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御成婚は「公事」と答弁した宮内庁次長  ──歴史的に考えるということ 9 [戦後皇室史]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2013年6月16日からの転載です


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 御成婚は「公事」と答弁した宮内庁次長
 ──歴史的に考えるということ 9
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 今上陛下が正田美智子さん(皇后陛下)と出会われたのは昭和32年8月といわれます。皇室会議で御結婚が可決されたのは翌33年11月、結婚の儀が行われたのは34年4月でした。

 国会で、皇太子(今上陛下)御成婚が「国事」か「私事」か、という議論が国会で行われたのは、御結婚話が大きな話題になっていた33年2月からでした。

 質問者の関心は、以前から繰り返されてきた、御成婚と恩赦との関連にありました。恩赦を期待して、公職選挙法に違反して事前運動する不心得者がいたからです。

「法律上根拠もない結婚式によって、国の刑罰請求権を消滅せしめる恩赦を発動することは、主権在民思想と全く背離した思想じゃなかろうか」(33年2月7日の衆議院法務委員会。猪俣浩三社会党議員)と指摘したのです。

 これに対して、3月10日の参議院予算委員会で、宇佐美毅宮内庁長官は「公のもの」と答弁し、岸信介首相は「私法上の関係だけではない」と補足し、御成婚は「私事」ではないという見解を示したことは、先般のメルマガでお話ししました。

 御成婚が「国事」か「私事」かという議論は、33年にはこの2件だけですが、このほかに「公事」か「私事」かという議論が行われています。


▽1 昭和33年4月4日の参議院内閣委員会

 まず、4月4日の参議院内閣委員会です。この日、皇室経済法施行法の一部改正が審議されていました。

 質問者は右派社会党の田畑金光議員で、瓜生順良宮内庁次長に対して、「皇太子の結婚は公事だとするのはどういう理由からか?」と質問しました。

 これに対して瓜生次長は、憲法に天皇の地位は世襲と定められている、御結婚によって世襲が可能になる、皇室会議の議を経ることにもなっている、御結婚に伴う祝宴は公的な性格を持っている、なかには私的なものもあると思うが、全体として公的なものが多いと考える、と答弁しました。

 田畑議員はさらに、祝宴は民間人にもあり得る、また皇室典範に基づいて皇室会議を経るということだけで公的性格を持つとするのはいまの皇室典範の精神から見て、無理がある、と反論します。

 瓜生次長は、祝宴には将来、皇太子、皇太子妃として行動なさる関係の必要上、国家的な立場で内外から招かれるのであり、公的なものと考えられる、と答弁します。

 すると、田畑議員は、皇太子であろうと民間人であろうと、地位に応じて生じる内容の違いである、現行憲法では、天皇や皇太子も公的生活と私的生活が区別されている、結婚は私事だとみるべきだ、公的性格が強いという見方は明治憲法、皇室典範の考え方である、公的な性格を強調すると恩赦の適用など重要な問題が起きてくる、と食い下がります。

 質疑応答はさらに続き、瓜生次長は、御結婚諸行事の主たる部分は公的行事なので宮廷費から支出され、そうでないものは内廷費でまかなわれる、と答弁します。

 他方、田畑議員は、内廷費は定額だから宮廷費に追加予算を要求せざるを得ないということに過ぎない、公事だとみるのは早計だ、国の予算に計上するのが公事だとすると皇室の生活には私生活がなくなってしまう、そういう解釈に立たない方がいまの憲法の建前から妥当だと考える、と反発します。

 瓜生次長は、国の予算が出るから公事だとは考えていない、内廷費は「日常の費用」であり、御結婚のための特別の費用は宮廷費でまかなわれる、とさらに答弁するのですが、田畑議員の質問がほかのテーマに移り、議論はそこで終わります。

 田畑議員と瓜生次長とのやりとりから分かるのは、次の5点です。

(1)3月10日の参議院予算委員会で宇佐美長官、岸首相が答弁したように、皇太子御成婚を全体的に公的性格があると判断した

(2)しかし3月10日の答弁とは異なり、諸行事を公的行事と私的行事とに分類した

(3)そのうえで公的行事は宮廷費から支出するとした

(4)3月10日の答弁と同様に、「国事」という表現が避けられている

(5)政教分離問題として議論されてはいない


▽2 破られていない「神事は私事」説

 問題は(2)です。

 結局、翌34年1月16日の閣議は、「結婚の儀」「朝見の儀」「宮中祝宴の儀」を「国の儀式」として行うことを決めました。

 一方、「納采の儀」や「告期の儀」、伊勢神宮、神武天皇山陵、大正天皇、貞明皇后山陵に「勅使発遣の儀」、皇太子の「賢所、皇霊殿、神殿に成約奉告の儀」、結婚式当日の宮中三殿への結婚奉告、両殿下の「皇霊殿、神殿に謁するの儀」、「供膳の儀」、「三箇夜餅の儀」、両殿下が伊勢神宮、神武天皇山陵、大正天皇、貞明皇后山陵に謁するの儀は、「国の儀式」とはされませんでした。

 政府が、諸儀式の主要な行事である、賢所大前で行われる「結婚の儀」について、公的性格を認め、公的行事とし、宮廷費からの支出を認めたことは、「天皇の祭祀は皇室の私事」とした占領期の法解釈を打ち破るものでした。

 けれども、同じ御結婚関連の諸行事を公的行事と私的行事に二分する基準が必ずしも明確とはいえません。

 瓜生次長は「内廷費は日常の費用」と説明していますが、「納采の儀」などの諸行事は日常の行事ではありませんから、矛盾は否めません。

 関連する祭祀のなかで、政府が「結婚の儀」のみを「国の儀式」としたのは、なぜなのか、はっきりしません。

 政府は、「神事は私事」とする法解釈を変更したわけではありません。

 実際、4日後の33年4月8日に開かれた、同じ参議院内閣委員会で、やはり田畑議員の質問に答え、瓜生次長は内廷費に関して説明するなかで、神事費について言及し「神事は公事ではありませんで、私事でございます」と明確に答弁しています。

 同じく宮中三殿で行われる神事なのに、皇太子同妃両殿下が結婚の誓をされる「結婚の儀」は「国の儀式」とされながら、皇太子殿下が宮中三殿に成約を奉告される「賢所皇霊殿神殿に成約奉告の儀」や、殿下に代って東宮侍従が結婚の儀を行うことを宮中三殿に奉告する「賢所皇霊殿神殿に結婚奉告の儀」は「国の儀式」とされない理由は、何だったのでしょうか?
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