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「避難区域」設定はどこまで科学的なのか──このままでは被災地の歴史が途絶えてしまう [東日本大震災]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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 「避難区域」設定はどこまで科学的なのか
 ──このままでは被災地の歴史が途絶えてしまう
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 巨大地震発生からまもなく2か月になろうとしていますが、震災復興の努力を裏切るような、とんでもないことが起きているのではないかと思えてなりません。それは国の政策の誤りによる郷土の歴史の解体・喪失です。

 昨日のメルマガ(vol.186)に掲載した「勝手に飯舘村を応援する会」の緊急アピールにもありますように、政府は福島第一原発から半径20キロ圏内を「警戒区域」に設定し、立ち入りを禁止しています。20キロ圏外の「計画的避難区域」では1か月以内に避難するよう呼びかけています。

 警戒区域などの設定に科学的合理性があるのならまだしもなのですが、どうもそのようには見えないところに問題があります。政府の説明が不十分なのはもちろんで、「緊急アピール」への賛同を呼びかける荒木さんの文章にあったように、「政府は避難を指示するだけで何もしていない」というのではお話になりません。

 たとえば人口6千人の相馬郡飯舘村は、計画的避難区域に設定されて、私の郷里に役場機能が移されることになりました。報道では、村の学校の校庭で、最高毎時18・2マイクロシーベルトという、周辺より高い数値の放射線量が記録された、というのですが、この放射線レベルが、科学的に見て、どの程度の危険性があるのか。どうしても避難しなければならないほどのレベルなのかどうか。


▽1 レベルの「低さ」を認識できていない

 経済専門誌の「週刊ダイヤモンド」が、チェルノブイリ事故で放射線被爆治療に関わった経験を持つ、ロバート・ゲイル博士のインタビューを載せていました。博士はずばりこういっています。
http://diamond.jp/articles/-/11772

「政府内に放射線に詳しい専門家がいないため、かえって混乱を招くだけの結果になっている。国民が理解できるような方法でデータを噛み砕いて伝えることができていない」

 たとえば、「日本政府が現在、飲料水では放射性ヨウ素が1リットルあたり300ベクレルを超えると好ましくない、というメッセージを国民に伝えている」ことについて、博士は、「この数値は何も目の前のコップに入った水を飲むと危険だ、ということを示しているのではない。20杯飲んでも大丈夫なはずだ。その値以上の飲料水を5リットルほど毎日1年間飲み続けたら、ガンになる確率が1万分の1上がる可能性がわずかにある、ということだ。そういう説明を、自信を持ってできる人間が政府内にいないことが問題なのだ」と博士は指摘します。

 政府の説明不足だけではありません。危険性のレベルの低さを政府自身が認識できていないのです。情報は垂れ流しされ、かえって危険性をあおっている。そして避難指示が出されたのです。

 その結果、何が起きようとしているのか。


▽2 天皇を否定する菅首相の歴史観

 飯舘村では、村の経済を支えてきた農業が崩壊の危機にさらされています。畜産業しかり、稲作しかりです。政府は、今年は稲を作付けしないよう指示しています。一年間の耕作放棄で済むならまだしも、長期化すれば、第一次産業のみならず、農村そのものが消滅しかねません。

 住民の安全を確保することが目的のはずの避難区域や計画的避難区域の設定と避難指示、あるいは生産物の出荷停止指示が、祖先から受け継がれてきた地域の自然と文化を破壊するという、取り返しのつかない結果をもたらすのではないかと、と恐れるのです。

 このメルマガで何度も申し上げましたように、巨大地震発生以来、菅首相が発した国民へのメッセージには犠牲者への追悼の言葉がありません。いま命をつないでいる人たちはまだしも、過去においてこの地に生を享け、この地に生きた、数多くの人々への眼差しが欠けています。人間の歴史という視点が見えないのです。

 悠久なる日本人の歴史を体現しているのが、神代にまで連なると信じられてきた天皇ですが、菅首相には天皇の歴史がすっぽりと抜けています。

 昨年11月の議会開設120年記念式典で、菅首相は次のような総理大臣祝辞を述べています。
http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201011/29syukuji.html

「我が国の議会制度は、明治二十三年、自由民権運動の高まりを背景に誕生しました。爾来、幾多の試練に直面しつつも、先人達により、民意を国政に反映するための尊い努力が積み重ねられてきました」

 さすが元市民運動家の本領発揮というべきでしょうか、個々に解体された市民の運動の高揚によって日本の議会制度が生まれたというような歴史理解ですが、近代議会制度確立に果たした天皇の役割を完全に無視しています。

 当メルマガの読者なら誰でもご存じのように、慶応4(1868)年に明治天皇の名で示された明治政府の基本方針「五箇条の御誓文」の第一条は「広く会議を興し、万機公論に決すべし」でした。日本の議会主義は天皇の思召し、呼びかけが出発点です。


▽3 被災地が望むまともな政府

 戦後の新憲法下における議会政治も同様です。

 菅首相の祝辞は「戦後、国民主権を基本原理とする日本国憲法の下、国会は、全国民を代表する機関として極めて重要な地位を有することとなりました」と述べていますが、戦後の議会制民主主義の原点は新憲法ではありません。

 昭和21年元日の昭和天皇の詔書、いわゆる「人間宣言」は、冒頭、「ここに新年を迎ふ。顧みれば、明治天皇、明治の初め、国是として五箇条の御誓文を下し給へり」で始まります。

 天皇を否定する菅首相には、過去から未来への歴史の継続性を重視するのではなくて、過去を否定する革命的発想が透けて見えます。だとすれば、被災地で祖先たちが息づいてきた山紫水明が失われようとも、地域が無人化し、産業と文化が水泡に帰したとしても、いささかの痛痒も感じることはないでしょう。

 もし避難する必要がないのに、避難させられるだけではなく、ヒト・モノ・カネをつぎ込んで、被災地をゴーストタウン化させることは、壮大なムダであるばかりでなく、喜劇といわざるを得ません。

 大震災復興構想会議の五百旗頭議長は被災地の意向を反映させていく考えを表明していますが、原発事故に苦しむ被災地がもっとも望むことは、まともな政府とまともな政策ではないのでしょうか。

 しかし、なんという皮肉でしょう。菅内閣の体たらくを救い、社会の絆をつなぎ止めているのは、菅首相が否定する天皇の祈りと獅子奮迅の行動なのですから。陛下は皇后陛下とともに、来週、いよいよ福島県を訪問されます。



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