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結局、誰が「生前退位」と言い出したのか? ──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで [退位問題]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2016年9月25日)からの転載です

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結局、誰が「生前退位」と言い出したのか?
──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで
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 事実の核心に肉薄しようとする良質なジャーナリズムがまだまだ日本には生きていると実感しました。しかし、それでも結局、分からないのです。

 この文春リポートのように「譲位」「退位」なら、まだしも理解できます。けれどもNHKのスクープ以来、議論はすべて「生前退位」です。誰が、何のために、過去の歴史にない「生前退位」などと言い出したのか。

 そしてなぜメディアの特報という経路をたどることになったのか。それも、ご意向の表明から何年も経っているらしいいまごろになって、です。


▽1 「譲位」を仰せになった瞬間

 文春編集部がまとめたというリポートは、6年前、平成22年7月22日夜の御所で開かれた参与会議の情景をつぶさに描き出すところから始まります。

 この夜、両陛下のほか、羽毛田宮内庁長官、川島侍従長、3名の宮内庁参与(湯浅元長官、栗山元外務事務次官、三谷東大名誉教授)が集まり、参与会議が開かれました。

 開口一番、陛下は「私は譲位すべきだと思っている」と述べられ、はじめて御意思を伝えられました。「譲位」を表明された瞬間でした。

 皇后陛下をはじめ出席者全員が反対しました。摂政案の提示もありましたが、陛下は「摂政ではダメなんだ」と否定されました。自由な意思で行われなければならないとも仰せになり、まれに見る激論となったものの、陛下のご意思は揺るぎません。陛下が退室されたとき、時計の針は夜の12時を回っていました。

 NHKのスクープ報道では、陛下がご意向を示されたのは「5年ほど前」でしたから、文春編集部の記事では1年ほど遡ることになります。

 もし文春リポートの方が正しいとすると、NHKに内部情報をもたらした情報提供者はこの参与会議には出席していなかったということかも知れません。


▽2 「ご在位20年」が契機

 毎日新聞や週刊新潮の報道では、発端は「7年前」でした。

 週刊新潮によると、21年に天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が開かれるようになり、席上、「天皇の任を果たせないなら」とご意向を漏らされるようになったと伝えられています。ただし、24年の心臓手術以後のこととされています。

 文春の情報ではもっと早く22年夏からであり、だとすると、理由は心臓手術後のご公務にご懸念を抱かれた結果ではないということになります。

 それならなぜ陛下は「譲位」のご意向を示されるようになったのか。大胆に推察するなら、ほとんど注目されていない祭祀問題ではないか、と私は推測します。

 宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、「ご在位20年」が契機だといわれます。

 渡邉元侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。

 工事完了後も側近らは、ご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、陛下は「筋が違う」と認められません。ただ、「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」と仰せになったので、見直しが行われたと説明されています(渡邉『天皇家の執事』)。


▽3 「これ以上、軽減するつもりはない」

 20年2、3月、ご健康問題を理由に、ご負担軽減策が発表され、その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると、軽減策は前倒しされました。

 けれども鳴り物入りの軽減策にもかかわらず、ご公務は逆に増え続け、一方、文字通り激減したのが、古来、皇室第一のお務めとされてきた祭祀のお出ましでした。軽減策は皇室の伝統を標的としていました。

 当時、祭祀のあり方をめぐり、陛下と宮内庁との間で、激しいつばぜり合いがあったことが想像されます。そして結局、軽減策は失敗しました。

 ご在位20年記念式典および記念行事が行われたのは21年11月ですが、注目したいのは、翌22年12月に行われたお誕生日会見です。

 陛下は「ご自身の加齢や今後、お年を重ねられる中でのご公務のあり方について、どのようにお考えでしょうか」という記者の代表質問に対して、次のようにきっぱりとお答えになりました。

「一昨年(平成20年)の秋から不整脈などによる体の変調があり、幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

 文春リポートでは、この約半年前に「譲位」のご意向が示されたことになっています。いわゆるご公務もさることながら、「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇)ならば、祭祀をみずからなさらない祭り主のお立場がどれほど耐えがたかったことか、いまさらながらお気持ちが拝されます。


▽4 祭祀簡略化に抵抗された陛下

 陛下は即位後朝見の儀で「大行天皇の御心を心とし、日本国憲法を守り」と仰せになったように、即位以来、皇室の伝統と憲法の規定の両方を大切になさってこられました。一般にいわれているように、陛下は単なる護憲派ではありません。〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0109

 ビデオ・メッセージからうかがえるように、陛下は「国平らかに、民安かれ」と祈る古来の祭祀の精神に立ち、その延長上に、憲法上の務めがあるとお考えです。

 陛下にとっての「象徴」天皇とは、憲法が定める「象徴」のみならず、長い歴史の中で培われてきた「象徴」でもあります。

 仰せになる「象徴としての務め」とは当然、祭祀とご公務です。皇室の伝統とは祭祀です。政教分離政策の厳格主義を堅持する宮内庁にとって、祭祀は「皇室の私事」ですが、陛下にはもっとも重要なお務めなのでしょう。125代の長きにわたって、祭祀によって国と民を1つに統合してきたのが天皇です。

 であればこそでしょうが、たいへん興味深いことに、22年は祭祀簡略化の流れが一旦やんでいます。

 たとえば、元旦の四方拝は19年以降、昭和天皇晩年の先例を踏襲し、神嘉殿南庭ではなくて、御所で行われましたが、22年には本来の神嘉殿南庭に復しました。四方拝に続く元日の歳旦祭、3日の元始祭も、前年はお出ましがなく、御代拝でしたが、この年は親拝なさいました〈http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/1?quarter=201001〉。祭り主のお務めを重んじる、強いご意思が感じられます。

 当時、祭祀は「これ以上、形式化しようがないほど形式化している」と嘆かれるほどだったようです。それで、陛下は「これ以上、負担軽減するつもりはない」とさらなる簡略化に強く抵抗され、斥けられたのでしょう。

 争わずに受け入れるのが天皇の帝王学ですから、異例な意思表示といえます。しかしおのずと限界はあったのでしょう。25年暮れ、陛下は傘寿を迎えられました。


▽5 なぜNHKのスクープだったのか

 文春リポートによると、宮内庁参与は陛下の私的相談役で、会議は1、2か月ごとに開かれます。22年7月以降は、「譲位」「退位」について議論が重ねられました。

 陛下のご主張は変わらず、出席者たちも説得が不可能であることを悟り、翌年になると議論は「退位」を前提としたものへと移りました。

 しかし事態は進みません。「退位」を実現させるには官邸を動かさなければなりませんが、当時は民主党政権下で、鳩山内閣時に起きた「特例会見」事件がしこりとなって残り、相談しづらい状況が続いていました。その後、野田内閣と続く民主党政権は安定感を欠き、重大事項を任せる状況にはありませんでした。

 陛下は「一刻も早く意向を表明し、退位を実現させたい」と望まれていました。その背景にはいよいよ老境に達した「体の変調」のご自覚がおありだったようです。

 24年に宮内庁トップは羽毛田長官から風岡長官に交替しました。他方、政権交代で自民党の安倍内閣が成立しました。

 しかし信頼関係は築けませんでした。安倍政権は東京五輪招致運動のため高円宮妃にIOC総会ご出席を要請し、またしても対立構図が生まれたからです。

 タイムリミットは迫っていました。陛下は「平成30年までに」と仰せだったからです。そのためには28年中には議論を始める必要があります。結局、お気持ちの表明は28年に持ち越されました。

 そして7月、NHKは「生前退位」表明をスクープし、最高責任者の風岡長官は翌月のビデオ・メッセージを見届けたあと、退任することとなりました。

「8月表明」が決まり、情報の縛りが解けて、メディアに情報が流れたということでしょうか。長官最後の大仕事は意図したことなのか、それとも「70歳定年」の結果なのか。


▽6 謎はほとんど謎のまま

 NHKのスクープは、「天皇陛下『生前退位』の意向示される」でした。「『譲位』の意向示される」ではありません。NHK・WORLDは英語で「abdication」と表現しています。朝日新聞の英語版も同様ですが、「退位」ではダメなのでしょうか。

 陛下がご意向を漏らされてから、6年経ったいまになって、どういう経路で、いかなる目的で、いったい誰が、情報を外部に流したのか。なぜ、どのようにして、「退位」は「生前退位」に変わり、特ダネが生まれたのか。

 文春リポートは残念ながら、ほとんど明らかにしていません。謎は謎のままです。そもそも、陛下の本当のお気持ちは「退位」なのか。

 いみじくもビデオ・メッセージが「象徴としてのお務めについて」と題されているように〈http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉、陛下のお気持ちは、象徴天皇制度のあり方を国民に問いかけることではないのでしょうか。「譲位」はあくまでその一部ではないのか。

 ビデオ・メッセージで陛下は、「次第に進む身体の衰えを考慮するとき、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなる」と仰せになりました。

 それは「象徴のお務め」としてのご公務が行動主義に基づいているからでしょう。

 目下の議論はここが欠けているのではありませんか。「生前退位」スクープの衝撃がそれだけ大きかったのでしょう。「生前退位」と表現した仕掛け人の意図もそこにあるのかも知れません。


▽7 議論が曲がっていく

 かつて薄化粧をほどこされ、装束を召されて、御簾のかげに端座されていた天皇が、明治の開国とともに洋装となり、ときに軍服を召され、ご活動なさる近代の天皇へと変身されました。戦後は軍服を身にまとうことはなくなりましたが、ご活動なさることが天皇の本質であるかのように考えられています。

 主権者とされる国民がこの象徴天皇制度を今後も支持するのであれば、そしてご負担軽減ではご高齢問題の解決にはならず、摂政案も否定されるのなら、NHKが伝えたように、「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」という選択肢が成り立ちます。

 陛下が数年来、問いかけておられるのは、「生前退位」法制化ではなくて、そのような行動主義に基づく象徴天皇のあり方の是非なのではありませんか。

「生前退位」報道の衝撃に必要以上に圧倒され、ご意向を実現するためと称し、やれ皇室典範改正だ、いや特別法だと賑やかに展開されている議論は、本来のテーマをねじ曲げてしまうのではないかと私は恐れます。

 NHKは「陛下が『生前退位』の意向がにじむお気持ちを表明」と執拗に繰り返しています。政府は経団連名誉会長らをメンバーとする有識者会議の設置を決めました。どんどん話が曲がっていくように感じるのは私だけでしょうか。

 象徴天皇のあり方が問われているのだとしたら、「生前退位」の法制化では済まないはずです。それとも、ご意向に基づき、ご意向に沿って政治が動くことは憲法に反するので、そのようにはしないということでしょうか。

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