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仏像を文化財に指定した埼玉県教委の質疑 [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年4月5日木曜日)からの転載です


 埼玉県にお住まいのメルマガの読者が、興味深い情報を教えてくださいました。文化財保護審議会の答申を受けて、仏像の文化財指定を審議した県の教育委員会で、宗教と教育に言及した質疑が行われたというのです。

 先月9日に開かれた県教育委員会の議事録には、次のような審議の様子が記録されています。
 http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BA00/gibunn/gijiroku1550.htm

 発端は委員長の何気ない思い出話でした。

委員長 いちばん最初にある、銅像誕生釈迦仏立像は、私が小学校のころ甘茶をかけたお寺様です。非常になつかしく、今度、文化財に指定されるということで、うれしく思います。これは余談ですが、そばに小学校があり、そこの子どもたち全員が4月8日に全員でそのお寺に行って、甘茶をいただき、甘茶をかけながら願いをかけました。

 教育委員長に代わって少し説明すると、文化財に指定されることになった仏像は、東松山市にある無量寿寺が所有する高さ約十センチの誕生釈迦仏で、平安期に作られた県内最古の誕生仏といわれます。

 お釈迦様が生まれたときに龍が飛来して香油を注いだ、という故事に基づいて、誕生日とされる陰暦4月8日の灌仏会(かんぶつえ、花祭り)には、花御堂(はなみどう)に誕生仏を安置し、甘茶をかけてお祝いする習わしがあります。稚児行列が行われ、参拝者には甘茶がふるまわれます。甘茶で習字をすれば上達するともいわれます。

 この日の委員会では、委員長の発言から少し経ったあと、1人の委員が質問しました。

委員 先ほどの甘茶をかけたという話ですが、小学校の時ですか。そこでお祈りをしたのですか。

委員長 そうです。

委員 これは今でもやっているのですか。

委員長 今はやっていないと思います。宗教の関係で難しいのではないでしょうか。

委員 せっかく良いものだということで指定しても、本来の機能を出せないというのは、不思議なものですね。

委員長 あとで私の母校に聞いてみたいと思います。とにかく、子どもたちは甘茶をもらえるということで、楽しみで楽しみでしょうがなかったのです。

委員 どこまで宗教、祈りの世界と教育が絡めるかということは、非常に大切な問題ではないかと私は思います。

委員長 子どもたちは宗教的な行事としてはとらえていなかったのではないかと思います。偉くなりたいとか、お金持ちになりたい、やさしい人になりたいというような、それぞれの願いを持って、順に甘茶をかけたのです。

委員 今でもやっているのか知りたいですね。

生涯学習文化財課主幹 学校単位でやっているという情報はありませんが、今でも、お釈迦様の誕生のお祭りとして、無量寿寺では4月29日にお祭りをやっていると聞いています。

 この議事録は委員長と県職員以外、発言者が特定できず、委員の発言も必ずしも意を尽くしていないので、はっきりとはいえませんが、どうやら複数の委員が発言し、その内容は、宗教的意味を有する仏像をせっかく文化財に指定しても、学校教育に活用できないのは残念だ、という意見と、いまでも学校単位で参加しているなら不都合だとする意見とがあるようにも見えます。

 灌仏会という仏教行事に用いられる仏像を文化財に指定することは、県にとってはあくまで仏像の文化的価値を認めたということであって、県が宗教活動を行うことではありません。しかし、灌仏会に参加する子供たちが、立派な人間になりたい、字がうまくなりたい、と祈ることはきわめて教育的な意味があります。

 灌仏会という宗教に由来する行事に公機関としての教育委員会はどこまで関わりを持てるのか、公教育が宗教の領域にどこまでなら立ち入ることが可能なのか、委員会の質疑は問いかけています。

 日本国憲法は20条3項で

「国およびその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」

 と定めています。他方、旧教育基本法は9条1項では

「宗教に関する寛容の態度および宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」

 としながらも、2項では

「国および地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」

 と定め、公教育での宗教教育を禁止していました。

 法制度上は宗教に関する知識教育や情操教育までもが禁止されているわけではないという指摘もありますが、実際の教育の現場では戦後一貫して、事実として、宗教教育が全般的に禁止されてきました。

 戦前を振り返れば、日本政府は、今日の常識論的な歴史理解からすればじつに意外なことですが、世界の大勢にならって「国家は宗教に干渉せず」を基本姿勢として、今日以上の厳格な分離政策を布き、公立学校などでは宗教教育と宗教儀式が禁じられていました。

 したがって、たとえば、昭和3年に専門学校から全国に十数校しかなかった大学令による大学に昇格した上智大学は、カトリックのイエズス会による設立・運営ですが、宗教教育は行われず、学内には祭壇さえなかったのでした(「上智大学史資料集」)。その一方で、この教育委員長の発言にあるように、学校単位でお寺の行事に参加するケースもあったのでしょう。

 一方、世界に目を転ずれば、日本と同様に第二次大戦の敗戦国となったイタリアでは、戦後、王制が廃止され、カトリックは国教の座を失い、逆に「国家の世俗性」が憲法に定められるようになりましたが、日本とは異なり、公立学校で宗教に関する知識教育が行われています。

 昨年暮れに施行された新しい教育基本法は15条で、

「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養および宗教の社会生活における地位は、教育上、尊重されなければならない」

「国および地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」

 と定めています。旧法とは異なり、一般的教養の尊重をうたい、宗教に関する知識教育の道を開きましたが、具体的な議論はまだこれからです。

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