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なぜ靖国神社を民間任せにしてきたのか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月1日日曜日)からの転載です

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 先週、国会図書館は1200ページにおよぶ「新編 靖国神社問題集」を作成しました。同図書館は、昨年1月から、国会議員などから資料要求が相次いだのを受け、非公開の関係資料を収集してきたと伝えられます。いわゆる戦犯の合祀をめぐる経緯についての文書などもあり、新聞各紙はいっせいに論説に取り上げ、問題点を指摘しています。

 残念なことにまだ「問題集」そのものを見ていないので、正確な解説や批判はできないのですが、ここでは朝日、読売、毎日の各紙が主張するところに従って、検証を試みてみます。

 まず朝日新聞です。同紙は社説の冒頭、旧厚生省が戦犯合祀に深く関わっていた実態が浮かび上がったと指摘しています。それは後段で述べている憲法の政教分離の原則に反する恐れがある、という主張と結びついています。

 しかし原則論的にいえば、国に命を捧げた殉国者を認定できるのは国以外にはありません。多かれ少なかれ、国が合祀の過程に関わることは当然です。

 とすれば、憲法の原則に抵触するのかどうかですが、これは憲法の原則をどう考えるかによります。

 政治と宗教が、あるいは国家と宗教団体とが絶対的に分離されるべきだというのなら、違憲と判断しなければなりませんが、そもそも人間が宗教的存在である以上、絶対分離などは不可能ですし、GHQでさえ占領後期になると絶対分離主義を採用しませんでした。

 東京都慰霊堂の仏式法要をはじめ、絶対分離主義をとっていない事例は枚挙にいとまがないほど、靖国神社だけが絶対分離主義を採用しなければならない理由はありません。

 実際問題として、朝日の社説は、厚生省と神社が一体となって合祀が進められていたと指摘していますが、事実とはいいきれません。読売の社説が指摘しているように、厚生省が66年にいわゆるA級戦犯の祭神名票を神社に送ったあと、神社が実際に14人を合祀したのはそれから12年後でした。戦前もそうでしたが、国と神社はけっして「一体」ではありません。

 この点、毎日が

「神社側が抵抗していた」

 と指摘しているのは注目されます。靖国神社が一民間の宗教法人ならば、誰を合祀しようがまったくの自由ですが、当時の靖国神社には、神社が戦後、宗教法人となったのは占領軍のいわば強制によるものであり、神社本来の国家的性格を回復することが先決である、という判断があったのでした。

 朝日の社説は第2点目として、厚生省と靖国神社が外部に目立たないかたちで合祀することを申し合わせていたとくわしく書き、

「そうした人々を顕彰することは戦争を肯定し、責任をあいまいにするとの批判を恐れたのだろう」

 と秘密主義の理由を推理しています。この点については、毎日も同様で、

「政教分離という憲法の原則に照らし後ろめたさがあったからと思われる」

 と想像しています。

 だとすると、いわゆる戦犯以外の祭神は公表されてきたのでしょうか。一般戦没者に関しては公表されたのに、戦犯は極秘に合祀したというのなら、社説が主張するとおりでしょうが、実態はそうではないようですから、単なる想像に過ぎないのではないでしょうか。

「正論」2月号掲載の拙文「知られざるA級戦犯合祀への道」に書きましたように、戦犯の減刑・赦免は国民の強い要望と、関係各国の決定に基づいています。戦犯合祀のきっかけは、沖縄・ひめゆり部隊の合祀でした。「靖国の社頭に」という国民の要望を受けて、厚生省は88人を「軍属として戦死」と認定し、合祀されたのです。朝日新聞の記事によれば、厚生省の職員はこのとき

「やがて軍人、民間人を問わず、まつられるだろう」

 と語っていますし、「読者応答室から」には

「靖国神社では将来、戦犯刑死者などの合祀を考慮しています」

 と書かれています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0611/ronbun2-1.html

 当時の新聞が戦犯合祀への動きを知っていたのだとすれば、神社が勝手に、こっそりとまつったわけでもないし、政府と神社が結託して秘密裏に合祀を行ったわけでもないでしょう。

 第3点目として、朝日新聞の社説は、特定の宗教色のない国立の追悼施設を作るべきである、という従来の主張を繰り返しています。これは読売も同様です。宗教法人である神社の意向に反して、政府が分祀を強制することは憲法上できないとすれば、新国立追悼施設を建立するなど新たな方法を検討すべきである、と訴えています。

「論座」2003年10月号に書いたことですが、近年とみに、日本政府は公的追悼施設および追悼行事から宗教性を排除することにきわめて熱心で、まるで無神論の伝道者でもあるかのように、伝統的な日本人の宗教性を軒並み否定したうえで、無宗教施設を各地に建設し、あまつさえ異国の宗教にすり寄っています。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/RZH1510nagasaki.html

 それもこれも、憲法の定める政教分離を絶対分離主義と解釈しているからですが、宗教の否定に通じ、したがって信教の自由を侵す恐れのあることから、GHQさえ否定した絶対分離主義に、なぜいまの日本政府は固執しようとするのでしょうか。

 政教分離の本家本元といわれているアメリカでは「全国民の教会」と位置づけられるワシントン・ナショナル・カテドラルがあり、しばしばホワイト・ハウスの依頼による追悼ミサが行われています。イギリスには第一次大戦後、戦没者追悼記念碑セノタフが設置され、毎年11月に行われる政府主催の追悼行事ではロンドン司教による宗教儀式が行われます。韓国には国立墓地があり、宗教行事も行われます。

 死者を追悼するのに宗教性を否定することは出来ません。国に殉じた戦没者を慰霊・追悼することは国家の責務であり、それぞれの国でそれぞれの伝統に基づいた儀礼が行われることは自然です。

 靖国神社は国家的あるいは国民的儀礼の場です。現在の法体制では宗教法人ですが、けっして宗教活動を行う場ではありません。新たな国家施設を作るより、靖国神社の国家的性格を法的に、公的に回復することが求められているのではないでしょうか。殉国者の慰霊・追悼を民間任せにしてきた国家の怠慢こそ、むしろ問われるべきであり、いびつな絶対分離主義とも決別すべきです。

タグ:靖国問題
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