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近代とは何だったのか──島薗進東大大学院教授の国家神道論を批判的に読む 5 [国家神道]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 金閣寺・銀閣寺の住職を務める、臨済宗相国寺派の管長が大阪国税局の税務調査を受け、21年までの3年間で約2億円の申告漏れを指摘されていたことが判明したとメディアが伝えています。掛け軸などの揮毫料を個人で受け取り、申告していなかったのだそうです。
http://www.asahi.com/national/update/0217/OSK201102160212.html

 ご住職は「憲法九条を世界に輝かせたい」と訴える「九条の会」アピールに賛同する「宗教者九条の和」の呼びかけ人として知られます。

 宗教家ならずとも、人は誰しも平和を願います。けれども、9条を守れ、と声高に主張したがる宗教家たちに同調しにくいのは、護憲を唱えつつ、ご都合主義的な憲法のつまみ食いをしている、という疑いが晴れないからです。生臭い政治臭が強いからです。

「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」と規定する、憲法20条3項の政教分離についても同様です。

 平成14年にブッシュ大統領が来日し、明治神宮に表敬参拝するとき、この「九条の和」の呼びかけ人の一人でもあるというカトリック司教の名前で、「参拝中止」が申し入れられました。「信教の自由・政教分離原則に違反する」というのです。

 結局、小泉首相は大統領といっしょに参拝することが見送られ、流鏑馬観覧にだけ同行することとなりました。

 ところが、その3年後、大統領が再来日し、金閣寺を参詣したとき、キリスト者たちは完黙しました。大統領は小泉首相に出迎えられ、住職の案内で境内をいっしょに散策し、金閣の本尊の前で首相から拝礼の作法を伝授され、合掌したのでした。

 憲法を守れ、という主張はけっこうですが、論理はまったく首尾一貫していないのです。

 そして、今度は「2億円の申告漏れ」です。憲法30条は国民の納税の義務をうたっていますが、報道によれば、住職様は「20年前から申告していなかった」そうです。このご時世、税金を納めるのにもひと苦労する国民は少なくないでしょうが、ご住職はすでに多額の修正申告をしたと伝えられます。

 宗教といえば、胡散臭い目で見られがちな昨今ですが、であればこそ、宗教家は世俗の法を語るのではなく、宗教の教えを説くべきです。何より胡散臭さは、言葉を弄さなくても、顔に現れます。

 さて、本文です。


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 近代とは何だったのか
 ──島薗進東大大学院教授の国家神道論を批判的に読む 5
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 日本を代表する宗教学者・島薗進東大大学院教授の『国家神道と日本人』(岩波新書)を批判的に読む作業を再開します。

 念のため、お断りしておきますが、当メルマガの目的は島薗先生の人格批判ではありません。先生は人間的にたいへん立派な方であり、尊敬しこそすれ、人格を攻撃するつもりはさらさらありません。

 ただ、学問研究については、客観的な批判があっていいだろうというのが私の考えです。「戦後唯一の神道思想家」といわれる葦津珍彦が生前、語っていたように、「学問はひとりでするものではない」からです。

 全知全能の人間などいるはずもなく、葦津が左翼人士の集まる「思想の科学」グループと交流をしたように、より高度な真理の追究のために、学問における紳士的で真剣な対話がいまこそ必要なときはない、と私は考えています。


◇1 これまでのおさらい

 当メルマガの批判を簡単におさらいすると、だいたい次の5点になろうかと思います。

1、敗戦を境として戦前・戦中期と戦後期とを分ける歴史理解は十分ではない。民族の宗教性は一朝一夕には変わり得ず、国家神道的な時代から無宗教の時代に変わったということはありえない。関東大震災の追悼儀礼は逆に無宗教的だったし、戦後の日本人は十分、宗教的である。

2、日本人の宗教の歴史について、キリスト教モデルで考えることには限界がある。自然発生的な日本の宗教伝統は、キリスト教と異なり、教義もなく、布教の概念もない。宣教師もいない。

3、先生がいうところの国家神道は、神道的というより、キリスト教的だったのではないか。明治維新以降、太陽暦をはじめ、キリスト教文化を積極的に取り入れたのが、伊勢神宮ほか近代の神社だった。

4、教育勅語を国家神道の教義と断定することは性急すぎる。神道には教義はない。礼拝(ミサ)もない。教育勅語に頭を垂れる儀礼は神道的な祈願とは異質のものである。キリスト教をモデルとして、神道論を展開する国家神道論に無理がある。

5、毎年年末になるとクリスマス・イルミネーションが各地で催されるが、官民一体のイベントもある。国営昭和記念公園でも行われている。国家神道は解体されていない、信教の自由や思想・言論の自由は保たれるべきだ、と主張しながら、その一方で、目の前で繰り広げられる「国家キリスト教」現象に反対しないのは二重基準になる。


◇2 キリスト教文化の受容

 先生は、「国家神道は神社とともに、いやそれ以上に学校で広められた」と書いています。「子供たちは教育勅語や修身科や歴史の授業を通して、『万世一系』の天皇統治を讃美する国体思想や天皇崇敬の教えに親しんでいった」というのです。

 国家神道を広めたこの学校こそ、近代そのものといえます。寺子屋とは違い、子供たちはセーラー服を着、ランドセルを背負い、板の間の教室で、机を並べ、椅子に腰掛けて授業を受けました。戦前もそうだったのか、学校のチャイムはイギリス・ウエストミンスター寺院の鐘がモチーフです。

 先生が教鞭を執る東大は明治以来、西洋医学、西洋建築のメッカであり続けています。東京大学医学部のルーツは、安政5(1858)年に江戸・お玉が池に設けられた種痘所です。明治の宮大工・木子清敬が12年間、東大で日本建築の講義を担当していたことがありますが、明治34(1901)年以後、日本建築を教える大学は日本にはありません。

 近代日本の学校は、日本の伝統文化を子供たちに教えるための機関ではありません。むしろ伝統を否定してきたといえます。

 先生がいみじくも書いている「天皇統治を讃美する」ことは、そもそも天皇的でも、神道的でもないのではありませんか。キリスト教なら神を讃美するでしょうが、天皇は本来、個人崇拝の対象ではないはずです。

 先生は国家神道を問うことが近代日本の宗教史に光を当てることだとおっしゃるのですが、そうではなくて、近代とは何か、近代主義とは何か、を問うことが、いわゆる国家神道問題を解くカギになるのだと私は思います。

 御真影や教育勅語に頭を垂れる儀礼がなぜ、どのようにして始まったのか、紀元節に歌を歌うことを文部当局はなぜ、どのような経緯で、始めたのか、を事実に基づいて、解明していくことが求められます。そのことによって、いわゆる国家神道なるものは、神道の伝統というより、キリスト教文化の受容であることが明瞭になると私は考えます。近代国家建設そのものがキリスト教文化の採用そのものだからです。

 今日、キリスト者たちが国家神道を毛嫌いするのは近親憎悪ではないのでしょうか。


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