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粟菓子ではなかった銘菓「粟津の里」から皇統論の混乱を憂う [天皇・皇室]

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粟菓子ではなかった銘菓「粟津の里」から皇統論の混乱を憂う
(令和4年1月13日、木曜日)
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粟津の里.jpeg
滋賀県大津市膳所(ぜぜ)の菓子司・亀屋廣房の銘菓「粟津の里」を美味しくいただいた。手に取るとじつに軽い。口に含むとサクッとした口当たりのあと、しっとりとした味わいが続く。半生の食感を楽しみながら、古代に思いを馳せ、そして皇統の行く末を思った。

なぜ粟のお菓子から皇統を思うのか?

そもそも「膳所」はなかなか読めない。文武両道の名門・県立膳所高校の名声で、私などはその地名と読みを知った。


▽1 日吉大社の粟飯

「膳所」の由来は古代の物語にある。「粟津の里」の菓子折りに入っている説明書きには、次のように書かれてある。

「粟津御供の由来は、天智天皇白鳳2年、日枝山王の神供に始まり、続いて6年、大津宮の大膳に進ぜられたに始まると伝えられ…」

以前、書いたことだが、大津に鎮座する古社・日吉大社で、中心をなすのは西本宮(大宮)と東本宮(二宮)である。西本宮は、天智天皇が667年に都を近江大津京に遷されたおり、大和国の三輪山から大己貴神を勧請されたと伝えられる。年に一度の山王祭には「粟津の御供」が琵琶湖の湖上で献納される。

社伝によれば、その昔、大己貴神に膳所の漁師が舟の上で粟飯を差し出すと、大神はことのほか喜ばれ、「年に一度、粟飯が食べたい」と仰せになったという。この故事が粟津御供の始まりといわれる。いまも膳所の5社の神社の氏子から、一年ごとの輪番で、粟飯が供せられる。

膳所は神への、そして天皇への台所なのであった。

地図を広げてみると、膳所の南東に粟津という地名もある。かつてはこの地域に粟が栽培され、食されていたのではなかろうか。膳所の和菓子もその長い歴史に裏付けられ、「千二百余年の古香を偲び、神供大膳の古式に則り、創製す」と説明される。

「粟津の里」というからには粟が原材料なのだろうと勝手に解釈して、Yahoo!で取り寄せてみたのだった。そして、みごとに一杯食わされた。食品表示によると、原材料は「国産みじん粉」、つまり米である。私は思わず天を仰いだ。「大膳の古式」に「原料粟」と記録されているということだろうか。素直には信じられない。


▽2 なぜ米と粟なのか

なぜ私が粟に関心を抱くかといえば、天皇の祭祀と深く関わるからである。大嘗祭、新嘗祭で、天皇が皇祖神ほか天神地祇に捧げ、神人共食されるのは米と粟である。なぜ米と粟なのか。それは天皇の役割と深く関わっているだろう。多様性の統一である。

多様性(diversity)は現代のキーワードであるが、日本ではすでに古代から強く意識されていたに違いない。古代律令に「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」とあるのはその証明である。なぜか?

天皇が天照大神の子孫であり、天孫降臨で稲穂を授けられたという神話に基づくのなら、天皇は賢所で皇祖神を祀り、稲穂を捧げて祈れば十分である。実際、宮中三殿の新嘗祭は神饌は米のみである。ところが、大嘗宮の大嘗祭、神嘉殿の新嘗祭は皇祖神のほか天神地祇が祀られ、米と粟が捧げられる。皇室第一の重儀は米と粟なのである。

つまり、天皇はなぜ天神地祇を祀るのか、である。天神地祇を祀るから、粟もささげられるのである。

神社祭祀なら、血縁共同体や地縁共同体が前提だから、稲作地帯なら稲の神に米が捧げられ、畑作地帯なら畑の神に畑のものが捧げられるだろう。稲の神も畑の神も同時に祀り、稲も畑作物も同時に捧げることはないと思う。

天皇のみが天神地祇を祀り、米と粟を捧げて祈るのである。それはなぜなのか。私は民俗学者の野本寛一先生以外に、見極めようとする知識人に出会ったことがない。現代の日本人は米よりもパンを食べているから、粟などは関心の外なのであろう。知識人の問題意識も大差はない。だから、「新嘗祭は稲の祭り」と神道学者までが信じ込んでいる。

なぜ米と粟なのか。野本先生は私の疑問に対して、「天神地祇に米と粟をささげる新嘗祭、大嘗祭の儀礼は、米の民である稲作民と粟の民である畑作民をひとつに統合する象徴的儀礼として理解できるのではないか」と即座に答えられた。さすがだと思う。


▽3 天皇観の違い

つまり、天皇=スメラミコトだからだろう。稲作民や畑作民の共同体から超然とした立場にあって、すべての民をひとつにまとめ上げることを第一の務めとされてきたからであろう。だから稲作民、畑作民すべての神を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて祈るのである。多神教的多様性の統一である。

すべての民のために祈る、つまり天皇に私なし、ということが私たちにはなかなか分かりづらいかも知れない。だから、米と粟の祭祀にも関心が及ばないのかも知れない。

大学のサークルの大先輩だった佐々淳行は『東大落城』に、安田講堂に籠城する学生たちが排除されたあとの逸話を記録している。報告のため参内した秦野章警視総監に、昭和天皇は「双方に死者はなかったか?」と下問され、秦野が「ありません」と答えると「それは何よりだった」と安堵されたが、秦野は怪訝そうな表情のままだったというのである。

天皇はすべての民を統合する超然たるお立場にある。だから過激派の学生と警察との攻防もまるで兄弟喧嘩のように見えるということになる。それが秦野には理解できないのだった。天皇観の違いである。

秦野だけではない。いつだったか、講演の聴衆者から「宮中祭祀にカトリックの信徒が携わっている」ことへの疑問と怒りが呈された。異教徒が天皇の祭祀に関わるのはけしからん。神道人でなければならぬ、ということだろう。ごく最近では、左翼学者が宮内庁参与に加わっているのは許せない、と保守派で、男系派の大学教授がTwitterで息巻いていた。

つまり、天皇のおそばにお仕えするのは保守派、民族派でなければならないという固い信念の表明である。それはそれで立派で、賞賛に値するのだが、天皇は保守派だけの天皇ではないことを忘れているようなことはないだろうか。

天皇は古来、皇祖神のみならず天神地祇を祀り、稲作民の米と畑作民の粟を捧げて、「国中平らかに安らけく」と祈られる。その意味や理由を考えないなら、天皇は保守と革新の抜き差しがたい政治闘争の只中に置かれることになる。

男系派はむしろ皇位の男系継承主義の理由と意味を説明すべきなのである。そうしないで、祭祀に関心も持たずに、安易にY染色体論を振り回す。原因と結果を取り違える因果の逆転は根拠の説明になっていないことに早く気づいてほしいものである。


▽4 「根拠がない」はずはない

それかあらぬか、女系継承容認派の論客・毎日新聞の伊藤智永編集委員兼論説委員などは、「男系男子論は『ほとんどずっとそうだった』以外に根拠がない」(「天皇のいない国になると」1月8日)と吐き捨てている。

しかしこれもおかしい。「どこにも根拠がない」のではなくて、正確には、「伊藤記者自身は根拠を見出せなかった」という、要するに勉強不足、取材不足ではないのか。千年以上もの間、皇統が男系継承で続いてきたことについて、歴史と伝統以外に、理由や根拠がないなどということが、あり得るだろうか。常識的に考えれば分かるだろう。

伊藤氏が一押しする16年前の皇室典範有識者会議では、「なぜ皇位継承は男系でなければならないのか、を説明した歴史的文書などは見あたらない」と事務局が説明したと伝えられる。当たり前に続いてきた男系継承を合理的に説明することなどありはしない。だからといって、男系継承に根拠がないとするのは論理の飛躍そのものである。

皇室典範有識者会議は皇室の天皇観については検討していないから、皇室の男系継承主義の根拠を見出すことは不可能である。有識者会議の限界を伊藤氏は直視すべきだ。皇室の天皇観では天皇=祭り主である。とすれば、男系主義の根拠は天皇の祭祀にこそ見出されるに違いない。伊藤氏は天皇の祭祀について謙虚に学び直し、読者に問いかけてほしい。

男系派も女系派も、アカデミズムもジャーナリズムも、不勉強というほかはないのではないか。そして、政府・宮内庁は126代皇統の安定化ではなく、2.5代象徴天皇制の安定化のため暴走し続けている。つくづく世も末だと思う。

最後に蛇足だが、「粟津の里」の亀屋廣房にお願いしたい。粟津御供の故事がモチーフなら、ぜひとも粟を原料に作ってほしい。そうでなければならないと思う。


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令和3年下半期のアクセスランキングTOP10 [斎藤吉久]


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令和3年下半期のアクセスランキングTOP10
(令和3年12月31日、大晦日)
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「斎藤吉久のブログ」令和3年下半期のアクセスランキングTOP10は以下の通りです。
今年も1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。


1位 君塚直隆先生、126代続く天皇とは何ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-27〉 

2位 半井小絵先生、和気清麻呂のご子孫とは知りませんでした──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-11〉 

3位 皇室伝統の皇位継承法に従うことが「宗教派」なのか──日経編集委員の解説を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-15〉 

4位 かつて安倍官房長官と対決した高市早苗・前総務大臣のいたってまともな皇位継承論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-28〉 

5位 大石眞先生、男系の絶えない制度をなぜ考えないのですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-13〉 

6位 百地章先生、結局、男系継承の理由は何ですか?──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-20〉 

7位 岡部喜代子先生「女帝は認めるが女系は認めない」現実論の前提を疑う──5月10日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-06〉 

8位 皇室の品位は何処へ──内親王殿下「駆け落ち婚」を黙過する現代宮内官僚たちの憲法観〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-09-05〉 

9位 綿谷りさ先生、天皇の役割とは何でしょうか?──6月7日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-01〉 

10位 曽根香奈子先生、さすがの見識と学びですね──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-07-04〉 


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先帝陛下「米寿」のお誕生日に、将来の皇位継承を思う [皇位継承]


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先帝陛下「米寿」のお誕生日に、将来の皇位継承を思う
(令和3年12月23日、木曜日)
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先帝陛下は今日、88歳の米寿をお迎えになった。歴代最高齢である。心からお祝い申し上げたいが、惜しむらくは、在位のまま迎えていただけなかったことである。

これまでの経緯を簡単に振り返ると、先帝が「私は譲位すべきだと思っている」と参与会議で仰せになったのは、平成22年7月と伝えられる。6年後、28年7月のNHKのスクープに端を発して、「生前退位」なる奇妙な新語がメディアを席捲するようになった。

翌月にビデオメッセージで「お気持ち」が表明されると、あれよあれよという間に「退位」特措法が作られ、御代替わりを迎えることとなったのである。

特措法の採決時には「政府は女性宮家の創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族減少の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する」との附帯決議が行われ、その結果、今回の有識者会議が設けられたのだった。

今年3月から13回の会合を経て、昨日、報告書がまとめられ、岸田首相に提出された。官邸のサイトに載る報告文によると、「附帯決議」とは大きな変化が見受けられる。「附帯決議」に関する有識者会議なのに、報告書には「附帯決議」にある「女性宮家の創設」が見当たらない。この変化は何によるものなのか。


▽1 皇位継承策の脱落

すでに7月の会議資料では「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」「当面は皇族数の確保を図ることが喫緊の課題ではないか」と報告書の内容が先取りされていた。

また、前回、12月6日の会合に配られた「報告書骨子案」では、「皇位継承のあり方」が脱落し、「皇族数の確保」に焦点が絞られていた。

そして今回、報道でも指摘されているように、「皇位継承策については示さず」(朝日新聞)とされたのである。岸田総理は「大変バランスの取れた議論」と評価したが、女系継承容認派には「結論の先送り」と受け止められることだろう。

とにもかくにも、女性天皇・女系継承容認にブレーキがかかったことは、伝統派から見れば一定の評価はできるということになる。

平成17年11月に皇室典範有識者会議が「皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要」「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」(結び)と明記する報告書をとりまとめたときとは隔世の感がある。

今回の報告書は関係各位の尽力の結果であり、その労を多としたいが、糠喜びは禁物だろう。女系派の巻き返しがあることは目に見えているからだ。


▽2 説明されざる「ありがたさ」

ところで、これに関連して、先日、私も参加したチャンネル桜の討論会で、外交評論家の加瀬英明先生が「皇室をいただくありがたさ」を何度も繰り返されたのが印象に残っている。そのことについて蛇足ながら書いておきたい。

討論会の出席者は男系派ばかりだから、「ありがたさ」を疑問に思うなどということはまずない。しかし一般論として、「ありがたさ」が情緒的にではなくて、理性的に、科学的に自覚できる日本人はどれほどいるのだろうか。

「天皇陛下、万歳」と三唱する光景は、戦後はほとんど見かけなくなった。忌まわしい戦前・戦中の記憶と戦後の民主教育の結果、忌避する人たちは相当数いるに違いない。そんな人たちにとっては「ありがたさ」はあり得ないかも知れない。

それでも「ありがたさ」をいうのであれば、その意味が誰にでも分かるように合理的に説明されなければならない。保守派にはその責任があるのではないか。説明責任が十分に果たされていないことが、皇位継承問題をめぐる今日の混乱の大きな原因だと私は思う。

いみじくも政府は、皇室の「ありがたさ」が安定的に継続されることを目的として、皇室典範有識者会議などを設置してきたのではない。あくまで憲法に定められた「象徴」天皇、すなわち「国事行為」をなさる特別公務員の安定継承が目的なのであった。

他方、国民は「象徴」天皇に「ありがたさ」を感じるのではない。有識者会議での議論とはそもそも次元が異なるのである。そして、「ありがたさ」の理由は皇位の男系継承主義の理由とも通じているはずだ。けれども、いずれの理由もいまだ説明されずにいる。

となると、皇位の男系継承は将来も守られていくのだろうか。

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愛子内親王殿下が二十歳に──朝日新聞「耕論」いつもの人のいつもの皇位継承論 [愛子内親王]

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愛子内親王殿下が二十歳に──朝日新聞「耕論」いつもの人のいつもの皇位継承論
(令和3年12月12日、日曜日)
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愛子内親王殿下が先々週1日、二十歳になられたのを、朝日新聞デジタルの「耕論」が取り上げ、3人の識者に意見を語らせています。テーマはむろん皇位継承論ですが、人選といい、論調といい、いかにも朝日らしさというべきものが滲み出ています。


▽1 小宮山洋子さん、男系が絶えない制度を考えて

1人目は、ジャーナリストの小宮山洋子さんです。「若い皇族、人生選べる道を」の見出しが付いています。小宮山さんは以前、少子化対策担当大臣でもありました。

小宮山さんは、「天皇制は存続すべきだろう」と考えています。だからこそ、「女性・女系天皇を認めることが不可欠」と訴えています。日本は「超少子化」に直面しており、皇族も例外ではないのだから、「継承権を男女に開くしかない」というわけです。現実論です。

一方で、小宮山さんは、「天皇になることは愛子さまにとって幸せなのか」と問いかけます。「継承者が少ないほど、人権軽視の状況は時の経過とともに強まる」とも主張しています。「このままでは、愛子さまはいずれ皇室を離れることになるのか、または皇位継承を急に求められることもありうるのか、自分の人生を見通すこともできない」と訴えています。

小宮山さんは、東日本大震災のとき、「今の上皇ご夫妻からお見舞いを受けた被災者の笑顔を間近で目にして、皇室が多くの国民の『支え』となっていると感じた」そうですが、そうした天皇のあり方は、何に由来するのでしょう。

天皇が公正かつ無私なる祭り主として、男系によって継承されてきたことと結びついているのではないのでしょうか。小宮山さんは「国中平らかに安らけく」と祈る天皇の祭祀についてお考えになったことはおありですか。

また、皇室には、皇祖神からこの国の統治を委任されたとする皇室の物語が伝えられ、皇位が継承されてきた歴史を重視するのなら、「人権」思想を持ち込むのは適切ではありません。国民の側から、皇位継承のルールの変更を求めるべきでもありません。むしろ男系が絶えない継承制度のために知恵を絞るべきではありませんか。


▽2 横田耕一さん、1から議論するというのなら

2番目は憲法学者の横田耕一さん(九州大学名誉教授)です。記事には、「男系男子のみ、制約は違憲」の目出しが付いています。

横田さんの主張は、あいも変わらずというものです。憲法は男女平等を定め、法の下の平等を謳っている。憲法2条の「世襲」は矛盾であり、皇位を「男系男子」に限る皇室典範は憲法違反だと訴えています。

しかし、憲法学者の小嶋和司・東北大学名誉教授(故人)が指摘したように、天皇という制度を憲法に規定することは、国民の法の下の平等とは別のはずです。法の下の平等をどこまでも主張するなら、天皇の存在もまた否定されなければなりません。

横田さんは「戦前と戦後では天皇の制度が根本的に変わったにもかかわらず、実際には戦前の皇室イメージがそのまま戦後社会に流れ込んでいる」と指摘しますが、戦前と戦後の対比ではなく、天皇とは歴史的な存在として理解されるべきではないでしょうか。

横田さんは「身分を離脱する自由」にも言及していますが、既述したように、天皇統治は皇祖神の委任によるものであり、皇位は皇祖神の神意に基づくというのが、皇室の天皇観です。「天皇と皇族に何を求め、天皇制をどう考えるかを、存否を含めて一から議論すべきだ」というのなら、皇祖神の委任に遡って議論すべきではないでしょうか。

横田さんは、「天皇に代わる統合の軸を日本国民は確立した方がいい」と仰せですが、そのようなものはあり得ません。とすれば、男系継承維持の制度こそ確立した方がいいのではありませんか。


▽3 水島治郎さん、時代に合わせて変化した?

最後は、政治学者の水島治郎さん(千葉大学教授)です。見出しは「欧州王室『多様性』に対応」です。

ヨーロッパ政治がご専門の水島さんは、オランダの最新情報から説き起こしています。同国には「愛子さまと同世代の王女がいる。いずれ女王になる予定のアマリア王女である」「オランダ首相は先日、『もし王女が同性婚を望む場合も王位継承権を放棄する必要はない』と表明した」というわけです。

水島さんは「王室存続と人権の議論がここまで来ているのかと感じた」というのですが、王位継承論と人権問題という捉え方は適切でしょうか。

水島さんによると、欧州では、人権が保障された民主主義国家に君主制が残っている。それは、「君主制が民主主義と適合的だからではなく、時代に合わせてうまく変化してきたから残ったのだ」と解釈しています。

「欧州王室が21世紀に直面しているのが、ジェンダー平等など『多様性』を求める要請だ。欧州王室はこの波にも対応しつつある」と水島さんの解説は続きます。「皇位継承者を『男系男子』に限定している日本の象徴天皇制のあり方とは対照的だ」というわけです。

水島さんは「欧州王室」と一括りにされますが、けっして一様ではありません。君主制と民主制の対比も的確とはいえないでしょう。なぜなら、とくに北欧で20世紀後半に女子の継承が認められたのは、民主主義の成熟のほかに、国民が王位継承者を決める「選挙君主制」の伝統が底流にあるからです。時代に合わせて変化したのではなく、伝統に従ったのです。


▽4 朝日新聞の編集者さま、もっと多様な意見を取り上げて

水島さんの意見は「多様性」をキーワードにし、だから欧州に倣い、「男系男子」継承を改めるべきだと訴えるのですが、日本の皇室こそ「多様性」の元祖ではないのですか。

ヨーロッパ王室では戴冠式などは一神教の儀礼に基づき行われますが、天皇の祭りは皇祖神ほか天神地祇を祀り、多神教儀礼によって行われます。人々の異なる信仰と暮らし、社会の多様性、価値多元主義が前提なのです。

さて、最後に朝日新聞「耕論」担当の編集者にお願いです。「おりおり論争になっているテーマを取り上げ、複数の識者の意見や対談を紹介する」ことが「耕論」の企画の趣旨であるならば、もっと多様な意見を取り上げていただきたいものです。いつもの人にいつもの話を語らせていては「耕論」とはならないでしょう。


【関連記事】「男系男子」継承の理由が説明されない。だからアメリカ人にも理解されない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-11-14
【関連記事】河野太郎・総裁候補の非「保守」的皇位継承論──天皇を論ずる資格がない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-09-12
【関連記事】かつて安倍官房長官と対決した高市早苗・前総務大臣のいたってまともな皇位継承論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-08-28
【関連記事】君塚直隆先生、126代続く天皇とは何ですか?──5月31日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-06-27
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【関連記事】今谷明先生、なぜ男系の絶えない制度を考えないのですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 1〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-05-16
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【関連記事】新田均先生、「伝統」だけで女系派を納得させられますか──有識者ヒアリングのレジュメを読む 2〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2021-04-18
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「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う [眞子内親王]


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「類例なき」内親王殿下御結婚は「合法」だったのか──皇太弟殿下会見の「慣習」発言を疑う
(令和3年12月1日、水曜日)
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皇太弟殿下は昨日、56歳のお誕生日をお迎えになった。先月25日に行われた宮内記者会の会見では、お祝いどころか、第一問から眞子内親王殿下の御結婚に関する厳しい質疑が根掘り葉掘り加えられた。だがしかし、宮内庁に矢面が向けられることはなかった。

内親王殿下の御結婚は儀式が行われず、一時金の支給もなかった。御結婚当日には皇太弟殿下は妃殿下と連名で、「(結婚の公表以来、予期せぬ出来事が起こり)皇室への影響も少なからずありました」「皇室としては類例を見ない結婚となりました」などと綴られた「感想」を発表されていた。

記者会はまず、この「皇室への影響」の中身を問いかけた。これに対して殿下は、2点について答えられた。1点は、天皇・皇族方の発言などを誤り伝えるメディア報道についてで、報道が誤りであるなら、それは至極当然のことであった。

私が気になったのは2点目である。殿下は、「普通であれば行われている三つの行事、納采の儀と告期の儀と入第の儀を行わなかったこと」と述べられた。

さらに、「私の判断で行わなかった」「元々は皇室親族令にあるもので、今はもう皇室令はないので、絶対にしなければいけないというものではない」「慣習的に行われているもので、私は本来であれば行うのが適当であると考えている」「行わなかったそのことによって皇室の行事、儀式というものが非常に軽いものだという印象を与えたということが考えられる」と続けられた。

私が気になるというのは、儀式を行わないという殿下のご判断の根拠が、かつての皇室令は廃止され、慣習として受け継がれている、だから必ずしも法的義務はないという法解釈にあるとすると、厄介なことになりそうだと思ったからである。


▽1 皇室親族令の廃止と依命通牒の通達

皇室の婚姻について定めた、戦前の皇室親族令(明治43年)が、昭和22年5月3日の日本国憲法の施行に伴って廃止されたことは、歴史の事実である。

しかし案外、知られていないことだが、同日、宮内府長官官房文書課長名による依命通牒が発せられ、第三項「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること」によって、皇室親族令の中身はいまなお生きていると考えられる。戦後75年、いまだ「新しい規定」はないからである。

平成3年4月25日の参院内閣委員会で、宮尾盤宮内庁次長は「(依命通牒の)廃止の手続はとっておりません」と明白に答弁しており、法的効力はいまもあるとみるべきだ。皇室令の法的効力は失われたが、依命通牒の法的効力は失われていない。とすると、「慣習的に行われている」では済まないのではないか。法は守られなければならない。

殿下は、納采の儀と告期の儀と入第の儀の「三つの行事」を行わなかったと仰せだが、正確にいえば、皇室親族令附式に規定された、内親王が臣籍に嫁する場合における式には、(1)納采の儀、(2)告期の儀、(3)賢所皇霊殿神殿に謁するの儀、(4)参内朝見の儀、(5)皇太后に朝見の儀、(6)内親王入第の儀、の6つがある。

このうち「三つの行事」以外は行われたという意味なのだろうが、中味も順序も「慣習」に従っていない。たとえば、三殿に謁するの儀は洋装で、庭上から「私的」に行われた。また、本来は予定されないはずの先帝先后の山陵に謁するの儀は、諸儀礼に先立って行われた。だからこそ「類例をみない」のである。

皇室親族令は確かに廃止された。しかし依命通牒第三項によって附式は生きているとすると、附式の定めに従わない、したがって合法性が疑われる眞子内親王の御結婚は、皇室行事の「軽さ」に「影響」したどころではなく、皇室の遵法精神が疑われる事態を招いたのではないかと危惧される。

殿下は関連質問でも、小室氏の文書を読んだうえで、「殿下の判断」で、3つの儀式を行わないこととしたと述べられたが、そうなるとますます殿下ご自身の法的責任が問われかねない。これはじつに厄介である。


▽2 「従前の例によれない」という判断

問題は宮内庁の立場である。「皇族に関すること」「儀式に関すること」(宮内庁法第2条)を所掌事務とする宮内庁がどのようにサポートしたのかである。

まず依命通牒だが、平成3年の国会答弁で宮尾次長は、「宮内府内部における当面の事務処理についてのいわゆる考え方を示したものでありまして、これは法律あるいは政令、規則というようなものではございません」と答えている。内部文書だから依命通牒には法的効力はない。したがって、附式の中身は「慣習」に過ぎない、という意味らしい。

この解釈は殿下の説明を端的に後押ししているが、宮内府長官官房文書課から各部局長官に対して通達された依命通牒は、「内部文書」とみなすべきなのかどうか。

注目されるのは、同じ日に、同じ委員会で、宮尾答弁に続いて行われた秋山收内閣法制局第二部長の答弁である。

秋山氏は「通牒は三項、四項をあわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨である」と答えている。第四項には「前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を處理すること」とある。

つまり、皇室親族令は廃止された以上、法的効力は認められない。「従前の例」に従えないなら、「当分の内の案」を側近が皇太弟殿下にお伺いを立て、「殿下が判断」されたということになるだろうか。

だとして、「従前の例によれない」と判断した根拠は何か。誰の判断なのか、殿下だけの判断なのか、が問題となる。


▽3 皇室の歴史と伝統をねじ曲げた宮内庁

依命通牒が重要なのは、戦後の宮中祭祀継続の法的根拠とされたからである。皇室祭祀令は廃止されたが、依命通牒第三項によって附式は踏襲されてきた。そして天皇の祭祀は占領期も、社会党政権下でも、続いてきた。

ところが、昭和50年9月1日をもって祭祀は改変され、簡略化の一途をたどった。主導したのは祭祀嫌いの入江相政侍従長と無神論者を自認した富田朝彦宮内庁長官であった。祭りをなさることが天皇第一のおつとめと考える伝統的天皇観を、側近中の側近が毛嫌いし、拒否し、法的に失墜させたのだった。

その根拠として使われたのが依命通牒第四項であった。「従前の例によれない」と判断することになった根拠は、宮中祭祀改変の場合は、憲法の「政教分離」原則だった。そして伝統的「祭り主」天皇は憲法的「象徴」天皇に鞍替えさせられたのである。

しかし、このときどのような議論が宮内庁内で行われたのかは、戦後史の謎である。

今回のきわめて異例な御結婚の背後には、昭和の祭祀改変と同様の法的論理が影を落としている。皇室令を「慣習」と切って捨て、皇室の歴史と伝統は守られなかった。殿下にとって苦渋の選択だったことは重々、承知しているが、殿下だけの判断ではあり得ない。賢い宮内官僚たちは陰に隠れたままである。

今回の御結婚について、宮内庁は十分な身辺調査を怠った。その責任について側近は誰ひとり言及していない。しかも、実際の婚姻について、簡単に法的ルールを変え、歴史と伝統をねじ曲げた。形式がたやすく変えられるということになると、古来、儀式中心の世界である「皇室への影響」は計り知れないことになる。何でもありになり得る。

側近たちは殿下にどのような助言を申し上げたのか、それともしなかったのか。宮内庁はダンマリを決め込んでいる。その結果、「殿下の判断」ばかりがクローズアップされている。藩屏なき皇室、ここに極まれりである。


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《再掲》「米と粟の祭り」──多様なる国民を統合する新嘗祭 [宮中祭祀]


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《再掲》「米と粟の祭り」──多様なる国民を統合する新嘗祭
(令和3年11月23日、勤労感謝の日)
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本日夕刻から、陛下は宮中の奥深い神域・神嘉殿で、皇祖神ほか天神地祇を祀り、新穀を供し、みずから食される新嘗祭を親祭されます。陛下がなさる新嘗祭とはいかなる祭りなのか、以下、斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2007年11月20日号)号から転載・再掲します。


▽1 見落とされている粟の存在

毎年11月23日の夜に宮中で行なわれる新嘗祭、あるいは天皇が天皇となって初めて行なう大嘗祭という神事で、天皇がみずから神々にささげ、そのあとご自身で召し上がるのは、一般には米の新穀といわれています。しかし、じつはそうではなく、米と粟の二種類の穀物の新穀であり、米だけではありません。

にもかかわらず、大嘗祭も新嘗祭も一般には「稲の祭り」といわれ、大嘗祭に用いる米を納めるために選ばれる農家は「大田主」と呼ばれ、重んじられるのに、粟を納める農家は「大田主」とは呼ばれません。実際の神事において、どちらが重要というわけではないようですが、粟の存在はしばしば見落とされています。

研究者も稲にばかり注目し、なぜ米といっしょに粟が捧げられるのか、ほとんど研究らしいものが見当たりませんが、奈良・平安のころ、民間には粟の新穀を神々に捧げる祭りが行なわれていたのは事実のようです。古い書物にそのような記録があるからです。


▽2 かつては粟の新嘗があった?

各地方の情報を集めた書物を地誌といい、日本最初の地誌として奈良時代に元明天皇の命でまとめられた風土記が知られています。その中で現在の茨城県について伝えている「常陸国風土記」に、母神が子供の神々を訪ね歩く筑波郡の物語が載っていて、「新粟の新嘗」「新粟嘗」という言葉が登場します。

日が暮れたので富士山の神さまに宿を請うと、「新嘗のため、家中が物忌みをしているので、ご勘弁ください」と断られたのに対し、筑波山の神さまは「今宵は新嘗だが、お断りもできまい」と大神を招き入れた、というのです。

ここから、このころの新嘗祭は村をあげて心身をきよめ、女性や子供は屋内にこもって、神々との交流を待ち、ふだんならもてなす客人を家中に入れることさえはばかったことが分かります。

それなら文中に出てくる「新粟の新嘗」「新粟嘗」とは何でしょう。たとえば「日本古典文学大系」では、この「粟」に「脱穀しない稲実」と注釈が加えられていますが、どう見ても疑問です。

「粟」はあくまで「粟」であって、ある民間の研究者が解説するように「宮中祭祀としての新嘗祭は、民間の素朴な新嘗が母体になっていると考え、宮中新嘗祭における粟は、その残影として理解することは無理であろうか」という問いかけの方が素直な理解ではないでしょうか。


▽3 祭りの霊力で国民をまとめてきた天皇

それでは、なぜ米と粟をささげるのでしょう。

民俗学の第一人者、近畿大学の野本寛一教授は、筆者の取材にこう答えています。

「天神地祇に米と粟をささげる新嘗祭、大嘗祭の儀礼は、米の民である稲作民と粟の民である畑作民をひとつに統合する象徴的儀礼として理解できるのではないか」

野本教授は『焼畑民俗文化論』で、水田稲作以前の民が粟や芋を栽培していたこと、この畑作文化は民俗学の先駆者である柳田国男が提唱した、東南アジア島嶼地域に連なる「海上の道」をたどって伝来したこと、を説明しています。

天皇にとってもっとも重要な神事である新嘗祭、大嘗祭は、「稲の祭り」だけではなく、稲作儀礼と畑作儀礼という淵源の異なるふたつの儀礼の複合と理解されます。

天皇は政治力でも、軍事力でもなくて、祭りを通じて、祭りの持つ霊的な力によって、文化的に多様な国と民をひとつにまとめることを務めとされてきた、ということが浮かび上がってきませんか。


参考文献=『風土記』(日本古典文学大系2、岩波書店、昭和33年)、落合偉洲「新嘗祭と粟」(「神道及び神道史」国学院大学神道史会、昭和50年7月所収)、野本寛一『焼畑民俗文化論』(雄山閣出版、1984年)など


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【関連記事】なぜ粟の存在を無視するのか──竹田恒泰氏の共著『皇統保守』を読む その4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-05-02
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皇室におけるラブ・マリッジとアレンジド・マリッジ──額田王から「ICUの恋」まで [眞子内親王]

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皇室におけるラブ・マリッジとアレンジド・マリッジ──額田王から「ICUの恋」まで
(令和3年11月20日、土曜日)
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▽1 額田王と大海人皇子の問答歌の真相

あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

誰もが知る万葉集の代表歌のひとつである。作者の額田王は古代の皇族で、大海人皇子(40代天武天皇)の妃である。「袖を振る」は古い求愛表現である。大海人皇子による次の歌と対になっていて、「蒲生野問答歌」と呼ばれる。

紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも

「袖振る」に対して「人妻」とは聞きづてならない。題詞には「(38代天智)天皇が蒲生野で狩りをされた時に額田王が作った歌」とある。天智天皇と天武天皇は34代舒明天皇と宝皇女(35代皇極天皇、重祚して37代斉明天皇)を父母とするご兄弟で、額田王をめぐって三角関係にあった、とかつては解釈されてきた。

だが、そもそも歌は相聞歌ではなく、雑歌に分類されており、恋の歌とはされていない。国文学者の池田彌三郎は、宗教的な宮中行事の際に催された宴席で、大海人皇子が無骨な舞を舞ったのを才女の額田王が「袖振る」とからかい、これに対して皇子が四十路の額田王を「にほへる妹」としっぺ返しした、と理解した(『萬葉百歌』1963年)。今日ではこれが定説化しているという。

しかしそれでも、宝塚歌劇団の「あかねさす紫の花」(1976年初演)などは逆に、文字通りの「万葉ロマン」と解して、再演を続けている。「律令国家形成の立役者となった中大兄皇子、大海人皇子という才気溢れる二人の兄弟が、女流歌人・額田女王を巡って繰り広げる愛憎劇」と説明されている。

万葉集だけではない。古代の貴族社会のラブロマンスは「世界最古の長編小説」とされる『源氏物語』にも描かれ、現代に伝えられている。王朝文学に描かれたラブロマンスは、民衆の熱烈な憧れとして続いている。そして、現代の「テニスコートの恋」や「ICUの恋」とも繋がっているのだろう。


▽2 インド人たちに笑われた日本人の「恋愛」

バングラデシュという国の孤児院を支援するため同国に通っていたころ、南東部のチッタゴン丘陵地帯にチャクマと呼ばれる東アジア系の少数民族が居住していて、「日本人と同じように嬥歌(かがい。歌垣)の文化を持っている」と聞かされ、驚いたことがある。

男女が山に登り、恋の歌を歌い合い、求婚するというのである。まさに万葉集に収められた古代日本の相聞歌を彷彿とさせる。

しかしバングラデシュでは、チャクマは少数派である。

バングラデシュは世界最大級のムスリム人口を抱える国で、男女の区別が宗教的にはっきりしている。だから、戸外で女性を見かけることはまずない。

厳格なイスラム教徒が多い地方に行くと、どうしても外出が必要なときは女性は黒づくめのブルカ姿になる。物珍しく思って、不用意にカメラを向けようものなら、身の危険を覚悟しないといけない場合もあると聞いた。

ダッカのような大都会では、夕暮れ時に若いカップルを、数少ないデートスポットで見かけたが、あくまで最近の現象らしい。公衆の面前で仲良くしすぎるのはご法度で、警察に注意されることもあるという。結婚は当然、親同士が決めることになる。

同じころ、南インドのカリカットに足を伸ばしたら、思いがけず、ヒンドゥー教徒の結婚式に招待された。みんながみんな着飾った華やかな席に、ラフなスタイルの日本人がカメラを片手に、しかも招待者として、いきなり現れたのだから、否が応でも目立ち、質問攻めにされた。

とりわけ若い女性たちの関心は結婚で、「日本人はどうやって相手を見つけるの?」などと無邪気に聞くから、「恋愛(love marriage)と見合い(arranged marriage)と半々かな」と適当に答えたら、いっせいに笑われた。「私たちは親が決めるの。それがいちばん幸せなのよ」と真顔で応じるのを見て、宗教と文化の違いを思い知らされた。

インド世界と日本とでは愛のかたちが違う。


▽3 明治の近代化が契機

千葉大学の江守五夫名誉教授(民俗学)によると、日本人の婚姻習俗には次のようないくつかの類型があるという(『婚姻の民俗』1998年)。

(1)南方系の一時的訪婚
(2)北方系の嫁入婚
(3)玄界灘型嫁入婚
(4)北陸型嫁入婚

柳田国男は古代には妻訪婚が支配的だったが、中世武家社会に嫁入婚が形成されたと説き、かつてはこれが通説だった。しかし、嫁入婚がすべて妻訪婚から変化したとする一元的な通説には疑問がある、と江守氏は述べている。

むろん「親が決める」婚姻がすべてではない。かつての日本では、祭りや盆踊りなどは男女の交歓の場であった。

以前、東京・川の手の社家出身者から興味深い思い出を聞いたことがある。彼女が子供のころ、お宮の周りは水田や蓮田が一面に広がっていた。街灯もなく、夜は闇に包まれる。盆踊りのお囃子が聞こえると、どこからとなく若い男女が集まってくる。懐中電灯などはないから、代わりに蛍を捕まえて、和紙にくるみ、耳にさす。闇夜にかすかな灯りが動いていくのはじつに優雅で、美しい。

「お母さん、私もやってみたい」とねだると、母親に「あれは下々のすることです」とたしなめられた。何十年も前の思い出を笑いながら私に聞かせてくれたものだ。

神社のお祭りや盆踊りは、むろんいまも続いているが、もはや愛の交歓の場ではなくなっている。というより、日本人の愛のかたちが、少なくとも表向きはずいぶんと変わってしまったように見える。それはいつ、なぜなのか。

江戸の町は女性の人口比率が低かったといわれる。当然、チョンガが多く、遊郭が発達した。湯屋(銭湯)は混浴(入込湯)で、老中松平定信は風紀の乱れを理由に「入込湯厳禁」の御触れを出した。しかし御触れは守られず、混浴禁止がきびしく守られるようになったのは明治以後らしい。近代化、すなわち欧米のキリスト教文化の影響である。

お堅いイメージの伊勢神宮のお膝元にも、かつては遊郭があった。江戸中期には参宮街道沿いに妓楼70軒が軒を連ねたらしい。遊女の数は1000人に及び、三大遊郭のひとつに数えられた。いまでは想像もつかない。

いま宇治橋を渡り、内宮の宮域に入ると不自然なほど、芝生の西洋風庭園が広がっている。江戸期には神職の自宅や茶屋などが立ち並んでいたのを、明治になり撤去させられたという。神聖さを増すための明治の改革によるものだが、以前の茶屋は名物餅を提供するだけの単なる休憩所だったのかどうか。古社と花街とは古来、深い関係が指摘される。


▽4 キリスト教が変え、キリスト教が変わる

民俗学者の瀬川清子・大妻女子大学教授は、男女の出会いに関する、戦前の興味深い逸話を記録している。

長崎・五島列島には「若衆宿」の風習があったのだが、ある島では学校の校長が「娘宿」の解散を命じた。これに対して生徒たちが強く抵抗したというのである。「娘宿が無くなったら、私たちは結婚できない。どうやって相手を見つければいいのか?」。娘宿は相手を観察し、吟味する大切な場だった。それで1年後には復活したという。

明治の学校教育は欧化主義そのものだった。その背景にはキリスト教主義があり、教師はいわば宣教師であった。この島ではキリスト教的結婚観との相剋が起き、日本的結婚観に対して変更を求め、この場合は敗れたのである。

同様にキリスト教の影響から変更を要求され、そして実際、変質させられた祭礼もある。たとえば東京・府中市の大国魂神社の例大祭「くらやみ祭」である。かつては夜間、文字通りの漆黒の闇の中で行われ、男女の出会いの場でもあったが、明治になって改められた。

それでも、地方の古いお宮には、奉納された陰陽石がそのまま境内の片隅に残されていることがある。多産や豊穣を祈願する大らかな生殖器崇拝をいまに伝えている。

いや、それどころか、川崎市・若宮八幡宮の境内社・金山神社(かなまらさま)の祭り「かなまら祭」などは年々、熱気を帯びている。昭和50年代に始まった新しい行事だが、男根神輿の渡御には横須賀の基地などから外国人たちが数多く参加する。

性を神聖なものとみる素朴な信仰は世界に共通している。古くはヨーロッパにもあったが、キリスト教の浸透で廃れてしまったらしい。日本ではキリスト教の影響で歪められたとはいえ、根強く残っている。そして逆に、いまや欧米人が強い関心を示している。「自由」は近代の概念のはずだが、日本の古代にこそ「自由」はあった。


▽5 オモテの世界とオクの世界

さて、長々と書いてきたのは、結局、何を言いたいのかといえば、日本人のなかで評価が大きく分かれる眞子元内親王殿下の「ICUの恋」である。内親王殿下の「自由恋愛」を強く拒絶する人が多い一方で、逆に支持者が少なくないのは、なぜなのか。

それは、おそらく現代日本人のなかに、皇室への強い憧れとともに、古代からの自由な「愛のかたち」が静かに受け継がれているからではないだろうか。愛は永遠なのである。

他方で、欧米のメディアなどに支持が多いのは、キリスト教的個人主義の伝統に加えて、逆に清教徒的な禁欲主義がもはや過去のものとなっているからではないかと私は疑っている。欧米人たちも変わったのである。

その意味では、日本人の結婚事情を笑ったインド人たちが、内親王殿下の「ICUの恋」をどう見ているのか、ぜひ聞いてみたいものだと思う。

ただ、強く注意を喚起しなければならないのは、日本の皇室の場合、「天皇無私」の伝統を崩してはならないことだ。額田王は天武天皇の妃だが、天武天皇の皇后はあくまで鸕野讃良皇女(持統天皇)である。問答歌はあくまでも余興なのである。

以前、書いたように、太上天皇の「テニスコートの恋」は側近たちによってアレンジされたものであったが、自由恋愛のように信じられてきた。その影響はいまに及び、今上天皇は皇太子時代、将来、皇后となるべき女性に「僕が一生全力でお守りします」と仰せになり、ハートを射止められた。「学習院の恋」「ICUの恋」にも影響は続いている。

オクの世界ならそれでもかまわない。けれども、オモテはそうではないし、そうであってはならない。天皇に「私」があってはならないからだ。「天つ神の御心を大御心として」(本居宣長『直毘魂』)、すなわち公正かつ無私が天皇の大原則だからである。自由恋愛ではすまない。元内親王殿下がいつの日か、そのことを理解してくださるかどうか。


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「男系男子」継承の理由が説明されない。だからアメリカ人にも理解されない [眞子内親王]


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「男系男子」継承の理由が説明されない。だからアメリカ人にも理解されない
(令和3年11月14日、日曜日)
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誰でも一度は聞いたことがある、ABBAの代表曲「ダンシング・クイーン」には、1976年6月に結婚されたスウェーデンのカール16世グスタフ国王の結婚披露宴で初披露されたというユニークな歴史がある。

王妃となった女性は第二次大戦中のドイツ生まれで、その父親はドイツ人、しかもナチス党員だったというので、とくにユダヤ人たちからは歓迎されなかった。しかし王室は「王妃の父親は王族ではない」として「ノーコメント」を貫いた。さすがの見識である。

ところが日本では、それが感じられない。


▽1 一貫しない「私人」の論理

たとえばNHKである。御結婚で皇籍を離れられた眞子元内親王殿下の渡米について、しつこいほどの報道が続いている。まるでストーカーである。

昨日の夕刻は「あす午前 日本を出発 アメリカへ」と伝え、今日は朝から「きょう日本を出発しアメリカへ」(8時15分)、「羽田空港に到着 このあとアメリカへ出発」(8時51分)、「アメリカに向けて日本を出発」(11時5分)とたたみかけている。

民間人になられた元内親王を、なぜそこまで執拗に追いかける必要があるのか。そして宮内庁もまたしかりである。

報道によれば、西村泰彦長官は11日の定例会見で、小室圭氏のNY州司法試験不合格について、「とくにコメントすることはございません」としながらも、「次回、頑張ってもらいたい」と述べたという。社交辞令では済まされない。

今回の御結婚は徹頭徹尾、「ICUの恋」の成就のため「私人」の立場が貫かれた。それゆえに皇室伝統の儀礼も一時金支給も避けられた。宮内庁もノータッチの姿勢を保ったはずである。それならなぜスウェーデン王室のように、「ノーコメント」で済ませないのか。記者がネチネチと質問したとしても、「民間人」のプライバシーに踏み入る必要はない。

それでも立ち入るというのなら、御結婚について十分な身辺調査を怠った責任を、宮内庁はあらためて問われなければならない。いま佳子内親王殿下の警護が厳格化されていると伝えられるのは、宮内庁自身、遅まきながら、責任を自覚してのことではないか。宮内庁は元内親王を、完全には「私人」と見なしていない。論理が一貫していない。


▽2 アメリカ人が感じる「民間人」「ジェンダー」への違和感

それなら、新生活が始まるアメリカでは、御結婚はどう受け止められているのか。

目に止まったのは、FNNの中川眞理子NY支局特派員による「小室眞子さんの結婚を報じた米メディア『民間人』と『ジェンダー』に微妙な温度差」と題する記事である。

中川記者によると、御結婚はアメリカでも関心が高いらしい。そしてメディアの報道には「コモナー(民間人)」「ジェンダー」の2つの用語が頻出すると指摘している。

まずは「民間」への違和感である。中川記者の解説では、王室のないアメリカ人は、「すべての人は平等」と考える。英語で「私はコモナーです」と言えば、必要以上に自身を卑下しているように聞こえる。だから「コモナー」はめったに使われない。それなのに今回の結婚報道では、この単語のオンパレードだというのだ。

もうひとつは「ジェンダー」。NBCに寄稿したコーネル大准教授の記事の見出しは、「プリンセス・マコのコモナーとの結婚は、皇室を滅ぼしうる、性差別を示唆している」と痛烈に批判したと伝えている。

アメリカのメディアが驚きをもって報じているのは、「日本では女性に皇位継承権がないこと(+女性皇族の減少)」と「結婚によって皇室を離れること」の2点だという。

中川記者の記事は、イギリス王室では結婚によって王族の立場を離れることはない。だから、日本では女性皇族が結婚によって皇籍を離脱し「民間人」、すなわち「コモナーになる」ことに驚いたのではないかと説明している。

NYタイムズは「世論の感情を逆なでしたのは、海外で生活をするという二人の決断だったかもしれない。お姫さまは皇室を出たあとも、伝統的な慣例に従うことを求められている」と書いている。日本の伝統と文化を受け継ぐ皇室や皇族に対する日本国民の反応が、閉鎖的で古くさいものに見えてしまうのかも知れないと中川記者の解説は続く。


▽3 欧米から批判される謂れはない

中川記者は、アメリカのメディアが、「日本人にとっては別次元」であるはずの「職業や居住の選択肢が限られるなど皇族に課せられた様々な制約と、日本社会における男女不平等の問題」が焦点になっていると指摘し、だから、海外で理解されるには、「日本国内で女性皇族の減少や皇位継承権など皇室の将来について議論を尽くし、男女平等な社会の実現に向けて努力していくことが必要だろう」と訴えるのである。

中川記者の結論は常識的で批判には値しないが、「微妙な温度差」どころではない歴史的事実について、何点か指摘しておきたい。

まず、皇子が親王と呼ばれ、皇女が内親王と称されるのには古代律令に規定があり、皇女にも皇位継承権があったことである。歴史上、8人10代の女性天皇がおられ、最初の女帝・推古天皇は593年の即位であった。イギリスに最初の女王が誕生したのは16世紀のことである。男女平等の観点で単純に比較するなら、日本の方がはるかに進んでいた。

内親王に皇位継承権が認められなくなったのは、近代である。明治憲法は「皇男子孫の継承」、皇室典範は「男系男子の継承」を定めている。むろん理由がある。近代化すなわち欧化主義の影響であろう。いまさら欧米から批判される謂れはない。

近代天皇制の大きな特徴のひとつに、終身在位制の採用がある。譲位は制度として否認された。となると当然、女性天皇は否定される。なぜなら、女帝擁立はほかに男子が見当たらない状況なのであって、それでもなお女帝が即位されるなら、皇統は女系化するからだ。

イギリス王室なら、父母の同等婚、女帝即位後の王朝交替という二大原則から、王朝名が変わり、新たな父系継承が始まる。王位の断絶ということはない。女王の王配をヨーロッパ各王室に求めることもできる。しかし皇室はそうはいかない。

蛇足だが、イギリス王室はじめ、ヨーロッパ王室では王族同士の婚姻という大原則は崩れてしまった。もはや参考になるものではない。

古代の日本なら皇族同士の婚姻しか認められなかった。時代とともに拡大したが、明治においても内親王の婚家は華族までとされた。戦後は「民間人」にまで広がったが、内親王が「民間人」と結婚され、そしてもし皇位が継承されるなら、古来、男系で継承されてきた皇位は終わりを告げることになる。だから、甲論乙駁の議論が続くのである。


▽4 日本人自身が変わってしまった

現行憲法はGHQによる「押し付け憲法」ともいわれる。占領軍の置き土産だが、憲法学者の小嶋和司先生が指摘しているように、皇位継承の男系主義について、GHQ内で批判があったとは聞かない。つまり、是認されたということになる。

日本国憲法は「皇位の世襲」を定め、現行皇室典範は「男系男子の継承」を規定している。憲法はむろん男女平等を定めているが、皇位継承とはそもそも次元が異なる。国民の平等原則を皇室に持ち込むのは論理矛盾というものだ。占領軍も理解していたに違いない。

「皇室を滅ぼす」のは「性差別」ではなくて、むしろ「ジェンダー」の方だろう。中川記者はアメリカ人たちにそのように説明しなかったのだろうか。あるいは、そのように説明する知識を持ち合わせていないということか。

しかし中川記者のみを責めることはできない。なぜ皇位継承が男系主義で貫かれてきたのか、論理的に説明できる知識人など、いまの日本には見当たらないからである。だから、アメリカ人にも理解されないのである。

「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」と結論づけた、かの皇室典範有識者会議(平成17年)では、「なぜ皇位継承は男系でなければならないのか、を説明した歴史的文書などは見あたらない」と事務局が説明したと伝えられる。一方、男系派もまた、「もはや理由などどうでも良い」とサジを投げる始末である。

当たり前のことなら、あえて文書化する必要はない。男系主義の理由を論理で説明しなければならないのは、もはや日本人自身が変わってしまったということだろう。今日、男系継承主義は当たり前ではなくなったのである。それはなぜなのか。

中川記者にはそこを考えてほしい。「皇室の将来についての議論」はそのあとでも遅くはないと私は思う。


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「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」 [政教分離]

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「全国民のための教会」で行われたパウエル元国務長官の葬儀ミサを報道しない全国紙の「触らぬ神に祟りなし」
(令和3年11月10日、水曜日)
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先月、亡くなったアメリカのコリン・パウエル元国務長官の葬儀が今月5日、首都のワシントン・ナショナル・カテドラル(WNC)で営まれた。

WNCはイギリス国教会を母教会とするアメリカ聖公会の大聖堂で、「全国民のための教会」と位置づけられ、歴代大統領の就任ミサや葬儀が行われる。9.11同時テロ犠牲者の追悼ミサもここで行われた。

今回も、アメリカの宗教伝統に従って、きわめて宗教的に公葬が行われた。そのことはWNCのサイトやFacebook、YouTubeで、誰でも簡単に確認することができる。WNCのサイトには式次第のリーフレットが掲載され、歌われた讃美歌の楽譜までがご丁寧に載っている。〈https://cathedral.org/wp-content/uploads/2021/11/1152021-Colin_Powell_RI.pdf〉〈https://www.facebook.com/WNCathedral〉〈https://www.youtube.com/watch?v=hWMNgIsstYk


▽1 アメリカの政教分離の実態

ところが、である。日本の全国紙(電子版)はことごとく、この葬儀ミサについて報道していない。なんと不思議なことか。

通信社は葬儀の事実のみを報じている。共同通信の配信記事では、葬儀が「ワシントン大聖堂」で営まれ、共和、民主両党の歴代大統領や政権幹部がそろって参列し、党派を超えた人望の厚さを印象付けた。オルブライト元国務長官が弔辞を述べたなどと伝えられた。時事通信は、トランプ前大統領の欠席を伝えている。

全国紙には記事自体が見当たらない。朝日新聞や読売新聞はパウエル氏の死去については分厚く報道したものの、葬儀ミサについては報道していない。毎日は共同電を載せ、日経は時事電を掲載した。NHKも記事自体が見当たらない。産経だけは独自記事を載せているが、中身は通信社の記事と大して変わらない。

全国紙が報道しないのは、そこにニュースの価値を認めないからなのか、いやそうではなく、編集上の重大な理由があって素直な報道を避けているからではないか。つまり、特定の立場に立つ編集方針から、都合の悪い事実、すなわち政教分離のご本家であるアメリカ社会の意外な現実を直視できず、クサいものにフタをしているからではないかと疑われる。


▽2 日本の解釈・運用とは雲泥の差

以前、取材したことから類推すると、今回のミサはホワイト・ハウスが主催し、費用は実費を大統領府が負担しているものと思われる。参列した歴代大統領ほか政府要人は公人の資格で参列しているのだろう。これが政教分離の御本家の実態である。公的人物の死に対する、きわめて当たり前の作法である。

ただ、アメリカ合衆国憲法修正第1条は国教の樹立や宗教の自由を妨げる法律の制定を禁止している。とすると、WNCでのミサはこの厳格な政教分離原則に違反しないのだろうか。素朴な疑問に対して、WNCは、「憲法は祈りを禁じているわけではない。禁じられているのは、祈りを強制することだ」と即座に答えたものだ。

政府が公人の葬儀を主催し、公費を投入し、公人が公人の資格で参列したとしても、また宗教施設で、宗教家が主宰する宗教儀式として行われたとしても、「国家と教会の分離」原則には抵触しないというのである。つまり、首相の靖国参拝は「私人の私的行為」だから合憲と理解するような日本の政教分離とは、解釈・運用に雲泥の差がある。

もっといえば、日本が異様なのである。

共同通信は、オルブライト元国務長官が「意見の対立はあったが…」と弔辞で述べたと伝えたが、共和党政権の国務長官の死に対して、公的性格を民主党政権が認め、政治的意見の相違や対立を超えて、慰霊の誠を宗教的に捧げ、しかも法的に是認していることがむしろ重要である。

また、時事通信によると、トランプ前大統領の欠席は、元国務長官についての個人的な評価が理由とされているが、参列が強制されないという点で、むしろ注目される。

しかし、それにゆえにこそ、日本のメディアは葬儀ミサを、ありのままに報道することができないでいるのではないか。なぜなら、いわゆる靖国問題の対応や宮中祭祀の法的位置づけについて、根本的な法的再検討を迫ることになるからである。それは困るとなれば、報道しないことが唯一の賢い選択となる。触らぬ神に祟りなしである。


▽3 「公人か、私人か?」と取材してほしい

たとえば、宮中祭祀は一般には「天皇の私的行為」との憲法解釈で一致していることになっている。であればこそ、祭祀を担当する掌典職は、戦後は天皇の私的使用人の立場となり、関係予算は内廷費が充てられている。

渡邉允元侍従長などは「私的行為」論を、これに懐疑的立場の神社界なども含めて、地方公演などで繰り返し強調しているらしい。また、『皇室法概論』の著書があり、女性天皇容認論者とされる園部逸夫元最高裁判事などは、現役時代に宮中祭祀に参列した経験があるようだが、やはり「私的行為」論に固まっている。

天皇の祭祀が「私的行為」だとすれば、行為をなす天皇は「私人」なのか。古来、「天皇に私なし」とされた大原則を憲法は否定するのか。祭祀に参列した園部判事は「私人」なのか。公人であるからこそ、参列を許されたのではないのか。

朝日新聞は元国務長官の葬儀を報道しなかったが、靖国問題と同様に、「公人か、私人か?」と参列した歴代大統領に直撃取材し、記事にしてほしかった。そうすれば、日本での議論の不毛さがあらためて浮き彫りにされるだろう。法的解釈・運用が誤りなのか、それとも法自体が誤りなのか、である。けれどもそれは叶わぬ夢だろう。

特定の考えに基づいて、相反する事実を報道しないのは、ジャーナリズムの自滅を招く。そのことは編集部自身が誰よりも熟知しているはずだ。だから、記事にしないのだろう。しかしそれこそジャーナリズムの自壊というべきものではないか。

最後に蛇足だが、日本のキリスト教系宗教紙は今回の葬儀ミサをどのように伝えたのだろう。教会の存在をアピールする絶好のチャンスのはずだが、ググってみると、案の定というべきか、記事が見つからない。

靖国問題に熱心に取り組む教会指導者にとっては、ホワイトハウスの主催で行われる大聖堂での公人の葬儀ミサを報道することは、マスメディアと同様に、鬼門なのであろうか。靖国批判がますます偽善に見えてくる。キリストは偽善をこそもっとも戒めたはずだが。


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【関連記事】ワシントン・カテドラルで営まれたイノウエ議員の葬儀──「厳格な政教分離主義」アメリカの宗教儀礼〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-12-23-1
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新嘗祭の起源は宮中なのか?──神道人にこそ知ってほしいこと [天皇・皇室]

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新嘗祭の起源は宮中なのか?──神道人にこそ知ってほしいこと
(令和3年11月7日、日曜日)
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▽1 キリスト教のような説明

今年も新嘗祭が近づいてきた。全国のお宮で、そして宮中で、神前に新穀が供えられ、感謝と安寧の祈りが捧げられる。古き良き日本の文化である。

気になるのは、悪意ではないにしても、いや、悪意ではないからこそ始末が悪いのだが、新嘗祭の起源に関して大変な誤解をする神社人がいて、間違った情報が流布、拡大され、その結果、日本の文明のかたちが見えづらくなっているように感じられることである。

つまり、しばしば聞かれる、「本来は宮中の祭りで、神社でも行われる」「天皇の祭りにならって、全国の神社においても執り行われる」という説明である。原型は皇室にあり、やがて各地の神社に派生したということになるが、とんでもない間違いだろう。

宮中の新嘗祭と民間もしくは各地の神社での新嘗祭は目的も中身も異なるし、まるで国家宗教よろしく、皇室から地方へというトップダウン的な文化の流れで説明することには無理があるからである。

これがキリスト教のような一神教世界ならば理解できる。たとえば「主の晩餐」というイエス・キリストの事跡が、聖体祭儀という教会の儀礼として世界に広がったという歴史はある得るが、自然発生的な日本の神道儀礼には考えにくい。それともキリスト教にあやかった説明なのか。あり得ない。

日本では一神教世界とは異なり、民間に発生した文化がありのままに大切にされている。たとえば、乃木大将を祀る神社がアイドルグループの聖地ともなり得る。それが日本の多神教文明であって、それをまるで上位下達的に説明することは、日本人の信仰のあり方、そして天皇という存在を根本的に見誤らせることになる。


▽2 天神地祇を祀り、米と粟を捧げる

皇室の新嘗祭は、文献的には皇極天皇(35代)の時代に遡ることができる。日本書紀(720年)には、「皇極天皇元年(642年)11月16日、天皇は新嘗祭を行われた」と記録されている。これが文献上の初出だが、むろん歴史的始まりといえるかどうかは分からない。

宮中新嘗祭は日々行われる祭祀のなかでも第一の重儀とされる。神嘉殿で行われる新嘗祭では、皇祖神ほか天神地祇が祀られ、米と粟が神前に供され、祈りが捧げられる。

神嘉殿の新嘗祭が「米と粟の祭り」であることは、皇祖神のみならず天神地祇を併せ祀ることと関係があることは容易に想像される。皇祖天照大神から稲が与えられたとする斎庭の稲穂の神勅のみでは説明がつかない。神勅に基づいて、宮中新嘗祭を「稲の祭り」と解説することは、これまた誤りである。

一方、民間で行われる新嘗祭は、記録上は『常陸国風土記』(721年)がもっとも古い。民間に伝わる家ごとの祖霊祭祀であり、粟の儀礼である。稲の新嘗ではない。神社の神事ですらない。源流が皇室でありようはずがない。

宮中から民間へという伝播が唯一の正しい流れなら、『風土記』は民間で天神地祇を祀り、米と粟を捧げる新嘗の祭りを記録すべきだが、そのような記録はあり得ない。民間の信仰は祖霊や氏神を祀る私的な祈りが基本だし、捧げ物は土地の収穫物に限られる。天神地祇すべてを祀る神社などあるはずもない。少し考えれば、誰でも容易に分かることだ。

にもかかわらず、新嘗祭の皇室発祥説が語られている。なぜだろうか。


▽3 「しろしめす」という意味

そもそもなぜ「稲の祭り」と誤り伝えられているのか。

政府・宮内庁は天皇一世一度の新嘗祭である大嘗祭について、「稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの」と公式に説明しているが、これも間違いであることは、粟の新穀が同時に捧げられることから明らかである。

なぜ稲だけではなく、粟も、なのか。

『常陸国風土記』に粟の新嘗が記録されていることは、民間には民間のさまざまな新嘗祭があったことを想像させる。柳田國男が繰り返し書いているように、日本列島はもともと稲作適地とは言い難い。水田稲作伝来以前から非稲作民が大勢いただろうし、稲作以外の農耕があったろう。稲作信仰とは別に、非稲作地域には非稲作信仰が息づいてきただろう。

神社の新嘗祭というと「稲の祭り」と思い込んでいる神道人には、「粟穂に鶉」の古い彫り物が、豊穣のシンボルとして社殿に刻まれているのを思い出してほしい。米ではなくて粟を主食とし、神聖視した日本人が間違いなくいたことに気づいてほしい。柳田がいうように、日本人はけっして稲作民族、米食民族オンリーではないのである。

稲作民も非稲作民も「わが赤子」と思し召して、「国中平らかに安らけく」と祈り、ひとつに統合するのが古来、ミメラミコトのお役目であるならば、民が信じるあらゆる神々を祀り、稲作民の米と非稲作民の粟を捧げて祈られることが素直に理解されるのではないか。

それこそが天皇統治の「しろしめす」の意味ではないのか。だから「天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」と古代律令は定めたのだろう。

天皇の新嘗祭は、血縁共同体や地域共同体の祈りの次元を超えた、国と民を統合するための公正かつ無私なる祈りなのである。だから文化の伝播の方向性としては、皇室から民間に広がったのではなく、逆に、民間の祈りが皇室に集中したということになる。


▽4 新嘗祭は「勤労感謝の日」ではない

しかし、いつしか日本人は日本社会の多様性を忘れてしまっている。そして価値多元主義に基づく天皇統治の意義を理解できなくなってしまったのではないか。

それどころではない。戦後、日本人の「米離れ」が進み、10年前にはついにパンの消費額が米を上回るようになった。そんな時代に、日本人がかつて粟を食べていたなどという昔話はもう通用しない。だから、神道人にさえ話が伝わらないのだ。

各地の神社での稲の新嘗祭は戦後、広がったともいわれる。明治以後、国民皆兵で徴兵された国民はひとしく米を食することとなり、戦中からの米の配給、食管制度が日本人の稲作民族意識を高めた。さらに全国8万社の神社を包括する神社本庁が主導する祭式の一元的普及が「稲の祭り」としての新嘗祭を全国化していったのではないかと私は疑っている。そして逆に、粟食も粟の新嘗も、急速に忘れ去られていったのではないかと。

近現代において日本人の文化的同一化が進んだ反面、暮らしと信仰における血縁的、地域的多様性が失われていき、その一方で、かつては多様性の中心として機能した天皇は、逆に一元的社会の中心に位置付けられることになったのである。古来の多元的社会が近代になって一元化し、そのことによって天皇もまた変質したということだろうか。

だとすれば、神社関係者の使命は、日本の文化的伝統を守り伝えたいと願うのであれば、八百万の神々の存在を基本とする日本人の多様なる信仰の存在をこそ説明すべきである。多元的価値を認めることが日本の精神文明の根本であり、天皇という祈りの存在の意味もそこにあることを正しく伝えるべきである。

まるで国家宗教さながらに、新嘗祭の由来を一元的に解説することは、天皇統治の歴史と伝統を否定することになると自覚すべきだと思う。新嘗祭はけっしてキリスト教まがいの単なる「勤労感謝の日」ではないのである。


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