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阿波踊りの浴衣から消えた「卍」マーク [仏教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。


 ちょっと疲れ気味なので、肩のこらないお話を書きます。

 今朝の朝日新聞に載っていましたが、サッカー・ワールドカップを前に、日本の伝統文化をピーアールするため、ドイツに出発した徳島の阿波踊りチームの浴衣から伝統の「卍」のマークが消えたそうです。
 http://www.asahi.com/sports/update/0522/143.html

「卍」は徳島藩主・蜂須賀家の家紋で、踊りグループの「連」の浴衣にあしらわれてきましたが、ナチス・ドイツの「カギ十字」を連想させるというので、「配慮」したようです。

 相手に誤解されないように自発的に配慮する、というのが日本人の美徳です。

 しかしちょっと待ってほしい。「卍」と「カギ十字」は別物です。「卍」を見て、誰が「カギ十字」を連想するのですか。連想する人がいれば、自分たちの文化を正々堂々と説明すればいいじゃないですか。なぜ自制するんでしょうか。

 ナチスのユダヤ人虐殺はあってはならない蛮行ですが、日本の仏教文化は世界に誇るべきものではないのでしょうか。

 外に発信せずに、言葉で説明せずに、自重するという日本人の価値観が必ずしも国際社会に通用しないことは、日中間の靖国問題が証明しているのではないでしょうか。日本文化を説明するまたのない機会のはずなのに、なぜ自分からチャンスを摘んでしまうのでしょう。

「卍」といえば、私が学生時代を過ごした青森県弘前市の市章は「卍」でした。お寺の町のイメージからそのようになったのでしょう。マンホールなど町のあちらこちらに「卍」が描かれています。制定は1900年といいます。

 そのため、敗戦直後、やってきた進駐軍がそれらを見て、驚いたという話を聞いたことがあります。しかし、だからといって、占領中に市章をあらためたという話は聞きません。

「卍」の市章を「廃止」させたのは「平成の大合併」です。近隣の町村と合併することになって、以前の市章は廃止され、新たにつくられるのだそうです。
 http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/0313/nto0313_15.asp

 1つの宗教文化が消えようとしています。

タグ:仏教
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比叡山の高僧は組長らに何を語ったのか [仏教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(2006年5月19日)からの転載です。

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比叡山の高僧は組長らに何を語ったのか
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 いまや「世界遺産」となった比叡山延暦寺の高僧たちが、指定暴力団山組組の歴代組長の法要が営まれた「問題」の責任をとって、辞任したと報道されています。
 http://www.asahi.com/national/update/0518/OSK200605180073.html
 
 報道によると、法要があったのは先月下旬です。県警は前日に開催を知り、口頭で比叡山に中止を求めました。「新組長の威力誇示と資金集めが目的」というのが県警の見方ですが、寺側は「大規模な法要を直前に断れない」と判断し、法要は予定通り営まれました。

 当日は、一般の拝観が終わってから、全国の組長らが90人ほど集まり、法要が営まれ、とくに目立った混乱はなかったと伝えられます。

 県警は「事前に相談してほしかった」と不満げで、寺側は「一般人の迷惑にならない時間帯にしたが、今後は暴力団の法要は断る」と記者に答えています。

 仏教界では30年前に「暴力団の資金集めや威力誇示に利用される葬儀・法要は拒否しよう」という共同声明を出しているのだそうですが、どうにも腑に落ちません。

 警察が法要を「威力誇示、資金集め」と見なし、暴力団を追いつめようとするのは理解できます。しかし人目のつかない時間帯に、90人程度が参列する法要まで規制するとなると、「暴力団は死者の供養もしてはならない」ということになりかねません。

 警察の論理は論理として、宗教者はなぜ暴力団の葬儀・法要を「拒否」しなければならないのでしょうか。なぜ「今後は断る」などと表明しなければならないのでしょう。

 この世の善人であれ、悪人であれ、等しく回向を手向けるのが仏教なのではないでしょうか。仏法の教えに立つなら、今回の法要はむしろ責めるべきことではないし、引責辞任は飛躍ではないでしょうか。

 高僧たちは、警察に対しても、マスコミに対しても、怨親平等、分け隔てなく死者を弔う仏教の精神をこそ伝えるべきで、今回のような現象は逆に宗教者自身が宗教の精神を失っているのではないかという疑いを招きます。

 ところで、法要には講話がつきものですが、比叡山の高僧は全国から集まった山口組の組長さんたちに何を語ったのでしょうか。

 不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)という在家の五戒についてお話しされませんでしたか。

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