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宮中祭祀論の深まりを願う──園部逸夫元最高裁判事の著書を読む [宮中祭祀]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2012年4月16日)からの転載です

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宮中祭祀論の深まりを願う──園部逸夫元最高裁判事の著書を読む
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▽1 祭祀は天皇の「私的行為」

 順徳天皇が著された『禁秘抄』(1221年)の冒頭に「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」とあります。宮中のしきたりに通じていた順徳天皇は、承久の変の直前という皇室の危機の時代にあって、祭祀こそが最優先されるべきことを宣言されたのです。

 そのように、歴代天皇が天皇第一のお務めと最重要視してこられたのが宮中祭祀ですが、目下、進行中の「女性宮家」創設の議論のなかで、天皇の祭祀はどのようなものとして理解されているのでしょうか?

 たとえば、園部逸夫元最高裁判事はどうでしょうか?

 園部元判事は、女性天皇のみならず女系継承を容認する報告書をまとめた皇室典範有識者会議で座長代理を務め、いまをときめく「女性宮家」検討担当内閣官房参与の立場にあり、ご自身、女系継承容認論者といわれます。

 園部元判事には『皇室制度を考える』(中央公論新社、2007年)という著書があります。園部元判事はこの本のなかで、宮中祭祀について、何度か言及していますが、祭祀は天皇の私事だと解説されています。

 第1章「天皇の地位と行為──象徴天皇制度」の第2節「皇室のご活動」には、つぎのような一節があります。

「宮中祭祀をはじめ宗教的性格があると見られることが否定できない行為は、天皇は象徴としての立場で行うことはできず、私的な立場によってのみ行うことができると解されており(通説。政府見解)、現行制度の解釈としては妥当といえよう」

 天皇の祭祀には宗教性が否定できないから、憲法の政教分離の原則上、国の機関としての立場では行えないというのが政府の見解である、という解説です。

 平成の祭祀簡略化を進言した一人と目される渡邉允前侍従長(現御用掛)が「宮中祭祀は、現行憲法の政教分離の原則に照らせば、陛下の『私的な活動』ということにならざるを得ません」(雑誌「諸君」20年7月号掲載の渡邉允前侍従長インタビュー「慈愛と祈りの歳月にお伴して」)と語っているのと、共通しています。

 一見、常識的な憲法解釈ですが、少なくとも5つのポイントが指摘できそうです。


▽2 天皇の祭祀に宗教性が否めない?

 第1に、天皇・皇室論を考える観点です。園部元判事の場合は「象徴天皇制度」という視点で、あくまで現行憲法を出発点とした、「はじめに憲法ありき」の憲法論です。

 といっても、園部元判事の本には皇室の歴史と伝統に対する観点がまったくない、というわけではありません。たとえば、天皇の祭祀が古代から現代まで、どのように変遷したのか、など解説が試みられています。

 けれども、皇室の歴史を重んじ、伝統に学んで、現代的あり方を模索しようという発想は基本的に感じられません。

 第2に、天皇の行為に関する憲法論の基準です。

 天皇の行為に宗教的性格があることを理由に、天皇の祭祀が天皇の私的行為と解釈されている、と園部元判事は説明していますが、それならば、一方で、宗教的性格が否定できない行為が、天皇の立場で公的に行われている実態があることは、どのように説明されるのでしょうか?

 たとえば、天皇は毎年、終戦記念日の全国戦没者追悼式にご臨席になります。同追悼式は「国をあげて戦没者を追悼する」(昭和27年4月8日閣議決定)〈http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/bib01125.php〉のが目的ですが、国民の死を悼む行為は、明らかに宗教的な性格があります。

 ご臨席も同様でしょうが、政府が主催する追悼式に、天皇がご臨席になることは、天皇の私的行為ではなく、公的行為とされています。

 戦没者追悼式のご臨席が「象徴としての立場で行うことはできず、私的な立場によってのみ行うことができる」(園部元判事)と解釈されない根拠は、園部元判事が解説するような、宗教性があるかどうかという行為の性格ではなくて、特定の宗教色があるかどうかという行為の形式のはずです。

 事実、追悼式は「三 本式典には、宗教的儀式を伴わないものとする」(前掲閣議決定)とされ、式典は宗教者が排除され、献花・黙祷という無宗教形式で行われています。

 行為の形式ではなく、行為の性格に、宗教性の不在を要求するという園部元判事の憲法解釈は、どこに由来するのでしょうか?

 考えてもみてください。国と国民の統合の象徴である天皇の行為から宗教性が排除されなければならない、という憲法解釈は、国および国民の行為が非宗教的であることを要求することになるでしょう。

 人間はすべて宗教的存在であり、憲法は明らかに宗教の価値を認めています。であればこそ、戦没者追悼式も行われ、天皇もご臨席になります。


▽3 津地鎮祭訴訟の判断基準と異なる

 第3に、憲法の政教分離解釈の判断基準です。

 園部元判事は、天皇の行為に外形上、宗教性があるかどうかによって、合憲性を判断し、宗教性が否めない行為については、国および国民の象徴としての行為ではなく、天皇の私事扱いとなる、と判断していますが、これは津地鎮祭訴訟最高裁判決以来、司法当局が採用してきた、目的・効果基準とは異なります。

 津地鎮祭訴訟では、津市が主催し、神式で行われた市体育館の起工式(地鎮祭)が政教分離原則に反するか否かが争われ、最高裁は昭和52年、宗教との関わり合いが否定できないものの、目的は世俗的であり、その効果は神道を援助・助長・促進し、他の宗教に圧迫・干渉を加えるものではないから、憲法が禁止する「宗教的活動」には当たらない、という合憲判断(多数意見)を示しました。

 つまり、最高裁は、外形的に宗教的性格があることが直ちに、憲法の政教分離原則に抵触する、という判断をしていません。

 園部元判事はそのキャリアからすれば、最高裁の判例を知らないはずがありませんが、にもかかわらず、天皇の祭祀に外形的な宗教性が否めないことをもって、「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」という第20条第3項の「宗教的活動」に当たる、というような判断をする根拠はどこにあるのでしょうか?

 園部元判事は、宗教性の有無によって憲法判断するのが通説であり、政府見解だと説明しているのですが、そうだとすると、少なくとも法律家の解釈、行政の判断、最高裁の判決が食い違うということになるでしょう。


▽4 いつ「私事」説に変わったのか

 第4に、憲法解釈の変遷です。

 つまり、祭祀が「天皇の私的行為」だとする憲法解釈は、歴史的に見て、戦後、一貫してきたわけではありません。

 戦前は皇室祭祀令など皇室独自の法令があり、天皇の祭祀の根拠が明文化されていましたが、敗戦後の昭和20年12月、「宗教を国家から分離すること」を目的とする神道指令の発令で、状況は変わりました。東京駅の門松や神棚までも撤去させるほど過酷な指令は、宗教への干渉を禁じる戦時国際法に違反していました。

 日本政府は皇室伝統の祭祀を守るため、当面、「祭祀は皇室の私事」という解釈でしのぎ、いずれきちんとした法整備をはかるという方針でした。終戦直後の宮内次官で、戦後初の侍従長ともなった大金益次郎は、「天皇の祭りは天皇個人の私的信仰や否や、という点については深い疑問があったけれども、何分、神道指令はきわめて苛烈なもので、論争の余地がなかった」と国会で答弁したと聞きます。

 その後、昭和22年5月に現行憲法が施行されたことに伴い、皇室令は廃止され、宮中祭祀の明文的な法的根拠は失われます。それでも、「従前の例に準じて事務を処理すること」という宮内府長官官房文書課長名の依命通牒(第3項)によって、祭祀の伝統は辛うじてながら引き継がれました。

 そして、昭和34年に行われた今上天皇(当時は皇太子)の御結婚の儀は、閣議決定によって「国事」とされ、国会議員が参列したことが知られています。

 けれども40年代になると、流れが変わります。政教分離の厳格主義が行政全体を席巻するようになったのです。宮内庁では側近の侍従までもが祭祀を敬遠するようになり、昭和50年8月15日の長官室会議で依命通牒(第3項)は破棄され、「宮内庁関係法規集」から消えました。毎朝御代拝をはじめ祭祀の改変・簡略化が行われ、宮内庁職員は「祭祀は私事」説を口々に唱えるようになりました。

 けれども、57年暮れに祭祀の簡略化が明るみに出、翌年、神社本庁は抗議の質問書を宮内庁長官宛に提出し、神道指令下では天皇の祭祀は「私事」として以外、認められなかったが、それでも国家公務員の侍従による毎朝御代拝は認められた、などと迫ったとき、宮内庁側は、「ことによっては国事、ことによっては公事」とする神社本庁側の主張を認め、祭祀はすべて「天皇の私事」とする解釈を否定しています。

 それから30年、園部元判事が説明するように、「祭祀は天皇の私事」説が政府の公的解釈だとするなら、いつ、どのような経緯で解釈変更されたのか、説明されるべきです。


▽5 特定の宗教を援助・助長・促進するのか

 第5に、憲法の政教分離原則における目的・効果基準の解釈・運用について、です。

 天皇の祭祀は、天皇が行うことによって、特定の宗教を援助、助長、促進し、他の宗教に圧迫・干渉を加えるような、「宗教的活動」に該当するのか否か、です。

 神に食をささげ、みずから食し、祈りの言葉を唱える天皇の祭祀が、神道的儀礼であることは明らかですが、宗教的教義を広め、信徒を獲得し、教勢を拡大することはまったく想定されていません。皇室は宗教団体ではありません。天皇の祭祀は特定の宗教を援助・助長・促進し、他を圧迫・干渉しようがないのです。

 園部元判事の本には、以上の問題点について、説明がありません。

 といっても、園部元判事は単純に天皇の祭祀を切り捨てているわけではありません。先の引用文のあとに、以下のような文章が続いています。


▽6 混乱する議論

「ただ、天皇を象徴であると憲法が定める背景には、1つには皇室の長い歴史があり、また1つには国家国民のために祈る存在である天皇が有する精神的権威やありがたみ(宗教的な権威もこの中に含まれると解することも可能)があって、それぞれが重要な位置を占めているという考え方に立てば、こうした宮中祭祀が天皇の象徴性と関係があるということも否定できないと考える」

 話は逆でしょう。「関係が否定できない」のではなく、歴代天皇が公正かつ無私なる祭祀を行ってこられたことこそ、天皇が天皇たる所以ではないでしょうか?

 園部元判事の祭祀論はかなり混乱しています。第1章第4節の「象徴天皇制度のこれから」では、つぎのように既述されています。

「天皇の象徴たる地位と宮中祭祀との関係をどのように解するかという点については、事柄が専門性を有すること、あるいは事柄が精神的価値に関することであることから、その判断はなかなか難しい。ただ、現在、皇室において宮中祭祀を一切お止めになることは、その象徴性との関連から鑑みるとあり得ないであろう、という観点から考えると、宮中祭祀は皇室における『私』として位置づけられる事柄である、と断言することもいかがなものかと思われる。

 この点については、先に述べた公私の議論が参考になる。天皇の行為としての面から見た宮中祭祀の性格は、大嘗祭と同様に『公』としての性格を持つと解する考え方もあるが、他方、特定の方式によることは象徴としての性格に馴染まず、『公』とすることは無理がある、ということになろう」


▽5 なぜ複合儀礼なのか

 園部元判事の議論がなぜ混乱するのか、理由は2つでしょう。

 1つは、天皇の祭祀とは何か、という本質論が欠けていることです。

 たとえば皇室第一の重儀とされてきた新嘗祭は、すでに書いたように、米のみならず、米と粟の新穀を、皇祖神のみならず諸神明に捧げる複合儀礼です。したがって、祭典は皇祖神をまつる賢所ではなく、神嘉殿で行われます。

 新嘗祭が天孫降臨神話を根拠とする祖先崇拝であり、米の新穀を皇祖神に捧げるという稲作儀礼であるとすれば、皇祖神をまつる賢所に、稲の新穀を捧げれば十分です。しかし、宮中新嘗祭はそのような神事ではありません。

 川出清彦は『祭祀概説』(学生社、昭和53年)で、新嘗祭の神饌について、品目の筆頭に「御飯筥 米粟各二盛」を上げ、「筥(はこ)は葛筥(くずばこ)で、蓋(ふた)がある。蓋の上には、檞(木偏に解。かしわ)の葉を綴ったのを乗せる。いわゆる通い筥で、その中にそれぞれ、飯と粥とを盛った窪椀(くぼて。窪手、窪晩)を納める。飯は蒸飯(甑[こしき]で蒸したもの)で、米、粟、各二盛あり、そのうちの各一盛は陛下直会の料である」と説明しています。

 米と粟が対になっていることが明白です。一方、本来は天皇の神社であり、私幣禁断の社である伊勢神宮では1年365日、徹頭徹尾、稲の祭りが行われています。

 天皇の、天皇による祭りである宮中祭祀は、なぜ米と粟の複合儀礼なのか、が深く探究されなければなりません。


▽6 園部判事の参列は国民の宗教に圧迫・干渉したか

 第2に、園部元判事が繰り返し追究する、公か私かという議論の目的は、天皇の祭祀が公的行為だとすれば政教分離原則に抵触すると考えるからでしょうが、実際論としては、ちょうど靖国神社首相参拝の「公式参拝・私的参拝」論に似て、不毛であるように思われます。

 たとえば政教分離の厳格主義の本場とされるアメリカには、「全国民のための教会」とされるワシントン・ナショナル・カテドラルがあり、大統領の就任のミサなどが行われ、政府高官が参列しますが、政教分離違反という声は聞きません。

「あなたには私のほかに神があってはならない」という教えを信じる一神教世界でさえ、公的な宗教儀礼が認められています。アメリカ憲法は祈りを禁じているのではなく、祈りを強制することを禁じている、と教会関係者は説明しています。

 他方、日本のように、さまざまな信仰の共存が古来、認められてきた多神教的世界で、多神教的儀礼を国家の機関たる天皇が行うことについて、かたくなに「私的行為」だと言い募る必要があるのかどうか、です。逆に、「宗教性が否めない」ことを理由に、「私的行為」と決めつけることは、非宗教を援助・助長・促進することになり、かえって憲法の政教分離原則に抵触するのではないでしょうか?

 園部元判事は最高裁判事の立場で天皇の祭祀に参列した経験があると聞きますが、最高裁判事の参列は私的行為なのか、それとも公的行為なのか。公的行為だとして、実際上、参列者である園部判事自身に対して、あるいは国民に対して、宗教的な圧迫・干渉を加えることになるのでしょうか?

 園部判事自身が参列によって、どうしても宗教的圧迫・干渉を受けるというのなら、参列しなければすむことであり、実際、無神論者を自認したという富田朝彦宮内庁長官はほとんど参列したことがないといわれます。つまり、参列を強制しなければすむのであって、天皇の祭祀の公的性を否定する必要はありません。

 一方、天皇が祭祀を行い、政府関係者が参列することが、国民の宗教に干渉し、圧迫することになるのかどうか? むしろ逆に、天皇の祭祀は、宗教的に多様なる国民を多様なるままに統合する機能を果たしてきたのではないでしょうか。


▽7 天皇の祈りこそ信教の自由を保障する

 天皇が米と粟を神前に捧げるのは、畑作民の粟と稲作民の米を、国民が信じる神々に捧げ、神人共食の儀礼によって、さまざまな国民と命を共有し、命を蘇らせる意味があるものと思われます。

 天皇の祭祀はむしろ、さまざまな国民の暮らしと信仰の自由を保障してきたのでしょう。だとすると、「宗教性が否定できない」という理由で、国家機関としては祭祀を行えず、私的行為としてのみ行える、という園部元判事の解説は本末転倒といわねばなりません。

 かつて「公」とは皇室を意味しました。むろん政府的、行政的という意味ではありません。天皇の「公」とは政治権力を超えたところにあります。「天皇に私なし」であり、神代の時代、皇祖神が下された命令に従い、「わが知ろしめす国に飢えたる民が1人あっても申し訳ない」とお思いで、私を捨てて、国と民のために祈りを捧げてこられたのが歴代の天皇です。

 神代にまで遡れると信じられる天皇の歴史に、宗教性は不可分です。天皇の行為から宗教性を剥奪することは、天皇の歴史を否定する革命的発想といえないでしょうか? 


▽8 世俗論的宮中革命を推進する理由は?

 目下、進行中の「女性宮家」創設問題も同様です。

 園部元判事は「(女性宮家の)子が天皇になるとしたら男系皇統は終わる。女性宮家は将来の女系天皇につながる可能性があるのは明らか」(「週刊朝日」昨年12月30日号)と語っています。

 歴史に例のない「女性宮家」はもともと、これまた歴史に例のない女系継承をも容認する皇室典範改正と同時に進められてきました。現行憲法を出発点とする「単なる象徴」天皇論なら、なるほど過去の歴史と伝統を顧みる必要はありません。

 歪んだ憲法解釈・運用を優先させる反面、国民のために無私なる祈りを捧げ、多様なる国民を多様なるままに統合するという天皇の祭りの歴史的価値を否定し、「象徴天皇制度」なる世俗論的宮中革命を推し進める理由は、どこにあるのでしょうか?

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