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「御懐妊騒動」が問いかけたこと──天皇統治の本質とは何か [女帝論]

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「御懐妊騒動」が問いかけたこと
──天皇統治の本質とは何か
(「神社新報」平成12年2月14日)
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 会員制情報誌の「選択」が(平成12年)2月号に、「かくも罪深きご懐妊報道──皇太子の怒りはいかばかりか」と題する記事を載せている。

 朝日新聞の「スクープ」に始まった後味の悪い騒動の真相について、記事は、侍従や女官、侍医など限られた人たちの中の誰かが第三者(朝日新聞記者とは限らない)に情報を漏らした、と常識的な推理を働かせているばかりで、肩すかしの感が否めないが、宮内庁の情報管理にも批判の矛先を向けている点では新味がある。

 侍従職が「兆候」を知ったら、最悪の事態を回避するため、オモテと相談の上、宮内記者会に申し入れて報道協定を結び、御懐妊が確実になった段階で公表するという方針がなぜ採れなかったのか、と指摘するのだ。

 一方で、記事はマスコミの「横並び」報道の背後に「天皇のタブー化」があると見る。40年前の『風流夢譚』事件などを契機として、マスコミ内には右翼テロを恐れる「天皇のタブー化」が始まった。それがいまなお「金太郎飴」報道を生んでいるという。

 しかし、さしたる根拠もない「横並び」記事が氾濫するのは、むしろ皇室報道をビジネスにするマスコミの「商魂」に真因がありはしないか。今回も、朝日は「スクープ」を紹介したPR版を460万部印刷して販売店に配り、その後、慌てて回収したという。

 より深刻なのは、天皇統治の本質が見えにくくなっていることかも知れない。

「御懐妊」が注目される最大の理由は、「女帝」問題と同様、日本の皇室が重大な危機を迎えているといわれることと関係する。

 現在、皇位継承有資格者は皇太子殿下から高円宮親王殿下まで、7方おられるが、次の代の皇位継承者の候補者がおられない。

「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」

 と定める現行の皇室典範に従えば、皇統が途絶えかねない。「危機」打開のために皇室典範を改正し、女子にも継承権を認めるべきだという考えも現れた。

 昨年(平成11年)末に発刊された、國學院大学講師・高森明勅氏による『この国の生い立ち』も、

「制度上、皇位世襲の基礎を固めるためには積極的にその可能性を保障する措置を講ずべきだ」

 と女帝容認論を展開している。

 女系も皇統に属するのは当然で、女系継承は皇統の断絶を意味しない。皇族女子が御結婚後、臣籍降下せず、また女帝の配偶者が臣籍を離れ、皇統に入る制度があれば、その嗣子の系統は皇統をはずれることはないと主張し、小社(神社新報社)刊『天皇・神道・憲法』の女帝否認論にも批判を加えている。

 難問に果敢に挑戦する姿勢は敬意を表するが、皇位を

「国民統合の中心として国政上、天皇という独自の高貴な地位」

 と認識するのは、やや世俗的に聞こえる。女帝認否の違いは、ここに由来するのではないか。

『天皇・神道・憲法』の「はしがき」を書いた葦津珍彦の女帝否認論は、天皇が日本国家の最高祭祀者であり、万世一系の祭り主である、と認めるところから必然的に導かれている。

 天皇は世界に類まれなる公正無私を第一義とする祭り主であり、祭りをなさることが同時に国の統治者であることを意味する、というのが葦津天皇論の核心である。

 高森案は皇統存続への強い願いが高じて、女帝の配偶者に皇族に殉じた地位を与えるなど、伝統的な君臣の意識に重大な動揺をもたらす危険性が否めない。男統の断絶は容易ならざることであるが、葦津が原案を執筆した明治神宮編『大日本帝国憲法制定史』が主張するように、男統の絶えない制度をこそ慎重に模索すべきではなかろうか。

 女帝は認められないとする歴史の事実は重い。それは天皇のお務めの重さでもある。その意味で、ことのほか重い使命を受け継いでくださっている皇室、とりわけ皇太子殿下・同妃殿下のために、心からなる祈りを捧げざるを得ない。

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