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皇室喪儀令と登極令の規定 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 2 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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皇室喪儀令と登極令の規定
──平成の御代替わり「2つの不都合」 2
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 平成の御代替わりでは、制度が整備されず、特別の組織もありませんでした。そのため官僚たちは、御代替わりという国家の重大事にもかかわらず、ひたすら眠い目をこすりつつ、毎日午前様の状態にならざるを得ませんでした。

 なぜそうなったのか。

 それは戦後70年間、皇室に関わる法制度が整備されなかったツケですが、それなら「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」(依命通牒第3項。昭和22年5月)に基づき、戦前の皇室喪儀令および登極令に準じて「大喪使」「大礼使」を設置すればいいものを、政府はそうはしなかったのです。

 皇室喪儀令は、永田忠興元掌典補が指摘しているように、「大正天皇が崩御になる2カ月前の大正15年10月に公布された、大正天皇の御大喪に合わせたようなものでしたが、当時の頭脳を結集して制度が作られました。けれども平成の御代替わりにはそれがありませんでした」。

 明治の皇室典範(明治22年2月)は「第二章 践祚即位」で、

第10条 天皇崩ずるときは皇嗣すなはち践祚し、祖宗の神器を承く
第11条 即位の礼および大嘗祭は京都において、これを行ふ

 と定め、さらに皇室喪儀令(大正15年10月)には、「大喪使」について、こう定められていました。

第5条 天皇、太皇太后、皇太后、皇后崩御したるときは大喪儀に関する事務を掌理せしむるため、宮中に大喪使を置く
 大喪使の官制は別にこれを定む

 登極令(明治42年2月)も同様に、次のように「大礼使」について定めています。

第5条 即位の礼および大嘗祭を行ふときは、その事務を掌理せしむるため、宮中に大礼使を置く
 大礼使の官制は別にこれを定む
(原文は漢字片仮名交じりだが、適宜編集した)

 けれども、昭和から平成の御代替わりでは、「国の行事」とされ、内閣が主催した「大喪の礼」については、「大喪の礼委員会」(委員長は竹下登首相)が置かれましたが、即位礼・大嘗祭の事務を取り仕切る「大礼使」は設置されなかったのです。

 もとより昭和天皇の御大葬では、葬場殿の儀などは「国の行事」とされず、今上陛下の即位の礼・大嘗祭のうち、大嘗祭は「皇室行事」とされたのです。

 したがって、一貫して事務を掌握する「大喪使」「大礼使」が設置されるはずはなかったということでしょう。そのしわ寄せを職員たちは被ることになったというわけです。明治・大正の日本人の方が合理的、現実的ではなかったでしょうか。

タグ:御代替わり
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