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崩れた皇室祭祀の伝統──ご公務ご負担軽減に伴って [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 崩れた皇室祭祀の伝統
 ──ご公務ご負担軽減に伴って
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▽1 祭祀は原則「御代拝」に?
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 さて、陛下のご負担軽減に関連して、昨年末から始まった宮中祭祀の簡略化を、当メルマガは取り上げています。

 12月11日の宮内庁長官の「所見」では、「ここ1カ月程度は、ご日程を可能な限り軽いものに致したく、天皇誕生日やもろもろの年末年始の行事などについて、所要の調整を行いたい」とされ、祭祀の「調整」が明言されていたわけではありませんが、15日の賢所御神楽は平成になって初めての御代拝となり、陛下に代わって側近というわけではない、掌典次長が拝礼しました。

 一部の報道によると、宮内庁は年末年始のご負担の軽減について、ガイドラインを設け、(1)緊急性がないものは延期する、(2)先延ばしが不可能なものは執り行う、(3)記者会見などご負担が相当あると判断されるものは個別に判断する、(4)宮中祭祀は原則として御代拝とする、と決めたようです。

 この「御代拝」というのはどういう意味なのでしょうか?

 このメルマガの読者ならもうすでにご存じのように、祭祀には陛下がみずから祭儀を行う大祭と拝礼のみする小祭があり、以前は大祭の場合、親祭がご無理なら皇族または掌典長に祭典を行わせ、小祭の場合は親拝がご無理なら皇族または侍従に代わって拝礼させることとされていました。

 実際、この年末年始の祭祀について、何がどう変わったのか、宮内庁のデータや新聞報道などを参考に、一年前と比較して、一部はさらにさかのぼって、あらためて振り返ってみることにします。


▽2 高まる皇太子の存在感

[賢所御神楽の儀]
19年12月17日 賢所仮殿 天皇拝礼、皇后拝礼、皇太子拝礼。
20年12月15日 賢所 天皇御代拝(掌典次長)、皇太子拝礼。

 賢所の耐震改修のため18年から19年までは仮殿で行われました。天皇の御代拝は昭和50年8月に側近の侍従ではなく、新設の掌典次長に代わりました。絶対的政教分離主義の発想からで、このとき皇后、皇太子、皇太子妃の御代拝の制度が廃止されています。

 天皇の親拝がなく、皇后、皇太子妃の拝礼もない、というように、皇族が直接祭祀に関わらない状況が続くなら、宮中祭祀は空洞化することになります。祭祀を守るキーパーソンとして皇太子の存在感が高まってきました。

[天長祭の儀]小祭
19年12月23日 賢所仮殿 天皇拝礼、皇后拝礼、皇太子拝礼。
20年12月23日 宮中三殿 天皇御代拝(掌典次長)、皇太子拝礼。

[大正天皇例祭の儀]小祭
19年12月25日 賢所仮殿 天皇拝礼、皇后拝礼、皇太子拝礼。
20年12月25日 皇霊殿 天皇御代拝(掌典次長)、皇太子拝礼。

[節折(よおり)の儀]
19年12月31日 宮殿 天皇出御。
20年12月31日 宮殿 天皇出御。


▽3 皇太子が天皇の御名代?

[四方拝]
19年1月1日 神嘉殿 天皇拝礼。
20年1月1日 御所 天皇拝礼。
21年1月1日 御所 天皇拝礼(モーニングで)。

 うっかりしていましたが、四方拝が行われる場所は19年にすでに御所に変更されています。陛下が黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)ではなく、モーニングをお召しになったことについては前号で書きましたので、繰り返すことはやめます。

[歳旦祭の儀]小祭
20年1月1日 賢所仮殿 天皇拝礼、皇太子拝礼。
21年1月1日 宮中三殿 天皇御代拝(掌典次長)、皇太子拝礼。

[元始祭の儀]大祭
20年1月3日 賢所仮殿 天皇拝礼、皇后拝礼、皇太子拝礼。
21年1月3日 宮中三殿 天皇御代拝(掌典長)、皇太子拝礼。

 今年は掌典長の「御代拝」となったことをメディアは伝えています。大祭ですから、親祭がないなら掌典長が陛下に代わって祭典を行うのですが、掌典長は祝詞を奏上したあと、祭服から黒抱に服を改め、陛下に代わって拝礼したようです。

[昭和天皇祭]大祭
20年1月7日 昭和天皇皇霊殿の儀 賢所仮殿 天皇拝礼、皇后拝礼、皇太子拝礼。
21年1月7日 昭和天皇式年祭の儀山陵の儀 武蔵陵墓地 天皇拝礼、皇后拝礼。
        昭和天皇二十年式年祭の儀 皇霊殿の儀 皇太子拝礼、皇太子妃拝礼。

 今年は式年祭でしたから、祭祀の中心は山陵の儀で、天皇が御告文(おつげぶみ)を奏されました。また皇族、三権の長らが参列しましたが、よく分からないのは、皇霊殿の儀です。メディアは天皇の御名代として皇太子が、皇后の御名代として皇太子妃がそれぞれ拝礼したと伝えていますが、常陸宮同妃あるいは秋篠宮同妃ではなく、もともと拝礼のお役目のある皇太子同妃がなぜ「御名代」と位置づけられているのか、が不明です。

 少なくとも祭祀令の伝統・慣例が崩れていることは確かなようです。

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