1 天皇学への課題 その2 by 斎藤吉久───吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』を読む [天皇]
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2010年3月9日)からの転載です
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1 天皇学への課題 その2 by 斎藤吉久
───吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』を読む
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東大大学院の吉見教授が『天皇とアメリカ』という新著を出しました。オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス-スズキ教授とのあいだで行われた、5年にわたる対談を整理し、まとめたものです。
吉見教授はもう20数年前になるでしょうか、万国博覧会を研究テーマに颯爽とアカデミズムの世界に登場し、一躍、時の人となりました。私も編集者として取材を試みた記憶があります。
しかし今回の本は期待はずれでした。タイトルに引かれ、さっそくアマゾンで手に入れて読んだのですが、目新しい事実の発見もないし、分析の枠組みも古臭いという印象が否めません。
▽1 日韓両民族の融和のために
たとえば、朝鮮神宮です。
テッサ教授によるプロローグは、アメリカ人女性版画家バーサ・ラムが見た朝鮮神宮の体験記から始まります。テッサ教授は「この神社は植民地臣民に天皇への尊敬の念を植え付ける政策によって建てられた」と断定的に説明します。
一方の吉見教授は、個人の歴史からこの神社に格別の思いがあるようです。エピローグには、家族の思い出とともに、「異国の神」の「支配」が、これまた断定的につづられています。
私がこれまで指摘してきたように、そしてこのメルマガの読者ならすでにご存じのように、朝鮮神宮の創建は明治末に神道人の葦津耕次郎が初代韓国総監の伊藤博文に直接、建言したことに始まります。
「陛下の思し召しである日韓両民族の融合親和のために、命がけで働いていただきたい。そのためには朝鮮2000万民族のあらゆる祖神を合祀する神社を建立し、あなたが祭主となって敬神崇祖の大道を教えなければならない」
一介の野人が高位高官を前に一時間もまくし立てるのを、伊藤は座布団をはずして傾聴し、賛同し、実行を約束したといいます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1104ashizu.html
ところが、いざ鎮座するというとき、祀られる祭神が天照大神と明治天皇であることが判明し、葦津耕次郎ら神道人たちが猛反対し、政府と鋭く対立します。ほかならぬ初代宮司高松四郎までが反対の建言書に署名したというのですから、まったく驚きです。
▽2 50年前の天皇論争から進歩がない
つまり問題は、「文字通り暴力的に国家が侵入し、それとワンセットで神社が、建造物として入っていく」(吉見教授)という「日本のアジア侵略」の結果を解説するのでは、まったく不十分なのです。日韓民族の融和を念願する神社人によって構想が始まったのに、なぜほかならぬ神社人が猛反対するような支配のシンボルとなったのか、を事実に基づいて分析する必要があります。
以前、当メルマガは、50年前に葦津珍彦と橋川文三とのあいだで行われた天皇論争を取り上げました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4573024/
天皇制擁護の立場で書かれた葦津論文に対して、橋川は、(1)近代天皇制は悠久の天皇史とは異なる、明治時代にでっち上げられたものだ、(2)天皇制こそが海外侵略の血塗られた元凶(げんきょう)だ、という趣旨の批判を試みます。
すると、とくに後者の批判に対して、葦津は、歴史のつまみ食いだと反論します。明治以来の国体思想家のなかにはアジア解放運動やロシア革命に身をささげた者もいる。韓国農民の指導者・李容九は「日韓合邦」推進者の内田良平と協力した。神道人の今泉定助らは朝鮮独立指導者の呂運亨を支援した。複雑な歴史を単純化して割り切ってしまっては科学にならない、というのです。
在野の研究者の反論に対して、大学教授の橋川は沈黙するだけでした。
この論争から半世紀が過ぎたというのに、吉見、テッサ両教授の対談には、学問的な進歩が何ら感じられません。知的停滞どころか、退行というべきでしょう。研究者としての知的怠慢でしょうか。
▽3 「伝統と近代」モデルでは説明不能
もうひとつ指摘すると、この本の斬新さは、両教授によれば、日本の近現代史を検証するために「天皇」と「アメリカ」という2つの軸を提示したことにあります。「天皇」は伝統、宗教、土着文化、愛国心などを表象し、一方、アメリカは近代、合理主義、外来文化のシンボルです。
しかし、この分析は成功していません。その理由は、両教授が提示した議論の枠組みが「伝統と近代」という一次元的な、昔ながらの手法と大差がないからです。例の西尾幹二名誉教授が東宮批判で犯した誤りと同じです。
両教授がいみじくも指摘するように、逆に「天皇」は近代的であり、「アメリカ」は宗教的です。そんなことは何ら驚くべきことではありません。重要なのは、当メルマガの読者ならご存じのように、「天皇」の「宗教」と「アメリカ」の「宗教」が本質的に異なることです。前者は多神教であり、後者は一神教です。一神教文明と多神教文明の出会いと交流、衝突が日本の近代史の本質でしょう。
図式化して考えてみます。「伝統と近代」モデルでは、次のようになります。
[伝統] ←→ [近代]
日本 アメリカ
天皇制 国民主権主義
宗教 脱宗教
植民地支配 解放独立
▽4 私が提示する二次元モデル
しかしこの一次元モデルでは日本の近現代史を説明できません。次々に矛盾が吹き出し、いきおい都合の悪い史実から目を背けることになります。自然科学ならば原理や法則に合わない事実を探求するところに学問の進歩がありますが、図式通りの都合のいい歴史のつまみ食いでは、観念的な歴史論にとどまるのは必至です。
私が拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』などで申し上げてきた分析の枠組みを図式化すれば、次のような二次元モデルになります。
[多神教]
↑
宮中祭祀 │ アジア解放運動
[伝統]←───┼───→[近代]
│ 近代天皇制
│ 植民地支配
↓
[一神教]
吉見教授らの新著は、天皇や神道を論じようとして、その多神教性、多宗教性が見えていない。天皇を中心とした多神教的文明が、身もだえしながら一神教文明を受容してきた過程が日本の近代であることが見えない。つまり多神教的天皇の文明と一神教的近代天皇制の相克が見えない。とすれば、当然ながら、新鮮味のない対談本を5年もかけて作ることになってしまいます。
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1 天皇学への課題 その2 by 斎藤吉久
───吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』を読む
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東大大学院の吉見教授が『天皇とアメリカ』という新著を出しました。オーストラリア国立大学のテッサ・モーリス-スズキ教授とのあいだで行われた、5年にわたる対談を整理し、まとめたものです。
吉見教授はもう20数年前になるでしょうか、万国博覧会を研究テーマに颯爽とアカデミズムの世界に登場し、一躍、時の人となりました。私も編集者として取材を試みた記憶があります。
しかし今回の本は期待はずれでした。タイトルに引かれ、さっそくアマゾンで手に入れて読んだのですが、目新しい事実の発見もないし、分析の枠組みも古臭いという印象が否めません。
▽1 日韓両民族の融和のために
たとえば、朝鮮神宮です。
テッサ教授によるプロローグは、アメリカ人女性版画家バーサ・ラムが見た朝鮮神宮の体験記から始まります。テッサ教授は「この神社は植民地臣民に天皇への尊敬の念を植え付ける政策によって建てられた」と断定的に説明します。
一方の吉見教授は、個人の歴史からこの神社に格別の思いがあるようです。エピローグには、家族の思い出とともに、「異国の神」の「支配」が、これまた断定的につづられています。
私がこれまで指摘してきたように、そしてこのメルマガの読者ならすでにご存じのように、朝鮮神宮の創建は明治末に神道人の葦津耕次郎が初代韓国総監の伊藤博文に直接、建言したことに始まります。
「陛下の思し召しである日韓両民族の融合親和のために、命がけで働いていただきたい。そのためには朝鮮2000万民族のあらゆる祖神を合祀する神社を建立し、あなたが祭主となって敬神崇祖の大道を教えなければならない」
一介の野人が高位高官を前に一時間もまくし立てるのを、伊藤は座布団をはずして傾聴し、賛同し、実行を約束したといいます。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1104ashizu.html
ところが、いざ鎮座するというとき、祀られる祭神が天照大神と明治天皇であることが判明し、葦津耕次郎ら神道人たちが猛反対し、政府と鋭く対立します。ほかならぬ初代宮司高松四郎までが反対の建言書に署名したというのですから、まったく驚きです。
▽2 50年前の天皇論争から進歩がない
つまり問題は、「文字通り暴力的に国家が侵入し、それとワンセットで神社が、建造物として入っていく」(吉見教授)という「日本のアジア侵略」の結果を解説するのでは、まったく不十分なのです。日韓民族の融和を念願する神社人によって構想が始まったのに、なぜほかならぬ神社人が猛反対するような支配のシンボルとなったのか、を事実に基づいて分析する必要があります。
以前、当メルマガは、50年前に葦津珍彦と橋川文三とのあいだで行われた天皇論争を取り上げました。
http://www.melma.com/backnumber_170937_4573024/
天皇制擁護の立場で書かれた葦津論文に対して、橋川は、(1)近代天皇制は悠久の天皇史とは異なる、明治時代にでっち上げられたものだ、(2)天皇制こそが海外侵略の血塗られた元凶(げんきょう)だ、という趣旨の批判を試みます。
すると、とくに後者の批判に対して、葦津は、歴史のつまみ食いだと反論します。明治以来の国体思想家のなかにはアジア解放運動やロシア革命に身をささげた者もいる。韓国農民の指導者・李容九は「日韓合邦」推進者の内田良平と協力した。神道人の今泉定助らは朝鮮独立指導者の呂運亨を支援した。複雑な歴史を単純化して割り切ってしまっては科学にならない、というのです。
在野の研究者の反論に対して、大学教授の橋川は沈黙するだけでした。
この論争から半世紀が過ぎたというのに、吉見、テッサ両教授の対談には、学問的な進歩が何ら感じられません。知的停滞どころか、退行というべきでしょう。研究者としての知的怠慢でしょうか。
▽3 「伝統と近代」モデルでは説明不能
もうひとつ指摘すると、この本の斬新さは、両教授によれば、日本の近現代史を検証するために「天皇」と「アメリカ」という2つの軸を提示したことにあります。「天皇」は伝統、宗教、土着文化、愛国心などを表象し、一方、アメリカは近代、合理主義、外来文化のシンボルです。
しかし、この分析は成功していません。その理由は、両教授が提示した議論の枠組みが「伝統と近代」という一次元的な、昔ながらの手法と大差がないからです。例の西尾幹二名誉教授が東宮批判で犯した誤りと同じです。
両教授がいみじくも指摘するように、逆に「天皇」は近代的であり、「アメリカ」は宗教的です。そんなことは何ら驚くべきことではありません。重要なのは、当メルマガの読者ならご存じのように、「天皇」の「宗教」と「アメリカ」の「宗教」が本質的に異なることです。前者は多神教であり、後者は一神教です。一神教文明と多神教文明の出会いと交流、衝突が日本の近代史の本質でしょう。
図式化して考えてみます。「伝統と近代」モデルでは、次のようになります。
[伝統] ←→ [近代]
日本 アメリカ
天皇制 国民主権主義
宗教 脱宗教
植民地支配 解放独立
▽4 私が提示する二次元モデル
しかしこの一次元モデルでは日本の近現代史を説明できません。次々に矛盾が吹き出し、いきおい都合の悪い史実から目を背けることになります。自然科学ならば原理や法則に合わない事実を探求するところに学問の進歩がありますが、図式通りの都合のいい歴史のつまみ食いでは、観念的な歴史論にとどまるのは必至です。
私が拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』などで申し上げてきた分析の枠組みを図式化すれば、次のような二次元モデルになります。
[多神教]
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宮中祭祀 │ アジア解放運動
[伝統]←───┼───→[近代]
│ 近代天皇制
│ 植民地支配
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[一神教]
吉見教授らの新著は、天皇や神道を論じようとして、その多神教性、多宗教性が見えていない。天皇を中心とした多神教的文明が、身もだえしながら一神教文明を受容してきた過程が日本の近代であることが見えない。つまり多神教的天皇の文明と一神教的近代天皇制の相克が見えない。とすれば、当然ながら、新鮮味のない対談本を5年もかけて作ることになってしまいます。
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