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ルーツは1つではない──日本語の起源は朝鮮半島にある? [日本人論]

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ルーツは1つではない
──日本語の起源は朝鮮半島にある?
(2011年5月7日)
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 日本語の起源に関するたいへん興味深い研究のニュースをAFPが伝えています。

 日本語の方言の多くは、約2200年前に朝鮮半島から渡来した農耕民に由来することが進化遺伝学の立場から明らかになった──長谷川寿一東大教授らの論文がイギリスの学術専門誌に発表されたのだそうです。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2798334/7175562

 論文を原文で読んでいないので正確には分かりませんが、AFPの記事によると、教授らは数十の方言の年代をさかのぼって、共通の祖先を見出そうと試み、日本語の朝鮮半島起源説に到達したようです。

 身体の部位、基本動詞、数字、代名詞など、主要な210の単語について、59の方言を調べた結果、すべて約2182年前の共通の祖先に行き当たった。これは朝鮮半島から大量の渡来人がやってきた時代と符合する。朝鮮半島からの渡来人が日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした、というのです。

 コンピュータを駆使した研究の手法は斬新で、時代を特定できたのも魅力的ですが、率直に言って、結論はきわめて陳腐です。


▽1 日本民族、日本神話、日本稲のルーツは2つ

 日本文化の起源を朝鮮半島に求める研究はこれまでも多々ありました。『日本の中の朝鮮文化』シリーズで知られる金達寿先生の研究はとくに有名です。

 しかし、今度の研究もそうですが、日本文化のルーツがもっぱら朝鮮半島にだけ求められるというであれば、賛成を躊躇せざるを得ません。どこの国でもそうでしょうが、文化のルーツを1つに求めることは困難だろうし、古朝鮮の文化がどこに起源するのかを説明せず、そこで思考が止まりがちだからです。

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』にも書いたことですが、埴原和?先生による日本民族のルーツ研究、大林太良先生による日本神話研究、佐藤洋一郎先生による日本稲の起源研究は、じつに興味深いことに、2つのルーツの融合説を提示しています。

 ルーツを1つに特定しようとする方がむしろ不自然です。


▽2 佐藤洋一郎先生の「日本稲の南北二元説」

 日本稲の起源について、民俗学者の柳田国男が「南から北へ、小さな低い平たい島から、大きな高い島の方へ進みよった」と書いたのは昭和27年でした。しかし考古学などでは朝鮮半島から北部九州に伝来したとする「北方説」が支配的で、柳田の「海上の道」説は相手にされませんでした。

 それから40年後、京都大学の渡部忠世先生は、稲はインド起源の熱帯植物だとする当時の定説を否定し、アッサム・雲南がアジア稲の栽培起源であり、水稲でも陸稲でもない「水陸未文化稲」として始まったという「アッサム・雲南起源説」を立てました。この地域は稲の遺伝的変異がもっとも多様であることを、先生は地道な研究で発見したのです。

 雲南は日本文化のルーツとして注目され、稲作の起源論争も終止符が打たれたものと考えられました。ところがです。それから10年も経ずして、渡部説をくつがえす考古学上の、あるいは植物遺伝学上の新説が次々に提示されました。

 中国・浙江省で世界最古、7000年前の稲作遺跡・河姆渡(かぼと)遺跡が発見されたのはちょうど渡部説が脚光を浴びていたころでした。その後、長江中流域でさらに古い遺跡が認められました。雲南より古いことはいうまでもありません。

 長江流域にはジャポニカ米を特徴付ける「雑種弱勢遺伝子」が集中し、河姆渡遺跡からは野生稲が大量に出土する、というのが「中国起源説」の根拠でした。

 朝鮮半島起源説もアッサム・雲南起源説も、共通するのは「ルーツは1つ」という考え方です。これに対して、佐藤洋一郎先生の説は画期的なことに、2つのルーツを指摘したのです。

 稲にはインディカとジャポニカの2種類がありますが、後者にはさらに熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカの2系統があって、日本稲にはこの熱帯ジャポニカと熱帯ジャポニカの2つの経路があるというのが南北二元説です。

 東南アジア島嶼地域に起源する熱帯型と中国大陸に由来する温帯型の稲がそれぞれ伝来した。いずれも日本列島内では晩稲だが、伝来後、自然交雑を起こし、早稲が生まれた。これがその後の急速な北進を促した、と佐藤説は説明しています。

 佐藤説は考古学者に根強い支持のある朝鮮半島伝来説に疑問を投げかけました。晩稲から早稲は発生しますが、その逆は起きにくいからです。朝鮮半島経由で九州に伝来したとすれば、朝鮮半島内で早稲に変化していた稲が日本に伝来し、晩稲に戻ったのち、ふたたび早稲が生じたとしなければ説明がつかない。その可能性はきわめて低いというのです。

 長谷川東大教授らの日本語朝鮮半島起源説は、日本語の基本的単語の多くが朝鮮半島、あるいは中国大陸に由来するという説を補強する研究として評価されるでしょうが、それ以上ではないと思われます。


▽3 ニュージーランド先住民との類似

 たとえば、島根県美保関の美保神社は、手こぎの船による諸田船神事が有名ですが、船を漕いで競うお祭は長崎や山口、愛媛の神社などにもあります。研究者は華中・華南に広く分布する文化が伝播し、受容されたのだと説明していますが、東南アジアにも分布し、ニュージーランドの先住民マオリにもあるようです。

 石森秀三先生は、太平洋地域に住むポリネシア人は東南アジア起源のモンゴロイドで、紀元前3000年ころは中国南部に居住していたが、中国大陸での民族移動の影響を受けて太平洋地域に押し出され、ポリネシアには紀元前1200年ころ、ニュージーランドには紀元後1000年ころに到達したと説明します。

 たいへん興味深いことに、日本語とマオリ語の類似が指摘されています。美保神社は島根半島の東端に位置しますが、マオリ語で「ミオ」は「先端」を意味します。諸田船神事は美保湾という内海で行われますが、マオリ語で「モロト」は「内海用」の意味だそうです。さらに、男女2柱の神による国生み神話や天の岩戸隠れ神話に似た物語がマオリに伝えられているそうです。

 日本の神社は神様が住まう本殿は高床式と決まっていますが、高床式住居のルーツも南方説と北方説の2つがあります。

 原因は1つと考える一神教的な発想が、日本人や日本文化のルーツを研究するうえで最大の妨げになってきたのではないかと思われます。創造主がこの世界の唯一の原因と考えるのとは異なり、国生み神話がそうであるように、異なるものが1つになって新たな価値が生まれるという考え方が日本にはあります。神道では「むすひ」と呼びますが、この結びつける力が日本独自の歴史と文化を作ってきたのではないでしょうか。その中心は天皇だと思います。陛下の大震災被災地御訪問を見れば分かります。

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