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伊勢神宮広報誌が明らかにした宮中祭祀簡略化の経緯 [宮中祭祀簡略化]

2009年9月8日以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2009年9月8日)からの転載です

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伊勢神宮広報誌が明らかにした宮中祭祀簡略化の経緯
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 ある先輩から重要な情報が寄せられました。伊勢神宮の広報誌「瑞垣(みずがき)」最新号に、渡邉允前侍従長の講演録が載っているというのです。

 今年6月に前侍従長が伊勢でおこなった講演の要旨です。数カ月前、このメルマガが「祭祀の簡素化を進言した張本人?」として取り上げたのは、まさにこの講演です。

「天皇皇后両陛下にお仕えして」と題された講演録は24ページにわたっていますが、このうち今号では、祭祀簡略化問題と関連する部分を紹介し、検証してみます。

 そんなわけで、橋本明『平成皇室論』の批判はお休みです。


▽渡邉前侍従長の伊勢講演

「日々のお祈り」という見出しがつけられた章で、前侍従長は次のように述べています。

1、陛下の1年は元旦の四方拝・歳旦祭に始まる。1年が祭祀で始まるのは非常に象徴的である。

2、陛下は年に30数回、賢所で祭祀を行っておられる。

3、明治時代の皇室祭祀令には法的効力はないが、それにならってずっと祭祀が行われてきた。祭祀令が定める祭祀のほかに、歴代天皇の式年祭、外国ご訪問の前後に行われる賢所のご参拝があり、そのほか毎月1日の旬祭の親拝があった。

4、今年はご即位20年の節目であり、お年も75を数えられるので、ご公務を見直し、軽減してあげられないかと、みなで申し上げてきた。

5、私の時代にもずいぶん考えたが、陛下は絶対お聞き入れにならず、私はまだ大丈夫だから、やるんだ、とおっしゃっていた。しかし、さすがに75歳にもなられ、お体のこともあったので、若干のご公務について軽減の工夫などをした。

6、祭祀については、昭和天皇が60代後半になられたときにも、みなで考え、いくつかの祭祀は掌典長の御代拝に代えていただくことにした。

7、その1つが旬祭で、5月と10月だけ親拝とし、あとは御代拝とした。たしか四方拝は吹上御所でなさり、歳旦祭は御代拝、新嘗祭は夕(よい)の儀は親祭、暁の儀は御代拝になった。

8、それに倣うことを我々も進言したが、陛下は旬祭については同意されたけれども、四方拝、歳旦祭、新嘗祭については「いままで通りで」とおっしゃり、現在はそういう形になっている。

9、陛下は依然としてお祭りをずっとなさるおつもりだ。昭和天皇の前例について申し上げるが、「御足の具合が良くなくて、正座をなさるのがたいへん苦痛でいらしたらしい。だから、みなで考えてそうなった。自分は大丈夫」とおっしゃっている。

10、新嘗祭は肉体的にもたいへんなお祭りで、陛下は2時間ずつ、あわせて4時間、正座される。

 以上、簡単にいえば、前侍従長は、今上陛下のご高齢をきっかけに前侍従長ら側近が進言し、昭和の前例を踏襲して、祭祀の簡略化が始まった、という経緯を説明しています。


▽語られていないこと

 このメルマガの読者なら、もうお気づきでしょう。前侍従長が語っていない肝心なことがいくつかあります。

 第1は、明治の皇室祭祀令についてです。拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書きましたように、たしかに皇室令は現行憲法の施行に伴い、その前日に廃止されました。しかし宮内府長官官房文書課長名の依命通牒で「従前の例に準じて事務を処理すること」(第3項)とされ、祭祀の伝統は引き継がれました。

 効力を失った祭祀令に基づいて、戦後の祭祀が行われてきたのではなく、文書課長の依命通牒が法的根拠なのです。

 ところが、絶対分離主義的な政教分離の考えが行政に蔓延し、主流となった昭和50年代、具体的には50年8月15日の宮内庁長官室会議で、「神宮御代拝は掌典、毎朝御代拝は侍従、ただし庭上よりモーニングで」(入江日記)というように「改正」(卜部日記)が行われ、戦後の宮中祭祀の法的根拠である依命通牒第3項が反故にされたのです。

 前侍従長はこの経緯を知らないのか、それとも知っていて、上記のような説明をするのでしょうか。

 第2に、いまの宮内庁の考えでは、「祭祀は陛下の私的活動」とされています。そのことは前侍従長の雑誌インタビューでも説明されており、その根拠は憲法の政教分離です。公務員は特定の宗教である神道祭祀には関われない、というわけです。

 だとすると、渡邉前侍従長は、というより、前侍従長の講演では「みなで申し上げた」ことになっていますから、宮内官僚がこぞって、公務員として関わってはならない陛下の宗教に関わったことになります。憲法に違反する行為をみずから行ったことを告白したことになります。


▽天皇とは何か

 第3に指摘したいのは、昭和の祭祀簡略化について、歴史事実の理解が正確でないことです。拙著に書いたし、このメルマガでもさんざん繰り申し上げてきたことなので、繰り返しませんが、昭和天皇がご高齢で、そのために祭祀が簡略化されたという理解は誤っています。

 昭和時代の掌典長による旬祭のご代拝こそ、祭祀の破壊そのものでした。本来なら側近の侍従による御代拝であるべきものを、入江侍従長らは祭祀嫌いの俗物的発想と誤った政教分離主義から掌典による御代拝に変えたのです。

 前侍従長は戦後の祭祀改変の歴史を正しく理解しないで、今上陛下に簡略化を進言したのでしょうか。それとも知らないふりをしているのでしょうか。

 第4に、前侍従長は「昭和天皇をかばおうとなさる陛下のお気持ちを感じることがある」と語っています。

 つまり、側近が昭和天皇に祭祀の簡略化を勧め、これに対して昭和天皇は、足の具合が悪いため、やむなく受け入れた、と今上陛下はおっしゃっている、というのですが、侍従長の講演では、今上陛下が昭和天皇の何をかばうのか、なぜかばうのか、がはっきりと見えません。

 キーワードはむろん祭祀王でしょう。天皇第一のお務めは国と民のために無私の祈りを捧げる祭祀である、と考えるなら、足が悪いという肉体的な理由で簡略化を受け入れざるを得なかった昭和天皇は、どれほど耐え難いことだったか。同様に祭祀王を自覚し、同じ状況に臨んで、今上陛下は先帝の無念が身にしみるのでしょう。

 だとすれば、「陛下のお気持ち」を察せられるのならなおのこと、前侍従長は、なぜ簡略化を勧めたのでしょうか。簡略化などしなくても、御代拝で十分なのに、です。

 結局のところ、天皇とは何か、という本質論が、陛下と側近とでは異なるということなのでしょう。名目上の国家機関の1つに過ぎないという官僚的発想では、「昭和天皇をかばおうとされる今上陛下のお気持ち」を理解することは難しいでしょう。

 前侍従長の講演からは、今上陛下がお一人で祭祀の伝統を守ろうとされている実態が、問わず語りに浮かび上がってきて、胸が痛みます。


▽神道人の心意気が問われる

 第5番目として、それほど陛下のご負担を軽減したいのなら、ご公務そのものにメスを入れるべきです。ご負担軽減は名ばかりで、ますます増え、一方で、祭祀ばかりが標的にされているのは、なぜなのでしょうか。

 祭祀簡略化を側近として陛下に進言した前侍従長は、この根本的問いに答える義務を負っています。

 さて、この前侍従長の講演は、聴衆のほとんどが、祭祀の専門家であり、かつ宮中祭祀の重要性をもっともふかく理解する神道人だったようですが、神道人たちは今後、どう対応するのか。その対応が注目されます。

 天皇の祭祀は宮中の奥深い神域で、人知れず行われています。しかし国と民のためにひたすら祈る天皇の祭りこそ、多様なる国民を多様なるままに統合してきた日本の多神教的文明の根幹です。したがって祭祀簡略化問題は日本の文明に関わる大問題なのです。

 であればこそ、昭和の簡略化問題が火を噴いたときには、多くの神道人が反対の声を上げました。神社本庁は事務局長名の質問書を宮内庁長官あてに提出しています。占領中も侍従の毎朝御代拝は認められた。神道指令失効後の社会党内各時代も同様だが、なぜ古来の伝統的祭服からモーニングに替えたのか、などと詰め寄ったのです。

 神社人だけではありません。保守派を代表する評論家の福田恒存は「もしこんなことを宮内庁が続けるとしたら、陛下を宮内庁から救出する落下傘部隊が要りますねえ」と週刊誌にコメントしています。

 何年か前、ある大社の長老が雑誌インタビューで、「一朝ことあるときは、神職2万人が皇居を取り囲んで陛下をお守りする」と表明しているのを読み、感銘を受けたことがあります。その心意気がいま示されるのかどうか。

 次回は、前侍従長の講演をふたたび取り上げ、あらためて全体的に検証してみたいと思います。


以上、斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンから。
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