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男系主義の根拠が理解できない。園部逸夫vs御厨貴「週刊朝日」対談が示してくれた現代知識人のお寒いレベル [皇位継承]
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男系主義の根拠が理解できない。園部逸夫vs御厨貴「週刊朝日」対談が示してくれた現代知識人のお寒いレベル
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月8日》
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☆★おかげさまで、so-netブログのニュース部門で、目下、ランキング9位(5950ブログ中)★☆
「週刊朝日」(電子版。AERA dot.)3月2日号に、皇位継承問題に関する園部逸夫氏と御厨貴氏の対談が載っています。園部氏は小泉内閣時の皇室典範有識者会議の座長代理、元最高裁判事、法律家。御厨氏は公務負担軽減有識者会議(「生前退位」有識者会議)の座長代理、元東大教授、政治学者。現代日本を代表する、とくに皇室問題に詳しいと思われる知識人同士の対話です。
前編の『安倍政権が「愛子天皇論」を封印!? 皇位継承議論に「40年はやらない」の声』と後編の『天皇「男系派」の根拠はあいまい? 皇位継承問題は今後どうなる』を合わせて量的には分厚い内容ですが、ほとんど中身らしいものはなく、肩透かしを喰らったような印象を受け、ため息が出ます。
なぜそう思うのか、おふたりの発言を拾いながら、検討します。
▽1 議論のすり替え
対談は前編では、まず皇位継承論議に関する最新の動きについて、御厨氏が解説します。菅官房長官の「『立皇嗣の礼』のあとに具体的な論議を行う」との発言は「実は否定の意味」で、「40年はやらない」。「総裁任期は21年9月で終わる。皇室典範改正など新しいことに手をつける気はない」というわけです。
ここまでは腰の重い安倍政権への批判姿勢を鮮明にする、いわばプロローグで、このあと編集部が「上皇直系の内親王は3方」と仕向けて、ようやく本論が始まります。
園部:女性皇族は、結婚によって民間に出る以上、数の減少を止めるには、「女性宮家」創設の議論は避けられない。
御厨:どうも政権は、皇族の減少がギリギリに追い込まれるまで何もせず、最後に、「エイヤッ」とやってしまおうと思っている節がある。
ご両人は女系継承容認、「女性宮家」創設が好ましいと最初から思い込んでいるようですが、なぜでしょう。対談はこれまでの経緯を振り返ります。
園部:野田内閣は、12年秋に論点整理をまとめた。しかし、「女性宮家」に、皇室に「誰かわからない人」が入ってくる可能性があるということで反発が強く、結局お蔵入りしてしまった。あれだけエネルギーをかけて論議したにもかかわらず、非常にもったいない。
野田内閣時の有識者ヒアリングでは、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、(1)皇室の御活動の安定的維持と(2)天皇皇后両陛下の御負担の軽減にありました。野田内閣参与の園部氏もくどいように、そう説明していたはずですが、この対談では見事に皇位継承問題にすり替えられています。
というより、本当の目的が皇位継承問題であることを、野田政権も園田氏もずっと隠蔽し、誤魔化してきた。ついにいまになって隠しきれず、本音が出たのでしょうか。ご公務問題なら、ご公務の件数を思い切って軽減すれば済むことです。「女性宮家」は明らかに論理の飛躍です。憲法は天皇は国事行為のみを行うと定めているはずです。ご公務に明確な法的根拠はありませんから、なおのことです。
【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第3回──月刊「正論」25年2月号掲載拙文の転載〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-02-03-1〉
【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1〉
▽2 皇室のルールを完全無視
対談は「女性宮家」創設反対論批判に展開し、眞子さま問題に言及します。
御厨:「旦那さんは誰?」という警戒は、「女性宮家」でも「女性天皇」でも起こる。「男系派」は、男性が皇室に入ることを非常に嫌う。
園部:眞子さまの交際問題では、一番まずいのは、国民の皇室への尊敬と敬愛の念を失ってしまうということだ。皇族の人数を保つ策として「女性宮家」をつくろうと言っていたのに、「どうぞ、早くご結婚なさって」という声につながりかねない。
両氏とも婚姻相手の個性が問題の原因と捉えていますが、矮小化です。女性宮家創設を認め、女系継承に道を開くことは、古代から続く皇統の変更をもたらす。それは許されないというのが反対論の最大の理由です。
最高裁判事や東大教授を務めた日本を代表する知識人にそれが分からないはずはないでしょうに。あまつさえ、皇統の変更など別段構わないとお考えなのか、男系継承を完全に拒否しています。というより、はじめから皇室のルールなど眼中にないのでしょう。
「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」と結論づけた皇室典範有識者会議報告書が、「はじめに」で、さまざまな天皇観があるから、さまざまな観点で検討したと説明しつつ、それでいて、もっとも肝心な、皇室自身の天皇観、皇室にとっての継承制度という視点、すなわち天皇は古来、公正かつ無私なる祭り主であるという観点を完全に無視していたことを思い出させます。
【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18?1583650057〉
御厨:この流れになると、「旧皇族の復帰」という声も出てくる。適齢期の男性がいるならば、「女性天皇」や「女性宮家」のお相手に、という話だ。
園部:今は完全な民間人として暮らす方たちが皇室に戻るとなると、ご本人たちがそんな生活を望むのかという問題もある。加えて、ひとりでも復帰の前例ができれば、「血がつながっている」ことを論拠にして、どの範囲まで手が挙がるかわからない。
御厨:もうひとつ、いま議論が進まない背景には、アクションを起こせば、強い抵抗を受けるという現状がある。
歴史を振り返れば、26代継体天皇は先代武烈天皇の姉妹を皇后とし、119代光格天皇は先代後桃園天皇の皇女を中宮とされたのであり、その逆ではありません。そんなことはご両人には釈迦に説法でしょうに、それでも過去の歴史にない「女性宮家」創設や女系継承に一心不乱に挑もうとするのはなぜですか。
皇室は日本の歴史そのものです。歴史を無視し、歴史を変えようとすれば、「強い抵抗」かを受けるのは当然ではないですか。
▽3 陳腐な男女平等論
ところが、お二人はそうは考えようとしません。後編の冒頭で園部氏が言い放ちます。
園部:有識者会議で議論はし尽くしているから、問題はやるかやらないか。政府であれ野党であれ、天皇問題に手を突っ込むと、散々攻撃されるから嫌がっているだけ。
しかし、手をつけないと、刻一刻と皇統が衰退へと向かう。改革と議論を攻撃する人たちは、本当に皇室の未来を保とうとしているのか。
それほどの危機感があるなら、男系男子の絶えない制度をなぜ模索しようとしないのでしょう。危機を煽って、一気に女系継承に突き走るのは論理的とはいえません。
園部:男尊女卑の価値観が残るなかで、「女性宮家」や「女性・女系天皇」について話し合うのは、なかなか困難だろう。
男女平等問題ではないことはこれまで何度も何度も言及してきました。過去に女性天皇が存在しないのではありません。夫があり、妊娠中、子育て中の女性天皇が存在しないのです。女性ならば、民間出身であっても皇后となり、摂政ともなれます。これは男女差別でしょうか。
そして対談はいよいよ核心に迫ります。
御厨:男系男子でなければ「困る」の根拠がいまいち明確でない。「皇統は男系で続いてきたから男系であるべき」以上の根拠が出ない。
園部:例えば、日本の皇室が範としてきた英国王室に君臨するのは、エリザベス女王だ。英国は、日本では想像できないほど厳格な階級社会だ。だけど、階級の頂点に位置する王室のトップが女性であることを、英国民は受け入れている。
これは王室を継ぐのは、「血筋の近さ」であって、男であるか女であるかは重要ではないことを証明している。
お二人は政府の有識者会議などに関わり、多くの資料に目を通しているはずですが、どうやら基本中の基本をご存知ないようです。座長代理を務めるような御仁にそんなことがあるんでしょうか。まったくの驚きです。
明治の時代には女帝容認は火急の案件でしたが、否定されました。なぜなのか、近代史を学んだことがないのでしょうか。ヨーロッパの王室なら王族同士が婚姻し、女王即位の後は王朝が交替します。だからこそ、明治人はヨーロッパ流の継承制度を学ばなかったのではないのですか。
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01〉
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
このあと対談は、男系主義は政府が受け入れているだけで、国民の大半は女性天皇を容認している(園部氏)。時代は変わっているが、典範改正は安倍政権の次の政権でも無理だろう(御厨氏)、などという政局論が続いています。
結局、いみじくもタイトルに示されている「男系主義の根拠」こそが問われているのに、歴史論的に深めることもせず、あるいはできずに、陳腐な男女平等論で終わっています。政府の有識者会議の議論なるものはこの程度だったのでしょうか。背筋が寒くなる思いがします。
最後に蛇足ながら、こんなお寒い日本の知識人のレベルを白日のもとに晒してくれた「週刊朝日」編集部に心から感謝したいと思います。これではまともな議論が期待できるはずもないことがよくよく分かります。
斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はおかげさまで、so-netブログのニュース部門で、目下、ランキング9位。アメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。
男系主義の根拠が理解できない。園部逸夫vs御厨貴「週刊朝日」対談が示してくれた現代知識人のお寒いレベル
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☆★おかげさまで、so-netブログのニュース部門で、目下、ランキング9位(5950ブログ中)★☆
「週刊朝日」(電子版。AERA dot.)3月2日号に、皇位継承問題に関する園部逸夫氏と御厨貴氏の対談が載っています。園部氏は小泉内閣時の皇室典範有識者会議の座長代理、元最高裁判事、法律家。御厨氏は公務負担軽減有識者会議(「生前退位」有識者会議)の座長代理、元東大教授、政治学者。現代日本を代表する、とくに皇室問題に詳しいと思われる知識人同士の対話です。
前編の『安倍政権が「愛子天皇論」を封印!? 皇位継承議論に「40年はやらない」の声』と後編の『天皇「男系派」の根拠はあいまい? 皇位継承問題は今後どうなる』を合わせて量的には分厚い内容ですが、ほとんど中身らしいものはなく、肩透かしを喰らったような印象を受け、ため息が出ます。
なぜそう思うのか、おふたりの発言を拾いながら、検討します。
▽1 議論のすり替え
対談は前編では、まず皇位継承論議に関する最新の動きについて、御厨氏が解説します。菅官房長官の「『立皇嗣の礼』のあとに具体的な論議を行う」との発言は「実は否定の意味」で、「40年はやらない」。「総裁任期は21年9月で終わる。皇室典範改正など新しいことに手をつける気はない」というわけです。
ここまでは腰の重い安倍政権への批判姿勢を鮮明にする、いわばプロローグで、このあと編集部が「上皇直系の内親王は3方」と仕向けて、ようやく本論が始まります。
園部:女性皇族は、結婚によって民間に出る以上、数の減少を止めるには、「女性宮家」創設の議論は避けられない。
御厨:どうも政権は、皇族の減少がギリギリに追い込まれるまで何もせず、最後に、「エイヤッ」とやってしまおうと思っている節がある。
ご両人は女系継承容認、「女性宮家」創設が好ましいと最初から思い込んでいるようですが、なぜでしょう。対談はこれまでの経緯を振り返ります。
園部:野田内閣は、12年秋に論点整理をまとめた。しかし、「女性宮家」に、皇室に「誰かわからない人」が入ってくる可能性があるということで反発が強く、結局お蔵入りしてしまった。あれだけエネルギーをかけて論議したにもかかわらず、非常にもったいない。
野田内閣時の有識者ヒアリングでは、女性皇族の婚姻後の身分問題を検討する目的は、(1)皇室の御活動の安定的維持と(2)天皇皇后両陛下の御負担の軽減にありました。野田内閣参与の園部氏もくどいように、そう説明していたはずですが、この対談では見事に皇位継承問題にすり替えられています。
というより、本当の目的が皇位継承問題であることを、野田政権も園田氏もずっと隠蔽し、誤魔化してきた。ついにいまになって隠しきれず、本音が出たのでしょうか。ご公務問題なら、ご公務の件数を思い切って軽減すれば済むことです。「女性宮家」は明らかに論理の飛躍です。憲法は天皇は国事行為のみを行うと定めているはずです。ご公務に明確な法的根拠はありませんから、なおのことです。
【関連記事】〈短期集中連載〉「女性宮家」創設賛否両論の不明 第3回──月刊「正論」25年2月号掲載拙文の転載〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-02-03-1〉
【関連記事】支離滅裂なり!! 「女性宮家」創設の「論点整理」──変質した制度改革の目的意識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-10-14-1〉
▽2 皇室のルールを完全無視
対談は「女性宮家」創設反対論批判に展開し、眞子さま問題に言及します。
御厨:「旦那さんは誰?」という警戒は、「女性宮家」でも「女性天皇」でも起こる。「男系派」は、男性が皇室に入ることを非常に嫌う。
園部:眞子さまの交際問題では、一番まずいのは、国民の皇室への尊敬と敬愛の念を失ってしまうということだ。皇族の人数を保つ策として「女性宮家」をつくろうと言っていたのに、「どうぞ、早くご結婚なさって」という声につながりかねない。
両氏とも婚姻相手の個性が問題の原因と捉えていますが、矮小化です。女性宮家創設を認め、女系継承に道を開くことは、古代から続く皇統の変更をもたらす。それは許されないというのが反対論の最大の理由です。
最高裁判事や東大教授を務めた日本を代表する知識人にそれが分からないはずはないでしょうに。あまつさえ、皇統の変更など別段構わないとお考えなのか、男系継承を完全に拒否しています。というより、はじめから皇室のルールなど眼中にないのでしょう。
「女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」と結論づけた皇室典範有識者会議報告書が、「はじめに」で、さまざまな天皇観があるから、さまざまな観点で検討したと説明しつつ、それでいて、もっとも肝心な、皇室自身の天皇観、皇室にとっての継承制度という視点、すなわち天皇は古来、公正かつ無私なる祭り主であるという観点を完全に無視していたことを思い出させます。
【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18?1583650057〉
御厨:この流れになると、「旧皇族の復帰」という声も出てくる。適齢期の男性がいるならば、「女性天皇」や「女性宮家」のお相手に、という話だ。
園部:今は完全な民間人として暮らす方たちが皇室に戻るとなると、ご本人たちがそんな生活を望むのかという問題もある。加えて、ひとりでも復帰の前例ができれば、「血がつながっている」ことを論拠にして、どの範囲まで手が挙がるかわからない。
御厨:もうひとつ、いま議論が進まない背景には、アクションを起こせば、強い抵抗を受けるという現状がある。
歴史を振り返れば、26代継体天皇は先代武烈天皇の姉妹を皇后とし、119代光格天皇は先代後桃園天皇の皇女を中宮とされたのであり、その逆ではありません。そんなことはご両人には釈迦に説法でしょうに、それでも過去の歴史にない「女性宮家」創設や女系継承に一心不乱に挑もうとするのはなぜですか。
皇室は日本の歴史そのものです。歴史を無視し、歴史を変えようとすれば、「強い抵抗」かを受けるのは当然ではないですか。
▽3 陳腐な男女平等論
ところが、お二人はそうは考えようとしません。後編の冒頭で園部氏が言い放ちます。
園部:有識者会議で議論はし尽くしているから、問題はやるかやらないか。政府であれ野党であれ、天皇問題に手を突っ込むと、散々攻撃されるから嫌がっているだけ。
しかし、手をつけないと、刻一刻と皇統が衰退へと向かう。改革と議論を攻撃する人たちは、本当に皇室の未来を保とうとしているのか。
それほどの危機感があるなら、男系男子の絶えない制度をなぜ模索しようとしないのでしょう。危機を煽って、一気に女系継承に突き走るのは論理的とはいえません。
園部:男尊女卑の価値観が残るなかで、「女性宮家」や「女性・女系天皇」について話し合うのは、なかなか困難だろう。
男女平等問題ではないことはこれまで何度も何度も言及してきました。過去に女性天皇が存在しないのではありません。夫があり、妊娠中、子育て中の女性天皇が存在しないのです。女性ならば、民間出身であっても皇后となり、摂政ともなれます。これは男女差別でしょうか。
そして対談はいよいよ核心に迫ります。
御厨:男系男子でなければ「困る」の根拠がいまいち明確でない。「皇統は男系で続いてきたから男系であるべき」以上の根拠が出ない。
園部:例えば、日本の皇室が範としてきた英国王室に君臨するのは、エリザベス女王だ。英国は、日本では想像できないほど厳格な階級社会だ。だけど、階級の頂点に位置する王室のトップが女性であることを、英国民は受け入れている。
これは王室を継ぐのは、「血筋の近さ」であって、男であるか女であるかは重要ではないことを証明している。
お二人は政府の有識者会議などに関わり、多くの資料に目を通しているはずですが、どうやら基本中の基本をご存知ないようです。座長代理を務めるような御仁にそんなことがあるんでしょうか。まったくの驚きです。
明治の時代には女帝容認は火急の案件でしたが、否定されました。なぜなのか、近代史を学んだことがないのでしょうか。ヨーロッパの王室なら王族同士が婚姻し、女王即位の後は王朝が交替します。だからこそ、明治人はヨーロッパ流の継承制度を学ばなかったのではないのですか。
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-12-01〉
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このあと対談は、男系主義は政府が受け入れているだけで、国民の大半は女性天皇を容認している(園部氏)。時代は変わっているが、典範改正は安倍政権の次の政権でも無理だろう(御厨氏)、などという政局論が続いています。
結局、いみじくもタイトルに示されている「男系主義の根拠」こそが問われているのに、歴史論的に深めることもせず、あるいはできずに、陳腐な男女平等論で終わっています。政府の有識者会議の議論なるものはこの程度だったのでしょうか。背筋が寒くなる思いがします。
最後に蛇足ながら、こんなお寒い日本の知識人のレベルを白日のもとに晒してくれた「週刊朝日」編集部に心から感謝したいと思います。これではまともな議論が期待できるはずもないことがよくよく分かります。
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天皇とは何だったのか。どこへ向かうのか。肝心なことを伝えないお誕生日会見報道 [天皇・皇室]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
天皇とは何だったのか。どこへ向かうのか。肝心なことを伝えないお誕生日会見報道
《斎藤吉久のブログ 令和2年3月1日》
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先月23日は今上天皇の60歳のお誕生日でした。皇位継承後はじめての天皇誕生日で、昭和天皇以来、恒例となっているお誕生日会見で何を語られるのか、注目が集まりました。
昭和、平成とは異なり、いまや完全なネット社会で、会見の模様は宮内庁ほか各メディアが全文を、動画も含めて、サイトに掲載するようになりました。〈https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/30〉
しかし、新聞・テレビの報道は字数の制限がありますから、当然、部分的な要約にならざるを得ません。会見の質疑応答はきわめて多岐にわたり、盛り沢山で、それだけに報道する側の問題関心のポイントが浮き彫りになります。
そしてやっぱり肝心なことが読者には伝わらないという結果を招いているようです。天皇とは何だったのか、皇室はどこへ向かおうとしているのか、です。
▽1 象徴天皇像の追求
朝日新聞(電子版。以下同じ)は、『天皇陛下「もうではなくまだ還暦」 即位後初の誕生日』(長谷文、中田絢子記者)、『天皇陛下、言葉ににじむ理想 これまでの会見を振り返る』(同)を載せています。
前者は『象徴天皇としての今後について「研鑽を積み、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたい」と言及。「憲法を遵守し、象徴としての務めを誠実に果たしてまいりたい」とも語った』と、現行憲法下での象徴天皇像を追求されることを表明されたことになっています。
後者では、即位後のご感想、御代替わり儀礼についてのお考え、家族について、皇室の現状について、など各テーマを取り上げてご発言を要約し、さらに過去のご発言と比較するというきめ細かい報道に努めています。
そして、『国民と共にある皇室――。理想とする皇室像について問われるたび、陛下は同じ言葉を繰り返した』『この考えの原点となったのが、20代半ばに約2年間留学で滞在した英国だ』『皇太子として最後の会見(2019年2月)では「国民の中に入り、国民に少しでも寄り添う」ことを大切にしたいと決意を述べた』と結んでいます。
記事には事実として間違いはありません。けれども重大な一点が抜けています。朝日の記事では今上天皇が憲法を最高法規とする象徴天皇像を追求するご決意を述べられたかのように読めますが、事実は違います。
今上は会見の冒頭から、『上皇陛下のお近くで様々なことを学ばせていただき』『歴代の天皇のなさりようを心にとどめ』と仰せになり、『上皇上皇后両陛下』を何度も繰り返されました。憲法への言及は第2問への返答の最後に行われています。記事には「上皇」「歴代」はありません。悠久なる伝統の継承が無視されているのです。
▽2 単純な護憲派ではない
平成の時代にも同じような報道がありました。陛下や皇太子殿下(今上天皇)のご発言の一部を取り上げ、まるで護憲派政党のシンパでもあるかのように持ち上げ、改憲勢力を牽制する文字通り、錦の御旗に利用したのです。政治的、恣意的です。
【関連記事】護憲派の「象徴」に祭り上げられる皇室──部分のみ報道するメディア〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-02〉
たとえば、太上天皇は平成21年11月、御即位20年の記者会見で、「長い天皇の歴史に思いを致し,国民の上を思い,象徴として望ましい天皇の在り方を求めつつ,今日まで過ごしてきました」とお答えになっています〈https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html〉。
今上天皇も、皇太子時代から機会あるごとに、皇室の伝統と憲法の規定の両方を追い求めることを表明してこられました。たとえば、平成26年、54歳のお誕生日には次のように語られました。
『公務についての考えにつきましては,以前にも申しましたけれども,過去の天皇が歩んでこられた道と,天皇は日本国,そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いを致して,国民の幸せを願い,国民と苦楽を共にしながら,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います』〈https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h26az.html〉
太上天皇も今上天皇も、単純な護憲派ではないのです。
朝日新聞の長谷、中田両記者には、皇室をどうしても護憲派に仕立て上げなければならない特別の事情がおありなのでしょうか。
といっても朝日の報道ばかりを責め立てられません。読売は『「象徴の道、始まったばかり」…天皇陛下60歳に』、毎日は『天皇陛下60歳誕生日「憲法順守し、象徴としての務めを誠実に果たす」』(高島博之記者)、日経も『「象徴の務め、誠実に」天皇陛下会見全文』と似たり寄ったりだからです。
▽3 皇室とメディアとの隔たり
産経だけは少し違い、「天皇誕生日 国民も心一つに歩みたい」と題する【主張】(社説)を掲げ、『広く国民のことを思い、寄り添われる姿は、……昭和天皇から上皇陛下へと引き継がれ、今上陛下が間近で学ばれてきた皇室の伝統である』『(天皇は)数多くの宮中祭祀で、日本と国民の安寧や豊穣を祈られている』と古来の伝統を継承する皇室の姿に言及しています。
しかし産経とて、太上天皇、今上天皇が以前から繰り返し、皇室の伝統と憲法の理念の両方を追求されると表明されていることを指摘しているわけではありません。
天皇とは何だったのか。いかにあるべきなのか。その認識には、皇室とメディアとの間には大きな隔たりがありそうです。
太上天皇、今上天皇にとっては、憲法が規定する国事行為だけを行うのが象徴天皇ではありません。各紙が言及する象徴天皇もまた、被災地で被災者を励まされるなど、国事行為以外の象徴行為を行う天皇なのですが、メディアにとってはあくまで憲法的あり方にとどまっています。しかし皇室にとっては、古来、国と民のために私なき祈りをひたすら捧げてこられた祭り主天皇の発展形なのでしょう。公正かつ無私なる祭り主であり続けることが天皇の天皇たる所以なのです。
各紙の優秀な記者の方々はどうかそこに気づいてほしいと思います。いまやネットの時代で、誰もが一次情報にアクセスできるようになりました。部分的で偏った報道は簡単に見破られてしまいます。
斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はおかげさまで、so-netブログのニュース部門で、目下、ランキング10位。アメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。
憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む [天皇・皇室]
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憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月23日》
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女性週刊誌が盛んに女帝容認論を煽っています。なぜ古来、男系主義が貫かれてきたのか、を識者も編集者も、追究しようとしないのは、なぜでしょう。
「女性自身」2月7日号には、牟田和恵・大阪大学大学院教授(ジェンダー研究者)による「皇室の女性差別」撤廃を要求する女性天皇論が載りました。
ご主張の要点は以下のようにまとめられます。
(1)天皇陛下の長子である愛子内親王が次の天皇になられるのは当然だ。現在の皇室典範は男女平等ではない。改正すべきだ
(2)憲法には法の下の平等が記されている。なのに、皇位継承は男系男子に限られている
(3)皇室典範の女性差別は日本社会の女性差別を反映している
(4)女性差別の根本には「家父長制」がある。個人より「家」を第一とする発想が根強く残っている証拠だ
(5)ヨーロッパの王室は第一子継承に変わっている。日本も皇室典範改正を急ぐべきだ
(6)愛子内親王は健やかに成長されている。立派に天皇の務めを果たされるだろう
(7)「女性だからできない」ことはなくしていくべきだ
ジェンダー研究者なのですから当然といえば当然かもしれませんが、法律論として、歴史論としておよそ不正確で、十分とはいえないでしょう。
▽1 「法の下の平等」の例外
まず法律論ですが、以前も申し上げましたように、憲法が法の下の平等を謳い上げていることは誰でも知っています。その憲法が第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めているのです。そもそも皇位の男系主義は法の下の平等の例外なのです。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09〉
もし牟田さんが法の下の平等を社会全体に貫くべきだと主張されるのなら、女帝容認ではなく、天皇廃止を訴えなければなりません。牟田さんにとっての法の下の平等は性差別の否定だけなのですか。
次に歴史論ですが、男系主義の背景に何があるのか、もっと深く追求されるべきではないでしょうか。
牟田さんが仰せの「家父長制」には支配の論理という響きがありますが、日本の天皇は支配者とは一味も二味も異なる存在です。
たとえば「サバの行事」はご存知ですか。明治になって惜しくも絶えてしまいましたが、歴代天皇はわが統治する国に飢えたる民が一人いても申し訳ないとの思いから、毎食ごとに食膳から一箸ずつ料理を取り分けて、衆生に捧げ、そのあと召し上がったのです。
【関連記事】皇祖と民とともに生きる天皇の精神 ──宮廷行事「さば」と戦後復興〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-06-08-2〉
昭和、平成、令和と三代の天皇は御所の水田で穀物を栽培しておられますが、みずから泥田に入られる君主は日本の天皇だけです。世界には農民といっても田畑に入らない支配層もいるのにです。
牟田さんは天皇を家の論理で説明していますが、間違っています。皇室は姓を持たない、家を否定した、家のない家だからです。海外のロイヤル・ファミリーとは違うのです。
▽2 女性差別ではない
以前も説明しましたが、歴史上、女性天皇は存在します。しかし夫があり、子育て中の女性天皇はおられません。過去の女性天皇はすべて寡婦もしくは独身を貫かれました。他方、たとえ民間から入内したとしても皇后は摂政となることも可能です。
これは女性差別なのでしょうか。逆に男子ならば、内親王、女王と婚姻しても皇族となることはありません。差別論で捉えることに無理があるのでしょう。
牟田さんはヨーロッパの王室に学ぶべきだとも仰せですが、これも間違いです。参考にしようがないからです。
たとえばイギリスは、父母の同等婚と女王継承後の王朝交替という二大原則がありましたが、原則はすでに崩壊しています。ヨーロッパに学び、女帝を認め、その子孫に継承するということはすなわち古代から続いてきた皇統の否定、革命をもたらすこととなるでしょう。
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉
憲法は皇位は世襲すなわちdynasticだと王朝の支配を認めています。牟田さんの「女性差別」撤廃の発想は憲法の基本原則を掲げながら、その実、憲法に反し、天皇統治の終わりをもたらす革命思想ではありませんか。
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html〉
牟田さんは最後に愛子天皇待望論を訴えています。健やかに成長され、務めを果たすことができると太鼓判を押されているようですが、天皇は能力主義ではありません。血統主義なのです。
古来、天皇第一のお務めは私なき立場で天神地祇をまつる神祭りにあるとされています。古代人は夫があり、子育て中の女性に私なき祭祀をお勤めいただくのは忍びないと考えたのではないでしょか。8人10代の女性天皇がいずれも寡婦もしくは独身を通されたのはそのためでしょう。差別ではありません。むしろ逆でしょう。
牟田さんにお願いします。男系主義の外形だけを見て、女性差別と決めつけ、皇室の歴史と伝統を否定し、むりやり変質させるのではなく、皇位の本質を深く探り、祖先たちが大切に守ってきた歴史的価値を理解していただくことは無理でしょうか。女性週刊誌の編集者にもぜひお願いします。
斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はアメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。
憲法の原則を笠に着る革命思想か。ジェンダー研究者の女性天皇論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月23日》
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女性週刊誌が盛んに女帝容認論を煽っています。なぜ古来、男系主義が貫かれてきたのか、を識者も編集者も、追究しようとしないのは、なぜでしょう。
「女性自身」2月7日号には、牟田和恵・大阪大学大学院教授(ジェンダー研究者)による「皇室の女性差別」撤廃を要求する女性天皇論が載りました。
ご主張の要点は以下のようにまとめられます。
(1)天皇陛下の長子である愛子内親王が次の天皇になられるのは当然だ。現在の皇室典範は男女平等ではない。改正すべきだ
(2)憲法には法の下の平等が記されている。なのに、皇位継承は男系男子に限られている
(3)皇室典範の女性差別は日本社会の女性差別を反映している
(4)女性差別の根本には「家父長制」がある。個人より「家」を第一とする発想が根強く残っている証拠だ
(5)ヨーロッパの王室は第一子継承に変わっている。日本も皇室典範改正を急ぐべきだ
(6)愛子内親王は健やかに成長されている。立派に天皇の務めを果たされるだろう
(7)「女性だからできない」ことはなくしていくべきだ
ジェンダー研究者なのですから当然といえば当然かもしれませんが、法律論として、歴史論としておよそ不正確で、十分とはいえないでしょう。
▽1 「法の下の平等」の例外
まず法律論ですが、以前も申し上げましたように、憲法が法の下の平等を謳い上げていることは誰でも知っています。その憲法が第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めているのです。そもそも皇位の男系主義は法の下の平等の例外なのです。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
【関連記事】どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-02-09〉
もし牟田さんが法の下の平等を社会全体に貫くべきだと主張されるのなら、女帝容認ではなく、天皇廃止を訴えなければなりません。牟田さんにとっての法の下の平等は性差別の否定だけなのですか。
次に歴史論ですが、男系主義の背景に何があるのか、もっと深く追求されるべきではないでしょうか。
牟田さんが仰せの「家父長制」には支配の論理という響きがありますが、日本の天皇は支配者とは一味も二味も異なる存在です。
たとえば「サバの行事」はご存知ですか。明治になって惜しくも絶えてしまいましたが、歴代天皇はわが統治する国に飢えたる民が一人いても申し訳ないとの思いから、毎食ごとに食膳から一箸ずつ料理を取り分けて、衆生に捧げ、そのあと召し上がったのです。
【関連記事】皇祖と民とともに生きる天皇の精神 ──宮廷行事「さば」と戦後復興〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/1998-06-08-2〉
昭和、平成、令和と三代の天皇は御所の水田で穀物を栽培しておられますが、みずから泥田に入られる君主は日本の天皇だけです。世界には農民といっても田畑に入らない支配層もいるのにです。
牟田さんは天皇を家の論理で説明していますが、間違っています。皇室は姓を持たない、家を否定した、家のない家だからです。海外のロイヤル・ファミリーとは違うのです。
▽2 女性差別ではない
以前も説明しましたが、歴史上、女性天皇は存在します。しかし夫があり、子育て中の女性天皇はおられません。過去の女性天皇はすべて寡婦もしくは独身を貫かれました。他方、たとえ民間から入内したとしても皇后は摂政となることも可能です。
これは女性差別なのでしょうか。逆に男子ならば、内親王、女王と婚姻しても皇族となることはありません。差別論で捉えることに無理があるのでしょう。
牟田さんはヨーロッパの王室に学ぶべきだとも仰せですが、これも間違いです。参考にしようがないからです。
たとえばイギリスは、父母の同等婚と女王継承後の王朝交替という二大原則がありましたが、原則はすでに崩壊しています。ヨーロッパに学び、女帝を認め、その子孫に継承するということはすなわち古代から続いてきた皇統の否定、革命をもたらすこととなるでしょう。
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉
憲法は皇位は世襲すなわちdynasticだと王朝の支配を認めています。牟田さんの「女性差別」撤廃の発想は憲法の基本原則を掲げながら、その実、憲法に反し、天皇統治の終わりをもたらす革命思想ではありませんか。
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html〉
牟田さんは最後に愛子天皇待望論を訴えています。健やかに成長され、務めを果たすことができると太鼓判を押されているようですが、天皇は能力主義ではありません。血統主義なのです。
古来、天皇第一のお務めは私なき立場で天神地祇をまつる神祭りにあるとされています。古代人は夫があり、子育て中の女性に私なき祭祀をお勤めいただくのは忍びないと考えたのではないでしょか。8人10代の女性天皇がいずれも寡婦もしくは独身を通されたのはそのためでしょう。差別ではありません。むしろ逆でしょう。
牟田さんにお願いします。男系主義の外形だけを見て、女性差別と決めつけ、皇室の歴史と伝統を否定し、むりやり変質させるのではなく、皇位の本質を深く探り、祖先たちが大切に守ってきた歴史的価値を理解していただくことは無理でしょうか。女性週刊誌の編集者にもぜひお願いします。
斎藤吉久から=当ブログ〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/〉はアメーバブログ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://ameblo.jp/otottsan/〉でもお読みいただけます。読了後は「いいね」を押していただき、フォロアー登録していただけるとありがたいです。また、まぐまぐ!のメルマガ「誤解だらけの天皇・皇室」〈https://www.mag2.com/m/0001690423.html〉にご登録いただくとメルマガを受信できるようになります。
なぜ悠紀殿と主基殿があるのか。田中英道先生の大嘗祭論を読む [天皇・皇室]
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なぜ悠紀殿と主基殿があるのか。田中英道先生の大嘗祭論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月16日》
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日本会議の機関誌「日本の息吹」2月号に、保守派言論人として著名な田中英道東北大学名誉教授(専攻は美術史。日本国史学会代表理事)が大嘗祭に関する興味深いエッセイを寄せています。
連載「世界史の中の日本を語ろう」の第25回で、タイトルは「大嘗宮はなぜ悠紀殿と主基殿の二殿あるのか」。着眼点の斬新さはさすがです。

▽1 悠紀殿=東国、主基殿=西国
先生は、大嘗祭の祭祀が二度繰り返され、斎田も2か所あり、悠紀、主基と呼ばれることに注目し、なぜ二殿で同じことが繰り返されるのかという素朴な問いかけをなさっています。國學院の展覧会でも、折口信夫の「大嘗祭の本義」にも説明はありませんでした。
先生によると、天武・持統朝に定められた大嘗祭は当然、壬申の乱と関係があり、東日本と西日本それぞれの殿舎を建てるということには理由があった。東国には高天原=日高見国の長い伝統があり、持統天皇の諱には「高天原」が含まれている。
『新撰姓氏録』は氏族を「神別」「皇別」「諸蕃」に分けているが、神別の氏族の故郷が東国で、藤原、物部、大伴らの有力氏族が属していた。ユダヤ人埴輪もすべて東国の埴輪にあった。
東国と西国は同等と考えられていたことの現れが悠紀殿と主基殿の二殿である。茅葺き、丸柱は東国の伝統で、「大倭日高見国」が日本なのである。日高見国と大和国が天皇によって統一された事実が大嘗祭に示されている、というのが先生の見方です。
仰せのように、大嘗祭が悠紀殿と主基殿の二殿で行われるのは大きな謎です。かつては新嘗祭と大嘗祭との区別はなく、規模を改めた大嘗祭が行われるようになったのが、まさに天武天皇のころ、壬申の乱のあとでした。
国を二分する内乱のあと、国と民を再統一する仕掛けが必要とされたことは想像に難くありませんが、それが大嘗祭発生のカギだったとしても、悠紀殿=東国、主基殿=西国という図式で捉えることには慎重を要するのではないかと私は思います。
▽2 新嘗祭の夕の儀と暁の儀は?
毎秋の新嘗祭は神嘉殿で行われます。明治の初年までは臨時の殿舎が建てられたそうですが、大嘗祭とは異なり、一棟です。夕(よい)の儀と暁の儀と同じ神事が二度繰り返されますが、悠紀・主基とは呼ばれません。
ふつうは夕の儀は夕御饌(ゆうみけ)で、御寝座でお休みいただいたあと、暁の儀で朝御饌(あさみけ)を差し上げるというように説明されています。新嘗祭は同じ殿舎ですが、大嘗祭は儀場も改められ、より丁重さが加わるということではないでしょうか。
日本の高床式建築には2つのルーツがあるそうですが、悠紀殿と主基殿には大きな違いはありません。ふだんは何もない空間に八重畳の御神座、天皇の御座などが配置されるのも変わりません。
【関連記事】神社建築発生の謎──高床式穀倉から生まれた!?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-05-20-2〉
先生のエッセイには言及がありませんが、祭神論からすると、悠紀殿の儀、主基殿の儀とも変わりません。前者は天神、後者は地祇を祀ると説明した古い資料もありますが、新帝の御告文は皇祖神ほか天神地祇に捧げられるはずです。
先生の説だと、悠紀殿には東国の神々、主基殿には西国の神々が祀られるのでしょうか。そうなると逆に国の再統一という目的から外れてしまわないでしょうか。
【関連記事】なぜ八百万の神なのか──多神教文明成立の背景〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-05-06-1〉
【関連記事】天皇はあらゆる神に祈りを捧げる──日本教育再生機構広報誌の連載から〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-12-1〉
▽3 米と粟の儀礼こそ祭りの核心
神饌はどうでしょう。先生ご指摘のように、近世までは京都の東に悠紀国、西に主基国が設定され、悠紀殿の儀、主基殿の儀にはそれぞれの御料が用いられました。なぜ東が悠紀で、西が主基なのかは大きな謎です。主基は「次」の意味とされています。
これも先生の文章にはありませんが、主饌となるのは米と粟の御飯(おんいい)と白酒・黒酒の神酒です。悠紀殿の儀、主基殿の儀とも変わりはありません。しかしここにこそ内乱後の国と民の再統一という大命題の意味が見出されるのではないでしょうか。
日本の神祭りは神々との神人共食が本義です。争乱で分裂した国中の神々をすべて祀り、天つ神の米と国つ神の粟を捧げ、祈り、新帝も召し上がる。さらに続く節会で民の饗宴が行われ、神々と天皇と民との命が共有される。それが大嘗祭の核心部分ではないかと私は思います。
先生は、大嘗祭を稲の祭りと決めつけず、米と粟が供されることに注目した岡田荘司國學院大学教授の大嘗祭論を「戦後の歴史家の唯物論的見方」と一刀両断にしていますが、米と粟の神事こそ国と民を1つにまとめあげるスメラミコトの真骨頂でしょう。
ただ、粟=東国、稲=西国というわけではありません。田中先生の説は東国vs西国の図式に引きずられ過ぎているように思われます。
【関連記事】大嘗祭は米と粟の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-18〉
【関連記事】大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか ──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-11-10〉
【関連記事】やっと巡り合えた粟の酒 ──稲作文化とは異なる日本人の美意識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-09-23〉
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なぜ悠紀殿と主基殿があるのか。田中英道先生の大嘗祭論を読む
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月16日》
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日本会議の機関誌「日本の息吹」2月号に、保守派言論人として著名な田中英道東北大学名誉教授(専攻は美術史。日本国史学会代表理事)が大嘗祭に関する興味深いエッセイを寄せています。
連載「世界史の中の日本を語ろう」の第25回で、タイトルは「大嘗宮はなぜ悠紀殿と主基殿の二殿あるのか」。着眼点の斬新さはさすがです。

▽1 悠紀殿=東国、主基殿=西国
先生は、大嘗祭の祭祀が二度繰り返され、斎田も2か所あり、悠紀、主基と呼ばれることに注目し、なぜ二殿で同じことが繰り返されるのかという素朴な問いかけをなさっています。國學院の展覧会でも、折口信夫の「大嘗祭の本義」にも説明はありませんでした。
先生によると、天武・持統朝に定められた大嘗祭は当然、壬申の乱と関係があり、東日本と西日本それぞれの殿舎を建てるということには理由があった。東国には高天原=日高見国の長い伝統があり、持統天皇の諱には「高天原」が含まれている。
『新撰姓氏録』は氏族を「神別」「皇別」「諸蕃」に分けているが、神別の氏族の故郷が東国で、藤原、物部、大伴らの有力氏族が属していた。ユダヤ人埴輪もすべて東国の埴輪にあった。
東国と西国は同等と考えられていたことの現れが悠紀殿と主基殿の二殿である。茅葺き、丸柱は東国の伝統で、「大倭日高見国」が日本なのである。日高見国と大和国が天皇によって統一された事実が大嘗祭に示されている、というのが先生の見方です。
仰せのように、大嘗祭が悠紀殿と主基殿の二殿で行われるのは大きな謎です。かつては新嘗祭と大嘗祭との区別はなく、規模を改めた大嘗祭が行われるようになったのが、まさに天武天皇のころ、壬申の乱のあとでした。
国を二分する内乱のあと、国と民を再統一する仕掛けが必要とされたことは想像に難くありませんが、それが大嘗祭発生のカギだったとしても、悠紀殿=東国、主基殿=西国という図式で捉えることには慎重を要するのではないかと私は思います。
▽2 新嘗祭の夕の儀と暁の儀は?
毎秋の新嘗祭は神嘉殿で行われます。明治の初年までは臨時の殿舎が建てられたそうですが、大嘗祭とは異なり、一棟です。夕(よい)の儀と暁の儀と同じ神事が二度繰り返されますが、悠紀・主基とは呼ばれません。
ふつうは夕の儀は夕御饌(ゆうみけ)で、御寝座でお休みいただいたあと、暁の儀で朝御饌(あさみけ)を差し上げるというように説明されています。新嘗祭は同じ殿舎ですが、大嘗祭は儀場も改められ、より丁重さが加わるということではないでしょうか。
日本の高床式建築には2つのルーツがあるそうですが、悠紀殿と主基殿には大きな違いはありません。ふだんは何もない空間に八重畳の御神座、天皇の御座などが配置されるのも変わりません。
【関連記事】神社建築発生の謎──高床式穀倉から生まれた!?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-05-20-2〉
先生のエッセイには言及がありませんが、祭神論からすると、悠紀殿の儀、主基殿の儀とも変わりません。前者は天神、後者は地祇を祀ると説明した古い資料もありますが、新帝の御告文は皇祖神ほか天神地祇に捧げられるはずです。
先生の説だと、悠紀殿には東国の神々、主基殿には西国の神々が祀られるのでしょうか。そうなると逆に国の再統一という目的から外れてしまわないでしょうか。
【関連記事】なぜ八百万の神なのか──多神教文明成立の背景〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-05-06-1〉
【関連記事】天皇はあらゆる神に祈りを捧げる──日本教育再生機構広報誌の連載から〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-12-1〉
▽3 米と粟の儀礼こそ祭りの核心
神饌はどうでしょう。先生ご指摘のように、近世までは京都の東に悠紀国、西に主基国が設定され、悠紀殿の儀、主基殿の儀にはそれぞれの御料が用いられました。なぜ東が悠紀で、西が主基なのかは大きな謎です。主基は「次」の意味とされています。
これも先生の文章にはありませんが、主饌となるのは米と粟の御飯(おんいい)と白酒・黒酒の神酒です。悠紀殿の儀、主基殿の儀とも変わりはありません。しかしここにこそ内乱後の国と民の再統一という大命題の意味が見出されるのではないでしょうか。
日本の神祭りは神々との神人共食が本義です。争乱で分裂した国中の神々をすべて祀り、天つ神の米と国つ神の粟を捧げ、祈り、新帝も召し上がる。さらに続く節会で民の饗宴が行われ、神々と天皇と民との命が共有される。それが大嘗祭の核心部分ではないかと私は思います。
先生は、大嘗祭を稲の祭りと決めつけず、米と粟が供されることに注目した岡田荘司國學院大学教授の大嘗祭論を「戦後の歴史家の唯物論的見方」と一刀両断にしていますが、米と粟の神事こそ国と民を1つにまとめあげるスメラミコトの真骨頂でしょう。
ただ、粟=東国、稲=西国というわけではありません。田中先生の説は東国vs西国の図式に引きずられ過ぎているように思われます。
【関連記事】大嘗祭は米と粟の複合儀礼──あらためて研究資料を読み直す〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-18〉
【関連記事】大嘗祭は、何を、どのように、なぜ祀るのか ──岡田荘司「稲と粟の祭り」論を批判する〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-11-10〉
【関連記事】やっと巡り合えた粟の酒 ──稲作文化とは異なる日本人の美意識〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2019-09-23〉
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どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか? [皇位継承]
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どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月9日》
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女性天皇容認のみならず、「万世一系」とされる皇統に根本的変革を招く女系継承容認論が沸騰している。現在の皇位継承順位を一変させる「愛子さま天皇」待望論までが飛び出して、かまびすしい。
古来の男系継承を堅持することがまるで不正義であるかのような口吻である。男系男子をもって皇位が継承され続けることは正義に反することなのだろうか。検討してみたい。
▽1 皇室のルールをなぜ変える
推進派の論拠は、法理論と歴史論、現実論の3つに大きくまとめられると思う。
①(法理論)人は法の下にあって平等である。男女は平等である。象徴天皇は女性でも務まる。
②(歴史論)8人10代の女性天皇が歴史に存在する。海外では男女を問わない王位継承に変わっている。
③(現実論)皇位継承資格者の数が減少している。男系継承主義の場合、入内する女性が受ける心理的圧力は計り知れない。国民の圧倒的多数が改革を支持している。
以下、Q&A式で考える。まずは法理論である。
Q1 男女は平等で、憲法も認めている。女性天皇の即位を認めるべきではないか?
A1 法の下の平等は憲法の大原則であるが、その一方、憲法は第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めている。天皇は平等主義の例外である。憲法の制定過程でも男系継承主義は問題にはならなかった。
過去に女性天皇がいなかったのではない。夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのである。民間から輿入れした女性は摂政ともなれる。これは男女差別だろうか。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
Q2 憲法は「皇位は世襲」と定めている。男系男子継承を定めているのは皇室典範であり、典範を改正すればいいではないか?
A2 憲法の「世襲」はdynasticの意味で、単に血が繋がっているという意味ではない。王朝の支配ということが本義であって、古来、連綿と続いてきた皇室のあり方を根本的に変えるような改革は憲法に違反する。なぜそこまでして、男系で継承されてきた皇室のルールを変更したいのか。
【関連記事】眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-26〉
Q3 象徴天皇の務めは憲法に書いてあるが、女性だから務まらないということはない。有能な女性なら、十分に務まるのではないか?
A3 古代において天皇はスメラギあるいはスメラミコトと呼ばれ、国と民を多様なるままに1つに統合することがお役目とされた。古代律令の定めのように、天神地祇をまつり、国と民のために祈ることが第一のお務めであり、歴代天皇は祭祀を継承されてきたが、国務法たる憲法には規定がない。
皇位は世襲主義であり、能力主義ではない。有能か否かは皇位とは無関係である。むろん、人間的にいい方かどうか、徳の有無でもない。
【関連記事】西尾幹二先生の御忠言を読む──どこが誤っているのか〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-07-22〉
▽2 古代律令は「女帝」を認めていない
次は歴史論です。
Q4 古代律令制は女子の継承を認めていたし、実際、8人10代の女性天皇がいる。女性天皇は皇室の伝統的あり方である。なぜ否定するのか?
A4 古代律令の、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令」には、「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ」(『律令』日本思想大系3)とあり、「女帝」が法制度上、認められていたという解釈がある。
しかし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むのが正しく、天皇の子女は親王・内親王とすると解釈されるべきだとの有力説がある。古代において「女帝」なる公式用語はない。
過去に女性天皇は存在するが、寡婦もしくは独身を貫かれた。女系による継承は予定されていない。女性天皇がいないというのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇が存在しないのである。
それは天皇が公正かつ無私なる祭祀を行う祭り主だからだろう。ひたむきに夫を愛し、子育てに集中する女性の姿は美しいが、「天皇に私なし」とする皇位とは両立できるかどうか。女性の女性たる価値を認めるからこそ、女性天皇は独身を貫かざるを得なかったのではないか。
【関連記事】田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱by 佐藤雉鳴・斎藤吉久〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-01〉
Q5 女子による皇位継承を認めなくなったのは、明治の皇室典範であり、男尊女卑の悪弊ではないか?
A5 明治の皇室典範制定過程では「男女同権」を掲げる女帝容認が繰り返し浮上し、そして最終的に否定された。明治の女帝容認論は根強いものがあり、男尊女卑の時代と断定することは一面的すぎる。
旧典範が女帝を否認したのは、皇婿を臣民から迎えることが至難であり、女帝継承後に王朝が変わるからである。
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html〉
Q6 海外では男女平等主義に基づいて、女子の王位継承が認められるようになった。日本も見習うべきではないか?
A6 たとえばイギリス王室では、女王による王位継承が認められているが、もともと父母の同等婚が原則で、女子の王位継承後は父方の王朝に変わる。女王の継承は新たな父系の始まりとなる。
しかし日本では皇族同士の婚姻という原則はなく、参考にしようがない。しかも今日では、イギリスは王族同士の婚姻という原則が崩れており、なおのこと参考にはできない。
スペインでは男子優先から男女平等主義に移行中だが、同等婚原則がすでに崩れており、これまた参考にしようがない。それでも参考にせよというのは独自の歴史と伝統を無視せよと要求するのと同じである。
また北欧では国民が王を選ぶ選挙君主制の伝統がある。国民の意思で女子の継承を認めることとなったのは、民主的改革ではなくて、伝統回帰といえる。
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉
▽3 御負担増を強いる女系継承容認論
最後は現実論です。
Q7 皇位継承資格者は秋篠宮文仁親王、悠仁親王、常陸宮正仁親王のお三方しかおられない。対策を講じなければ、皇室は絶えてしまいかねないではないか?
A7 たしかにそうだが、明治の典憲制定過程ではもっと深刻で、明治天皇に皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかった。女帝容認は火急の案件だった。それでも明治人は女帝を否認したのである。優れた見識というべきではないか。
いまのままでは皇統は絶える。だから女帝を容認すべきだ、という論理はもっともなようで、じつはそうではない。皇統とはすなわち男系なのだから、男系が絶えないよう制度を考えるのが物事の順序というものであり、歴史にない女系継承容認論は論理の飛躍だ。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す───「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-18-1〉
Q8 皇室に嫁ぐ女性が男子を産まなければならない心理的圧迫は相当なものである。女子の継承を認めれば、圧力はやわらぐのではないか?
A8 皇太子妃、皇后となる女性の心理を思いやり、古来、男系で貫かれた皇位継承制度に根本的変革を加えるのは、角を矯めて牛を殺すということわざの通りであろう。
昔から皇統の備えとしての宮家という制度がある。一定の皇族を確保する方策を考えるべきではないか。知恵を絞れば方法はいくつもある。
女性天皇を認めれば、女帝は御公務をこなしつつ、出産、育児を行うことになるのだろうか。女系継承容認、女性宮家創設論は天皇の御公務御負担軽減が目的とされているが、いまでも多忙をきわめる天皇にさらなるご負担を強いることにならないか。
さらにもうひとつ、皇婿となる男性には子供ができなければならないという心理的負担はないのだろうか。女性の負担ばかりを考慮するのは平等の精神に反する。
Q9 多くの世論調査は女性天皇・女系継承容認を支持している。なぜ世論に反する男系主義に固執しなければならないのか?
A9 現在の国民の支持を盾にして、なぜ千年余の皇室のルールを変えなければならないのだろうか。古来、男系主義が続いてきたのは国民の支持があったからではないのか。
女性天皇・女系継承容認を打ち出した政府の有識者会議は終始一貫、皇室の歴史と伝統について検討していない。皇室のことは皇室に委ねるべきではないのか。有識者会議はやり直すべきではないか。
【関連記事】宮中祭祀をめぐる今上陛下と政府・宮内庁とのズレ──天皇・皇室の宗教観 その4(「月刊住職」平成27年11月号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-01-17〉
どうしても女性天皇でなければならないのか。男系を固守することは不正義なのか。なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのか?
《斎藤吉久のブログ 令和2年2月9日》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
女性天皇容認のみならず、「万世一系」とされる皇統に根本的変革を招く女系継承容認論が沸騰している。現在の皇位継承順位を一変させる「愛子さま天皇」待望論までが飛び出して、かまびすしい。
古来の男系継承を堅持することがまるで不正義であるかのような口吻である。男系男子をもって皇位が継承され続けることは正義に反することなのだろうか。検討してみたい。
▽1 皇室のルールをなぜ変える
推進派の論拠は、法理論と歴史論、現実論の3つに大きくまとめられると思う。
①(法理論)人は法の下にあって平等である。男女は平等である。象徴天皇は女性でも務まる。
②(歴史論)8人10代の女性天皇が歴史に存在する。海外では男女を問わない王位継承に変わっている。
③(現実論)皇位継承資格者の数が減少している。男系継承主義の場合、入内する女性が受ける心理的圧力は計り知れない。国民の圧倒的多数が改革を支持している。
以下、Q&A式で考える。まずは法理論である。
Q1 男女は平等で、憲法も認めている。女性天皇の即位を認めるべきではないか?
A1 法の下の平等は憲法の大原則であるが、その一方、憲法は第一章で、血統主義に基づく天皇という特別の地位を認めている。天皇は平等主義の例外である。憲法の制定過程でも男系継承主義は問題にはならなかった。
過去に女性天皇がいなかったのではない。夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのである。民間から輿入れした女性は摂政ともなれる。これは男女差別だろうか。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
Q2 憲法は「皇位は世襲」と定めている。男系男子継承を定めているのは皇室典範であり、典範を改正すればいいではないか?
A2 憲法の「世襲」はdynasticの意味で、単に血が繋がっているという意味ではない。王朝の支配ということが本義であって、古来、連綿と続いてきた皇室のあり方を根本的に変えるような改革は憲法に違反する。なぜそこまでして、男系で継承されてきた皇室のルールを変更したいのか。
【関連記事】眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2020-01-26〉
Q3 象徴天皇の務めは憲法に書いてあるが、女性だから務まらないということはない。有能な女性なら、十分に務まるのではないか?
A3 古代において天皇はスメラギあるいはスメラミコトと呼ばれ、国と民を多様なるままに1つに統合することがお役目とされた。古代律令の定めのように、天神地祇をまつり、国と民のために祈ることが第一のお務めであり、歴代天皇は祭祀を継承されてきたが、国務法たる憲法には規定がない。
皇位は世襲主義であり、能力主義ではない。有能か否かは皇位とは無関係である。むろん、人間的にいい方かどうか、徳の有無でもない。
【関連記事】西尾幹二先生の御忠言を読む──どこが誤っているのか〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2008-07-22〉
▽2 古代律令は「女帝」を認めていない
次は歴史論です。
Q4 古代律令制は女子の継承を認めていたし、実際、8人10代の女性天皇がいる。女性天皇は皇室の伝統的あり方である。なぜ否定するのか?
A4 古代律令の、皇族の身分や継承法を定めた「継嗣令」には、「凡そ皇(こう)の兄弟、皇子をば、皆親王(しんのう)と為(せ)よ。〈女帝(にょたい)の子も亦(また)同じ〉。以外は並に諸王と為よ」(『律令』日本思想大系3)とあり、「女帝」が法制度上、認められていたという解釈がある。
しかし、「女(ひめみこ)も帝の子、また同じ」と読むのが正しく、天皇の子女は親王・内親王とすると解釈されるべきだとの有力説がある。古代において「女帝」なる公式用語はない。
過去に女性天皇は存在するが、寡婦もしくは独身を貫かれた。女系による継承は予定されていない。女性天皇がいないというのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇が存在しないのである。
それは天皇が公正かつ無私なる祭祀を行う祭り主だからだろう。ひたむきに夫を愛し、子育てに集中する女性の姿は美しいが、「天皇に私なし」とする皇位とは両立できるかどうか。女性の女性たる価値を認めるからこそ、女性天皇は独身を貫かざるを得なかったのではないか。
【関連記事】田中卓先生の著作を読んで──「皇国史観」継承者が「女性皇太子」を主張する混乱by 佐藤雉鳴・斎藤吉久〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2014-03-01〉
Q5 女子による皇位継承を認めなくなったのは、明治の皇室典範であり、男尊女卑の悪弊ではないか?
A5 明治の皇室典範制定過程では「男女同権」を掲げる女帝容認が繰り返し浮上し、そして最終的に否定された。明治の女帝容認論は根強いものがあり、男尊女卑の時代と断定することは一面的すぎる。
旧典範が女帝を否認したのは、皇婿を臣民から迎えることが至難であり、女帝継承後に王朝が変わるからである。
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す──「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈http://www004.upp.so-net.ne.jp/saitohsy/ashizu_joteiron.html〉
Q6 海外では男女平等主義に基づいて、女子の王位継承が認められるようになった。日本も見習うべきではないか?
A6 たとえばイギリス王室では、女王による王位継承が認められているが、もともと父母の同等婚が原則で、女子の王位継承後は父方の王朝に変わる。女王の継承は新たな父系の始まりとなる。
しかし日本では皇族同士の婚姻という原則はなく、参考にしようがない。しかも今日では、イギリスは王族同士の婚姻という原則が崩れており、なおのこと参考にはできない。
スペインでは男子優先から男女平等主義に移行中だが、同等婚原則がすでに崩れており、これまた参考にしようがない。それでも参考にせよというのは独自の歴史と伝統を無視せよと要求するのと同じである。
また北欧では国民が王を選ぶ選挙君主制の伝統がある。国民の意思で女子の継承を認めることとなったのは、民主的改革ではなくて、伝統回帰といえる。
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉
▽3 御負担増を強いる女系継承容認論
最後は現実論です。
Q7 皇位継承資格者は秋篠宮文仁親王、悠仁親王、常陸宮正仁親王のお三方しかおられない。対策を講じなければ、皇室は絶えてしまいかねないではないか?
A7 たしかにそうだが、明治の典憲制定過程ではもっと深刻で、明治天皇に皇男子はなく、皇族男子は遠系の4親王家にしかおられなかった。女帝容認は火急の案件だった。それでも明治人は女帝を否認したのである。優れた見識というべきではないか。
いまのままでは皇統は絶える。だから女帝を容認すべきだ、という論理はもっともなようで、じつはそうではない。皇統とはすなわち男系なのだから、男系が絶えないよう制度を考えるのが物事の順序というものであり、歴史にない女系継承容認論は論理の飛躍だ。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
【関連記事】女系は「万世一系」を侵す───「神道思想家」葦津珍彦の女帝論〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2013-04-18-1〉
Q8 皇室に嫁ぐ女性が男子を産まなければならない心理的圧迫は相当なものである。女子の継承を認めれば、圧力はやわらぐのではないか?
A8 皇太子妃、皇后となる女性の心理を思いやり、古来、男系で貫かれた皇位継承制度に根本的変革を加えるのは、角を矯めて牛を殺すということわざの通りであろう。
昔から皇統の備えとしての宮家という制度がある。一定の皇族を確保する方策を考えるべきではないか。知恵を絞れば方法はいくつもある。
女性天皇を認めれば、女帝は御公務をこなしつつ、出産、育児を行うことになるのだろうか。女系継承容認、女性宮家創設論は天皇の御公務御負担軽減が目的とされているが、いまでも多忙をきわめる天皇にさらなるご負担を強いることにならないか。
さらにもうひとつ、皇婿となる男性には子供ができなければならないという心理的負担はないのだろうか。女性の負担ばかりを考慮するのは平等の精神に反する。
Q9 多くの世論調査は女性天皇・女系継承容認を支持している。なぜ世論に反する男系主義に固執しなければならないのか?
A9 現在の国民の支持を盾にして、なぜ千年余の皇室のルールを変えなければならないのだろうか。古来、男系主義が続いてきたのは国民の支持があったからではないのか。
女性天皇・女系継承容認を打ち出した政府の有識者会議は終始一貫、皇室の歴史と伝統について検討していない。皇室のことは皇室に委ねるべきではないのか。有識者会議はやり直すべきではないか。
【関連記事】宮中祭祀をめぐる今上陛下と政府・宮内庁とのズレ──天皇・皇室の宗教観 その4(「月刊住職」平成27年11月号)〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-01-17〉
眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら [女系継承容認]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月26日》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今月16日、朝日新聞の言論サイト・論座に掲載された、登誠一郎元内閣外政審議室長のエッセイ「眞子さまのご結婚と皇位継承の問題。国民一般から祝福される結婚となるために」を読みました〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020011400008.html〉。
眞子内親王殿下の御結婚問題に関して、2月に「何らかのことを発表」なさるとされる秋篠宮親王殿下に対して、「国民一般から祝福される結婚」となるためには、ご結婚前にまず皇籍離脱すべきだと大胆に迫っておられるのには、たいへん驚きました。
仰せの「幸せを願う一国民としての率直な感想」は、むしろ親切心を装う不遜な僭越というべきではありませんか。皇室のことは皇室にお任せし、そっと見守るというわけには行かないのでしょうか。身の振り方にまで口を挟む権利が、主権者とされる国民に元来、あるのですか。いやあるというのなら、その先にどんな悲劇が待ち受けているのか、想像していただきたいと思います。
▽1 登さんにとって天皇とは何か
そもそも提言には、いくつか大きな基本的誤りがあるように思います。
登さんはまず、ご結婚は「一個人の幸せ」の問題であると同時に、「皇位継承に関係する重要問題でもある」と指摘しています。内親王殿下を「一個人」と言い切っていいものか、議論の余地が大いにありますが、皇位継承問題に関わるというご認識はまったく正しいでしょう。そして仰せのように、「ご結婚の有無とその時期」が問題となります。
それなら、どう問題となるのか、その次の登さんの分析は明らかな間違いでしょう。
登さんは、「現在の皇室典範に基づく皇位継承順位は、①秋篠宮さま、②悠仁さま、③常陸宮さまであるが、女性天皇・女系天皇の容認を提言した2005年の有識者会議の報告書に従うと、この順位は、①愛子さま、②秋篠宮さま、③眞子さま、④佳子さま、⑤悠仁さま、⑥常陸宮さまの順となる」と説明していますが、仰せの「ご結婚の有無とその時期」次第では、そのようにならないことは明白です。
登さんが推奨する女性天皇・女系天皇容認、女性宮家創設が今後、もし制度化されたとして、そののち内親王が独身を貫く場合、婚姻したとしてもお子様が誕生されなかった場合、逆にお子様が誕生された場合では、皇位継承順位は当然、変わります。愛子内親王殿下が婚姻によって皇籍を離脱したあとの制度改革なら、登さんが仰せの皇位継承順位にはなり得ません。
登さんは「愛子さまが天皇になられた後に、万が一お子様ができない場合には、次の天皇は眞子さまになる」と断定していますが、これも婚姻の「時期」次第ではそうはならないでしょう。皇位継承順位があたかも確定的であるかのような説明で、読者をミスリードしてはなりません。
登さんは「眞子さまの幸せ」と「国民の祝福」の妥協点として、皇室典範が定める皇室会議による皇籍離脱を提案していますが、新たな火種を生むことにならないでしょうか。登さんは、「皇室制度の民主的側面を象徴する」と自賛していますが、議員10人のうち皇族は2人、天皇も参加しない皇室会議の決議で皇族の減少を逆に促進する「民主」主義は禁じ手というべきです。現にイギリスで似たようなことが起きているではありませんか。
結局のところ、登さんの議論は、国民主権下の法制度によって、126代続いてきた天皇を引きずり下ろそうとしているかのように私には見えます。そのようにする登さんにとっての天皇とは何でしょうか。何のための皇位継承なのでしょうか。
▽2 王朝の支配を破るのは憲法違反
登さんは、昨年11月には「女性・女系天皇は不可避~実際の皇位継承順位は? 『安定的皇位継承』の議論先送りは許されない」という文章を同じ論座に載せています。〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019112600008.html〉
ここでは女性天皇・女系天皇容認のための国民的議論の開始を安倍総理に強く迫っていました。
登さんがくりかえし強調し、支持されるのは「象徴天皇制の安定的継承」です。126代続いてきた伝統的「天皇」ではありません。「国民の7割が支持」するという「象徴天皇」と開闢以来、わが祖先たちが築き上げてきた「天皇制」とは同じではありません。その違いを「7割」は理解していると登さんはお考えでしょうか。
登さんは古来の男系継承主義を近代的な男女平等主義の物差しによって批判しています。海外の王位継承が男女平等に改められたことを解説し、男女差別は中近東以外では日本だけだと指弾していますが、間違いでしょう。
過去の歴史に女性天皇がいないのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのであり、それは男女差別ではなく、王朝の支配という大原則にあります。現行憲法の定める「世襲」はdynasticの意味で、血がつながっていればいいというのではありません。
ヨーロッパでは王族同士の婚姻、つまり父母の同等婚によって王位継承が行われ、女王の子孫に継承される場合は王朝が変更されました。これとは異なり、日本では男子の皇族性が厳しく要求され、皇室という王朝の支配が一貫してきたのです。ヨーロッパでは近年、父母の同等婚という原則が崩壊しています。ヨーロッパの王室を参考するにわけにはいきません。
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉
【関連記事】大変革のときを迎えたイギリス王室──男女平等継承どころではない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-10-15-1〉
明治の皇室典範が女帝を否認した最大の理由は、王朝の支配を堅持するためでした。王朝の支配を破る女系継承容認は現行憲法にも違反します。そこまでして歴史に前例のない制度改革に血道を上げるより、男系の絶えない制度をどうして考えようとしないのですか。
▽3 藩屏なき皇室、ここに極まれり
聖書は男のあばら骨から女が生まれたと説明していますが、日本の国生み神話は男女の共同作業で国が生まれたと物語っています。ヨーロッパ的な男女平等概念の根っこには、キリスト教の徹底した男女差別があるのではありませんか。
登さんは、皇位継承の男系主義は単なる男女差別にしか映らないのでしょうか。古来の天皇は私なき祭祀をなさる祭り主でした。天神地祇を祭り、ひたすら国と民のために祈る存在でした。天皇には姓がありません。異姓の臣下が皇籍に入ることなどあり得ません。逆に民間から入内した皇后は摂政ともなり得ます。これは男女差別でしょうか。
皇位はそもそも平等の概念とは別の次元に位置するものであって、皇位の継承に平等原理を持ち込むことに無理があるのではありませんか。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
登さんは論考のなかで、これまでの議論の経過を詳しく説明していますが、政府の有識者会議が皇室の天皇観を検討しなかったことについては言及しておられません。「皇位の安定的継承」のために126代続く皇室の歴史と伝統を無視するのは、矛盾以外の何ものでもありません。登さんが考える皇位とは、国事行為のみを行う特別公務員としての天皇でしかないのではありませんか。それならそうと、皇室の伝統とは違うと、正確に説明すべきです。
【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18〉
昨年の論考では、登さんは女性天皇・女系天皇容認の制度化によって皇位継承順位が途中で変更されることへの「感情的な抵抗」を避けるために、新たな皇位継承資格者は従来の資格者のあととすることを提案し、その案によると、① 秋篠宮さま、② 悠仁さま、③ 常陸宮さま、④ 愛子さま、⑤ 眞子さま、⑥ 佳子さまという順位になると説明していますが、こういう議論になってくると、もはや皇位を弄んでいるようにしか私には見えません。
かつては皇室自立主義ということがいわれました。皇室のことは皇室に委ねる。そういう制度に改められるべきではないでしょうか。そうでないと皇族になりたがる有象無象の男たちがあらゆる方法で内親王・女王に群れ集まってくることでしょう。126代の皇室の権威は雲散霧消します。すでに兆候はあります。もしや登さんはそれがお望みでしょうか。
それにしても、苦悩のただ中にある秋篠宮親王を名指しし、公の媒体で介入するとは、藩屏なき皇室、ここに極まれりの思いがします。
眞子内親王の皇籍離脱をけしかける登誠一郎元内閣外政審議室長の不遜。安倍総理の次は秋篠宮親王に直言。女性天皇・女系継承容認へまっしぐら
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月26日》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今月16日、朝日新聞の言論サイト・論座に掲載された、登誠一郎元内閣外政審議室長のエッセイ「眞子さまのご結婚と皇位継承の問題。国民一般から祝福される結婚となるために」を読みました〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020011400008.html〉。
眞子内親王殿下の御結婚問題に関して、2月に「何らかのことを発表」なさるとされる秋篠宮親王殿下に対して、「国民一般から祝福される結婚」となるためには、ご結婚前にまず皇籍離脱すべきだと大胆に迫っておられるのには、たいへん驚きました。
仰せの「幸せを願う一国民としての率直な感想」は、むしろ親切心を装う不遜な僭越というべきではありませんか。皇室のことは皇室にお任せし、そっと見守るというわけには行かないのでしょうか。身の振り方にまで口を挟む権利が、主権者とされる国民に元来、あるのですか。いやあるというのなら、その先にどんな悲劇が待ち受けているのか、想像していただきたいと思います。
▽1 登さんにとって天皇とは何か
そもそも提言には、いくつか大きな基本的誤りがあるように思います。
登さんはまず、ご結婚は「一個人の幸せ」の問題であると同時に、「皇位継承に関係する重要問題でもある」と指摘しています。内親王殿下を「一個人」と言い切っていいものか、議論の余地が大いにありますが、皇位継承問題に関わるというご認識はまったく正しいでしょう。そして仰せのように、「ご結婚の有無とその時期」が問題となります。
それなら、どう問題となるのか、その次の登さんの分析は明らかな間違いでしょう。
登さんは、「現在の皇室典範に基づく皇位継承順位は、①秋篠宮さま、②悠仁さま、③常陸宮さまであるが、女性天皇・女系天皇の容認を提言した2005年の有識者会議の報告書に従うと、この順位は、①愛子さま、②秋篠宮さま、③眞子さま、④佳子さま、⑤悠仁さま、⑥常陸宮さまの順となる」と説明していますが、仰せの「ご結婚の有無とその時期」次第では、そのようにならないことは明白です。
登さんが推奨する女性天皇・女系天皇容認、女性宮家創設が今後、もし制度化されたとして、そののち内親王が独身を貫く場合、婚姻したとしてもお子様が誕生されなかった場合、逆にお子様が誕生された場合では、皇位継承順位は当然、変わります。愛子内親王殿下が婚姻によって皇籍を離脱したあとの制度改革なら、登さんが仰せの皇位継承順位にはなり得ません。
登さんは「愛子さまが天皇になられた後に、万が一お子様ができない場合には、次の天皇は眞子さまになる」と断定していますが、これも婚姻の「時期」次第ではそうはならないでしょう。皇位継承順位があたかも確定的であるかのような説明で、読者をミスリードしてはなりません。
登さんは「眞子さまの幸せ」と「国民の祝福」の妥協点として、皇室典範が定める皇室会議による皇籍離脱を提案していますが、新たな火種を生むことにならないでしょうか。登さんは、「皇室制度の民主的側面を象徴する」と自賛していますが、議員10人のうち皇族は2人、天皇も参加しない皇室会議の決議で皇族の減少を逆に促進する「民主」主義は禁じ手というべきです。現にイギリスで似たようなことが起きているではありませんか。
結局のところ、登さんの議論は、国民主権下の法制度によって、126代続いてきた天皇を引きずり下ろそうとしているかのように私には見えます。そのようにする登さんにとっての天皇とは何でしょうか。何のための皇位継承なのでしょうか。
▽2 王朝の支配を破るのは憲法違反
登さんは、昨年11月には「女性・女系天皇は不可避~実際の皇位継承順位は? 『安定的皇位継承』の議論先送りは許されない」という文章を同じ論座に載せています。〈https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019112600008.html〉
ここでは女性天皇・女系天皇容認のための国民的議論の開始を安倍総理に強く迫っていました。
登さんがくりかえし強調し、支持されるのは「象徴天皇制の安定的継承」です。126代続いてきた伝統的「天皇」ではありません。「国民の7割が支持」するという「象徴天皇」と開闢以来、わが祖先たちが築き上げてきた「天皇制」とは同じではありません。その違いを「7割」は理解していると登さんはお考えでしょうか。
登さんは古来の男系継承主義を近代的な男女平等主義の物差しによって批判しています。海外の王位継承が男女平等に改められたことを解説し、男女差別は中近東以外では日本だけだと指弾していますが、間違いでしょう。
過去の歴史に女性天皇がいないのではなく、夫があり、子育て中の女性天皇がおられないのであり、それは男女差別ではなく、王朝の支配という大原則にあります。現行憲法の定める「世襲」はdynasticの意味で、血がつながっていればいいというのではありません。
ヨーロッパでは王族同士の婚姻、つまり父母の同等婚によって王位継承が行われ、女王の子孫に継承される場合は王朝が変更されました。これとは異なり、日本では男子の皇族性が厳しく要求され、皇室という王朝の支配が一貫してきたのです。ヨーロッパでは近年、父母の同等婚という原則が崩壊しています。ヨーロッパの王室を参考するにわけにはいきません。
【関連記事】参考にならないヨーロッパの「女帝論議」──女王・女系継承容認の前提が異なる〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2006-12-18〉
【関連記事】大変革のときを迎えたイギリス王室──男女平等継承どころではない〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-10-15-1〉
明治の皇室典範が女帝を否認した最大の理由は、王朝の支配を堅持するためでした。王朝の支配を破る女系継承容認は現行憲法にも違反します。そこまでして歴史に前例のない制度改革に血道を上げるより、男系の絶えない制度をどうして考えようとしないのですか。
▽3 藩屏なき皇室、ここに極まれり
聖書は男のあばら骨から女が生まれたと説明していますが、日本の国生み神話は男女の共同作業で国が生まれたと物語っています。ヨーロッパ的な男女平等概念の根っこには、キリスト教の徹底した男女差別があるのではありませんか。
登さんは、皇位継承の男系主義は単なる男女差別にしか映らないのでしょうか。古来の天皇は私なき祭祀をなさる祭り主でした。天神地祇を祭り、ひたすら国と民のために祈る存在でした。天皇には姓がありません。異姓の臣下が皇籍に入ることなどあり得ません。逆に民間から入内した皇后は摂政ともなり得ます。これは男女差別でしょうか。
皇位はそもそも平等の概念とは別の次元に位置するものであって、皇位の継承に平等原理を持ち込むことに無理があるのではありませんか。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
登さんは論考のなかで、これまでの議論の経過を詳しく説明していますが、政府の有識者会議が皇室の天皇観を検討しなかったことについては言及しておられません。「皇位の安定的継承」のために126代続く皇室の歴史と伝統を無視するのは、矛盾以外の何ものでもありません。登さんが考える皇位とは、国事行為のみを行う特別公務員としての天皇でしかないのではありませんか。それならそうと、皇室の伝統とは違うと、正確に説明すべきです。
【関連記事】混迷する「女性宮家」創設論議の一因──古代律令制の規定を読み違えている?〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2012-03-18〉
昨年の論考では、登さんは女性天皇・女系天皇容認の制度化によって皇位継承順位が途中で変更されることへの「感情的な抵抗」を避けるために、新たな皇位継承資格者は従来の資格者のあととすることを提案し、その案によると、① 秋篠宮さま、② 悠仁さま、③ 常陸宮さま、④ 愛子さま、⑤ 眞子さま、⑥ 佳子さまという順位になると説明していますが、こういう議論になってくると、もはや皇位を弄んでいるようにしか私には見えません。
かつては皇室自立主義ということがいわれました。皇室のことは皇室に委ねる。そういう制度に改められるべきではないでしょうか。そうでないと皇族になりたがる有象無象の男たちがあらゆる方法で内親王・女王に群れ集まってくることでしょう。126代の皇室の権威は雲散霧消します。すでに兆候はあります。もしや登さんはそれがお望みでしょうか。
それにしても、苦悩のただ中にある秋篠宮親王を名指しし、公の媒体で介入するとは、藩屏なき皇室、ここに極まれりの思いがします。
まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者 [女性宮家創設論]
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まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月13日》
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さんざんな御代替わりの年が過ぎたのも束の間、今年は皇位継承をめぐる国民的議論が沸騰しそうな気配が濃厚です。じつに憂鬱です。
早くも年明け早々、4日のデイリー新潮に、「『女性宮家』を声高に主張する『朝日新聞社説』の本音を読み解く」と題する、椎名哲夫元東京新聞記者の挑戦的な記事(週刊新潮WEB取材班編集)が載りました。女性天皇・女系継承容認の本音を隠して、皇位継承問題を「将来の主権者に」と主張するのは、先延ばしと同じで、欺瞞だと大新聞の社論を切り捨てています。
〈https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01041130/?all=1&page=2〉
▽1 「決めるのは国民だ」
まったく仰せの通りです。
椎名さんが批判するのは、大嘗祭直後、11月18日の社説「皇室制度の今後 政治の怠慢に終止符打つ時」です。〈https://www.asahi.com/articles/DA3S14260076.html〉
社説は、概略、次のように主張しています。
御代替わりで皇位継承問題が先延ばしされてきたが、これ以上は許されない。
継承資格者は3人。いま継承順位の変更につながる見直しは非現実的だが、ご活動の維持存続は早晩立ち行かなくなる。
ご活動の絞り込みは必要で、実際、進んでいるが、国民との接点が減れば、象徴天皇制の基盤が揺るぎかねない。その対応策として、「女性宮家」創設をあらためて検討すべきだ。
他方、旧宮家の男子を復帰させる案があるが、600年前に別れ、戦後は民間人だったのをいまさら戻し、女性宮家を飛び越して資格者とすることに幅広い賛同は得られまい。
象徴天皇制の存続には規模の維持が不可欠で、現実的に「女性宮家」問題に結論を出すことが優先されるべきだ。
国民統合の象徴をめぐり、国民に深刻な亀裂が生じるのは好ましくない。当面は新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねるという考えもあろう。決めるのは国民だ。
憲法の国民主権論に立ち、憲法が定める象徴天皇制の基礎とされるご公務の維持には、「女性宮家」創設が当面、必要だと訴えています。代わり映えのしない主張です。
▽2 朝日新聞社説の「欺瞞」
椎名さんの批判が面白いのは、次のように、朝日の社説には「欺瞞」があると見ていることです。
社説が「女性皇族を飛び越えて『国民統合の象徴の有資格者』とすることに幅広い賛同が得られるとは思えない」というのは、「国民統合の象徴の有資格者にするのは女性皇族が先だ」と言っているようなものではないか。
「当面は悠仁さまと新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねる」というは、将来は女系(婿入りした男性の父系)に皇統が移ることも認めるという前提に立っていることになる。
「判断は将来の主権者に委ねる」というのは、朝日が批判する「政府は検討を先延ばしにしてきた」ことと同じではないのか。
「女性宮家」創設賛成の本音を隠して、まずは既成事実を作ろうと、読者を欺いているというわけです。しかも論理が一貫していないのです。
なぜそうなるのか、というと、議論の立て方がそもそもおかしいのです。
椎名さんが「女性宮家」創設論の経緯を振り返り、説明しているように、皇位継承問題と「女性宮家」問題は別のテーマでした。しかし両者を切り離して検討するとした野田内閣の「女性宮家」創設論議は国民を欺くものでした。独身を貫くわけではないから、子供が生まれ、皇位を継承すれば、新たな皇統が生まれる。「女性宮家」創設=女系継承容認なのです。
朝日の社説は、この核心部分を誤魔化しているというわけです。
▽3 皇室2000年の歴史を無視
椎名さんは、朝日が言下に切り捨てる旧宮家復活にも言及し、誤解が多いと指摘しています。
朝日の社説がいうように、600年前に離れたのは事実だが、戦後の皇籍離脱まで皇統の備えとして11宮家は存続してきた。600年間、出番はなかったが、離脱後も品位と矜持を保つために苦労してきた。
とりわけ東久邇宮家は今上陛下とも近い。東久邇宮稔彦元首相は明治天皇の皇女と結婚し、長男盛厚氏は昭和天皇皇女と結婚した。その5人のお子さんは今上陛下の従兄弟であり、複数の男子がおられる。
朝日の社説はこうした事実をまったく無視しているのです。だからこそ、椎名さんは「何を検討すべきなのか」と問いかけています。男系維持のために、旧皇族の若い男子を現在の宮家の養子に迎えるなど方法はあり得ます。
要するに、朝日の社説は皇室伝統の男系主義が守られるために知恵を絞るのではなく、逆に皇室のルールを破ることを、国民主権主義にかこつけて驀進しようとしているかのように見えます。つまりそれは二千年の歴史を持つ天皇とは異質のものであり、歴史的天皇の否定ではありませんか。もしや、それが本当の目的でしょうか。
▽4 憲法が定める「王朝の支配」
最後に蛇足ながら補足します。
椎名さんは「女性宮家」創設=女系継承容認と指摘しますが、私の読者ならご存知のように、そもそも両者は同じものとして始まったのでした。「女性宮家」創設が結果として女系継承容認に結びつくのではなくて、女性天皇・女系継承を容認するならあらかじめ「女性宮家」創設が必要だという論理です。
【関連記事】「2つの柱」は1つ ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28〉
2点目は、御公務御負担削減です。朝日の社説は削減は必要で、対策はいまも行われていると説明していますが、宮内庁の削減策は失敗したとはっきり理解すべきです。
先帝の御在位20年のあと始まった削減策で、文字通り激減したのは祭祀であり、いわゆる御公務は逆に増えました。とくに減らないのは庁内人事異動者と赴任大使の拝謁です。社説がいう象徴天皇制の基盤ではなく、官僚社会の壁がネックなのです。
【関連記事】省庁ごとに設定される「拝謁」──ご負担軽減のネックは官僚社会!? 5〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-08-04〉
3つ目は国民主権主義です。決めるのは国民だと社説は声を荒げていますが、それでいいのでしょうか。皇室には皇位継承に関するルールがありますが、社説にはそれに対する眼差し、敬意が欠けています。女性天皇は歴史に存在しますが、夫があり、子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。なぜなのか、考えていただけないでしょうか。
【関連記事】深まらない皇室論議 ──国連女子差別撤廃委員会騒動をめぐって〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-03-20〉
もうひとつ、憲法は皇位は世襲と定めています。もともとdynasticの意味で、王朝の支配を意味します。王朝交替の否認が近代の女帝否認の核心でした。椎名さんがいうように、女系継承は新たな王朝の始まりです。朝日新聞は憲法を守るために憲法違反を認めよと仰せなのでしょうか。矛盾しています。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
まったく同感──「女性宮家」を主張する朝日新聞社説に噛みついた椎名哲夫元東京新聞記者
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月13日》
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さんざんな御代替わりの年が過ぎたのも束の間、今年は皇位継承をめぐる国民的議論が沸騰しそうな気配が濃厚です。じつに憂鬱です。
早くも年明け早々、4日のデイリー新潮に、「『女性宮家』を声高に主張する『朝日新聞社説』の本音を読み解く」と題する、椎名哲夫元東京新聞記者の挑戦的な記事(週刊新潮WEB取材班編集)が載りました。女性天皇・女系継承容認の本音を隠して、皇位継承問題を「将来の主権者に」と主張するのは、先延ばしと同じで、欺瞞だと大新聞の社論を切り捨てています。
〈https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01041130/?all=1&page=2〉
▽1 「決めるのは国民だ」
まったく仰せの通りです。
椎名さんが批判するのは、大嘗祭直後、11月18日の社説「皇室制度の今後 政治の怠慢に終止符打つ時」です。〈https://www.asahi.com/articles/DA3S14260076.html〉
社説は、概略、次のように主張しています。
御代替わりで皇位継承問題が先延ばしされてきたが、これ以上は許されない。
継承資格者は3人。いま継承順位の変更につながる見直しは非現実的だが、ご活動の維持存続は早晩立ち行かなくなる。
ご活動の絞り込みは必要で、実際、進んでいるが、国民との接点が減れば、象徴天皇制の基盤が揺るぎかねない。その対応策として、「女性宮家」創設をあらためて検討すべきだ。
他方、旧宮家の男子を復帰させる案があるが、600年前に別れ、戦後は民間人だったのをいまさら戻し、女性宮家を飛び越して資格者とすることに幅広い賛同は得られまい。
象徴天皇制の存続には規模の維持が不可欠で、現実的に「女性宮家」問題に結論を出すことが優先されるべきだ。
国民統合の象徴をめぐり、国民に深刻な亀裂が生じるのは好ましくない。当面は新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねるという考えもあろう。決めるのは国民だ。
憲法の国民主権論に立ち、憲法が定める象徴天皇制の基礎とされるご公務の維持には、「女性宮家」創設が当面、必要だと訴えています。代わり映えのしない主張です。
▽2 朝日新聞社説の「欺瞞」
椎名さんの批判が面白いのは、次のように、朝日の社説には「欺瞞」があると見ていることです。
社説が「女性皇族を飛び越えて『国民統合の象徴の有資格者』とすることに幅広い賛同が得られるとは思えない」というのは、「国民統合の象徴の有資格者にするのは女性皇族が先だ」と言っているようなものではないか。
「当面は悠仁さまと新女性宮家の様子を見守り、判断は将来の主権者に委ねる」というは、将来は女系(婿入りした男性の父系)に皇統が移ることも認めるという前提に立っていることになる。
「判断は将来の主権者に委ねる」というのは、朝日が批判する「政府は検討を先延ばしにしてきた」ことと同じではないのか。
「女性宮家」創設賛成の本音を隠して、まずは既成事実を作ろうと、読者を欺いているというわけです。しかも論理が一貫していないのです。
なぜそうなるのか、というと、議論の立て方がそもそもおかしいのです。
椎名さんが「女性宮家」創設論の経緯を振り返り、説明しているように、皇位継承問題と「女性宮家」問題は別のテーマでした。しかし両者を切り離して検討するとした野田内閣の「女性宮家」創設論議は国民を欺くものでした。独身を貫くわけではないから、子供が生まれ、皇位を継承すれば、新たな皇統が生まれる。「女性宮家」創設=女系継承容認なのです。
朝日の社説は、この核心部分を誤魔化しているというわけです。
▽3 皇室2000年の歴史を無視
椎名さんは、朝日が言下に切り捨てる旧宮家復活にも言及し、誤解が多いと指摘しています。
朝日の社説がいうように、600年前に離れたのは事実だが、戦後の皇籍離脱まで皇統の備えとして11宮家は存続してきた。600年間、出番はなかったが、離脱後も品位と矜持を保つために苦労してきた。
とりわけ東久邇宮家は今上陛下とも近い。東久邇宮稔彦元首相は明治天皇の皇女と結婚し、長男盛厚氏は昭和天皇皇女と結婚した。その5人のお子さんは今上陛下の従兄弟であり、複数の男子がおられる。
朝日の社説はこうした事実をまったく無視しているのです。だからこそ、椎名さんは「何を検討すべきなのか」と問いかけています。男系維持のために、旧皇族の若い男子を現在の宮家の養子に迎えるなど方法はあり得ます。
要するに、朝日の社説は皇室伝統の男系主義が守られるために知恵を絞るのではなく、逆に皇室のルールを破ることを、国民主権主義にかこつけて驀進しようとしているかのように見えます。つまりそれは二千年の歴史を持つ天皇とは異質のものであり、歴史的天皇の否定ではありませんか。もしや、それが本当の目的でしょうか。
▽4 憲法が定める「王朝の支配」
最後に蛇足ながら補足します。
椎名さんは「女性宮家」創設=女系継承容認と指摘しますが、私の読者ならご存知のように、そもそも両者は同じものとして始まったのでした。「女性宮家」創設が結果として女系継承容認に結びつくのではなくて、女性天皇・女系継承を容認するならあらかじめ「女性宮家」創設が必要だという論理です。
【関連記事】「2つの柱」は1つ ──「女性宮家」創設の本当の提案理由 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-05-28〉
2点目は、御公務御負担削減です。朝日の社説は削減は必要で、対策はいまも行われていると説明していますが、宮内庁の削減策は失敗したとはっきり理解すべきです。
先帝の御在位20年のあと始まった削減策で、文字通り激減したのは祭祀であり、いわゆる御公務は逆に増えました。とくに減らないのは庁内人事異動者と赴任大使の拝謁です。社説がいう象徴天皇制の基盤ではなく、官僚社会の壁がネックなのです。
【関連記事】省庁ごとに設定される「拝謁」──ご負担軽減のネックは官僚社会!? 5〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2017-08-04〉
3つ目は国民主権主義です。決めるのは国民だと社説は声を荒げていますが、それでいいのでしょうか。皇室には皇位継承に関するルールがありますが、社説にはそれに対する眼差し、敬意が欠けています。女性天皇は歴史に存在しますが、夫があり、子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。なぜなのか、考えていただけないでしょうか。
【関連記事】深まらない皇室論議 ──国連女子差別撤廃委員会騒動をめぐって〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2016-03-20〉
もうひとつ、憲法は皇位は世襲と定めています。もともとdynasticの意味で、王朝の支配を意味します。王朝交替の否認が近代の女帝否認の核心でした。椎名さんがいうように、女系継承は新たな王朝の始まりです。朝日新聞は憲法を守るために憲法違反を認めよと仰せなのでしょうか。矛盾しています。
【関連記事】基本を忘れた女系継承容認論──小嶋和司教授の女帝論を読む〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2011-12-31〉
「先帝」という呼称について考える [天皇・皇室]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「先帝」という呼称について考える
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月10日》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日、「先帝陛下というのは亡くなった天皇、大行天皇の意味ではないのか。ご存命の陛下に対して不敬にならないのか?」という趣旨のお問い合わせがありました。私は「先帝」で大丈夫だと思います。
譲位なさった平成の陛下に対してどのようにお呼びすればいいのか、敬愛の念の深い方ほど、悩まれるのでしょう。皇室典範特例法は「退位した天皇は上皇とする」と定めていますが、私は馴染めません。「退位」もそうですが、なぜ略称なのか。「太上天皇」という歴史的な呼び方ではいけないのでしょうか。
▽1 光格天皇は「先帝」
私は「先帝」をもっぱら使っています。200年前に譲位された光格天皇の場合、「先帝」と表現されていますから、問題はないと思います。
宮内省図書寮がまとめた『仁孝天皇実録』を見ると、受禅践祚が行われた文化14年3月22日の2日後の綱文(概要を示す本文)に、「先帝に太上天皇の尊号を上らる」(原文は漢字カタカナ混じり)とあり、譲位された光格天皇を「先帝」とお呼びしています。
正確にいえば、綱文に続いて掲載された史料の「寛宮御用雑記」「洞中執次詰所日記」には、「尊号宣下」「宣下」の記述はあるものの、「先帝」とは記されていません。自明であり、わざわざ書き込む必要はないということでしょうか。
したがって光格天皇、仁孝天皇の時代に「先帝」という呼称が使用されていたかどうかは、これだけでは不明ですが、宮内省図書寮という権威ある公機関が、この実録を編纂した昭和戦前期に、譲位後の天皇を「先帝」とお呼びしたことは少なくともはっきり確認できます。
それならいまの宮内庁はどうかというと、残念なことに、皇室用語の使用が目を覆うほどに混乱しています。今回の御代替わりでも、宮内庁がまとめた資料には、「旧天皇」「前天皇」「新天皇」などと書かれていました。「先帝」「新帝」ではダメなのでしょうか。〈https://www.kunaicho.go.jp/news/pdf/shikitenjyunbi-2-shiryo1.pdf〉
それどころか、信じがたいことに歴史の軽視どころか、改竄さえ行われたのです。もはや参考にならないということです。
【関連記事】宮内庁は史実のつまみ食いをしている!?──第2回式典準備委員会資料を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-04-09〉
▽2 固有名詞では呼ばない
ついでながら、終戦の年の春に、帝国学士院が編集発行した『帝室制度史 第6巻』は、天皇の称号である「帝号」について、詳しく説明しています。
それによると、天皇は古来、さまざまに呼ばれてきたが、漢字文化の到来で、漢風の称号が用いられ、国風と漢風の併用が行われるようになったとあります。皇祖の子孫たることを示すスメミマノミコト、ヒノミコ。統治の意義に基づくスメラギ、スメラミコトなど。君主の意義を示すオホキミ、天皇、帝などというわけです。
面白いのは、皇居などの事物を借りてお呼びするミカド、オホヤケ、禁裏、御所などの称号の存在です。なぜ場所で呼ばれるのか、これは、天皇の名前は固有名詞では呼ばれない御名敬避と関わっているようです。
『帝室制度史 第6巻』には、ずばり「御名の敬避」なる一節があり、隋唐の文化が移入、定着したと説明しています。ただ、完全な外来文化との断言を避けています。そして大宝令にいたり、皇祖以下御名敬避は制度化されました。「先帝」についてはとくに説明はありません。近代以後は譲位が否定されています。
戦後になると、天皇をわざと固有名詞で呼ぶケースがしばしば見受けられます。皇室の権威の低下か、あるいは特定の政治的意図があるのか。
先帝の「御学友」、といっても昭和天皇の御学友とは異なり、実態は学習院の単なる同級生でしたが、陛下を固有名詞で呼び、それを著書に著す方がいました。外信部も経験した記者で、ファーストネームで呼び合う欧米文化の匂いが強く感じられました。宮内庁が使い出した「前天皇」「新天皇」にも共通性があります。
【関連記事】「ご学友」天皇論の限界──橋本明さんの不思議な文体〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-04-2〉
庶民なら気軽に名前を呼び合うのもかまいませんが、せめて皇室については千年を超える歴史と文化を大切にしたいものです。譲位された天皇を「先帝」とお呼びすべきか否かよりも、こっちの方が深刻なような気がします。
「先帝」という呼称について考える
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月10日》
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先日、「先帝陛下というのは亡くなった天皇、大行天皇の意味ではないのか。ご存命の陛下に対して不敬にならないのか?」という趣旨のお問い合わせがありました。私は「先帝」で大丈夫だと思います。
譲位なさった平成の陛下に対してどのようにお呼びすればいいのか、敬愛の念の深い方ほど、悩まれるのでしょう。皇室典範特例法は「退位した天皇は上皇とする」と定めていますが、私は馴染めません。「退位」もそうですが、なぜ略称なのか。「太上天皇」という歴史的な呼び方ではいけないのでしょうか。
▽1 光格天皇は「先帝」
私は「先帝」をもっぱら使っています。200年前に譲位された光格天皇の場合、「先帝」と表現されていますから、問題はないと思います。
宮内省図書寮がまとめた『仁孝天皇実録』を見ると、受禅践祚が行われた文化14年3月22日の2日後の綱文(概要を示す本文)に、「先帝に太上天皇の尊号を上らる」(原文は漢字カタカナ混じり)とあり、譲位された光格天皇を「先帝」とお呼びしています。
正確にいえば、綱文に続いて掲載された史料の「寛宮御用雑記」「洞中執次詰所日記」には、「尊号宣下」「宣下」の記述はあるものの、「先帝」とは記されていません。自明であり、わざわざ書き込む必要はないということでしょうか。
したがって光格天皇、仁孝天皇の時代に「先帝」という呼称が使用されていたかどうかは、これだけでは不明ですが、宮内省図書寮という権威ある公機関が、この実録を編纂した昭和戦前期に、譲位後の天皇を「先帝」とお呼びしたことは少なくともはっきり確認できます。
それならいまの宮内庁はどうかというと、残念なことに、皇室用語の使用が目を覆うほどに混乱しています。今回の御代替わりでも、宮内庁がまとめた資料には、「旧天皇」「前天皇」「新天皇」などと書かれていました。「先帝」「新帝」ではダメなのでしょうか。〈https://www.kunaicho.go.jp/news/pdf/shikitenjyunbi-2-shiryo1.pdf〉
それどころか、信じがたいことに歴史の軽視どころか、改竄さえ行われたのです。もはや参考にならないということです。
【関連記事】宮内庁は史実のつまみ食いをしている!?──第2回式典準備委員会資料を読む 4〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2018-04-09〉
▽2 固有名詞では呼ばない
ついでながら、終戦の年の春に、帝国学士院が編集発行した『帝室制度史 第6巻』は、天皇の称号である「帝号」について、詳しく説明しています。
それによると、天皇は古来、さまざまに呼ばれてきたが、漢字文化の到来で、漢風の称号が用いられ、国風と漢風の併用が行われるようになったとあります。皇祖の子孫たることを示すスメミマノミコト、ヒノミコ。統治の意義に基づくスメラギ、スメラミコトなど。君主の意義を示すオホキミ、天皇、帝などというわけです。
面白いのは、皇居などの事物を借りてお呼びするミカド、オホヤケ、禁裏、御所などの称号の存在です。なぜ場所で呼ばれるのか、これは、天皇の名前は固有名詞では呼ばれない御名敬避と関わっているようです。
『帝室制度史 第6巻』には、ずばり「御名の敬避」なる一節があり、隋唐の文化が移入、定着したと説明しています。ただ、完全な外来文化との断言を避けています。そして大宝令にいたり、皇祖以下御名敬避は制度化されました。「先帝」についてはとくに説明はありません。近代以後は譲位が否定されています。
戦後になると、天皇をわざと固有名詞で呼ぶケースがしばしば見受けられます。皇室の権威の低下か、あるいは特定の政治的意図があるのか。
先帝の「御学友」、といっても昭和天皇の御学友とは異なり、実態は学習院の単なる同級生でしたが、陛下を固有名詞で呼び、それを著書に著す方がいました。外信部も経験した記者で、ファーストネームで呼び合う欧米文化の匂いが強く感じられました。宮内庁が使い出した「前天皇」「新天皇」にも共通性があります。
【関連記事】「ご学友」天皇論の限界──橋本明さんの不思議な文体〈https://saitoyoshihisa.blog.ss-blog.jp/2009-08-04-2〉
庶民なら気軽に名前を呼び合うのもかまいませんが、せめて皇室については千年を超える歴史と文化を大切にしたいものです。譲位された天皇を「先帝」とお呼びすべきか否かよりも、こっちの方が深刻なような気がします。
天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで [女系継承容認]
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天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月5日》
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さて、年明け早々、毎日新聞(電子版)にたいへん刺激的な記事が載りました。伊藤智永編集委員兼論説委員による「象徴天皇制を続けますか」という、きわめて挑発的なタイトルの記事で、安倍総理に女系継承容認を迫っています。
〈https://mainichi.jp/articles/20200104/ddm/005/070/012000c?yclid=YJAD.1578199679.Vy2ZXbedcq1M8vrxPPrYksSnCWxVveI2L1yG26FDJPXdS5RehCgvbmhpy9kfZIreWAqjvzjUC6wuk88-〉
簡単に要約すると、平成元年は祝賀ムードで過ぎたが、先帝が投げかけた「宿題」は手付かずのままだ。皇室が絶える日は近づいている。先帝は1つの象徴像を模索され、示された。実現した御代替わりは象徴天皇制の成熟と評価される。しかし天皇がいなくなれば、憲法体系は抜本的改変を迫られる。世論も自民党内も女性・女系容認論が大勢を占める。安倍政権が大胆に決断すれば歴史に名を刻む、というわけです。
問題の核心は、象徴天皇制とは何か、です。そして、先帝と伊藤さんとでは意味が違うように私は思います。とすれば、結論は同じにはなりません。もう1つは、皇統の危機は間違いないとして、女性天皇・女系継承容認以外に方法はないのか、ということです。以下、検討します。
▽1 先帝の「象徴」と伊藤さんの「象徴」
伊藤さんによれば、先帝は皇太子時代から、憲法に記された象徴天皇像を模索してこられました。弱者や被災者らに寄り添う「旅」は「象徴がなすことを創造し、国民の敬愛を重ねて一つの『型』を打ち立て」られたものでした。しかし違うのです。
伊藤さんの「象徴」はあくまで現行憲法を出発点としていますが、先帝は違います。先帝は皇位継承後、機会あるごとに、「伝統」と「憲法」との両方を追求すると述べられています。
伊藤さんの記事には皇室の「伝統」が抜けています。古来、スメラミコトとして国の中心にあり、国と民を統合してきた天皇の役割への眼差しが欠けています。天皇は現行憲法公布のはるか以前から「国民統合の象徴」だったことが見落とされています。
先帝が問いかけられたのは、主権者たる「国民が皇室を存続させるつもりなら、今の皇位継承のしくみでは難しいですよ」というのではなくて、むしろ象徴天皇制の暗黙の前提とされているご公務主義、行動主義の評価ではないでしょうか。
現行憲法は、天皇は国事行為のみを行うと定めています。具体的にいえば、伊藤さんが例示する「首相と最高裁長官の任命、憲法改正や法律・政令・条約の公布、国会召集と衆議院解散、大臣や上級官吏の任免」がそれです。
伊藤さんが指摘するように、「天皇がいなくなったら、憲法体系の抜本改変は避けられない」ことになります。だから、と伊藤さんは論を進めるのですが、先帝が模索された象徴天皇像は、むろん国事行為のみを行う天皇ではありません。むしろ憲法には具体的定めのない、象徴的行為=御公務をなさる天皇です。そして、その御公務の背後にあるのは、ひたすら国と民のために捧げられた歴代天皇の祈りの蓄積です。
伊藤さんは、先帝が皇后とともに重ねられた「旅」によって象徴天皇像を「創造」し、国民はこれを敬愛して、1つの「型」が打ち立てられたと解説していますが、国民が敬愛するのは、憲法上の象徴ではなく、憲法の条文にはない、いわば非憲法的な天皇像なのです。
したがって、伊藤さんが指摘したように、天皇がいなくなれば憲法体系が破綻するというのではなく、すでに現行憲法が空文化しているのであって、法の不足分を補完してきたのが先帝の「旅」だったのではないでしょうか。憲法の象徴天皇像は日本の歴史と乖離しています。
126代続いてきた天皇は国民の知らないところで、国と民のために祈る祭り主でした。先帝が被災地で被災者に親しく声をかけられるのは、この祈りを行動に示された結果です。国民は先帝の行為の背後に見える、歴代の祈りの蓄積にこそ心を揺り動かされるのではありませんか。
▽2 皇室のルールを臣下が変えることの是非
皇室には皇室固有の皇位継承についてのルールがあります。男系継承はまさにそれでしょう。それは憲法上、主権者とされる国民が勝手に変えていいものでしょうか。これは憲法問題ではなく、文明上の問題です。
伊藤さんが仰せのように、天皇がいなくなったら憲法体系は崩壊するから、そうはならないように、国民主権の名のもとに、国民が、そしてその代表たる首相は決断すべきだと考えることは、その時点で、もはや天皇とはいえない、名ばかりの天皇を新たに作り上げることにならないでしょうか。
伊藤さんは、「象徴天皇が政治のモラルを担う安心感は、思いのほか大きい」「象徴天皇制は民主主義の欲望と傲慢さと愚かさを補う」と評価しますが、プラス面ばかりとは限りません。天皇が被災者たちを激励しなければならないのは、行政の無能、怠慢の裏返しではないのですか。
伊藤さんは、女系継承容認への決断を安倍政権に迫っています。改元の実現とあわせて、歴史に名を刻むだろうと誘っていますが、まったく逆ではありませんか。
今回の改元は、古来の代始め改元とはまったく異質の、いわば退位記念改元でした。女性天皇は過去に確かに存在しますが、夫があり、あるいは子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。まして歴史にない女系継承を国民主権を名目に容認したとして、皇配選びや御公務のあり方についてどう考えるのでしょうか。
天皇の配偶者となれば、いろいろな条件が求められるでしょう。家柄も問われます。その子孫にも継承権が認められるには、皇配にも皇族性が求められるでしょう。しかしここで矛盾が生まれます。皇配は女性天皇より皇位継承順位の低い遠系の男子でなければなりませんが、それなら近系の女子を優先するより、遠系の男子が皇位を継承すべきだからです。
伊藤さんもよくご存知のように、史書によれば、25代武烈天皇が皇嗣なきまま崩御されたのち、皇位を継承された継体天皇は15代応神天皇の五世孫で、即位後、武烈天皇の姉手白香皇女を皇后とされました。200年前の119代光格天皇の皇后は先帝後桃園天皇の第一皇女です。これが皇室のルールです。勝手に変えるべきではありません。
伊藤さんが指摘するように、先帝は1つの象徴天皇像を示されました。近代主義的行動主義、御公務主義というべきものですが、それには2つの限界がありました。
1つは御公務の件数が無限に増えていく可能性です。毎日新聞の写真展にお出ましになって、他社の美術展にはお出ましにならないというわけにはいかないからです。2つ目は、健康と体力が絶対的要件だということです。老境に達せられた先帝が譲位を決断された理由こそまさにこれでした。
先帝が「宿題」とされたのは、伊藤さんが仰せの、皇位継承の仕組みではなく、126代続いてきた古来の天皇制とは異なる、現行憲法が定める象徴天皇制での多忙を極める御公務のあり方です。つまり、天皇とは何だったのか、天皇のお務めとは何か、です。
先帝の御在位20年を過ぎたころから、宮内庁は御公務御負担軽減策に取り組みました。しかし、見事に失敗しました。文字通り激減したのは宮中祭祀であり、御公務は逆に増えました。失敗の責任を問うこともせずに、女性天皇はまだしも、歴史にない女系継承容認に挑戦することは論理の飛躍であり、角を矯めて牛を殺すことになりませんか。いやむしろご主張の目的はそこにあるとみるのは穿ち過ぎでしょうか。
憲法は皇位の世襲を定めています。dynasticの和訳でした。王朝の支配がもともとの意味です。必然的に王朝の変更をもたらす女系継承容認は、憲法に違反します。伊藤さんは皇室の伝統にも憲法にも反しない、男系の絶えない仕組みを、なぜ模索しないのですか。
天皇制をやめるんですか──伊藤智永・毎日新聞編集委員の皇室記事を読んで
《斎藤吉久のブログ 令和2年1月5日》
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さて、年明け早々、毎日新聞(電子版)にたいへん刺激的な記事が載りました。伊藤智永編集委員兼論説委員による「象徴天皇制を続けますか」という、きわめて挑発的なタイトルの記事で、安倍総理に女系継承容認を迫っています。
〈https://mainichi.jp/articles/20200104/ddm/005/070/012000c?yclid=YJAD.1578199679.Vy2ZXbedcq1M8vrxPPrYksSnCWxVveI2L1yG26FDJPXdS5RehCgvbmhpy9kfZIreWAqjvzjUC6wuk88-〉
簡単に要約すると、平成元年は祝賀ムードで過ぎたが、先帝が投げかけた「宿題」は手付かずのままだ。皇室が絶える日は近づいている。先帝は1つの象徴像を模索され、示された。実現した御代替わりは象徴天皇制の成熟と評価される。しかし天皇がいなくなれば、憲法体系は抜本的改変を迫られる。世論も自民党内も女性・女系容認論が大勢を占める。安倍政権が大胆に決断すれば歴史に名を刻む、というわけです。
問題の核心は、象徴天皇制とは何か、です。そして、先帝と伊藤さんとでは意味が違うように私は思います。とすれば、結論は同じにはなりません。もう1つは、皇統の危機は間違いないとして、女性天皇・女系継承容認以外に方法はないのか、ということです。以下、検討します。
▽1 先帝の「象徴」と伊藤さんの「象徴」
伊藤さんによれば、先帝は皇太子時代から、憲法に記された象徴天皇像を模索してこられました。弱者や被災者らに寄り添う「旅」は「象徴がなすことを創造し、国民の敬愛を重ねて一つの『型』を打ち立て」られたものでした。しかし違うのです。
伊藤さんの「象徴」はあくまで現行憲法を出発点としていますが、先帝は違います。先帝は皇位継承後、機会あるごとに、「伝統」と「憲法」との両方を追求すると述べられています。
伊藤さんの記事には皇室の「伝統」が抜けています。古来、スメラミコトとして国の中心にあり、国と民を統合してきた天皇の役割への眼差しが欠けています。天皇は現行憲法公布のはるか以前から「国民統合の象徴」だったことが見落とされています。
先帝が問いかけられたのは、主権者たる「国民が皇室を存続させるつもりなら、今の皇位継承のしくみでは難しいですよ」というのではなくて、むしろ象徴天皇制の暗黙の前提とされているご公務主義、行動主義の評価ではないでしょうか。
現行憲法は、天皇は国事行為のみを行うと定めています。具体的にいえば、伊藤さんが例示する「首相と最高裁長官の任命、憲法改正や法律・政令・条約の公布、国会召集と衆議院解散、大臣や上級官吏の任免」がそれです。
伊藤さんが指摘するように、「天皇がいなくなったら、憲法体系の抜本改変は避けられない」ことになります。だから、と伊藤さんは論を進めるのですが、先帝が模索された象徴天皇像は、むろん国事行為のみを行う天皇ではありません。むしろ憲法には具体的定めのない、象徴的行為=御公務をなさる天皇です。そして、その御公務の背後にあるのは、ひたすら国と民のために捧げられた歴代天皇の祈りの蓄積です。
伊藤さんは、先帝が皇后とともに重ねられた「旅」によって象徴天皇像を「創造」し、国民はこれを敬愛して、1つの「型」が打ち立てられたと解説していますが、国民が敬愛するのは、憲法上の象徴ではなく、憲法の条文にはない、いわば非憲法的な天皇像なのです。
したがって、伊藤さんが指摘したように、天皇がいなくなれば憲法体系が破綻するというのではなく、すでに現行憲法が空文化しているのであって、法の不足分を補完してきたのが先帝の「旅」だったのではないでしょうか。憲法の象徴天皇像は日本の歴史と乖離しています。
126代続いてきた天皇は国民の知らないところで、国と民のために祈る祭り主でした。先帝が被災地で被災者に親しく声をかけられるのは、この祈りを行動に示された結果です。国民は先帝の行為の背後に見える、歴代の祈りの蓄積にこそ心を揺り動かされるのではありませんか。
▽2 皇室のルールを臣下が変えることの是非
皇室には皇室固有の皇位継承についてのルールがあります。男系継承はまさにそれでしょう。それは憲法上、主権者とされる国民が勝手に変えていいものでしょうか。これは憲法問題ではなく、文明上の問題です。
伊藤さんが仰せのように、天皇がいなくなったら憲法体系は崩壊するから、そうはならないように、国民主権の名のもとに、国民が、そしてその代表たる首相は決断すべきだと考えることは、その時点で、もはや天皇とはいえない、名ばかりの天皇を新たに作り上げることにならないでしょうか。
伊藤さんは、「象徴天皇が政治のモラルを担う安心感は、思いのほか大きい」「象徴天皇制は民主主義の欲望と傲慢さと愚かさを補う」と評価しますが、プラス面ばかりとは限りません。天皇が被災者たちを激励しなければならないのは、行政の無能、怠慢の裏返しではないのですか。
伊藤さんは、女系継承容認への決断を安倍政権に迫っています。改元の実現とあわせて、歴史に名を刻むだろうと誘っていますが、まったく逆ではありませんか。
今回の改元は、古来の代始め改元とはまったく異質の、いわば退位記念改元でした。女性天皇は過去に確かに存在しますが、夫があり、あるいは子育て中の女性天皇は歴史に存在しません。まして歴史にない女系継承を国民主権を名目に容認したとして、皇配選びや御公務のあり方についてどう考えるのでしょうか。
天皇の配偶者となれば、いろいろな条件が求められるでしょう。家柄も問われます。その子孫にも継承権が認められるには、皇配にも皇族性が求められるでしょう。しかしここで矛盾が生まれます。皇配は女性天皇より皇位継承順位の低い遠系の男子でなければなりませんが、それなら近系の女子を優先するより、遠系の男子が皇位を継承すべきだからです。
伊藤さんもよくご存知のように、史書によれば、25代武烈天皇が皇嗣なきまま崩御されたのち、皇位を継承された継体天皇は15代応神天皇の五世孫で、即位後、武烈天皇の姉手白香皇女を皇后とされました。200年前の119代光格天皇の皇后は先帝後桃園天皇の第一皇女です。これが皇室のルールです。勝手に変えるべきではありません。
伊藤さんが指摘するように、先帝は1つの象徴天皇像を示されました。近代主義的行動主義、御公務主義というべきものですが、それには2つの限界がありました。
1つは御公務の件数が無限に増えていく可能性です。毎日新聞の写真展にお出ましになって、他社の美術展にはお出ましにならないというわけにはいかないからです。2つ目は、健康と体力が絶対的要件だということです。老境に達せられた先帝が譲位を決断された理由こそまさにこれでした。
先帝が「宿題」とされたのは、伊藤さんが仰せの、皇位継承の仕組みではなく、126代続いてきた古来の天皇制とは異なる、現行憲法が定める象徴天皇制での多忙を極める御公務のあり方です。つまり、天皇とは何だったのか、天皇のお務めとは何か、です。
先帝の御在位20年を過ぎたころから、宮内庁は御公務御負担軽減策に取り組みました。しかし、見事に失敗しました。文字通り激減したのは宮中祭祀であり、御公務は逆に増えました。失敗の責任を問うこともせずに、女性天皇はまだしも、歴史にない女系継承容認に挑戦することは論理の飛躍であり、角を矯めて牛を殺すことになりませんか。いやむしろご主張の目的はそこにあるとみるのは穿ち過ぎでしょうか。
憲法は皇位の世襲を定めています。dynasticの和訳でした。王朝の支配がもともとの意味です。必然的に王朝の変更をもたらす女系継承容認は、憲法に違反します。伊藤さんは皇室の伝統にも憲法にも反しない、男系の絶えない仕組みを、なぜ模索しないのですか。
個人商店と株式会社の狭間──現代の皇室が抱える矛盾 [天皇・皇室]
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
個人商店と株式会社の狭間──現代の皇室が抱える矛盾
《斎藤吉久のブログ 令和元年12月31日》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一昨日の29日、たいへん考えさせられる記事が共同通信(47 NEWS )から配信された。大木賢一記者による「新天皇が見せた『重大な変化』とは 上皇の前例踏襲せず 国との関係性に影響?」〈https://this.kiji.is/582556828454388833?c=39546741839462401〉である。
記事は、9月に秋田で開かれた海づくり大会で、皇位継承後はじめてご臨席になった今上天皇が、国歌斉唱の際に皇后陛下とともに、「示し合わせたかのようにくるりと後ろを向いた」。先帝の時代にはなかった「異変」だ、と指摘している。
記者たちを驚かせた「令和流」について、宮内庁は「国民を大切に思い、共に歩むという点では、上皇ご夫妻と変わらないだろう」と取材に答えたというのだが、識者たちは違う。
▽1 君が代に背を向け、国旗を仰ぐ
「日の丸を背負って君が代を受け止める」という先帝の前例を踏襲しない、「君が代に背を向ける」今上天皇の「重大な変化」について、「国民と同じ視線と立場で共に国に敬意を表した」(河西秀哉准教授)、「国の最上位の公共性を表示する国旗に、陛下は公共性の究極の体現者として、敬意を表された」(高森明勅氏)、「涙が出る。今現在はたまたま自分が国を預かっているという認識の表れ」(八木秀次教授)とそれぞれに評価する研究者もいる。
その一方で、「国民の国への過剰な帰属意識を誘う危険もある」(原武史教授)、「右派を利することにもなりかねないそうした行動は自重すべきだ」(池田直樹弁護士)と警戒する人たちもいる。その背後にはいうまでもなく、「君が代は国民を戦争に動員するものとして歌われた歴史がある」(河西准教授)との見方がある。
些細なことのようにも見える変化を、大木記者が「重大」と捉えるのは、日の丸・君が代問題の悩ましさがあり、「国と天皇との関係性」を変えるかもしれないと考えるからだが、私にはむしろ現代天皇制が抱える矛盾を浮き彫りにしているように感じられた。それは大木記者の事実認識と識者たちの反応のなかに見え隠れしている。
まず事実を振り返ると、大木記者によれば、先帝は皇后とともに式典の国歌斉唱で参列者の方を向いたままだったが、今上は皇后とともに後ろを向き、国旗を振り仰いだとされている。この「異変」に大木記者ほか取材記者らが注目し、そして研究者たちは国旗を仰ぎ見られた事実に着目している。
ここで気づかされるのは、大木記者も教授たちも、先帝および今上天皇の行為が個人もしくは皇后との共同による行為と判断されていることである。天皇はかつてのような藩屏に囲まれた存在ではなく、いわば個人商店であり、そして上御一人ではなく、つねに「両陛下」と呼ばれる、いわば一夫一婦天皇制が標準であることが暗黙の前提となっている。
そうだとして、一方では日本国憲法の国民主権主義下での象徴天皇制という枠組みのなかでは、天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくのであり、であれば、天皇の個人的もしくは皇后との共同的行為がいわば株式会社の株主とされている国民の絶対的支持を得られるかどうかが問われることになる。
大木記者の記事はこのような問題意識から生まれたものと思われる。
▽2 天皇は「個人」でいいのか
しかし、あらためて見直すと、事実は大木記者の理解と少し異なるように思う。つまり、側近の関わりが見逃されているのである。
共同通信のサイトに載る画像をよく見ると、2年前の福岡大会で、先帝は皇后とともに参列者の方を向いたままだが、かたわらの側近もまた同様に国旗を仰いではいない。他方、今年の秋田大会では、今上も皇后も、そして側近も同様に後ろを向いている。国旗を仰いでいるのは今上と皇后だけではない。
つまり、先帝、今上ともに、天皇個人の判断もしくは皇后との二人三脚ではなく、側近との何らかの打ち合わせがあり、そのうえでの統一行動であることが容易に推測される。
大木記者の記事によると、今上は皇太子時代から「後ろを振り返っている」という。とすれば、「前例を覆した」のではなく、皇太子時代の「踏襲」といえる。側近の侍従職は東宮侍従からの持ち上がりだろうから、今上にとっては「異変」ではない。大木記者は、今上が皇后に「目配せした」ことをもって、「重大な変化」への意気込みであるかのように匂わせているが思い込みではなかろうか。
問題は側近の関わり具合であろう。
大木記者の記事に見られるように、平成も令和も、現代の天皇は間違いなく個人商店化している。支える藩屏の不在は昭和の時代から指摘されている。大木記者のような指摘が当然だとすれば、側近は事前によくご相談申し上げるべきだろう。ただし、的確な輔弼が可能かどうか。
天皇のお言葉は、かつての宣命や勅語とはまるで違い、現代では個人の言葉に変わっている。今回の御代替わりは先帝のビデオ・メッセージに始まるが、あのお言葉には文章が飛んでいる箇所があり、明らかに第三者による推敲の跡が見受けられる。とはいえ、もともと専門の職掌の作成ではないだろう。200年前の光格天皇の譲位の宣命が文章博士によって書かれたのとは、まったく異なる。
藩屏を失い、個人としてお言葉を述べ、行動される。せいぜい皇后だけが唯一無二の協力者であるという個人商店化した現代の天皇にとって、国民の総意に基づくとする皇位を揺るぎなきものとなるためには、究極のポピュリズムを演じなければならないということにはならないか。
他方、国民からすれば、個人化した皇室はアイドルか、個人崇拝の対象となりかねない。事実、メディアは動物園を視察する殿下やダンス好きの内親王を話題にし、国民の関心を煽っている。それは「天皇に私なし」とされる、126代続いてきた皇室の歴史と伝統の対極にある。
天皇は個人でいいのか、大木記者はそこを取り上げてほしい。そして識者たちも考えてほしい。
個人商店と株式会社の狭間──現代の皇室が抱える矛盾
《斎藤吉久のブログ 令和元年12月31日》
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一昨日の29日、たいへん考えさせられる記事が共同通信(47 NEWS )から配信された。大木賢一記者による「新天皇が見せた『重大な変化』とは 上皇の前例踏襲せず 国との関係性に影響?」〈https://this.kiji.is/582556828454388833?c=39546741839462401〉である。
記事は、9月に秋田で開かれた海づくり大会で、皇位継承後はじめてご臨席になった今上天皇が、国歌斉唱の際に皇后陛下とともに、「示し合わせたかのようにくるりと後ろを向いた」。先帝の時代にはなかった「異変」だ、と指摘している。
記者たちを驚かせた「令和流」について、宮内庁は「国民を大切に思い、共に歩むという点では、上皇ご夫妻と変わらないだろう」と取材に答えたというのだが、識者たちは違う。
▽1 君が代に背を向け、国旗を仰ぐ
「日の丸を背負って君が代を受け止める」という先帝の前例を踏襲しない、「君が代に背を向ける」今上天皇の「重大な変化」について、「国民と同じ視線と立場で共に国に敬意を表した」(河西秀哉准教授)、「国の最上位の公共性を表示する国旗に、陛下は公共性の究極の体現者として、敬意を表された」(高森明勅氏)、「涙が出る。今現在はたまたま自分が国を預かっているという認識の表れ」(八木秀次教授)とそれぞれに評価する研究者もいる。
その一方で、「国民の国への過剰な帰属意識を誘う危険もある」(原武史教授)、「右派を利することにもなりかねないそうした行動は自重すべきだ」(池田直樹弁護士)と警戒する人たちもいる。その背後にはいうまでもなく、「君が代は国民を戦争に動員するものとして歌われた歴史がある」(河西准教授)との見方がある。
些細なことのようにも見える変化を、大木記者が「重大」と捉えるのは、日の丸・君が代問題の悩ましさがあり、「国と天皇との関係性」を変えるかもしれないと考えるからだが、私にはむしろ現代天皇制が抱える矛盾を浮き彫りにしているように感じられた。それは大木記者の事実認識と識者たちの反応のなかに見え隠れしている。
まず事実を振り返ると、大木記者によれば、先帝は皇后とともに式典の国歌斉唱で参列者の方を向いたままだったが、今上は皇后とともに後ろを向き、国旗を振り仰いだとされている。この「異変」に大木記者ほか取材記者らが注目し、そして研究者たちは国旗を仰ぎ見られた事実に着目している。
ここで気づかされるのは、大木記者も教授たちも、先帝および今上天皇の行為が個人もしくは皇后との共同による行為と判断されていることである。天皇はかつてのような藩屏に囲まれた存在ではなく、いわば個人商店であり、そして上御一人ではなく、つねに「両陛下」と呼ばれる、いわば一夫一婦天皇制が標準であることが暗黙の前提となっている。
そうだとして、一方では日本国憲法の国民主権主義下での象徴天皇制という枠組みのなかでは、天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づくのであり、であれば、天皇の個人的もしくは皇后との共同的行為がいわば株式会社の株主とされている国民の絶対的支持を得られるかどうかが問われることになる。
大木記者の記事はこのような問題意識から生まれたものと思われる。
▽2 天皇は「個人」でいいのか
しかし、あらためて見直すと、事実は大木記者の理解と少し異なるように思う。つまり、側近の関わりが見逃されているのである。
共同通信のサイトに載る画像をよく見ると、2年前の福岡大会で、先帝は皇后とともに参列者の方を向いたままだが、かたわらの側近もまた同様に国旗を仰いではいない。他方、今年の秋田大会では、今上も皇后も、そして側近も同様に後ろを向いている。国旗を仰いでいるのは今上と皇后だけではない。
つまり、先帝、今上ともに、天皇個人の判断もしくは皇后との二人三脚ではなく、側近との何らかの打ち合わせがあり、そのうえでの統一行動であることが容易に推測される。
大木記者の記事によると、今上は皇太子時代から「後ろを振り返っている」という。とすれば、「前例を覆した」のではなく、皇太子時代の「踏襲」といえる。側近の侍従職は東宮侍従からの持ち上がりだろうから、今上にとっては「異変」ではない。大木記者は、今上が皇后に「目配せした」ことをもって、「重大な変化」への意気込みであるかのように匂わせているが思い込みではなかろうか。
問題は側近の関わり具合であろう。
大木記者の記事に見られるように、平成も令和も、現代の天皇は間違いなく個人商店化している。支える藩屏の不在は昭和の時代から指摘されている。大木記者のような指摘が当然だとすれば、側近は事前によくご相談申し上げるべきだろう。ただし、的確な輔弼が可能かどうか。
天皇のお言葉は、かつての宣命や勅語とはまるで違い、現代では個人の言葉に変わっている。今回の御代替わりは先帝のビデオ・メッセージに始まるが、あのお言葉には文章が飛んでいる箇所があり、明らかに第三者による推敲の跡が見受けられる。とはいえ、もともと専門の職掌の作成ではないだろう。200年前の光格天皇の譲位の宣命が文章博士によって書かれたのとは、まったく異なる。
藩屏を失い、個人としてお言葉を述べ、行動される。せいぜい皇后だけが唯一無二の協力者であるという個人商店化した現代の天皇にとって、国民の総意に基づくとする皇位を揺るぎなきものとなるためには、究極のポピュリズムを演じなければならないということにはならないか。
他方、国民からすれば、個人化した皇室はアイドルか、個人崇拝の対象となりかねない。事実、メディアは動物園を視察する殿下やダンス好きの内親王を話題にし、国民の関心を煽っている。それは「天皇に私なし」とされる、126代続いてきた皇室の歴史と伝統の対極にある。
天皇は個人でいいのか、大木記者はそこを取り上げてほしい。そして識者たちも考えてほしい。
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