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天皇学研究所設立の勧め──皇位継承論を劇的に活性化するために [天皇]

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天皇学研究所設立の勧め──皇位継承論を劇的に活性化するために
(令和3年1月24日、日曜日)
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複数の保守派人士から、ある依頼を受けた。今日はそのことに刺激されて思うところを述べてみたい。それは現代における皇室論の活性化である。
皇居二重橋.jpeg
皇室報道の末席を汚すようになってから40年近くになるが、世の中は一変した。マスメディアの時代からSNSの時代への激変である。いまや誰もが情報を発信できるし、YouTuberのように職業として成り立つようにもなった。逆に、新聞・テレビの凋落は目を覆うばかりだ。


▽1 3つの役割分担

皇室情報・皇室報道が一部のプロの手に委ねられていた時代は去った。しかし混乱はかえって深まっている。天皇・皇室の世界は奥が深いからだ。政府の情報も、メディアの情報も危ういのに、Twitter情報が信頼できるなんてことはあるはずがない。正確な情報、知識が伴っていない。

たとえば、目の前の皇位継承問題をどう解決したらいいのか、政府・宮内庁やメディアの情報は頼るに足らないし、かといってFacebookの素人論議でも困る。となれば、皇室を思う保守派のなかから学問的気運が昂然と湧き上がって来なければならないと思う。学問なくして議論の進展はない。

なぜ皇位継承は男系主義で貫かれてきたのか、学問的なまともな説明を私は読んだことがない。女系継承容認論に対抗するどころか、オウンゴールを蹴って顧みない知識人もどきさえいる。

学問的な解明がまだなら、これからでも遅くはない。皇室の歴史を探り、学問的に究明しなければならない。戦後唯一の神道思想家といわれた葦津珍彦は「学問はひとりでするものではない」と語っていたというが、保守派を糾合した民間の天皇学研究所のようなものは作れないだろうか。

そのためには3つの役割分担が求められると思う。全体を取り仕切るプロデューサーと個別の企画を作るエディター、それと研究・執筆を担当するライターである。さらにもうひとつあげるなら、支援者としての読者である。


▽2 宸襟を安んじる高潔の士

ネット時代の現代なら印刷物は要らない。若い研究者や筆者をどんどん発掘し、テーマを与え、天皇学を深めていく。学問を磨き合い、深化させ、保守主義を鍛え直していくことが混迷する今日の皇室問題解決への道を切り開いていくことになると私は思う。

問題は資金である。どうしたって取材・研究費、原稿料が発生するからだ。といって、いまの商業雑誌の低い稿料程度では、筆者は間違いなく赤字になる。質の高い研究成果をあげることは不可能である。筆者が納得できる原稿料を支払うために、プロデューサーには資金集めの高度な能力が要件となる。

他方、資金を提供してくれる強力なサポーターも必要だ。口先だけの尊皇家ならもう見飽きた。ひと財産を擲ってでも、悠久なる皇室の歴史と伝統を守り、宸襟を安んじようと思う高潔の士は現れないものか。私などはすでにして家族以外に失うものはないのだが。


【関連記事】「皇統は男系に限る」と断言しつつ、根拠は神勅と歴史以外に見当たらない『帝室制度史』〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-05-10
【関連記事】意味論がすっぽりと欠けている──荷田在満『大嘗会便蒙』を読む 14〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-10-19
【関連記事】皇室問題正常化に必要な3つのこと──御代替わりのためのささやかな提案〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-03-18
【関連記事】「伝統」とは何かを、まず伝統主義者が理解すること──あらためて女性差別撤廃委員会騒動について〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-03-31
【関連記事】天皇学への課題 その7───身もだえる多神教文明の今後〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-19
【関連記事】天皇学への課題 その6───日本の聖地から特定宗教に成り下がった神社〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-04-05-1?1611482959
【関連記事】天皇学への課題 その5───神社に宗教性が希薄? おかしな上告理由〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-29-1
【関連記事】天皇学への課題 その4──他者の信教の自由を侵さない多神教文明〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-22-1
【関連記事】天皇学への課題 その3───空知太神社訴訟は裁判のやり直しを〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-16-1
【関連記事】天皇学への課題 その2 by 斎藤吉久───吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-09-1?1611481553
【関連記事】天皇学への課題〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2010-03-02-1
【関連記事】保守の再生のために大同団結を───起こるべくして起きた「天皇の政治利用」〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-12-28-1
【関連記事】沈黙した政治学者・橋川文三──知られざる「象徴天皇」論争 その3〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-09-15-1
【関連記事】真正面の論争を避けた橋川文三──知られざる「象徴天皇」論争 その2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-25-1?1611605306
【関連記事】知られざる「象徴天皇」論争 その1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-11-2
【関連記事】良質な皇室ジャーナリズムを育てる読者の見識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-10-07

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天皇学への課題 その6 by 斎藤吉久───日本の聖地から特定宗教に成り下がった神社 [天皇]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年4月5日)からの転載です


 お知らせです。

 4月17日(土)午後2時から、日本武道館で「外国人地方参政権に反対する1万名大会」が開かれますので、ご参加ください。

 前に書いたように、民主党の小沢幹事長は、永住外国人に地方参政権が与えられれば、日韓併合の歴史に起因するわだかまりも解け、帰化も促進され、共生の道が開かれる、と主張しています。しかし、話はまったく逆であって、以前から帰化は促進されています。法案は「わだかまり」を超えて帰化する人たちより、「わだかまり」をいだいて帰化したくない人たちを優遇するものです。矛盾しています。

 海外に子どもがいる在日外国人にまで支給するという「子ども手当て」も同様です。政策の優先順位が完全に誤っています。多くの国民が長引く経済不況で苦しんでいます。自国民の生活と暮らしを守ることを政府は最優先の課題にすべきです。

 「1万人大会」の詳細は国民フォーラムのブログをご覧ください。
http://k-forum.iza.ne.jp/blog/entry/1491835/

 さて、このところ当メルマガは空知太(そらちぶと)神社訴訟最高裁判決の批判をもっぱら書き続けています。それは日本の歴史と文明を揺るがしかねない、その根幹に関わる大問題だと考えるからです。

 判決後、全国紙がそろって社説に取り上げるほど、一時的にマスコミの話題になった違憲判決ですが、その後はすっかり忘れられています。先週の北海太郎さんのリポートにあったように、訴訟の舞台である北海道ですら、原告となったキリスト教勢力や革新勢力、被告とされた行政もみな沈黙しています。

 けれども、私はけっして黙過されるべきではない、静観していればすむというものではない、と考えています。


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天皇学への課題 その6 by 斎藤吉久
───日本の聖地から特定宗教に成り下がった神社
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▽1 パンドラの箱が開いた

 うわさによると、北海道のある町では、この訴訟に関連する質問を議会で行った革新系議員が議会質問のあと、各方面から手ひどいお叱りを受けたそうです。

 この町は大企業の組合活動が盛んな労働者の町です。私も朝の散歩で、「マル経」などといういまや死語に近い言葉が店舗の名前に使われているのを発見し、驚いたことがあります。そういう革新系の強い町ですら、地元の祭りが大切にされているのが北海道という土地柄です。

 戦後の国家管理の廃止で、全国各地の多くの神社が国有境内地の払い下げを受けたのに対して、この制度変革に洩れてしまった空知太神社と同様のケースが、北海道では数千にもおよびます。神社は地域共同体の心のよりどころと思えばこそでしょう。

 空知太神社の3000坪の旧境内地が市の学校用地拡張に提供されたのも、いまの境内地が公有地にあるのも、本州以南では失われかけている「ムラの鎮守」、共同体の聖地という考えが強く生きているからなのだと私は思います。ここでは神社はけっして特定集団の特定宗教ではないのです。

 とくに空知太神社は砂川市発祥の地の神社です。上川、十勝地方の開拓者たちは鉄道の終着駅があった同社に参拝し、成功を祈願したといいます。しかし原告らは、市に対して、無償で土地を提供することをやめ、神社施設・土地の明け渡しを請求すべきだと主張しています。そして最高裁は市の行為は違憲と判決しました。

 歴史の短い分、北海道の人々は村々の信仰の歴史をむしろ大切にしてきました。そのシンボルが公有地内にある神社であり、毎年行われる祭りです。しかしそのことの価値が理解できない人たちがいる。そして訴訟が起き、違憲判決が示されたのです。

 ハンドラの箱が開いたのです。


▽2 宣教師も布教の概念もない

 最高裁判決(多数意見)は、空知太神社の鳥居や祠が神社神道のための施設であり、行われている行事は宗教的行事だと理解しています。氏子集団が行う宗教的行為に、つまり特定の宗教に市が特別の便宜を与え、援助している。公機関と宗教との関わり合いが相当とされる限度を超えている。したがって憲法の政教分離原則に違反する、という論理です。

 しかし、空知太神社や同様に公有地内にある神社の存在やそのお祭りが、国民の信教の自由を制度的に保障するという憲法の政教分離原則の本質をおかしたといえるのかどうか。

 空知太神社には自然崇拝、伊勢信仰、産土(うぶすな)信仰が同居しています。特定の宗教というには多様な信仰が共存しています。しかも神社にはキリスト教のような宣教師もいないし、布教の概念すらありません。

 「あなたには私のほかに神があってはならない」と教える一神教信仰ならば、特定宗教への援助・助長・促進がただちに他の宗教への圧迫・干渉となり得ますが、日本の宗教伝統では必ずしもそうはなりません。

 先だって、ある宗教団体の広報誌のインタビューを受けました。会祖様が100年以上前に生誕になった聖地で、天皇の祈りを中心とする日本の多神教的・多宗教的文明についてお話しさせていただきました。

 私にとって興味深いのは、この宗教団体が「超宗派」をかかげていることでした。入会しても、それぞれの家の宗旨を変えたり、位牌(いはい)を改めたりする必要はない、と教えています。宗教の求めるところは究極において1つであるから、一宗一派の教義や形式にとらわれるべきではないという考えです。

 各人の信仰を大切にしたうえでの宗教的共存がこの団体の出発点なのです。


▽3 一神教化している日本人

 けれども、唯一神を信仰し、正義は1つであると考える一神教世界ではこうはいきません。

 以前、世界第二位のイスラム国家であるバングラデシュの孤児院に対する援助活動に関わっていたとき、入国に際してイミグレーションカードの宗教欄に記入を求められたのを思い出します。イスラム、ヒンドゥー、キリスト教などと記載があって、どれか1つを選ばなければなりません。自分の宗教を日ごろ自覚しない多くの日本人にとっては面食らってしまいます。

 バングラでは宗教が違えばコミュニティも異なり、日常あいさつの言葉も異なります。それぞれに孤児院がありますが、交流はありません。孤児支援という同じ目的を持ちながら、代表者が会うことも話をすることもないのです。ところが日本人が行って呼びかけると、彼らが違和感なく集まり、食事をともにすることができます。日本人の宗教的寛容性は、無節操というより、むしろ他に例のない長所です。

 しかしいまや日本人自身が、祖先たちから継承されてきた多神教的・多宗教的文明の価値を見失い、考え方において一神教化しています。空知太神社訴訟の原告しかり、被告とされた行政もしかり、司法の頂点に立つ最高裁判事も、判決を報道するマスコミも同様です。

 日本人の聖地であり、日本の多神教的、多宗教的文明のシンボルであったはずの神社がなぜ一神教と同レベルの特定集団の特定宗教と考えられるようになってしまったのか、を歴史的に見きわめつつ、多神教的・多宗教的文明の価値を再認識することがいま求められるのだと私は考えています。

 こうして空知太神社訴訟最高裁判決について延々と考察しているのも、佐藤雉鳴さんの連載「『教育勅語』異聞」を掲載しているのもそのためです。

 国民の信教の自由を確保しようとする政教分離訴訟によって、逆に、古来守られてきた多宗教共存の文明が破壊されようとしているのは、あまりにもバカげています。北海道民の心のなかに多神教的精神が生き続けていることが、残された救いです。

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1 天皇学への課題 その2 by 斎藤吉久───吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』を読む [天皇]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年3月9日)からの転載です


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1 天皇学への課題 その2 by 斎藤吉久
 ───吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』を読む
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 東大大学院の吉見教授が『天皇とアメリカ』という新著を出しました。オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス-スズキ教授とのあいだで行われた、5年にわたる対談を整理し、まとめたものです。

 吉見教授はもう20数年前になるでしょうか、万国博覧会を研究テーマに颯爽とアカデミズムの世界に登場し、一躍、時の人となりました。私も編集者として取材を試みた記憶があります。

 しかし今回の本は期待はずれでした。タイトルに引かれ、さっそくアマゾンで手に入れて読んだのですが、目新しい事実の発見もないし、分析の枠組みも古臭いという印象が否めません。


▽1 日韓両民族の融和のために

 たとえば、朝鮮神宮です。

 テッサ教授によるプロローグは、アメリカ人女性版画家バーサ・ラムが見た朝鮮神宮の体験記から始まります。テッサ教授は「この神社は植民地臣民に天皇への尊敬の念を植え付ける政策によって建てられた」と断定的に説明します。

 一方の吉見教授は、個人の歴史からこの神社に格別の思いがあるようです。エピローグには、家族の思い出とともに、「異国の神」の「支配」が、これまた断定的につづられています。

 私がこれまで指摘してきたように、そしてこのメルマガの読者ならすでにご存じのように、朝鮮神宮の創建は明治末に神道人の葦津耕次郎が初代韓国総監の伊藤博文に直接、建言したことに始まります。

 「陛下の思し召しである日韓両民族の融合親和のために、命がけで働いていただきたい。そのためには朝鮮2000万民族のあらゆる祖神を合祀する神社を建立し、あなたが祭主となって敬神崇祖の大道を教えなければならない」

 一介の野人が高位高官を前に一時間もまくし立てるのを、伊藤は座布団をはずして傾聴し、賛同し、実行を約束したといいます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1104ashizu.html

 ところが、いざ鎮座するというとき、祀られる祭神が天照大神と明治天皇であることが判明し、葦津耕次郎ら神道人たちが猛反対し、政府と鋭く対立します。ほかならぬ初代宮司高松四郎までが反対の建言書に署名したというのですから、まったく驚きです。


▽2 50年前の天皇論争から進歩がない

 つまり問題は、「文字通り暴力的に国家が侵入し、それとワンセットで神社が、建造物として入っていく」(吉見教授)という「日本のアジア侵略」の結果を解説するのでは、まったく不十分なのです。日韓民族の融和を念願する神社人によって構想が始まったのに、なぜほかならぬ神社人が猛反対するような支配のシンボルとなったのか、を事実に基づいて分析する必要があります。

 以前、当メルマガは、50年前に葦津珍彦と橋川文三とのあいだで行われた天皇論争を取り上げました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4573024/

 天皇制擁護の立場で書かれた葦津論文に対して、橋川は、(1)近代天皇制は悠久の天皇史とは異なる、明治時代にでっち上げられたものだ、(2)天皇制こそが海外侵略の血塗られた元凶(げんきょう)だ、という趣旨の批判を試みます。

 すると、とくに後者の批判に対して、葦津は、歴史のつまみ食いだと反論します。明治以来の国体思想家のなかにはアジア解放運動やロシア革命に身をささげた者もいる。韓国農民の指導者・李容九は「日韓合邦」推進者の内田良平と協力した。神道人の今泉定助らは朝鮮独立指導者の呂運亨を支援した。複雑な歴史を単純化して割り切ってしまっては科学にならない、というのです。

 在野の研究者の反論に対して、大学教授の橋川は沈黙するだけでした。

 この論争から半世紀が過ぎたというのに、吉見、テッサ両教授の対談には、学問的な進歩が何ら感じられません。知的停滞どころか、退行というべきでしょう。研究者としての知的怠慢でしょうか。


▽3 「伝統と近代」モデルでは説明不能

 もうひとつ指摘すると、この本の斬新さは、両教授によれば、日本の近現代史を検証するために「天皇」と「アメリカ」という2つの軸を提示したことにあります。「天皇」は伝統、宗教、土着文化、愛国心などを表象し、一方、アメリカは近代、合理主義、外来文化のシンボルです。

 しかし、この分析は成功していません。その理由は、両教授が提示した議論の枠組みが「伝統と近代」という一次元的な、昔ながらの手法と大差がないからです。例の西尾幹二名誉教授が東宮批判で犯した誤りと同じです。

 両教授がいみじくも指摘するように、逆に「天皇」は近代的であり、「アメリカ」は宗教的です。そんなことは何ら驚くべきことではありません。重要なのは、当メルマガの読者ならご存じのように、「天皇」の「宗教」と「アメリカ」の「宗教」が本質的に異なることです。前者は多神教であり、後者は一神教です。一神教文明と多神教文明の出会いと交流、衝突が日本の近代史の本質でしょう。

 図式化して考えてみます。「伝統と近代」モデルでは、次のようになります。

 [伝統]  ←→ [近代]
  日本      アメリカ
  天皇制     国民主権主義
  宗教       脱宗教
 植民地支配     解放独立


▽4 私が提示する二次元モデル

 しかしこの一次元モデルでは日本の近現代史を説明できません。次々に矛盾が吹き出し、いきおい都合の悪い史実から目を背けることになります。自然科学ならば原理や法則に合わない事実を探求するところに学問の進歩がありますが、図式通りの都合のいい歴史のつまみ食いでは、観念的な歴史論にとどまるのは必至です。

 私が拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』などで申し上げてきた分析の枠組みを図式化すれば、次のような二次元モデルになります。

      [多神教]
        ↑
   宮中祭祀 │ アジア解放運動
[伝統]←───┼───→[近代]
        │ 近代天皇制
        │ 植民地支配
        ↓
      [一神教]

 吉見教授らの新著は、天皇や神道を論じようとして、その多神教性、多宗教性が見えていない。天皇を中心とした多神教的文明が、身もだえしながら一神教文明を受容してきた過程が日本の近代であることが見えない。つまり多神教的天皇の文明と一神教的近代天皇制の相克が見えない。とすれば、当然ながら、新鮮味のない対談本を5年もかけて作ることになってしまいます。


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保守の再生のために大同団結を───起こるべくして起きた「天皇の政治利用」 [天皇]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年12月28日)からの転載です


 今年最後のメルマガです。
二重橋石橋.jpeg
 先日、時代の変化を予感させる出来事がありました。天皇特例会見の「政治利用」に抗議し、政府・与党の責任を追及する保守系団体の抗議集会が急遽、開かれ、皇居と国会のすぐそばにある会館に、じつに千人を超える人たちが馳せ参じたというのです。このうち国会議員はわずか20名に過ぎず、国民の批判がいかに高まったかが分かります。

 私が注目したいのは、民主党政権による特例会見設定の非ではありません。むしろ事件が日本人の天皇意識に火を付けたことです。日本人の聖なる感覚の頂点に位置するのが天皇です。日ごろは心の奥に隠れているけれども、危機のときには燃え上がります。日本人の天皇意識のたしかな存在を実感させる出来事でした。

 しかし問題はこれからです。選挙で多数派を形成すれば、天皇をも意のままにできるかのように増長した政府与党を糾弾し、退陣を迫るだけではすまないからです。

 肝心なのは、失墜した保守政治を本格的に再興することであり、そのためには少なくとも千年を超える天皇の文明的な価値を再確認し、保守の神髄を現代に蘇らせることだと思います。それには、保守派が糾合し、天皇論を学問的に深化させることが急務です。

 このメルマガはそのような思いを秘めながら、あまりにも誤解・曲解が多すぎる天皇・皇室論の現状を憂えて、おととしの秋にスタートしたのでした。おかげさまで今年1月、拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』を世に問うこともできました。しかし1人でできることには限界がある、とつくづく痛感します。皆さんの力が必要です。


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保守の再生のために大同団結を
───起こるべくして起きた「天皇の政治利用」
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▽危険なマニフェスト政治

 政権発足からわずか100日にして末期症状を示す鳩山内閣ですが、「宇宙人」首相は悪びれもせずに、こんどは「憲法改正」に意欲を示しています。「地方と国とのあり方を大逆転させる地域主権という意味の改正をしたい」というのです。むろん老朽化した憲法の改正は必要でしょう。しかし、思いつき程度のリップサービスは混乱を深めるだけです。

 国家の基本法である憲法の改正をいうなら、その中心は間違いなく、国家と文明の根幹に関わる天皇の法的位置づけのはずで、特例会見の政治的ゴリ押しで馬脚をあらわした、いまの民主党には託しようがありません。

 マニフェスト選挙に大勝利した有権者の圧倒的支持を背景にして、選挙公約を実現するという現政権の政治手法は間違いではありません。けれども、肝心のマニフェストの中身がいかに底の浅いものだったか、普天間基地移転問題の大混乱からすでに明らかです。

「政治家主導の政治」で「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直す」のはけっこうですが、言葉が空回りしています。国家百年の計が求められているのに、チラシ広告のような見せかけだけで、所詮は目先の票目当てだったのか、という失望感を深めています。小沢幹事長が見せた、天皇の国事行為と公的行為との混同などは、為政者として天皇を語る資格性を疑わせます。民主党のマニフェスト政治はきわめて危険です。官僚依存政治の方がまだましです。


▽保守政治家たちの不作為

 けれども一方、政府の責任を追及する保守陣営も、事情は変わらないように見えます。

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、歴代天皇が第一のお務めとしてきた宮中祭祀は、いまや「皇室の私事」という占領時代そのままの解釈に先祖返りしています。戦後の正常化への努力は最初の20年で頓挫(とんざ)しています。その核心は憲法の解釈・運用で、問題を放置してきた為政者たちの怠慢といわざるを得ません。

 先日、自民党が天皇特例会見を検証しようと特命委員会を設け、皇室制度史や憲法学の研究者を招きました。勉強は必要ですが、いかにも泥縄です。保守政治家が深い天皇観を持っていれば、いまさら研究者に教えを請う必要はないのです。皇室制度や憲法学というジャンルを選んだのもあまりにも常識的、近視眼的で、これまでの不作為がかえってあぶり出された感が否めません。

 保守政治家は、永田町で起きた「天皇の政治利用」には激しく反応しています。けれども、陛下の直近で起きている宮中祭祀の空洞化は見えないようです。

「天皇の政治利用」について懸念を表明した宮内庁長官こそ、昭和の先例を盾にした平成の祭祀簡略化の張本人です。宮内庁こそ、誤った憲法解釈で、天皇を占領下の地位に逆戻りさせているのです。宮中と府中は異なるのであって、長官支持、宮内庁支持は必ずしも皇室擁護とはなりません。宮内庁の改革が必要です。


▽沈黙する祭祀関係者

 ついでにいえば、陛下に近侍する官僚たちの事なかれ主義には辟易(へきえき)します。

 昭和の祭祀簡略化は昭和40年代に始まりましたが、表沙汰になったのは10年以上も過ぎた50年代の後半です。祭祀に携わる官僚たちが口をつぐんできたからです。

 昭和天皇の側近の日記には新嘗祭の「夕(よい)の儀」が終わったあと、午後9時ごろに関係者が「こっそり」と家路についた、と記録されています。やましさがあるからです。本来ならひきつづき「暁の儀」が行われ、翌日の午前1時までかかりますから、9時で帰れるはずはないのです。

 簡略化の現実を問題提起した勇気ある宮内庁職員は、懲罰的に、閑職に追いやられました。陰湿な見せしめです。祭祀嫌いから天皇の祭祀の空洞化に熱中した入江相政侍従長の日記は、この職員を「ウルトラシントイズム」と吐き捨てています。

 沈黙はいまも続いています。昭和の簡略化を知る関係者も、今年開始された平成の簡略化に手を染める官僚たちも、です。

 昨年11月25日のメルマガで、私は「もしかすると、今年(20年)の新嘗祭が最後の親祭となるかも知れない」と書きましたが、まことに残念なことに、予想は現実となりました。

 今年21年の新嘗祭では、「暁の儀」に陛下は最初の30分だけお出ましになり、親祭になったと伝えられます。祭祀簡略化がけっしてご負担軽減にはならないのに、疑問を感じる関係者はいないのでしょうか。いわゆる雅子妃問題なら、これでもか、と情報が漏れるのに、です。


▽天皇理論の深化と制度化

 驚くべきことには、昭和の祭祀簡略化に「憂念禁じがたい」と強く反発し、宮内庁に質問書を送りつけるなど猛抗議した尊皇家たちでさえ、いまは声を潜めています。40年前の強硬姿勢は格好つけではなかったはずなのに、です。

 ご即位20年、ご結婚50年というこの上ないお祝いの年に、昭和の先例を盾に、ご負担軽減と称して進められる平成の祭祀簡略化の悪夢は、これから10年以上の時を経なければ表面化しないのでしょうか。いくらなんでも、それでは遅すぎます。

 権力の中枢にいる者たちが無為無策を続けるなか、天皇の無私なる祈りによって社会の安定は保たれてきた。保守政治家たちはそれに安住し、惰眠(だみん)をむさぼっている。しかしそれですむはずがありません。まさに「天皇の政治利用」は起こるべくして起きたのです。

 本格的な保守の再生が急務のいま、天皇・皇室論の現代的深化こそが求められています。日本の天皇はすぐれて総合的、文明論的ですから、総合的学としての天皇学が必要です。天皇の文明を多角的な視点で謙虚に学び直し、制度化し、政策に反映させていく思索と実践が求められています。

 そのためには日本人が得意とする個人芸では不十分であって、保守派の研究者、言論人の大同団結が求められます。目下、女性天皇・女系継承の認否などをめぐって、内部対立を先鋭化させている日本の保守派は糾合しなければなりません。いかにも日本人的な感情対立を超える、天皇理論の追究が必要だ、と私は考えています。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。


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