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ご結婚50年の祭祀に覚える違和感 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 雑誌「SAPIO」(小学館)で天皇をテーマに連載している小林よしのり氏が、目下発売中の最新号で拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』を引用し、昭和天皇の時代に入江侍従長らが行った宮中祭祀の破壊について言及しています。
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/sol_magcode?sha=1&zname=2300&keitai=0

 小林氏といえば、漫画の世界の新たな可能性を切り開いた異能人として評価されますが、ほとんど名もないような私の本にいたるまで、さすがによく勉強しているなと感心します。

 小林氏の連載を通じて、拙著の読者がさらに増え、より多くの人々と問題意識が共有されること、ひいては天皇の祭祀が正常化されていくことを心から願っています。


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 ご結婚50年の祭祀に覚える違和感
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▽1 祝賀ムードに隠れて
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 さて、先週の当メルマガは、昨年暮れのご不例をきっかけに、宮内庁が鳴り物入りで着手した天皇陛下のご負担軽減策が、実際には祭祀のみが標的にされ、陛下のご公務ご負担をほとんど軽減するものとはならず、側近として祭祀に参加する侍従の負担ばかりをもっぱら削減させている現実について指摘しました。

 羊頭狗肉ともいうべき、そのような愚かしいことがなぜ起きるのか、といえば、伝統的世界の常識と現代の社会常識との違いがあるのだろうということを説明したつもりです。

 宮中祭祀はあくまで伝統の世界ですが、お役所勤めの末、中高年になって宮内庁職員もしくは侍従職となった現代の官僚たちにはなかなか理解が難しいところがあるのだろうと想像します。その結果、歴代天皇がもっとも重んじてきた祭祀が、ご負担軽減の美名のもとに狙い撃ちにされ、破壊の対象となっているのでしょう。

 祭祀こそ皇位の本質であり、祭祀の変質は天皇統治の根本を失うことに直結します。今年は皇室にとって、ご即位20年とご結婚50年という二重の喜びに沸く、このうえない佳節の年ですが、表向きの祝賀ムードに隠れて、ほかならぬ側近らによって皇室破壊の企てが進んでいるのは皮肉というほかはありません。


▽2 先例なき金婚式祭祀

 どうにも違和感を覚えざるを得ないのは、今月行われたご結婚50年の祭祀です。

 宮内庁の発表によると、4月10日、宮中三殿で祭典が執り行われ、掌典長による天皇の御代拝、掌典次長による皇后の御代拝が行われた模様です。また、皇太子殿下が三殿に拝礼し、秋篠宮殿下が参列されたようです。皇祖・天照大神をまつる伊勢神宮や先帝・昭和天皇が眠る武蔵野陵などで祭祀が行われ、幣物が捧げられたと聞きます。

 すっきりしないのは2点。1点はご結婚50年の祭祀が宮中三殿ほかで行われることの妥当性、2点目は御代拝のあり方です。

 まず1点目。いわゆる金婚式のような大きな節目に国民の視点でお祝い申し上げるのは大いにけっこうなことであり、過去にもそのような事例は知られています。しかし祭祀は別でしょう。祭祀令には金婚式祭祀は見当たりません。

 少なくとも昭和天皇の時代に大婚50年の祭祀が行われたということは聞きません。昭和天皇と香淳皇后のご結婚は大正13(1924)年1月で、したがって大婚50年は昭和49年でしたが、同年に今回と同様の祭祀が行われたという資料を私はまだ見出していません。

 となると、宮内官僚たちが「昭和の先例」を根拠に祭祀の簡略化という伝統破壊を進めているなかで、先例なき金婚式祭祀がなぜ行われることになったのでしょうか。天皇の祭祀は本来、「国中平らかに安らけく」という公正無私なる祈りですが、宮中祭祀の大原則を外れたような今回の金婚式祭祀はいかなる神学的根拠に基づいて行われたのでしょうか。


▽3 行き当たりばったりの形式

 次に御代拝にも問題があります。

 御代拝が行われたということは、本来的には天皇ご自身の親祭もしくは親拝、皇后ご自身の拝礼が行われるべきであるという前提に立っているということになります。

 先述したように金婚式祭祀の先例はありませんが、百歩譲って祭祀の妥当性を認めるとして、たとえば天皇誕生日の天長節祭のような小祭としての位置づけなら、掌典長が祭祀を行い、天皇が拝礼するのが本姿です。もしご事情があって天皇ご自身の親拝がなければ、掌典長が祭祀を行い、皇族または侍従による御代拝が行われるというのが伝統的形式です。

 ところが、当メルマガの読者なら先刻ご承知の通り、入江侍従長の時代に、硬直した憲法解釈によって、侍従による御代拝は政教分離に抵触するとされ、わざわざ新設された掌典次長による御代拝に改変されることになり、さらに皇后以下の御代拝制度は廃止されました。

 今回は、天皇の親拝、皇后の拝礼に代わって、掌典次長による天皇の御代拝、皇后の御代拝はなし、というのではなく、掌典長による天皇の御代拝、掌典次長による皇后の御代拝が新形式が行われたのだとすれば、「俗物」侍従長らによる「先例」をさらに輪をかけて改変させたことにならないでしょうか。

 皇室の聖域である宮中祭祀の祭式は形式とはいえ、単なる形式ではありません。行き当たりばったりのようにして、右に左に簡単に祭式を変えてしまうことは、あってはならない神への冒涜といえないでしょうか。

 いみじくもご結婚満50年に際して4月8日に行われた両陛下の記者会見で、皇室の伝統に関する質疑応答が行われましたが、まさに皇室の伝統、祭祀の伝統に関する本質が問われていると私は考えます。宮内庁OBや神社人のなからも疑問の声が聞こえてきます。
タグ:宮中祭祀
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