日本の自然美と日本人の純粋性を発見したアインシュタイン──大正11年の日本旅行記から [神社]
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日本の自然美と日本人の純粋性を発見したアインシュタイン
──大正11年の日本旅行記から
(「神社新報」平成15年8月4日号から)
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まもなく原爆忌──。
アメリカの核開発の歴史は、原子物理学者のアインシュタインがルーズベルト大統領宛に書いた核兵器開発を促す手紙に始まるともいはれる。ナチス・ドイツによる原爆開発を恐れての進言だったが、歴史の皮肉といふべきか、最初の原子爆弾はドイツにではなく、彼がこよなく愛した日本に投下された。
相対性理論で知られるアインシュタインは、科学者として世界史に名を残す一方、日本の伝統美と日本人の純粋性を深く理解した代表的西洋人の一人として知られる。
▢ 美しい自然と上品な日本人
アインシュタインはいまから八十年前の大正十一(一九二二)年十一月、日本の出版社の招きに応じて来日した。九州から東北まで、大学で相対性理論を講演したばかりでなく、明治神宮や日光東照宮、熱田神宮、厳島神社などに参詣し、皇后陛下に謁見、能楽や雅楽を鑑賞し、多くの日本人と交はり、「日本のすばらしさ」に魅せられた。
招請を受けたとき、アインシュタインは「このチャンスを逃したならば、後悔してもしきれない」と思った。世界各国を旅した彼だが、「日本ほど神秘のベールに包まれてゐる国はない」からであった。
彼の旅日記によると、まづ感動したのは美しい自然であった。彼は、「日本の海峡を進むとき、朝日に照らされた無数のすばらしい緑の島々を見た」。
アインシュタインは各地で日本の「光」に惹かれた。京都では、「魔法のやうな光が通りや小さな家を照らしてゐた。……下に見える町のほうには光の海が連なってゐた。非常に感銘を受けた」。展望車に乗って東京に向かふ途上では、「雪に覆はれた富士山は遠くまで陸地を照らしてゐた。富士山近くの日没はこの上なく美しかった」。
自然以上に輝いてゐたのは、日本人の「顔」である。
日本行きの船上で出会った日本人客を観察し、「日本人は他のどの国の人よりも自分の国と人々を愛してゐる」ことを知る。彼が会った日本人は、「欧米人に対してとくに遠慮深かった」。京都のホテルの給仕は「素朴で、おとなしく、とりわけ感じがいい」。東京で、芸者の踊りも見た。「かかる種類の女性を標準にして、その国民性が分かる。日本の芸者は非常に謙遜な態度で上品ではないか。……日本国民の上品でゆかしいことがこれ一事で分かる」。
▢ 自然と人間の一体化を神道に見る
さうした国民性はどこに由来するのか。アインシュタインは自然との共生と見抜く。
「日本では、自然と人間は一体化してゐるやうに見える。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与へられたものと密接に結びついてゐる」
「自然と人間の一体化」を示すものは、日本の神道と神社建築であった。
高松四郎宮司の案内で参拝した日光東照宮は、「自然と建築物が華麗に調和してゐる。……中央の建物は多彩な木彫りで飾られてをり、すばらしい。……自然を描写する慶びがなほいっそう建築や宗教を上回ってゐる」。
厳島神社では、「優美な鳥居のある水の中に建てられた社殿に向かって魅惑的な海岸を散歩する。……山の頂上から見渡す瀬戸内海はすばらしい眺めだった」。
彼の探求心は天皇にも及ぶ。
熱田神宮では「国家によって用ゐられる自然宗教。多くの神々、先祖と天皇が祀られてゐる。木は神社建築にとって大事なものである」と印象を述べ、京都御所では「私がかつて見たなかで最も美しい建物だった。……天皇は神と一体化してゐる」と見る。
▢ 伝統と西洋化の軋轢を懸念
美しい自然とその自然に育まれた日本人の国民性を高く評価したアインシュタインは、他方で伝統と西洋化の狭間で揺れる日本の近代化を熟知してゐた。
だからこそ、旅の途中で書いた「印象記」のなかで、「西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでゐる」日本に理解を示しつつ、「生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらを純粋に保って、忘れずにゐて欲しい」と訴へることを忘れなかった。
二十数年後、日本は戦禍で焦土と化した上に原爆が投下される。アインシュタインはルーズベルトに手紙を書いたことを生涯の過ちとして悔い、平和運動に取り組むことを決意したといはれる。(参考文献=『アインシュタイン、日本で相対論を語る』ほか)
日本の自然美と日本人の純粋性を発見したアインシュタイン
──大正11年の日本旅行記から
(「神社新報」平成15年8月4日号から)
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まもなく原爆忌──。
アメリカの核開発の歴史は、原子物理学者のアインシュタインがルーズベルト大統領宛に書いた核兵器開発を促す手紙に始まるともいはれる。ナチス・ドイツによる原爆開発を恐れての進言だったが、歴史の皮肉といふべきか、最初の原子爆弾はドイツにではなく、彼がこよなく愛した日本に投下された。
相対性理論で知られるアインシュタインは、科学者として世界史に名を残す一方、日本の伝統美と日本人の純粋性を深く理解した代表的西洋人の一人として知られる。
▢ 美しい自然と上品な日本人
アインシュタインはいまから八十年前の大正十一(一九二二)年十一月、日本の出版社の招きに応じて来日した。九州から東北まで、大学で相対性理論を講演したばかりでなく、明治神宮や日光東照宮、熱田神宮、厳島神社などに参詣し、皇后陛下に謁見、能楽や雅楽を鑑賞し、多くの日本人と交はり、「日本のすばらしさ」に魅せられた。
招請を受けたとき、アインシュタインは「このチャンスを逃したならば、後悔してもしきれない」と思った。世界各国を旅した彼だが、「日本ほど神秘のベールに包まれてゐる国はない」からであった。
彼の旅日記によると、まづ感動したのは美しい自然であった。彼は、「日本の海峡を進むとき、朝日に照らされた無数のすばらしい緑の島々を見た」。
アインシュタインは各地で日本の「光」に惹かれた。京都では、「魔法のやうな光が通りや小さな家を照らしてゐた。……下に見える町のほうには光の海が連なってゐた。非常に感銘を受けた」。展望車に乗って東京に向かふ途上では、「雪に覆はれた富士山は遠くまで陸地を照らしてゐた。富士山近くの日没はこの上なく美しかった」。
自然以上に輝いてゐたのは、日本人の「顔」である。
日本行きの船上で出会った日本人客を観察し、「日本人は他のどの国の人よりも自分の国と人々を愛してゐる」ことを知る。彼が会った日本人は、「欧米人に対してとくに遠慮深かった」。京都のホテルの給仕は「素朴で、おとなしく、とりわけ感じがいい」。東京で、芸者の踊りも見た。「かかる種類の女性を標準にして、その国民性が分かる。日本の芸者は非常に謙遜な態度で上品ではないか。……日本国民の上品でゆかしいことがこれ一事で分かる」。
▢ 自然と人間の一体化を神道に見る
さうした国民性はどこに由来するのか。アインシュタインは自然との共生と見抜く。
「日本では、自然と人間は一体化してゐるやうに見える。この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じて与へられたものと密接に結びついてゐる」
「自然と人間の一体化」を示すものは、日本の神道と神社建築であった。
高松四郎宮司の案内で参拝した日光東照宮は、「自然と建築物が華麗に調和してゐる。……中央の建物は多彩な木彫りで飾られてをり、すばらしい。……自然を描写する慶びがなほいっそう建築や宗教を上回ってゐる」。
厳島神社では、「優美な鳥居のある水の中に建てられた社殿に向かって魅惑的な海岸を散歩する。……山の頂上から見渡す瀬戸内海はすばらしい眺めだった」。
彼の探求心は天皇にも及ぶ。
熱田神宮では「国家によって用ゐられる自然宗教。多くの神々、先祖と天皇が祀られてゐる。木は神社建築にとって大事なものである」と印象を述べ、京都御所では「私がかつて見たなかで最も美しい建物だった。……天皇は神と一体化してゐる」と見る。
▢ 伝統と西洋化の軋轢を懸念
美しい自然とその自然に育まれた日本人の国民性を高く評価したアインシュタインは、他方で伝統と西洋化の狭間で揺れる日本の近代化を熟知してゐた。
だからこそ、旅の途中で書いた「印象記」のなかで、「西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでゐる」日本に理解を示しつつ、「生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらを純粋に保って、忘れずにゐて欲しい」と訴へることを忘れなかった。
二十数年後、日本は戦禍で焦土と化した上に原爆が投下される。アインシュタインはルーズベルトに手紙を書いたことを生涯の過ちとして悔い、平和運動に取り組むことを決意したといはれる。(参考文献=『アインシュタイン、日本で相対論を語る』ほか)
2003-08-04 21:43
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