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美談では済まされない──浮かび上がる側近の祭祀介入 [宮中祭祀]


以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2011年4月11日)からの転載です


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美談では済まされない──浮かび上がる側近の祭祀介入
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 巨大地震発生からちょうど1か月となりましたが、先日、畏敬する大学名誉教授から、貴重な情報が届きました。女性週刊誌「女性自身」に掲載された、大震災後の皇室のご活動に関する記事「美智子さま 雅子さま 灯火止め『救国の祈り』36時間」(3月29日発売。2486号)です。
http://jisin.jp/weeklyarticle/2486/

 同誌の記事はじつに感動的です。みずから被災されながら、震災で苦しむ国民をひたすら思う、今上陛下と皇族方の祈りが伝わってきます。

 歴代天皇がそうであったように、陛下は祭祀王としてのお務めを果たされ、皇族方も天皇のお役目を十分に理解し、陛下を支えておられるのですが、であればこそ、私が注目したいのは、陛下の聖域である宮中祭祀について、側近の越権的介入が浮き彫りにされることです。けっして美談では済まされないと私は考えます。


▽1 国民と苦しみを分かち合う

 記事によれば、(1)巨大地震発生により宮中三殿では神楽舎の柱が傾き、皇霊殿に向かう廊下の天井板も崩れた。(2)このため、3月21日の春季皇霊祭・神殿祭について、側近たちは「余震も続き、非常に危険」と、親祭ではなく、掌典長が代わって祭りを行うことを進言した。(3)しかし陛下は皇后陛下とともに、「私たちに祭祀をさせてください」と強くおっしゃった。(4)結局、庭上から拝礼されることとなった。(5)当日は冷たい雨の中、今上陛下はモーニングコート、皇后陛下はローブモンタントの洋装で祭祀が行われた、というのです。

 記事には「日本をお守りください、被災者をお救いください、と必死に祈られたことでしょう。いくら建物の倒壊の危険があるといっても、代拝ですませるお気持ちではなかったのだと思います」という皇室ジャーナリストのコメントが載っています。

 記事はこのほか、(1)両陛下がここ十数年間、東北地方を頻繁に訪れていて、いたたまれない思いを持たれている。(2)陛下のビデオ・メッセージが発表されたが、ほかにも御用邸の風呂を避難者に開放されるなど、両陛下のご意向で、積極的な試みが行われている。(3)避難所に備蓄の食料を提供している御料牧場自体、甚大な被害を受けている。栃木の牧場では乳製品の製造施設などが被害を受け、製造が停止している。(4)このため御所などへの食材の提供は止まっている。(5)陛下は連日のように専門家から被害状況や対策について説明を受けられている。(6)徹底した自主停電を皇室が一丸となって行っておられるのは、国民と苦しみを分かち合う祈りに発している──と伝えています。


▽2 祭祀の主体は宮内庁ではない

 皇室の「救国の祈り」はじつに美しく、読むものに感動を与えます。しかし、陛下がなぜ「建物の中には入らず、庭から皇霊殿を拝む『庭上拝』という形式」という前代未聞の祭祀を行わなければならなかったのか、記事は伝えていません。

 茶道に作法があるように、宮中祭祀には歴史的に定まった祭式があります。大祭と位置づけられる春季皇霊祭・神殿祭は、陛下が伝統の装束に身を正し、みずから、もちろん殿内で、御告文を奏されます。ただし喪中にあるときなどは、皇族または掌典長に祭典を行わせることとされてきました。

 ところが、この女性週刊誌の報道などから浮かび上がってくるのは、(1)祭祀の主体が実質的に宮内庁に移っている、(2)祭式が無形式化している、という憂慮すべき実態であり、とても「救国の祈り」を手放しで礼賛することはできないと私は考えます。美談はもう一方の真実を見失わせます。

 まず第1点。三殿が被災し、しかも余震が続くというなかで、側近が御代拝を進言したのはまだしも、両陛下が「私たちに祭祀をさせてください」とおっしゃったというのは、記事が事実を伝えているとするなら、首をかしげざるを得ません。

 宮中祭祀は天皇の、天皇による祭りですが、祭祀の主催者がまるで宮内庁であるかのようにも聞こえるからです。「女性自身」の記事は「春季皇霊祭の儀に、天皇皇后両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら10人の方々が参集された」と宮内庁関係者の言葉を伝えていますが、天皇は祭祀の出席者ではありません。

 天皇の祭りを天皇がみずから行えないときは、天皇に代わり、側近に祭祀を行わせる、拝礼を行わせるというのが原則です。しかしこの原則を踏みにじったのが、入江相政侍従長が進めた昭和の祭祀簡略化でした。この悪しき先例が踏襲されていることが分かります。

 考えてもみてください。今回の巨大地震で被害があったのは、三殿ではなく、三殿の付属施設です。「柱が傾いた」のは木造建築の弱さではなく、強さの表れです。「傾いても、崩れない」のが伝統木造建築の特徴なのです。陛下が掌典長による祭祀ではなく、皇祖神ならびに天神地祇、皇祖皇宗にみずから「救国の祈り」を捧げようとされたとすれば、祭祀王として当然のことでしょう。


▽3 天皇の聖域に介入する側近

 第2点は、それにしても、なぜ「庭上拝」なのか。少なくとも天皇の祈りに「庭上拝」という形式は本来、ないはずです。

 祭祀は天皇の聖域です。陛下がなさる陛下の祭りの形式を、側近の介入で、人間の都合に合わせて、みだりに変えるべきではありません。

 昭和の簡略化のとき、「毎朝御代拝は侍従、ただし庭上よりモーニングで」(入江日記)と改変されたのは、公務員たる侍従は特定宗教である祭祀に関われないと考える、富田朝彦長官時代の政教分離の厳格主義が背景にありました。

 一見、理屈が通っているようにも見えるのですが、宗教への国家の不介入という発想が、逆に、祭祀の伝統を改変させるという、あってはならない決定的介入を行ったのです。今回の「庭上拝」も同様の現象のように見えます。余震を恐れているのは、陛下ではなく、側近ではないのですか。

 その後も余震は続いています。つい先日の最大級の余震には驚きました。そんななか、4月3日に神武天皇祭が行われました。春季皇霊祭・神殿祭と同様、大祭と位置づけられるお祭は伝統にのっとって行われたと伝えられます。

 いま求められるのは、天皇の祈りを現実化させる政治です。しかし切望される政治がほとんど機能していません。これでは国民の苦難は長期化せざるを得ません。陛下のご心痛はますます深まるばかりでしょう。

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