたのは同15日である。

納采の儀は先方の使者が幣贄を携えて殿邸に参上し、結納が行われる。入第の儀は先方の使者がお迎えにあがる。かつて内親王のお相手は華族までとされたが、今は昔、今回は「家」が関わる儀礼は行われない。名実とも「私人」の婚姻なのである。

三殿に謁するの儀から朝見の儀までの順序は親族令に準じているが、参内朝見の儀は宮殿ではなく、御所で行われる。親族令では予定されていない先帝先后の山陵に謁するの儀は諸儀礼に先立って行われた。

殿下の「希望」によるものと伝えられるが、天皇、皇太子なら締め括りとして行われる儀礼である。先んじて行われたのは、婚姻による皇籍離脱後では文字通り「私人」のお立場となり、格好がつかないからなのだろうか。しかし皇祖皇宗へのご挨拶が後になるのはどうみてもおかしい。皇室の伝統の否定なのである。

今回のご結婚の異例は、皇籍を離脱して「私人」となるのではなくて、すでに「私人」扱いされている点にある。支持する人たちは、結婚の自由を叫び続けているが、天皇・皇族はそもそも「私人」ではあり得ない。一時金を断る云々は方便に過ぎない。


▽2 天皇より憲法が優先

天皇は古来、固有名詞では呼ばれない。かつては乳人制度があった。肉親のご葬儀に参列されることもなかった。天皇こそ公そのものであり、「天皇無私」とされた。

「およそ禁中の作法は神事を先にす」とされ、天皇の祭りは皇祖のみならず天神地祇を祀り、皇室の繁栄ではなく、「国中平らかに安らけく」と祈り続けるものである。稲作民の稲のみならず、畑作民の粟が捧げられるのもまた然りである。

皇祖天照大神は絶対神とはほど遠く、皇祖神の「コトヨサシ」に由来する天皇の「シラス」統治は、唯一神を根拠とするキリスト教世界の一元的支配とは大きく異なる。

「祭り主」天皇の公正かつ無私なる祈りこそが、多様性ある国家の平和的統合をもたらしてきたのではなかったか。天皇の「無私」が民の「自由」の根拠である。それがまったく逆に、キリスト教世界由来の現行憲法のもとでは、天皇の祭祀が「私事」とされ、逆転現象が起きた。

そして今回のご結婚である。世が世なら、天皇ともなり得るお立場の内親王なのである。天皇の「無私」か、憲法の「自由」か。内親王殿下のご結婚が私たちに問いかけているのは、戦後体制に馴染み過ぎた現代人が歴史的天皇のあり方の価値を再確認できるのか否かである。憲法の解釈・運用がおかしいのか、それとも憲法自体が誤りなのか。

宮内庁は今回のご結婚で、みずからの落ち度を密かに認めたものらしい。すなわち不十分な身辺調査という不作為である。であればこそ、佳子内親王殿下の場合は厳格化が伝えられている。本来なら長官が責任を認め、職を賭してお諌めすべきだった。

しかし陛下より憲法に忠実な国家公務員に成り下がった現代の側近には、もはや藩屏は務まらない。天皇より憲法が優先されるのである。


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昭和天皇の御陵にお参りされた眞子内親王殿下の異例 [眞子内親王]


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昭和天皇の御陵にお参りされた眞子内親王殿下の異例
(令和3年10月12日、火曜日)
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眞子内親王殿下の御結婚はあまりにも異例続きである。

報道によれば、殿下は今日、雨の中、昭和天皇、香淳皇后がそれぞれ鎮まる武蔵野陵、武蔵野東陵にお参りになり、御結婚の報告をされた。宮内庁によると、皇室の慣例によらず、ご本人の「希望」によるものとされる。

皇室には独自の冠婚葬祭の定めがある。殿下のこれからの幸せを祈りたいのは山々だが、今回の御結婚は皇室が大切にしてきた伝統からほとんど逸脱している。

皇室の婚姻に関する儀礼を集大成した皇室親族令(明治43年)の附式には、
1、納采の儀
2、告期の儀
3、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀
4、参内朝見の儀
5、皇太后に朝見の儀
6、内親王入第の儀
と続くことになっている。

むろん戦後、日本国憲法施行とともに皇室令は全廃されたし、したがって皇室親族令も廃止された。しかし、このとき宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、「從前の規定が廢止となり、新らしい規定ができていないものは、從前の例に準じて、事務を處理すること」(第3項)とされている。

また、この依命通牒について「廃止の手続きはとっておりません」という宮尾盤次長による平成3年4月25日参院内閣委員会での答弁からすると、依命通牒第3項はいまなお効力があり、廃止された皇室親族令に代わる新しい規定がない今日、内親王の婚姻はこれまでと同様、親族令附式に準じて行われるべきものと考えられる。

しかしすでに、今回、「納采の儀等は行われない」と伝えられている。依命通牒は守られず、したがって、皇室親族令附式は無視されている。

そして今日の先帝先后の山陵に謁するの儀である。

親族令附式では、先帝先后の山陵に謁するの儀は、天皇、皇太子の御結婚の場合に行われるべきもので、親王、内親王の場合は行われない。天皇、皇太子の場合も、宮中三殿での儀礼その他すべてが終わったあと、締め括りとして行われ、しかも神宮神武天皇山陵並びに先帝先后の山陵に謁するの儀としてセットで行われることとされている。

附式に予定される皇祖皇宗、天神地祇へのご挨拶がない一方で、附式では予定されていない内親王の儀礼が行われることは異例中の異例といわねばならない。内親王の婚姻としてこれは許されるのか。

殿下の昭和天皇、香淳皇后へのお思いはよくよく理解できる。けれども、皇室がもっとも大切にしてきた「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)という祭祀第一主義が蔑ろにされてはいるのではないかとの疑いがどうしても晴れない。

天皇・皇室の祈りは国と民のための、絶対他者のための祈りであり、私的な祈りではないはずである。内親王は婚姻によって皇籍を離れられるにしても、離れ方に問題があり過ぎるのではないか。これでは皇室の歴史と伝統を否定することになりかねない。

ご挨拶を受けられた昭和天皇、香淳皇后はどのように思われるのだろうか。挨拶のない皇祖皇宗はどうだろうか。逆に、異例を正すため、蛮勇を振るって、殿下に献言するような側近はいないのだろうか。

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「皇嗣」と「皇太子」の違いを強調し過ぎ──高森明勅先生の「立皇嗣の礼」痛烈批判を読む [皇位継承]


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「皇嗣」と「皇太子」の違いを強調し過ぎ──高森明勅先生の「立皇嗣の礼」痛烈批判を読む
(令和3年10月10日、日曜日)
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幻冬社のサイトに、「前代未聞の立皇嗣の礼」と題するエッセイが載っている。筆者は高森明勅氏である。タイトルだけなら私も同意見だが、中身を読むとずいぶんと違う。批判すべき論点が違うということだろうか。

同氏のエッセイは新著『「女性天皇」の成立』の試し読みらしい。編集部が作ったらしいリードは、「天皇が切望し、国民が圧倒的(87%,2021年共同通信の世論調査より)に支持する「女性天皇」を阻むものは何か? 「男尊女卑」「女性差別」社会はいらない。わたしたちの「女性天皇」が日本を変える——。緊急提言」と物々しい。

女性天皇・女系継承容認論のパイオニアとしてのエッセンスが凝縮された著書に、立皇嗣の礼批判の一章が立てられたものらしい。


▽1 皇位継承が確定していない

高森氏は「二つの不審点」を指摘している。「一つは、そもそもこのような前代未聞の儀式を行うべき必然性があったのか、ということ。もう一つは、この儀式が天皇陛下のご即位に伴う『一連の儀式』と位置づけられたことだ」という。

まず「立皇嗣の礼」自体の不可解さについて、高森氏は、「皇嗣」と「皇太子」の違いから説き起こそうとする。つまり、「皇嗣」とは「皇位継承順位が第一位の皇族」であり、「その皇嗣が皇子である場合」に「皇太子」と呼ばれる。

今上天皇の場合、平成時代は「皇太子」、つまり、「次の天皇になられることが確定したお立場」だった。その事実を内外に宣明するため、立太子の礼が行われた。

ただ、「皇太子の場合、お生まれになった瞬間、又は父宮が即位された瞬間に、次の天皇になられることが『確定』する。儀式はただ、その既定の事実を『宣明』するまでのこと」と高森氏は説明し、「ところが」と続け、「『傍系の皇嗣』の場合はどうか」というのである。

つまり、「儀式の『前』に、すでに皇嗣のお立場になっておられる点では、皇太子と事情は変わらない」けれども、「次の天皇になられることが必ずしも『確定していない』という点で、大きく異なっている」というのだ。


▽2 「立皇嗣の礼」が行われた論理

高森氏は秩父宮雍仁親王殿下の実例を取り上げる。

殿下は大正天皇の第二皇子で、明治35年6月25日にお生まれになった。昭和天皇が皇位を継承されたとき皇子はなく、昭和8年12月23日に昭和天皇の第一皇子がお生まれになるまでの8年間、殿下が皇嗣であり続け、その後は皇嗣ではなくなった。

「このように、傍系の皇嗣は継承順位の変動がありうるお立場だ。その点で皇太子とはまるで違う」と高森氏は説明し、「ならば、『立皇嗣の礼』を行わなければならない必然性はないだろう」と畳みかけている。

そして、「令和の時代に前代未聞の立皇嗣の礼が行われたこと」の「不可解」を指摘し、「これは憲法上の『国事行為』。なので、『内閣の助言と承認』によって行われ、『内閣が、その責任を負ふ』(第三条)べきものだ。内閣の意思によって行われ、天皇陛下や秋篠宮殿下ご自身のお考えとは直接、関係がない」と言い切っている。

さらに、「立皇嗣の礼というのは、単に前代未聞というだけでなく、客観的には天皇・皇后両陛下が今後、決して『直系の皇嗣』には恵まれられない、という見立てを前提にしなければ行えないはずの行事であることに思い至る。実はかなり非礼で不敬な儀式だったことになろう」と痛烈に批判している。

高森氏の批判には論理の筋が通っている。それならばなぜ、「立皇嗣の礼」は行われたのかである。そこには政府ならではの論理があったものと私は想像する。女性天皇・女系継承を容認する、高森氏とは別の論理である。同じ女系派とはいえ、呉越同舟なのである。


▽3 皇嗣=皇太子である

高森氏は、「皇太子」と「皇嗣」の違いを強調しているが、強調しすぎではないか。そもそも両者に違いはない。『帝室制度史』の「第2章 皇位継承」の「第四節」は「皇太子」ではなくて「皇嗣」と題されている。また本文には、以下のように書かれてある。

「皇嗣は天皇在位中にこれを選定冊立したまふことを恒例とす」
「皇嗣の冊立ありたるときは、その皇嗣が皇子または皇孫なると、皇兄弟またはその他の皇親なるとを問はず、これを皇太子と称す」

皇嗣=皇太子なのである。

皇嗣は皇太子と異なり、皇位継承が確定していないと解釈するのも誤りである。『帝室制度史』は「皇嗣の改替」にも言及し、さまざまな理由から「ひとたび皇嗣冊立のことありて後も…遂に皇位に即きたまふに至らざりしこと、その例少なしとせず」と明記する。

立太子の礼は皇位継承を必ずしも「確定」させるものとはならないし、皇太子ではなく皇嗣だから、次の天皇に確定したわけではないという論理も成り立たない。

『帝室制度史』は、近代以降、皇室典範の制定によって、「皇嗣の冊立」について4つの点で「重要な変革」を遂げたと指摘している。そのうち興味深いのは以下の2点である。

1、旧制では、皇太子の称号は必ずしも皇子に限らなかった。しかし新制では、皇太子の称号は儲嗣たる皇子に限られる。儲嗣たる皇孫の場合は皇太孫と称される。皇兄弟その他の場合は特別の名称を用いない。

2、旧制では立太子の儀によって皇嗣の身分が定められた。しかし、新制では立太子礼は皇嗣の身分にあることを天下に宣示し、祖宗に奉告する儀礼である。傍系の皇族が皇嗣にあるときはこの儀礼は行われない。

秩父宮雍仁親王殿下の立皇嗣の礼が行われなかったのは、近代の改革によるものである。


▽4 似て非なる女系容認論

ならば、今回、なぜ立皇嗣の礼は行われたのかである。次の皇位継承者を早期に確定させることは皇位継承の安定化にはきわめて重要で、であればこそ、御代替わりの一連の儀礼のひとつとして、政府は位置付けたのであろう。高森氏も皇統問題なればこそ、立皇嗣の礼に着目したのであろう。

しかしながら、高森氏と政府・宮内庁では皇統論の目的が異なるのではないか。平成8年以降、宮内庁内で非公式検討が始まり、政府が女性天皇・女系継承容認論に舵を切っていった目的は、国事行為・御公務をなさる特別公務員としての継承の安定化であり、高森氏の考える皇統連綿とは似て非なるものであろう。

政府が、立皇嗣の礼を、御代替わり行事のひとつに位置づけたのも、国家機関としての皇太子の御公務の継承を、御代替わり直後に確定化させる必要があるからではないか。

蛇足ながら、私が今回の立皇嗣の礼に違和感を覚えるのは、立皇嗣の諸儀礼のうち、もっとも中心的な宮中三殿での儀礼が「国の行事」とされなかったこと、おそばにあるはずの壺切御剣の所在が不明であること、などだ。つまり、皇位継承問題と同様に、皇室の歴史と伝統が蔑ろにされているのである。

高森氏は国民の大半が女系継承を支持していると胸を張る。国民の支持は重要だが、皇室のことは皇室のルールに従うべきだろう。そのように啓発するのが知識人の役割というものではないか。


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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い [眞子内親王]

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おいたわしい眞子内親王の御結婚──宮内庁の責任は重い
(令和3年10月2日、土曜日)
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眞子内親王殿下が今月26日に結婚される、と宮内庁皇嗣職が発表した。同時に、「複雑性PTSD」を患っておられるとも発表された。御結婚問題それ自体でさえ気が重いことなのに、何ともおいたわしい限りである。おそばにおられる父君も母君も、さぞ複雑な思いでその日をお迎えになられることだろう。

内親王殿下の御結婚は本来、国民にとっても、心からお祝い申し上げるべき慶事のはずである。しかしどう見てもそうはなっていない。それはやはり藩屏たるべき宮内庁の責任が大きいといわざるを得ない。


◇内親王は私人ではない

人は個人として尊重され、みな平等である。結婚は2人の個人的問題である。一般にはそう考えられるが、内親王の御結婚は国民の結婚とは事情が異なる。納采の儀も結婚式も行われない。一時金も受け取らないといっても、内親王は内親王であり、私人ではない。ところが、宮内庁の説明では、逆に、むりやり私人を装うことで、結婚を成立させようとしている。

公(おほやけ)とは古くは天皇を指したという。「天皇に私なし」といわれ、天皇に姓はなく、固有名詞で呼ばれることもない。昔なら内親王も皇位継承の可能性があったのであり、私人ではあり得ない。ところが、いまや「天皇無私」の大原則が危機に瀕している。枝を矯めて花を散らすがごとしである。

今回、納采の儀が行われないというが、ふつうなら告期の儀、賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、参内朝見の儀と続く諸儀式も行われないのだろうか。皇祖神や歴代天皇、天神地祇、そして先帝へのご挨拶もないとすると、前代未聞といわねばならない。

皇室第一の原則は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)である。皇祖神に始まる歴代天皇との繋がりを否定して内親王の立場はないし、天神地祇への神祭りなくして皇室の存在意義はあり得ない。

かつて天皇が仏教に帰依した時代、もっとも大切にされたのは「金光明最勝王経」である。「王法正論品第二十」では前世とのつながりが説明され、「国を治むるに正法をもってすべし」と教えている。因果応報、悪政には天罰が下り、悲惨な結末を迎えると警告されている。

皇祖天照大神からこの国の統治を委任され、公正かつ無私なるお立場で、「国中平らかに安らけく」と祈り、国と民の統合を第一のお務めとする祭り主が天皇であるという考えと共通するものがある。私人でありようはずがない。


◇日本社会も皇室もキリスト教化した

しかしキリスト教は異なる。「天の父」の教えが強調され、祖先とのつながりは否定される。たとえばイエス・キリストは「タラントンのたとえ」を話された。タラントンとは神が人間個人に与えた才能(タレント)である。キリスト教では人間は個人でしかない。

渡部昇一先生の本には、宣教師に「入信せずに死んだ親は天国に行けるのか?」と質問し、「洗礼を受けなければ天国には行けません」との返答に憤然として宣教師を追放した酋長の逸話が載っている。祖先とのつながりより、キリスト教信仰が優先される。

近代になり、日本はキリスト教世界の文物を積極的に導入した。その先頭に立ったのが皇室であった。キリスト教の社会事業を物心ともに支援したのも皇室である。戦後、ICUが創設されるとき、設立準備委員会の名誉総裁となったのは高松宮宣仁親王殿下だった。

戦前から昭和天皇の側近には多くのキリスト者がいたが、昭和天皇ご自身がキリスト教に染まることはなかった。しかしいまはどうだろうか。日本社会自体、「純ジャパ、半ジャパ、ノン・ジャパ」が入り乱れ、ICU化している。そして皇室もである。

天皇・皇族が皇祖皇宗からの繋がりを失った個人と意識されるようになったとき、「天皇無私」を第一義とし、公正かつ無私なる祭り主を第一のお務めとする皇室の歴史と伝統は、幕を閉じることになる。

それはちょうど、「祭り主」天皇の歴史的意義も、男系継承の伝統的意味も見極めずに、安易に女系継承容認に走る皇位継承論と同じ構図である。25年も前に女系容認に舵を切った宮内官僚が、今回も十分な身辺調査を怠り、引き返すことのできない地点にまで内親王殿下を追い込んだのである。PTSDの原因を作ったのは宮内庁であろう。

藩屏なき皇室、ここに極まれり、ということだが、ここまできた以上、国民はどうすべきなのか。言いたいことは山ほどあれど、ぐっと飲み込んで、見守るほかはないということだろうか。返す返すも宮内官僚が恨めしい。


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