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比叡山の高僧は組長らに何を語ったのか [仏教]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(2006年5月19日)からの転載です。

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比叡山の高僧は組長らに何を語ったのか
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 いまや「世界遺産」となった比叡山延暦寺の高僧たちが、指定暴力団山組組の歴代組長の法要が営まれた「問題」の責任をとって、辞任したと報道されています。
 http://www.asahi.com/national/update/0518/OSK200605180073.html
 
 報道によると、法要があったのは先月下旬です。県警は前日に開催を知り、口頭で比叡山に中止を求めました。「新組長の威力誇示と資金集めが目的」というのが県警の見方ですが、寺側は「大規模な法要を直前に断れない」と判断し、法要は予定通り営まれました。

 当日は、一般の拝観が終わってから、全国の組長らが90人ほど集まり、法要が営まれ、とくに目立った混乱はなかったと伝えられます。

 県警は「事前に相談してほしかった」と不満げで、寺側は「一般人の迷惑にならない時間帯にしたが、今後は暴力団の法要は断る」と記者に答えています。

 仏教界では30年前に「暴力団の資金集めや威力誇示に利用される葬儀・法要は拒否しよう」という共同声明を出しているのだそうですが、どうにも腑に落ちません。

 警察が法要を「威力誇示、資金集め」と見なし、暴力団を追いつめようとするのは理解できます。しかし人目のつかない時間帯に、90人程度が参列する法要まで規制するとなると、「暴力団は死者の供養もしてはならない」ということになりかねません。

 警察の論理は論理として、宗教者はなぜ暴力団の葬儀・法要を「拒否」しなければならないのでしょうか。なぜ「今後は断る」などと表明しなければならないのでしょう。

 この世の善人であれ、悪人であれ、等しく回向を手向けるのが仏教なのではないでしょうか。仏法の教えに立つなら、今回の法要はむしろ責めるべきことではないし、引責辞任は飛躍ではないでしょうか。

 高僧たちは、警察に対しても、マスコミに対しても、怨親平等、分け隔てなく死者を弔う仏教の精神をこそ伝えるべきで、今回のような現象は逆に宗教者自身が宗教の精神を失っているのではないかという疑いを招きます。

 ところで、法要には講話がつきものですが、比叡山の高僧は全国から集まった山口組の組長さんたちに何を語ったのでしょうか。

 不殺生戒(ふせっしょうかい)、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、不邪淫戒(ふじゃいんかい)、不妄語戒(ふもうごかい)、不飲酒戒(ふおんじゅかい)という在家の五戒についてお話しされませんでしたか。

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