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無原則極まりない陛下の「服喪」──東伏見青蓮院名誉門主亡き後の混乱 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2014年1月12日)からの転載です

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無原則極まりない陛下の「服喪」
──東伏見青蓮院名誉門主亡き後の混乱
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 Facebookに書いたことなので、簡単にまとめます。

 天皇にとって第一のお務めは祭祀である、というのが伝統的な考え方です。祭祀をなさるということが、天皇の天皇たる所以です。ところが、以前から申し上げているように、天皇の祭祀が完全に無軌道、無原則の状態に陥っています。

 それは、今年の新年行事をみれば、明らかです。


▽1 御所で行われる四方拝

 元日の早朝、陛下は四方拝に臨まれました。御所でのお務めと伝えられます。〈http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h26/gonittei-1-2014-1.html

 本来は、御装束を召された陛下は、宮中三殿の西に位置する神嘉殿の前庭にお出ましになり、屏風二双で囲まれた拝座で、伊勢神宮、山陵、および四方の神々を遥拝されます。

 7世紀、皇極天皇の時代に始まったともいわれる重儀です。

 四方拝が庭上で行われるのは、「庭上下御」といって、天皇がみずから地上に降り立って謙虚に神々を仰ぐ崇敬の誠を示しているといわれます。

 ところが、昭和44年暮れ、当時の入江相政侍従長は昭和天皇に「四方拝はテラス、御洋装で」(『入江日記』)と提案したのでした。

 拙著に書きましたが、陛下の御健康に留意してというのが理由とされ、現在もそのように考えられていますが、私はむしろ入江自身の祭祀嫌いに理由があると考えています。

 入江は祭祀の場所も、祭式も、装束も変えてしまいました。伝統からの逸脱です。

 最近では、宮内庁が祭祀について発表するようになった平成17年以降をみると、17年、18年は神嘉殿で行われています。しかし19年、20年は御所でした。このとき宮中三殿の耐震改修が行われていました。21年も御所でした。ご不例でした。22年、23年は神嘉殿で行われましたが、ふたたび24年、25年は御所となりました。

 今年、御所で行われた四方拝が具体的にどのようなものかは、ほとんど伝えられていません。


▽2 歳旦祭は掌典次長による御代拝

 四方拝に続く歳旦祭は、宮中三殿で行われましたが、今年は掌典次長の御代拝でした。四方拝と同様、24年以降、陛下のお出ましがありません。

 四方拝は御所で行い、続く歳旦祭は御代拝となる基準はどこにあるのでしょうか?

 伝統に基づいて、というのなら、旧皇室祭祀令にあるように、「皇族または侍従に拝礼させる」べきですが、なぜ掌典次長なのでしょう。

 終戦直後、宮内府長官官房文書課長の依命通牒により、天皇の祭祀は存続してきました。宮内庁は「依命通牒は破棄していない」と国会で答弁していますから、陛下に代わって側近たる侍従に拝礼させるのが筋です。

 ところが、昭和50年9月の秋季皇霊祭から、宮内庁は掌典次長というポストを新設し、陛下に代わって拝礼させることとされたのです。同時に、皇后、皇太子、皇太子妃の御代拝は廃止されました。富田長官、入江侍従長の時代でした。

 旧皇室祭祀令からの逸脱です。依命通牒は反故にされたのです。

 さて、ここまでは何度も書いてきたことですが、問題はこの先です。

「元日の朝」といいますから、ちょうど四方拝、歳旦祭が行われていたころでしょうか、陛下の母君・香淳皇后の弟である東伏見慈洽・青蓮院名誉門主が亡くなりました。

 そして、祭祀および新年行事がいよいよ混乱を来します。


▽3 常陸宮殿下だけ喪に服す

 読売新聞は2日、「常陸宮さまは喪に服し、2日に皇居で行われた新年一般参賀を欠席された」、産経新聞は4日、「常陸宮さまが7日まで喪に服すことになり、一般参賀お出ましを取りやめられた」と伝えています〈http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140102-OYT1T00426.htmhttp://sankei.jp.msn.com/life/news/140104/imp14010407070001-n3.htm〉。

 読売はまた、「宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は慣例により喪に服さないが、3日と7日に予定されていた宮中祭祀を欠席される」とも伝えています。

 陛下は喪に服さないが、常陸宮殿下は7日間の喪に服する、というのはどういう意味なのでしょうか? 御兄弟で違いが出るということがあり得るんでしょうか?

 宮内庁は「依命通牒は生きている」という立場ですから、旧皇室服喪令に従わねばなりません。これによると、「第八条 天皇ハ皇族ニ非サル親族ノ為ニハ喪ヲ服セス」「第九条 皇族ハ同族又ハ華族ニ非サル親族ノ為ニハ喪ヲ服セス」〈http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/kenpou/koushitsu/koushitsufukumorei.htm〉とされています。

 東伏見名誉門主が皇族ではないと判断すれば、陛下も殿下も、ともに喪に服する必要はありません。

 しかし、一方で、「第四条 高祖父母、摘母、継母、夫ノ祖父母、母ノ兄弟姉妹、父ノ異父兄弟姉妹、異父兄弟姉妹、子ノ喪ハ三十日トス」という条文もありますから、これを準用し、「7日」に短縮して、常陸宮殿下は喪に服することになったのかも知れません。

 いずれにしても、陛下と殿下とで服喪の違いがあるというのが理解に苦しむところです。


▽4 祭祀は御代拝、祝賀行事にはお出まし

「喪に服さない」陛下の場合はさらに混乱しています。新年祝賀行事にはお出ましになるのに、祭祀は御代拝なのです。

 宮内庁が発表した「ご日程」によると、陛下の新年行事は例年通り、元日から目白押しです。

 ところが、産経の報道では、「宮内庁によると、(東伏見名誉門主が)皇族ではないため喪には服さないものの、一般参賀の合間の皇族方との歓談や昼餐を控えられた。陛下は神事も7日間控える意向を示し、3日の元始祭(げんしさい)への両陛下のお出ましはお取りやめに。掌典長が代拝した」というのです。

 3日の元始祭は掌典長による御代拝となり、4日の奏事始は8日に延期され、7日の昭和天皇祭は掌典長による御代拝となりました。

「喪に服さない」というのなら、神事も粛々と行うべきです。逆に、「喪に服す」のなら、新年祝賀行事はすべておとりやめにすべきではないでしょうか?

 いったい誰が「ご日程」を決めているのか、基準はどこにあるのか、不徹底、不統一の極みです。

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