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変わるイギリスのクリスマス風景!?、ほか [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月21日金曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「UK Today」12月19日、「酔っ払いによるトラブルを防止!? カトリック教会、真夜中のクリスマス礼拝を早めの時間帯に移行」
http://www.japanjournals.com/dailynews/071219/news071219_3.html

 クリスマス・イブの真夜中、午後11時ごろから始まるクリスマス礼拝を、今年は、酔っ払いたちに妨害されるのを防ぐため、夕方6時ごろに早めて挙げるところが少なくないのだそうです。

 日本でも飲酒運転防止のため、神社のお祭りでお神酒をいただくのを自粛する動きが出ています。神々に神饌を供したあと、お下がりを戴く直会があって、祭りが完結するわけですから、お神酒をいただかないのは本来的ではありません。

 イギリスの場合は酔っ払いの妨害による混乱を避ける目的ですから、話が異なりますが、深夜の礼拝という本来の形が保てなくなったという点では似ています。

 と、うっかり書いてしまいましたが、深夜に、つまり時計の午前0時をはさんだクリスマス・ミサが本来的かどうかは疑問が残ります。少なくとも本来という意味を伝統的、歴史的形態と解釈するなら、かなりの疑問があります。

 まず、簡単に簡単に考えれば分かることですが、午前0時を挟んだミサは当然ながら時計の存在が前提です。時計がなかった時代のクリスマス・ミサはどのようなものだったのでしょうか。

 ヨーロッパのクリスマスは、よくいわれるように、古代の冬至の祭りに由来するようです。早稲田大学の植田重雄名誉教授によると、キリスト教徒がキリストの誕生日を祝うようになったのはかなりのちのことでした(『ヨーロッパの祭りと伝承』など)。

 第一、キリストの生誕が「12月25日」であるとは聖書のどこにも書いてありません。教勢が拡大し、キリスト教徒がキリスト誕生を祝うようになって、創世記に人間(アダムとエバ)の創造が「第6日目」と記述してあることから、「1月6日」が「新しいアダム」すなわちキリストの誕生日と認められました。現在でもギリシャ正教ではやはりこの日がキリスト生誕の日とされているようです。

 「12月25日」に変更されたのは、ローマの反教皇派、ヒポリュトス・スキスマが猛反対したのがきっかけといわれます。スキスマは万神殿をも建てた国家宗教の祭日に対抗しようとして、217年12月25日にキリスト誕生の祭りを祝ったのでした。

 この日は、ローマの古い暦によると、冬至の日でした。そのころローマ帝国内で大きな強制を誇っていたミトラ宗教の神で、太陽神であるミトラの誕生を祝う重要な祭日だったのです。ミトラはもともとは古代インドの光の神だったようです。

 このミトラ誕生の祭日をキリスト教徒がキリスト誕生の祭日と定め直すことによって、両者の宗教紛争が火を噴きます。その後、キリスト教がミトラ宗教を制してローマの国教となり、キリストは「世の光」「義の太陽」として宣言されるようになったのでした。

 古代において、冬至の日は、暦のなかでとくに重要な、一年の起点となる日でした。光を弱めた太陽がふたたび生命力を回復していく神秘に古代人は神を感じ、太陽崇拝が広がっていたのですが、古代キリスト教の指導者はこの冬至の日を「キリスト生誕を祝うのにもっとも相応しい日」と考えたのです。

 そしてクリスマスが「12月25日」に定められたのは、381年のコンスタンチノープル第2公会議でのことだそうです。

 さて、イギリスのクリスマスですが、世界的なベストセラー「ハリー・ポッター」には、クリスマスにはロンドンの地下鉄が走っていない、という記述があります。地下鉄どころか、交通機関のほとんどがイブから27日にかけて連休するのだそうです。

 デパートやスーパーは夕方で閉店、医療機関は休診し、学校はクリスマス前から年末年始の休暇に入ります。

 人々は家路を急ぎ、女王陛下のスピーチに耳を傾け、暮れゆく年を家族で共有するのです。植田教授が書いているように、キリスト教の教会暦では、クリスマスは新年の最初の日とされているのでした。

 教会のクリスマス・ミサに参加するというのも歴史的には新しいようです。19世紀のイギリスの文筆家チェインバーズによると、キリスト教の祝祭日前夜は厳格には断食と懺悔の時とされているけれども、ハロウィーンやクリスマス・イブは本来の目的をはずれて、どんちゃん騒ぎの夜のになっていると指摘しています(『イギリス古事民俗誌』)。

 さらに面白いのは、さらに昔は、若者は森に出かけ、ヤドリギを採ってきた。開放された領主の屋敷に小作人や農奴らが押しかけて無礼講になった。丸太がくべられた炉が燃え上がり、高座にはイノシシの頭が供えられ、陽気な仮面隊が大声でキャロルを歌った、と描写されています。

 つまり、イギリスのクリスマスは古代ローマやケルトなどの文化が習合して形成されていることが分かります。

 そのことは同じ19世紀、イギリスの小説家ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』にも見え隠れしています。イブの晩に主人公の家を訪れるのは、天使でもサンタクロースでもなく、昔の仕事仲間の幽霊たちでした。

 古代ブリテン島に住むケルト人たちは大晦日の晩に死霊が各家を訪ねてくる、と信じていたのです。

 蛇足ですが、もう一点付け加えると、一年の節目としての冬至を祝う祭りは日本にもあります。たとえば、京都のある集落ではかつては、イギリスと同様、神霊を迎えるために氏子を挙げて各家に斎籠(いみごも)ったといいいます。

 祭りの期間中は音を忌み、門戸を閉ざしました。外出しないのですから、当然、ロンドンの町と同様に、交通機関は止まったのです。

 近年、日本では華やかなクリスマス行事が盛んに行われます。あれはクリスマスに名を借りた古本古来の冬至の祭りなのではないでしょうか。


2、「中央日報」12月20日、「李明博氏、『国民に奉仕し、希望を与える』」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=94021&servcode=200§code=200

 韓国の次期大統領に決まった李明博氏が、当選後、最初に行ったのは国立墓地顕忠院への参拝でした。

 李氏は長老派教会の信徒といわれますが、殉国者を祀る顕忠塔の祭壇で献花、焼香し、黙祷をささげ、芳名簿に「国民に奉仕する。国民に希望を与える」とメッセージを書き込んだようです。

 参拝の模様は顕忠院のホームページに掲載されています。
http://www.mnd.go.kr:8088/

 蛇足ながら、どこぞの国のように、キリスト者のくせに焼香するのはけしからん、ポケットからさい銭を投げ入れた、というような形式論的な文句をいう人は、かの国ではいまのところ聞きません。


3、「MNS産経ニュース」12月20日、「同性愛に『夫婦』資格。ウルグアイが法案可決」
http://sankei.jp.msn.com/world/america/071220/amr0712202322028-n1.htm

 人口340万人のうち、多くがカトリック教徒といわれるウルグアイが、中南米の国としてははじめて、国のレベルで同性愛カップルにお墨付きを与えました。

 神が一組の男女を夫婦とする結婚の秘跡はキリスト教信仰の重要な要素と聞きますが、なぜこのような現象が起きているのでしょうか。

 今年6月、ローマ教皇はブラジルを訪問し、野外ミサに集まった4万人の青年たちに、純潔や禁欲を大切にし、金銭執着、欲望の過剰などを排するカトリックの伝統的価値観の重要性を訴えたと伝えられます。

 全世界11億人の信徒の半数が中南米地域に居住し、とくにブラジルには世界最多1億5000万人の信徒がいるといわれますが、近年は改宗や棄教が急増しているといわれ、その危機感が教皇の司牧訪問の背景にあるものと推測されています。

 南米の小国ウルグアイでも、同様のカトリック信仰の衰退現象が起きているということでしょうか。


 以上、本日の気になるニュースでした。


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