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A級戦犯はなぜ合祀されたのか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年11月19日日曜日)からの転載です

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 報道によると、日本遺族会は、「遺族会の歴史を勉強しよう」という古賀誠会長(元自民党幹事長)の提案を受けて、「分祀」論を議論しないという前提で、遺族会と靖国神社との関係などについて、「勉強会」を開催し、検証していくことになったようです。

 また、古賀氏は自民党古賀派でも、靖国神社のあり方についての勉強会を設け、「合祀」問題を取り上げる方針を示しました。

「わだかまりなく参拝できる施設とはどういうものであるか、勉強することが大事だ。(A級戦犯が)どういう経緯で合祀されたか、ほとんど理解されていない。どういう靖国神社がふさわしいか、勉強を積み上げていきたい」

 と述べたと伝えられます。

 古賀氏としては本格的な論議を提起していきたい、という考えのようです。

 ご承知の通り、古賀氏は今年の春にも、遺族会会長という立場で、「分祀」を唱え、政策提言しました。中国、韓国との関係が悪化した現状を指摘したうえで、

「戦没者ではない一部の英霊を分祀することが検討の対象になる」

 と述べたと伝えられます。

 このとき本ブログでは、古賀氏が御尊父様を戦争で失った無念は察するにあまりありますが、その「分祀」論は間違っている、と批判しました。
http://web.mac.com/saito_sy/iWeb/SAITO%20Yoshihasa%20Website/Blog/06997C7F-E25F-11DA-899B-000A95D44250.html

 日本政府は戦争裁判の刑死を公務死と認め、だからこそ遺族援護が行われ、合祀も行われたことなど、4つの理由を、このときは挙げました。

 今回の勉強会の立ち上げは、春に提唱された「分祀」論をそのまま引き継いでいるものなのでしょうか。それとも古賀氏自身、「勉強を積み上げた」うえでのことなのでしょうか。

 いわゆるA級戦犯はなぜ、どのような経緯で、靖国神社に合祀されることになったのでしょうか。

 いま発売中の「正論」12月号に「知られざる『A級戦犯』合祀への道──朝日新聞記事から浮かび上がる七つの真実」と題する論攷を書きました。昭和27〜30年の朝日新聞の記事から戦犯合祀を検証しています。

 ──靖国神社の本殿には外界の喧噪とは隔絶した静寂があり、神気がみなぎっています。ここに神、いませり、と信じ、「国安かれ」と日本国民が日々、捧げてきた祈りの重みでしょうか。それとも、国家存亡の時にかけがえのない命を国に捧げた戦没者を、私を去って公に殉ずる精神を、神として祀ってきた歴史の重みでしょうか。

 殉国者を国家が慰霊・追悼するのは当然の責務であり、慰霊・追悼の中心的施設として歴史的に機能してきた靖国神社に国の代表者が表敬するのはこれまた当然のことでしょう。

 その靖国神社にいま誤解や曲解が集中しています。その最たるものは「A級戦犯の合祀」です。まるで神社が戦争犯罪を神聖化し、戦争犯罪人を神と崇めているかのようないいぶりですが、そのような事実はありません。

「侵略戦争の指導者を祀る神社に首相が参拝することは侵略を正当化し、戦争責任を曖昧にし、偏狭なナショナリズムを刺激する」

 というような議論も的外れです。祭神の合祀は特定の歴史観・戦争観に基づくものではないし、慰霊・追悼と歴史批判は次元が異なるからです。

 いわゆるA級戦犯の十四人が合祀されたのは、東京裁判で絞首刑になった七人、公判中に病死した二人、受刑中に死亡した五人の死を、日本政府が一般戦没者と同様に公務死と認めたからです。戦没者を認定できるのはむろん国以外にはありません。

 刑死した七人は「報復裁判」という批判のある判決を従容として受け入れ、死をもって「罪」を償い、そして死を免れた戦犯は日本政府の勧告、関係各国の決定で、恩讐を超えて赦免・減刑されました。どのようにして戦犯たちは赦免されたのか、なぜ戦犯が、そして刑死者が殉国者と認められるにいたったのか、試みに当時の朝日新聞の記事をめくり、その経緯をトレースすると、注目すべきいくつかの事柄が見えてきます。

 第一点は、戦犯の赦免・減刑の動きは、「敵を愛せ」というキリスト教精神に基づいてフィリピンで開始されたこと、

 第二点は、講和条約発効後、日弁連など民間団体が戦犯赦免の署名運動を展開し、それを受けて日本政府が勧告したのち、連合国側が減刑・保釈に動き出し、インドと台湾(国民政府)が欧米各国に先駆けてA級戦犯釈放を承認したこと、

 第三点は、「戦犯にも恩給を」という国民の強い要望から恩給法が改正され、刑死・獄死した戦犯を公務死と認め、扶助料が支給されるようになり、戦犯合祀の道が開かれたこと、

 第四点は、国民の要望を受けて、厚生省が沖縄・ひめゆり部隊を軍属と認定し、靖国神社に合祀されたことが戦犯刑死者や終戦時自決者の合祀に先鞭をつけたこと、

 第五点は、意外に壁が厚かったのはアメリカで、それでも終戦十年の昭和三十年にはA級戦犯釈放に踏み切ったこと、

 そして第六点は、最後まで難航したのがソ連と新中国で、ここでは戦犯らの洗脳教育が行われ、国交正常化交渉の駆け引きに政治利用されたこと、

 さらに第七点は、朝日新聞がいまでは考えられないほど、戦犯者たちに同情的であったことです。

 これらの事実を振り返るとき、

「侵略の過去と向き合うべきだ」

 と声高な主張とともに靖国批判、首相参拝批判が繰り返されていることがいかに見当違いか、が理解できるでしょう。戦犯は「罪」を償い、殉国者と認められたのです。神社が好き勝手に一般戦没者と戦時指導者を一緒くたに祭り上げたわけではありません。

 一方で、中国による戦犯の政治利用はいまなお一貫して続いています──。

 歴史を謙虚に学ぼうとする古賀氏の姿勢には心から共鳴します。靖国神社はどうあるべきなのか、を考えるためには、歴史を謙虚に学ぶことが出発点になるでしょう。

「正論」掲載の拙文のつづきは、本誌をお買い求めのうえお読みいただければありがたいです。
http://www.sankei.co.jp/seiron/

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