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ふたたび側近によって破壊される宮中祭祀 [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2008年12月23日)からの転載です


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ふたたび側近によって破壊される宮中祭祀
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▽1 祭祀の「出席」を取りやめた?
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 さて、先週は宮内庁長官の「所見」を取り上げました。おかしな方向に進まなければいいが、と思っていたら、案の定です。週刊誌は「宮内庁・東宮戦争」などと伝えています。これではますます陛下のご心痛は深まるばかりでしょう。まったくバカげた会見をしたものです。

 そして、恐れていたことが現実になりました。読売新聞の報道によると、12月15日の賢所御神楽(かしこどころみかぐら)はご休養中の天皇陛下に代わって掌典次長が拝礼しました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081215-OYT1T00492.htm

 何が残念なのか、を考える前に、賢所御神楽について説明します。

 いやその前に、忘れるといけないので、記事の不正確さについて、まず指摘しておきます。

 記事は、胃腸の炎症などが確認された天皇陛下が賢所御神楽の儀への「出席」を取りやめられた、と書いていますが、「出席」は不適切です。「陛下に代わり、掌典次長が拝礼した」という情報とも矛盾します。

 というのは、たとえば、卑近な例でいえば、「大学の授業に出席する」という場合、授業を主催するのは大学であり、授業を行うのは大学教授で、出席するのが学生です。しかし宮中祭祀の場合は天皇の祭りであって、主催者も実行者も天皇ご自身です。「陛下に代わり」なら主体は天皇ですが、「出席」では祭祀の主体性が失われてしまいます。

 また、天皇の親拝がなく、ご代拝になったとしても、陛下は、歴代天皇がそうであったように、祭祀の主体者として、祭典中、御座所でずっとお慎みになり、祈りの時を過ごされているはずです。とすれば、「出席」「欠席」という表現は事実をゆがめます。

 ところが、この記事ばかりではありません。

 例の宮中祭祀廃止論を提起した原武史・明治学院大学教授も「祭祀に出席」と表現していたし、原教授が編者の1人となっている『岩波天皇・皇室事典』なども、たとえば「祝祭日」の項目は「皇室祭祀令は1947年に廃止されるが、宮中祭祀はその後も、基本的にこの法令に則って行われている。原則として大祭には天皇夫妻、皇太子夫妻と皇族が、小祭には天皇と皇太子が出席することになっている。現天皇と現皇后は宮中祭祀に熱心で……」というように、「出席」です。

 執筆者は高木博志・京大准教授のようですが、誤解を招く解説がまき散らされています。


▽2 重要視された「神の新年」の祭儀

 次に、賢所御神楽についてですが、元宮内省掌典の八束清貫(やつか・きよつら)の「皇室祭祀百年史」(『明治維新神道百年史第1巻』所収)によると、12月中旬(だいたいは15日)に行われる祭儀で、その趣旨は皇祖・天照大神の神霊を慰めることにあるとされています。

 御神楽の淵源は、記紀神話に描かれた有名な天照大神の「天岩戸(あまのいわと)隠れ」の物語に基づくといいます。歴史も古く、清和天皇の貞観元(859)年に始まり、賢所で行われるようになったのは一条天皇の長保4(1002)年で、白河天皇の承保4(1077)年以後、毎年行われるようになったといわれます。

 祭儀に際して、まず賢所の装飾、調度が一新されます。天岩戸に隠れた天照大神がお出ましになり、常闇の世にふたたび光が差したという神話につながるもので、したがって新たな一年の祭祀が始まる神の新年と考えられるほど、この祭儀は重要視されているようです。

 午後5時に天皇陛下が賢所に玉串(たまぐし)をたてまつって拝礼され、続いて皇后、皇太子、皇太子妃が拝礼されたあと、白砂が一面に敷きつめられた賢所前庭の神楽舎内で、午後6時から第一段、第二段と延々6時間にわたって御神楽が奏されるのです。

 この間、天皇陛下をはじめ皇族方は端座して慎まれ、終了の知らせのあと、ようやく就寝されるのだそうです。


▽3 占領時代に逆戻り

 問題点は4つ指摘されます。

 まず第1点。読売の記事によれば、今回の天皇のご代拝は、平成になって初めてとされています。むろん陛下のご負担軽減のためでしょうが、先日の長官所見では「ここ1カ月程度は、ご日程を可能な限り軽いものに致したく、天皇誕生日やもろもろの年末年始の行事などについて、所要の調整を行いたい」というばかりで、祭祀の「調整」が明言されていたわけではありません。

 なぜ長官は祭祀の「調整」について、きちんと説明しないのでしょう? 口をつぐんでいるのは、何かやましさがあるのでは、と疑われても仕方がないでしょう。祭祀は天皇の私的行事に過ぎない、と考えるからなのか、それとも、公務員だからいっさい宗教に関わるわけにはいかない、という厳格な、したがって誤った政教分離主義の発想があるからでしょうか?

 しかし基本原則を明示しないまま、祭祀を「調整」することは、まさに官僚的な秘密主義であり、なし崩し的に密室で祭祀を破壊した入江時代への先祖返りにほかなりません。

 今年3月の宮内庁発表では、「宮中三殿祭祀と両陛下のご健康問題」と題して、わざわざ「祭祀」を明示し、「ご日程の見直し」の標的としていました。今回と対応が異なるのは、繰り返しを避けたというだけなのかどうか?

 2点目は、賢所御神楽は小祭と位置づけられていますから、以前は天皇の親拝がない場合は皇族または侍従に拝礼させる、というのが慣例でしたが、昭和50年9月以降、わざわざ掌典次長という新しいポストをこしらえ、代拝させる制度に変更されました。

 天皇に代わって側近の侍従に拝礼させるからこそ意義があるのにもかかわらず、侍従は公務員だから祭祀という宗教に関われない、という誤った政教分離の考えから、側近ではない、そして公務員ではない、私的使用人という立場の内廷職員に替えられたのでした。

 敗戦後、占領軍は宮中祭祀を「天皇の私事」として以外、認めませんでしたが、いまふたたび天皇の祈りは私事におとしめられたのです。占領時代への逆戻りです。


▽4 祭祀の空洞化

 3点目は、これに関連することですが、同じく50年に皇后、皇太子、皇太子妃の御代拝が廃止されています。入江日記を読むと、香淳皇后がお風邪のため代拝になったという記事が散見されるように、ごく自然なことですが、ご代拝の制度が側近によって廃止されたことは、西尾幹二先生の東宮批判にしばしば登場するように、今日、皇太子妃殿下が「いっさい祭祀に出席していない」という、いわれなき批判の原因になっています。

 今回、読売の記事は、天皇以外の皇族の拝礼については言及していませんが、天皇については掌典次長のご代拝、皇族は代拝もない、というような状況が続くとすれば、原武史教授などが大げさに祭祀廃止論を提起するまでもなく、天皇の第一のお務めであるはずの祭祀は内廷職員だけが関わり、皇族すら直接関わらない、というように空洞化していくことになるでしょう。

 まさに宮中祭祀は危機のときを迎えているといわざるを得ません。天皇の祭祀が日本の多神教文明の中心であれば、なおのことです。側近たちは取り返しのつかないことをしています。

 4点目は陛下のお気持ちです。今上天皇は皇位継承後、皇后陛下とともに祭祀について学び直され、昭和40年代以降、入江侍従長の時代に改変・破壊されてきた祭祀の正常化に努められたようですが、であれば、いま側近の官僚たちが昭和の「悪しき先例」を持ち出し、祭祀の破壊にふたたび着手したことに、ご心痛はいかばかりかと拝察されます。

 戦後の宮中祭祀は、昭和20年暮れの神道指令を起点として、ほぼ20年ごとに正常化と破壊を繰り返しているように見えます。

 占領後期に正常化が始まり、34年の皇太子(今上天皇)のご結婚の儀は「国事」と閣議決定され、44年には宮中三殿の国有財産化も可能であるという公的解釈までなされましたが、同じころ揺り戻しが始まり、祭祀の改変が入江らによって進められました。43年に毎月1日の旬祭の親拝が年2回に削減されたのが最初でした。そして昭和天皇の御大喪では、大喪の礼は国の儀式、葬場殿の儀は皇室行事というように二分されました。

 今上陛下は祭祀の正常化に努められましたが、御即位20年を前にして、側近らによる破壊が始まりました。いずれの破壊もご高齢、ご健康問題が理由とされていますが、メルマガの読者ならすでにご承知の通り、核心は誤った政教分離の考え方、そして日本の多神教文明の価値を見誤っていることにあります。

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