SSブログ

無遠慮なお誕生日会見/話題「君が代」/天皇・皇室の一週間 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


□□□□□□□□□□ 無遠慮なお誕生日会見 □□□□□□□□□□

無遠慮なお誕生日会見
──「プライベート」発言の背景

▽終戦直後の天皇会見

 前号に続いて、今号も引き続き、宮内庁長官の「苦言」に始まる、宮中を揺るがしている問題について書きます。
koukyo01.gif
 辛酸なめ子さんというコラムニストがいます。旧皇族・竹田恒泰氏との共著『皇室へのソボクなギモン』(2007年)が話題になりましたが、その辛酸さんが、宮内庁長官の「苦言」発言のあと、「悲しいことに、ここ数年の皇族の誕生日というのは、気の重いことを言い合う日になってしまった」(「週刊文春」2月28日号)とするどい指摘をしています。

 まったくその通りですが、なぜそうなったのでしょうか?

 宮内記者会のOBによると、皇族方の記者会見が行われるようになったのは終戦直後のことでした。天皇が「現人神(あらひとがみ)」ともいわれていた時代に、アメリカのメディアが天皇の単独会見を行ったのに対抗して始まったのだそうです。

 皇居内を散策する陛下を、日本人記者たちが屋外でコチコチになりながら待ちかまえていると、陛下から一方的に声をかけられた、というのが最初の「会見」だったといいます。

 その後の定例会見も、質問する記者たちは良識もあり、遠慮がちで、ときには爆弾発言を引き出してやろうというような剛腕記者がいたとしても、宮内庁との間で質問のすり合わせが事前に行われるため、不規則な質問は避けられたのでした。

 ところが最近では、時代の変化というのか、事前調整がうまくいっていないのでしょうか、記者の質問が年々、無遠慮になっていくようです。


▽平成17年に一変した会見スタイル

 たとえば、皇太子殿下のお誕生日会見の内容を例に、具体的にふり返ってみましょう。

 平成13年の会見は、第1問は「この一年、また20世紀をふり返り、印象に残ったできごとをお聞かせください」でした。これに対して、殿下は2つの世界大戦の悲惨さ、冷戦の終結、植民地の独立などについて、時間をかけてふり返っています。

 第2問は「今後の皇室像」で、そのあと第3問「ご結婚生活」、第4問「両陛下のご公務」と続き、私的な話題には触れられたものの、会見の主要テーマとして位置づけられていたわけでは必ずしもありません。

 そうした会見のスタイルは平成16年まで続きましたが、17年に破られます。この年の第1問は「妃殿下の静養」についてで,第2問は前年のいわゆる「人格否定発言」に関連する質問、第3問は皇位継承、お世継ぎ問題と厳しい質問が続き、恒例の「一年間をふり返って」は最後の第5問に追いやられています。

 翌18年の会見は、第1問は前年の回顧に戻りますが、両陛下のサイパン慰霊訪問、清子内親王のご結婚、秋篠宮妃殿下の御懐妊、と質問の内容が最初から絞り込まれ、殿下のご回答も公的な回顧が二次的になっています。第2問は愛子さまのご成長、第3問は妃殿下のご様子と続き、まるで女性週刊誌の見出しを見るような会見に様変わりしています。


▽メディアのプライバシー暴き

 このようなあたかもプライバシーを暴き立てるかのような会見スタイルは、昨年も、そして今年も踏襲されています。それに対して、殿下はつとめて公的なレベルでのご回答をしようと踏みとどまっているかに見えます。

 たとえば昨年は、第1問は一年間の回顧ですが、悠仁親王のご誕生、皇位継承などに回答が誘導され、記者たちはまるで殿下の公的役割には関心がないかのようです。これに対して殿下は、「国の内外でさまざまな出来事がありました」と自然災害や教育問題など社会的な話題を語られています。

 今年も同様です。第1問は殿下の手術、両陛下のご健康問題で、それに対して、殿下は内外情勢を語られましたが、そのことを記事で取り上げたメディアはどれほどあるのでしょう。メディアが会見で聞き出そうとしているのは、オクと呼ばれる空間の私的な事柄であることは明らかです。

 今年の会見で、長官の「苦言」に関する関連質問に、殿下は「家族のプライベートな事柄ですので」と語られ、メディアはこれを「肩すかし」と伝えました。「天皇に私なし」が皇室の伝統ですが、メディアが挑発し、「プライベート」発言を引き出している、と見るのは私だけでしょうか。

 その結果、辛酸なめ子さんが指摘するように、「誕生日なのに楽しい話題ではなく、お互いに腹の探り合いのようなご発言ばかり」になっているのでしょう。

 ただ、私はメディアを責めるつもりはありません。あまりに露骨なのは無礼というべきですが、ジャーナリズムがスクープを狙うのは当然です。問われるべきは、事前の調整があるはずなのに、十分に機能していないことであり、それは宮内官僚の責任であり、政府の責任でしょう。皇室の尊厳が守られないほど、望ましくない会見が続くのなら、やめるべきです。


□□□□□□□□□□ 話題「君が代」 □□□□□□□□□□

「『君が代』の『君』は天皇とは限らない」
─民衆の歌であり、かつ天皇の歌─

▼反天皇闘争を展開する反対派

 卒業、入学のシーズンは憂鬱です。教育の場に政治を持ち込む日の丸・君が代ニュースが、否が応でも飛び込んでくるからです。

 国旗国歌法成立から10年近くにもなるのに、混乱が収まりません。というより、法制化には日の丸・君が代反対派の戦略があったといわれます。法制化を促したうえで、成立後は将来の国旗・国歌変更をにらんで、強制反対、学校行事への定着反対の政治闘争を戦略的に展開しているのです。

 つい先日も東京地裁の判決が伝えられました。卒業式で君が代斉唱などを拒否したことを理由に、教育委員会が再雇用を拒否したのは違法だと判断したのです。教職員に起立・斉唱を求める職務命令は違憲ではない、として判決は原告の主張を却けていますが、メディアの報道はあたかも君が代それ自体に問題があるかのような印象を与えています。

 対立の中心は天皇問題にほかなりません。政府は「君が代」を「天皇を国および国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念」する歌と理解し、天皇制反対派は「天皇の歌」を忌避しています。裁判闘争は反天皇闘争にほかなりません。


▼光孝天皇のお歌も世阿弥の謡曲も

 しかし文学的、歴史的に見ると、「君が代」を単純に「天皇の歌」と理解するのは間違っています。

 「君が代」の歌が最初に登場するのは、古今集巻第七賀部です。賀歌(がのうた)とは40、50、60歳と一定の年齢に達した人へのお祝いの歌で、この歌が賀歌部の冒頭に「題しらず、読人しらず」として掲げられているのは、当時すでに広く知られた古歌であることを意味します。ただ首句は「わがきみは」で、今日と異なります。

 祝賀の対象はむろん天皇とは限りません。光孝天皇が僧正遍昭の長寿を願って歌われた御歌には「君が八千代に逢ふ由もがな」という、よく似たフレーズが用いられています。「君」は必ずしも天皇を指すのではありません。光孝帝は百人一首の「君がため春の野に出でて若菜摘む」の作者でもありますが、この「君」もやはり天皇ではありません。

 首句が「君が代は」に定まるのは鎌倉時代以後といわれますが、この場合も天皇とは限らなかったのです。朝廷に用いれば聖寿万歳を寿ぐ意味になり、民衆に用いれば長寿を祝う歌として神事や仏事、宴席で盛んに歌われたのでした。

 世阿弥が作った「老松」という謡曲は、都の梅津某が夢のお告げに従って、筑前太宰府の安楽寺(天満宮)に参詣し、松の神木の傍らで旅寝していると、神霊が現れ、舞を舞い、「これは老木の神松の千代に八千代にさざれ石の巌となりて」と御代を寿ぎ、鶴亀の齢を「この君」に授けるとの神託を告げ、行く末万歳のめでたきを祝います。「この君」とは天皇と解されますが、曲は今日、一般の祝宴でしばしば謡われています。


▼自然に獲得された国歌の地位

 明治になって新しいメロディーがつけられますが、面白いことに、法的に国歌と位置づけられたわけではありません。

 国語学者の山田孝雄(やまだ・よしお)によると、当時、陸軍、海軍を問わず複数の「国歌」があったようで、宮内省作曲の「君が代」はその一つにすぎませんでした。学校でも「国歌」として教えられたことはないのですが、いつしか「国歌」の第一のものと認められ、「国歌」としての公式の布告もないまま、自然のうちに人々が「国歌」と唱え、認めてきた、と山田は解説しています。

 君が代は民衆の祝い歌であり、かつ天皇の歌であり、他国の国歌とは違って、権力的に制度化されたわけではないのに、千年以上の長い歴史と伝統の中で、国歌としての地位を自然に獲得してきたのです。世界に誇るべき大きな特徴といえます。


 参考文献=山田孝雄『君が代の歴史』(宝文館、1956年)など


□□□□□□□□□□ 天皇・皇室の一週間 □□□□□□□□□□

3月7日(金曜日)

□両陛下が自治体消防制度60年式典にご出席になりました(毎日jp)。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/ 20080307k0000e040048000c.html

□高円宮妃殿下が、山形で行われたスペシャルオリンピックスの開会式にお出ましになり、
お言葉を述べられました(山形新聞)。
http://yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200803/07/news20080307_0109.php

3月5日(水曜日)

□天皇陛下が皇居でクロアチアの大統領と会見されました(asahi.com)。
http://www.asahi.com/national/update/0305/TKY200803050285.html

3月4日(火曜日)

□皇太子殿下が国際博覧会ご出席のため、7月にスペインを公式訪問されると宮内庁が発
表しました(中日新聞)。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008030401000550.html

□常陸宮・同妃両殿下が都内で開かれた発明くふう展の表彰式にお出ましになりました(毎日jp)。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080305k0000m040014000c.html

3月3日(月曜日)

□天皇陛下は都内で開かれた魚類国際シンポジウムにお出ましになりました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080303/imp0803031814000-n1.htm

3月2日(日曜日)

□両陛下が東宮御所を訪問され、皇太子様方と梅を観賞されました(佐賀新聞)。
http://www.saga-s.co.jp/view.php?
pageId=1618&blockId=806524&newsMode=article

2月29日(金曜日)

□皇太子殿下が都内の養護学校を訪問されました。日本で最初に設立された知的障害児教
育機関で、生徒たちはドイツ語で第九を合唱したそうです(徳島新聞)。
http://www.topics.or.jp/contents.html?m1=1&m2=10&NB=CORENEWS&GI=Lifestyle/Human_Interest&G=&ns=news_120426802935&v=&vm=all

2月27日(水曜日)

□両陛下がイスラエルの首相夫妻と皇居で会見されました(時事ドットコム)。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008022700823


□□□□□□□□□□ お知らせ □□□□□□□□□□

1、発売中の「別冊正論」第9号に拙文「靖国合祀『日韓のすれ違い』」が載っています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no09/ex09.html

2、「人形町サロン」に拙文「日本人が大切にしてきた多神教文明の価値」が載っています。
http://www.japancm.com/sekitei/sikisha/index.html

3、靖国神社の社報「靖国」3月号に、先月3日に同社参集殿で開かれた公開勉強会のこ
とが載っています。私は「靖国問題を問い直す9つの視点」についてお話しさせていただ
きました。

4、斎藤吉久メールマガジンの読者登録もお願いします。
http://www.melma.com/backnumber_158883/
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。