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宮中祭祀を廃止せよ?/皇室とゆかりの深いお寺 [天皇・皇室]

□□□□□□□□□□ 宮中祭祀を廃止せよ? □□□□□□□□□□

▽間違いだらけの原武史論文

 月刊「現代」5月号が「危機の平成皇室」を特集しています。特集はノンフィクション作家・保阪正康氏の「父と子『宿命の相克』」と原武史・明治学院大学教授の「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まり」の2本の論攷からなっています。

『大正天皇』『昭和天皇』の著作で知られる原教授の論攷には、「宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた」というセンセーショナルなサブタイトルがついています。天皇は祭り主であり、祭祀こそ天皇第一のお務めであるという伝統的な考え方に、真っ向から挑戦する、じつに挑発的な論攷です。

 けれども、その内容は、といえば、間違いだらけで、どうしてこのような論攷を著名な出版社が取り上げるのか、首をかしげたくなるほどです。


▽現天皇の思い入れ?

 原教授の論攷のポイントは、以下の6点にあろうかと思います。

1、宮中祭祀について、現天皇は皇后とともに熱心で、思い入れは並々ならぬものがある。古希を過ぎても代拝をさせない点で、昭和天皇を上回っている。

2、昭和天皇は、高齢を理由とする祭祀の簡略化に、いいがたい不安を覚えていた。天皇が肉体的・精神的に過酷な祭祀を乗り越えることで、祈りは神に通じるという考えを持つ人々もいた。

3、しかし21世紀において、きびしい祭祀を遂行・貫徹できる人間がコンスタントに育成できるか。現天皇も祭祀を疎かにすることによる災いを恐れているとも考えられるが、皇太子・皇太子妃はどうか。

4、1960年代までは日本は農村社会で宮中祭祀は国民にとって大きな意味があったが、農耕儀礼は形骸化し、新聞は祭祀を報道しなくなっていった。皇室無関心層は広がっており、いっそ祭祀の根本的見直しという選択肢もあり得る。

5、宮中祭祀の大部分は明治以降に作られたもので、いまの祭祀をなくしたとしても明治以前にもどるだけである。危機的な状況にある皇室なら、思い切って祭祀をなくしてしまうぐらいのことを考える必要がある。

6、祭祀に代わって、新しい「神話」づくりを皇太子夫妻は模索しなければならない。それはネットカフェ難民などの「救済」である。祭祀よりもっとダイレクトに社会につながっていく方法があるのではないか。皇太子夫妻がみずから下りていき、格差社会の救世主になることができれば、皇室に対する関心を広げることができる。


▽天皇とは歴史的存在である

 原教授の勘違いは大きく分ければ2点です。1点は、天皇、皇位、祭祀とは何か、という、皇室ジャーナリズムおよび皇室研究者にとってもっとも根本的な理解。もう1点は、近現代史についての歴史家としての基本的な理解です。

 まず1点目の勘違いについて申し上げます。

 教授は「現天皇は皇后とともに祭祀に熱心だ」と書いていますが、いうまでもなく、天皇という存在はいわゆる「上御一人」であって、両陛下お二方で皇位を継承されているのではありません。皇位にあるのは天皇お一人です。

 したがって、両陛下がお二方で祭祀にどう取り組まれているか、あるいは皇太子・同妃両殿下がお二方で「新しい神話」をどう模索されるか、という発想は意味のないことでしょう。

 祭祀を行う祭り主はあくまで天皇お一人なのです。戦前の皇室祭祀令はそのことをじつに正確に「大祭は、天皇が、皇族および官僚を率いて、みずから祭典を行う」というように表現しています。戦後も同様に、祭祀の主体は天皇であり、両陛下ではありません。

 陛下が「祭祀に熱心」という表現も意味のないことでしょう。

 皇位は記紀神話に描かれた皇祖の神勅に淵源を発し、その神意に基づきます。したがって、祭祀の厳修はいま現に皇位にある天皇個人の意向に左右されるべきものではありません。祭祀は皇室の伝統であり、「およそ宮中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」)という祭祀最優先の考えもまた皇室の伝統です。

 教授の文章から浮かび上がってくる「天皇」は、いま皇位を継承している、肉体を持った1人の人間を意味しているようです。ジャーナリズムやアカデミズムが天皇個人に焦点を当てるのは理解できますが、天皇とは個人ではなく歴史的存在なのです。


▽祭祀の実態をご存じない

 実態論としてみた場合、教授が主張するように、皇后陛下がとくに祭祀に「熱心」ということもあり得ないでしょう。

 教授は「熱心さ」の根拠として、新嘗祭をのぞく大祭に「出席」し、孝明天皇例祭など多くの小祭に「天皇といっしょに出席」している、などと書いていますが、議論としてまったく誤りです。

 まずそもそも「出席」という表現がおかしい。

 天皇は、大祭はみずから祭りを行い、御告文を奏上します。小祭は掌典長が祭典を奉仕し、天皇は拝礼を行います。これに対して、皇后が行うのは拝礼であり、「いっしょに出席」はあり得ません。

 皇后がお出ましになる祭典も決まっています。「熱心」だからといって、勝手に拝礼することはあり得ないのです。

 さらに「天皇は1日の旬祭(しゅんさい)に欠かさず出席している」と、さもそのことが熱心さの表れであるかのように記述していますが、これも誤りです。

 旬祭は平安中期に始まり、皇室祭祀令では元日の旬祭は小祭とされ、そのほか毎月1日は天皇が親拝になることとされました。教授は祭祀の実態をご存じないまま、祭祀を論じているようです。

 教授はまた、昭和天皇の晩年、宮中祭祀が簡略化され、御告文の「朗読」が省略された、椅子が使用された、と書いていますが、逆に、朗々たる奏上の声が外にまで聞こえたという証言さえあります。

 このように、原教授の論攷は、基本的な理解がかなりあやふやです。


▽祭祀への偏見、祭りへの無理解

 祭祀廃止を提言する原教授の勘違いは、何に由来するのか、おそらくそれは、祭祀に関する偏見です。

 つまり、宮中祭祀は天皇にとって肉体的にも精神的にも負担が大きい。そして「天皇自身がもっともつらい過程を乗り越えることで、祈りは神に通じるという考え方を持つ人がいた」と一面的に考えていることです。

 これではまるで、天皇の祭祀があたかもキリストの受難のように聞こえてきます。

 たしかに晩秋の深々と冷える夜間、長時間にわたって行われる新嘗祭をはじめとして、宮中祭祀は激務です。しかし半面、この祭祀こそ生命力の源なのです。教授はこのもっとも重要な祭祀の本質を見落としています。

 その本質は全国津々浦々の祭りに共通します。

 たとえば、もう10年前になりますが、私が取材した長野県天龍村では、夜を徹して「湯立て神楽」が行われていました。徹夜が3日続く祭りでしたが、過疎の村で若者がいない。このため、「体力勝負」といわれるお祭りを、古老たちが奉仕するのですが、じつに面白いことに、「70、80の年寄りが嬉々として祭りをやる」というのです。

 神楽は、神霊を体内にしずめ、衰えた生命力の復活を図る「鎮魂の神事」といわれますが、祭りには実際、生命力を復活させる力があるのでしょう。それが日本の祭りです。

 教授はそうした日本の祭りを体験したことがないのではありませんか。

 教授は宮中祭祀の大部分は明治以降の創作だと指摘します。だから、祭祀を全廃したとしても、明治以前にもどるだけだと主張するのですが、これも一面的な歴史理解です。

 宮中祭祀に詳しい八束清貫によれば、たしかに皇室祭祀令以前、大祭級では神嘗祭、新嘗祭以外は維新後に始まったとされます。

 けれども、たとえば天長祭は明治元年に創始されたのが始まりですが、その起源は宝亀6(775)年の光仁天皇の勅語に求められるといいます。明治の宮中祭祀は、大宝令、貞観儀式、延喜式などを継承し、近代成文法として整備されたと理解すべきであって、でっち上げや創作ではありません。


▽天皇は「救い主」ではない

 もうこれ以上、論攷の誤りを指摘することは、今号ではやめますが、最後に一点だけ申し上げます。

 結論として原教授は、皇室についての国民の関心が低くなっていることを憂え、「明治以降に作られた」宮中祭祀、形骸化し、有効でなくなった祭祀ではなく、「新たな神話」を作り出し、格差社会の救世主になれるのなら、皇室への関心が広がると訴えていますが、これもまったく無意味です。

 天皇は公正無私なる祭り主です。すべての民をわが赤子と思い、祈られるのが天皇です。たしかに格差社会は深刻な問題でしょうが、天皇の祈りは特定の個人、特定の集団、特定の社会階層のためにあるのではありません。天皇の祈りは物質的に恵まれない人にも、そうでない人にも捧げられています。そしてその祈りは、人が見ないところで行われているというのが重要です。

 教授は、「皇太子夫妻が格差社会の救世主になれれば」と述べていますが、天皇は現実社会の救い主ではありません。天皇は祭り主であって、天皇の祈りを実現するのは私たち国民の仕事です。

 教授は昭和天皇の御不例報道に関わった経験をお持ちのようですが、大新聞の記者として恵まれた取材環境にあって、どのような取材をなさってきたのでしょうか。ジャーナリズムおよびアカデミズムのいっそうの奮起を願わずにはいられません。教授の論攷は皇室に対する関心を広げるどころか、無用の誤解を増大させるだけです。皇室が危機にあるとして、その危機を克服するのはむろん天皇の無私なる祈りであって、祭祀の廃止ではあり得ません。


□□□□□□□□□□ 話題「皇室と仏教」 □□□□□□□□□□

皇室とゆかりの深いお寺
─比叡山延暦寺最大・最高の行事─

▼天皇の御衣を供えて1週間祈る

 天台宗総本山の比叡山延暦寺で、今月4日から1週間にわたって、御衣加持御修法(ぎょいかじみしほう)という大法要が行われました。

 延暦寺の開宗以来つづく天台密教最高の秘法で、根本中堂に天皇の「御衣」を供え、加持祈祷する、と伝えられています。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20080404-OYT8T00804.htm

 皇室と宗教との結びつきといえば、皇祖・天照大神をまつる伊勢神宮をはじめとして、神社・神道についてはよく知られているところですが、仏教との関係が現在も続いているという実態は案外、知られていないのではないでしょうか。

 どんなことが行われるのか、どんな歴史があるのか、調べてみました。


▼天皇の使い・勅使が捧持

 延暦寺は滋賀県西部・大津市にある比叡山全山を境内とする名刹(めいさつ)で、東塔、西塔、横川の3塔からなります。

 伝教大師最澄(さいちょう、767-822)が延暦7(788)年に一乗止観院(いまの根本中堂)を創建し、みずから薬師如来像を安置して、比叡山寺と号したのが延暦寺の歴史の始まりといわれますが、今回、行われた御衣加持祈祷は、この延暦寺発祥の地である東塔の中心で、延暦寺第一の仏堂である根本中堂で毎年、行われます。

 根本中堂にはいまも秘仏の薬師如来像がまつられ、開創以来といわれる「不滅の法灯」がともっています。その根本中堂で1日も欠かすことなく行われる御修法のなかでも、もっとも重要な大法要ともされるのが御衣加持御修法です。

 根本中堂の内陣に天皇の御衣を安置し、聖寿万歳、国家安泰を、天台座主ほか、宗内の高位僧侶たち17名が、明け方は零下にまで気温が下がる余寒のなか、1週間、詰めきりで祈るのです。

 初日の開闢(かいびゃく)法要には京都御所から天皇の使いである勅使が御衣を捧げ持って登山します。天台座主が受け取り、金襴に覆われた唐櫃(からひつ)に収められ、列をなして中堂に運ばれます。法会は朝、昼、夕の1日3座、それぞれ2時間におよぶといわれます。


▼勅許を得て大正期に復活

 この御修法が始まったのは延暦寺創建から35年後の弘仁14(823)年といわれます。桓武天皇の招請により、宮中の紫宸殿(ししんでん)で、最澄の弟子・円澄が五仏頂の秘法を行ったのが起源とされます。

 元来の御修法は延暦寺創建以来、毎日、行われ、長日修法と呼ばれました。国家の大事や特別の異変が起きたときに、宮中で行われたのが「四箇の大法」と称される特別の修法で、これが現在の御修法の源流ですが、明治維新後、いったん廃止されました。千年にわたる神仏習合を清算する神仏判然政策の結果です。

 その後、大正10(1921)年になって、復活の勅許を得、今日のように毎年、根本中堂で行われるようになったようです。

 皇室と仏教教団との密接な関係を伝える御修法が行われるのは、ここ天台宗だけではありません。

 同じく平安仏教を代表する真言宗では、弘法大師空海(744-835)が承和元(834)年に宮中で行っていて、これが真言宗最初の御修法とされます。後水尾天皇(1596-1680)の『当時年中行事』にも「後七日の御修法(ごしちにちのみしほ)」として記載されています。久しく途絶えていたのを元和9(1623)年に復活させたのが後水尾天皇だといわれます。

 神仏判然で廃止されたものの、早くも明治16年に復活し、現在では真言宗の名刹・東寺(京都)で、1月8日から1週間、勅使が捧持した御衣を灌頂院道場に安置し、国家安泰、玉体安穏が祈られます。やはり真言宗最高の秘儀とされています。

「天皇を中心とする国家体制が宗教を利用して戦争に邁進した」(日本カトリック司教団「戦後60年平和メッセージ」)というような俗説的な近代史批判が、とかく神社とりわけ靖国神社に対してきびしく行われていますが、一方、皇室と深く結びつきがあり、国家仏教的性格を持っているはずの仏教教団に対しては、批判者の視線はほとんど向けられていません。なぜでしょうか。国家神道批判は一面的、かつ作為的です。


 参考文献=『比叡山』(比叡山延暦寺、平成元年)、『比叡山』(渡邊守順ほか、宝蔵館、昭和62年)、「後水尾院当時年中行事」(『丹鶴叢書第6巻』臨川書店、昭和51年所収)など


□□□□□□□□□□ 天皇・皇室の一週間 □□□□□□□□□□

4月12日(土曜日)

□天皇・皇后両陛下の49年目の結婚記念日のお祝いが東宮御所で行われ、ご一家がお集まりになりました(MNS産経ニュース)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/080412/imp0804121948001-n1.htm

□秋篠宮・同妃両殿下が全国都市緑化祭にお出ましになりました(読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20080412-OYT8T00794.htm

4月11日(金曜日)

□皇居東御苑に江戸時代の果樹を集めた果樹古品種園が整備されることになり、両陛下が記念の植樹をなさいました(東京新聞)。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008041202003062.html

4月9日(水曜日)

□天皇陛下は皇居内の苗代で恒例のお種まきをされました(時事ドットコム)。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008040900633

 陛下の稲作についてはこちらをご覧ください。
http://www.melma.com/backnumber_170937_3863175/

□常陸宮妃殿下が岡山市で開かれた日本いけばな芸術中国展の開会式にお出ましになりました(山陽新聞)。
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2008/04/09/2008040911562890027.html

4月8日(火曜日)

□天皇、皇后両陛下がトメイン・マーシャル諸島大統領夫妻と会見されました(時事ドットコム)。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008040800391

4月7日(月曜日)

□両陛下は、今年が日本人のブラジル移民100周年に当たるのにあわせ、日系ブラジル人が多く住む群馬県太田市などを訪問されました(読売新聞)。
http://mainichi.jp/area/gunma/news/20080408ddlk10040014000c.html

□三笠宮寛仁親王殿下が退院されました(読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080407-OYT1T00550.htm

4月4日(金曜日)

□比叡山延暦寺で国家安泰などを祈る御修法(みしほう)大法が始まり、天皇陛下は勅使を遣わされました(読売新聞)。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20080404-OYT8T00804.htm

4月1日(火曜日)

□愛子さまの養育を担当する東宮女官に学習院幼稚園長が就任することになりました(時事ドットコム)。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008040100058


□□□□□□□□□□ お知らせ □□□□□□□□□□

1、「明日への選択」4月号(日本政策研究センター)の「一刀両断」欄に拙文が載っています。「苦言」騒動について書きました。
http://www.seisaku-center.net/

2、発売中の「別冊正論」第9号に拙文「靖国合祀『日韓のすれ違い』」が載っています。
http://www.sankei.co.jp/seiron/etra/no09/ex09.html

3、「人形町サロン」に拙文「日本人が大切にしてきた多神教文明の価値」が載っています。
http://www.japancm.com/sekitei/sikisha/index.html

4、斎藤吉久メールマガジンの読者登録もお願いします。
http://www.melma.com/backnumber_158883/

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