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バチカン大使が司教の政治的暴走を支持? [天皇・皇室]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年10月24日水曜日)からの転載です


◇先週から、週刊の「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンがスタートしました。
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 ご感想もお待ちしています。
昨日発行の第2号のテーマは「天皇に私なし」です。
http://www.melma.com/backnumber_170937/



〈〈 バチカン大使が司教の政治的暴走を支持? 〉〉

 「政治に直接介入することは聖職者ではなく、信徒の役目である」

 とするカトリック教会の教義(カテキズム)に反して、日本の教会指導者である司教たちが反天皇、反ヤスクニ、改憲反対など政治活動を展開していることについては、「正論」その他の拙文で問題提起してきましたが、ここへきて新たな展開が生まれています。

 バチカン大使が司教たちの政治的暴走を支持するかのような挨拶をしたというので、信徒間に波紋が広がっているのです。

 問題となっているのは、6月18日のローマ教皇庁大使館カステッロ大使(大司教)の挨拶文です。

 2007年度の定例司教総会が開催されるにあたって、日本の司教たちに対し送られたもので、司教たちの「異端化の本丸」ともいわれる正平協(正義と平和協議会)のホームページにその抜粋が載っています。
http://www.jccjp.com/#anchor-Msg-Ambassador-Vatican

 大使は挨拶文の中で、新・教育基本法や憲法改正手続法の成立について、世界の多くの人々が、言論の自由や信教の自由が損なわれ、戦争放棄が人類の利益にとってそれほど重要でないことに取って代わられることを心配している、と指摘したうえで、司教たちが、政教分離の原則、憲法9条の重要性について、さまざまな明確な声明を出してきたことを賞賛し、支持を表明しています。

 これに対して、8月に信徒から質問状が大使に提出されました。
http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/nomura/23.Aug.2007.html

 質問は3項目で、「抜粋」ではなく「全文」を知りたい。教育基本法や憲法の改正は信徒の多くが支持しており、その中心には信徒の政治家がいる。大使の発言は明確な内政干渉で、日本の信徒に大きな分裂をもたらす。世界の多くの国が懸念しているという具体的事実はあるのか、というものでした。

 大使の挨拶はバチカンの公文書というわけではなく、単なる挨拶文に過ぎません。であればこそ、「抜粋」が、カトリック中央協議会のホームページではなく、正平協のホームページに載せられているのでしょうが、司教たちは自分たちの政治的言動の正当化に利用しているようにも見えます。

 もしバチカン大使が、ローマ教皇庁の代表という立場で司教たちの政治的暴走にお墨付きを与えているのだとしたら、大使の行動それ自体が教義に反することになりかねないし、バチカン国の外交使節代表という立場で日本の政治を批判しているのだとすれば、外交問題に発展することにもなるでしょう。

 大使はほんとうはどのようなメッセージを、どのような考えで、司教たちに送ったのか。信徒の質問状から2カ月、大使からの返答はまだないようです。

 司教様方の政治的暴走については、こちらをどうぞ。
http://homepage.mac.com/saito_sy/religion/H1902SRbishop.html



〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「東亜日報」10月24日、「戦死者でない韓国人60人、靖国神社が無断で合祀。中には生存者も」
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2007102474658

 いつの時代も戦争は過酷ですが、朝鮮人民は日本帝国臣民としてともに戦う、もっとも協力的な戦友でした。1919年の「3・1」反日独立運動の闘士たちが、日中戦争勃発後は一変して日本の戦争政策に協力したことは知られています。24万もの朝鮮人青年が志願兵として戦い、うち2万人が落命し、靖国神社にまつられています。
http://homepage.mac.com/saito_sy/korea/H1805nicchou.html

 韓国政府の委員会は神社に合祀されたうち、47人は戦後死亡し、13人が現在も生存中だということを明らかにしたのだそうです。記事は、生存が分かっても霊璽簿から抹消されないことに不満げです。

 歴史の真相究明が政府の目的のようですが、この記事の冒頭にある「強制連行」は歴史の事実といえるのでしょうか。

 そのことについては昨日のブログ(メルマガ)に書きましたので、繰り返しません。

 そんなところへ今度は金大中事件に関するKCIAの関与を認める韓国政府の報告書が公表されたというニュースが飛び込んできました。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20071024AT2M2401R24102007.html

 大統領選を目前にして公表されたタイミング、事件を起こした理由を報告書が分析しているのかどうか、についても知りたいところです。


2、「ベトナムニュース」10月23日、「ベトナムの男女出生比率の不均衡。UNFPAが警告」
http://viet-jo.com/news/social/071021024038.html

 国連人口基金が警告したのだそうです。中国の一人っ子政策が男女比率の極端なアンバランスを生んでいることは知られていますが、ベトナムでも人口抑制政策によって同じ減少が起きているようです。男の方が2割も多い地域があるとのことですから、いずれ社会問題に発展するのでしょうか。


3、「ロイター」10月23日、「中南米でのエイズ拡大、カトリック教会の避妊禁止も一因」
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-28485520071023

 今年5月にブラジルを司牧訪問した教皇ベネディクト16世が野外ミサで4万人の青年に訴えたように、カトリック教会は純潔や禁欲の重要性、欲望の過剰を排する価値観を教えてきたのであって、国連合同エイズ計画のこの批判は当たらないように思います。カトリックの教えがエイズ拡大の要因なのではなくて、信仰の衰退に原因があるのではないでしょうか。


4、「東京新聞」10月23日、「山古志、希望への再出発。中越地震3年合同追悼式」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007102302058613.html

 犠牲者の方々のご冥福をあらためてお祈り申し上げます。

 さて、公機関が主催する追悼式は黙祷と献花による無宗教形式が主流になっています。これが宗教分離にかなった方式だという考えが一般化しているということなのでしょうか。

 歴史的に見れば、この形式は関東大震災後の東京府市合同の追悼式に始まるようです。一般に戦前は政教分離が確立されていなかったといわれますが、実際のところ、このブログ(メルマガ)でも何度も指摘してきたように、政府は「世界の大勢にならい、国家は宗教に介入せず」を方針とし、大震災後の追悼式も既成宗教の儀礼を採用せず、宗教者も関与しなかったのです。

 たとえば、大正10年4月6日の大阪新報は、宗教法制定に関する粟屋謙宗教局長(のちの文部次官)の次のような談話を載せています(要旨)。

 ──新宗教法の制定はかなり前からの懸案であったにもかかわらず、手つかずのままに放置されていた。明治初年の「太政官達(たっし)」を援用して、何とか問題点を糊塗し弥縫するというのが実態だった。日々、変化し、発展する宗教を、あろうことか太政官時代の慣例、もしくは残骸とも称されるような規定で対処しようというのだから、無理が生じるのは当然である。そこで、明治三十年代に政府が宗教法を議会に提出したのだが、上院が猛反対し、不成立となったばかりでなく、少なからず痛手を負わされた。以来、政府は宗教法案を鬼門として遠ざけてきた。神道・仏教・キリスト教その他、多数の宗教を統括する新宗教法の確立に全力を傾けたい(「皇国」転載の記事から)。

 つまり、明治以来、いわゆる国家神道体制どころか、まともな宗教行政の枠組みすらなく、枠組みをつくろうとする努力すら欠けていたのです。そのため行政の立ち後れを改善しようと、粟屋たちは新宗教法の制定を急いだのですが、法制化の中身は今日、一般常識化している「国家神道」のイメージとはほど遠い、「国際基準としての不干渉の原則」が基本とされました。

 8月12日付の宗教専門紙「中外日報」に掲載された「国家が宗教に干渉するは世界の大勢にもとる、と文部当局は語る」と題された記事は、その事実を端的にうかがわせます。

 「目下、宗教制度の研究調査を進めている。いかなる宗教制度を作るべきかの結論には到着していないが、とにかく国家が宗教に対して干渉するということは世界の大勢に反するものであるから、干渉方針を避けなければならぬ。欧米諸国の対宗教方針がますます自由解放主義となり、信教の自由ということがほとんど世界の通則で、わが日本においても明治維新後はだいたいにおいて不干渉主義であるが、今後はこの方針を徹底していくことが必要である……」

 それから2年後の大正12年、関東大震災犠牲者を悼む公機関による追悼儀礼が無宗教で行われたのは当然の流れで、戦後のいまも無宗教儀礼は踏襲されています。

 戦前と戦後が異なるのは、大正時代の宗教者が宗教色を嫌う行政と対立したのに対して、現代の宗教家が絶対的政教分離主義を唱え、反宗教的ともいえる要求を行政に要求していることでしょう。その矛盾に現代の宗教家が気づいているのか、いないのか。

 黙祷の歴史についてはこちらをどうぞ。
http://homepage.mac.com/saito_sy/yasukuni/SRH1802mokutou.html

 以上、本日の気になるニュースでした。

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