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ここがをかしい「靖国参拝」「A級戦犯」批判 [靖国問題]



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ここがをかしい「靖国参拝」「A級戦犯」批判
(「神社新報」平成17年8月1日)
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 今年(平成17年)は「終戦六十年」の節目だが、戦歿者を静かに慰霊するどころか、「A級戦犯」(昭和殉難者)を祀る靖國神社への、とりわけ中国の攻撃がかまびすしい。小泉首相の参拝を標的に、「絶対ないやうに」(中国外相)などと牽制する。首相は「不戦の誓ひ」と説明するが、強硬な中国は納得しようとしない。かみ合はない論点を整理する。


▢1 「靖国問題」のきっかけは中国の国内問題です


 いはゆる「靖国問題」が顕在化したのは中曽根内閣のときです。中曽根首相は戦後四十年の終戦記念日に、「戦後政治の総決算」の核心として靖國神社に「公式参拝」しました。多くの国民・遺族の要望を背景とした参拝は、日本の戦後史に大きな足跡を残すはずでしたが、事態は一転、中国から轟然たる批判がわき上がりました。

 当時の日中関係は数千人規模の青年交流が進められるなど基本的に良好でしたが、改革派・胡耀邦総書記に対する中国保守派の反撥が激しく、中曽根訪中に対して反日デモが吹き荒れました。中国国内の権力闘争が火を噴き、過去の記憶を呼び覚まされた長老派が中曽根参拝を叩くことで、胡耀邦追ひ落としを図り、総書記は失脚します。つまり「靖国問題」は中国の内政問題をきっかけとしてゐます。

 一方、中曽根首相にも問題があると指摘されてゐます。政治信念を貫けずに、翌年から参拝をやめてしまったからです。中国の反撥に配慮して、と説明されてゐますが、ある中国専門家は、状況を見て態度を変へてしまふ首相の性格を中国は見抜いてゐた、弱点をつついたら見事にぐらついたのが真相──と指摘してゐます。日本政府の対応の甘さが、「靖国問題」を日中ののど元に刺さったとげのやうにしてしまったといふことです。


▢2 「A級戦犯」合祀は平和条約に基づいてゐます


 日本はサンフランシスコ平和条約で東京裁判の判決を受け入れたのに、裁判で死刑判決を受けた「A級戦犯」をなぜ合祀してゐるのか、といふ批判がありますが、話は逆であり、合祀は平和条約を出発点としてゐます。同条約十一条は日本が判決を受け入れ、刑を執行することと同時に、赦免・減刑の権限や手続きを定めてゐます。

 昭和二十七年春の条約発効後、日弁連、あるいは浄土真宗やキリスト者を中心とする宗教団体などが

「講和に取り残された戦犯を救はう」

 といふ国民運動を展開し、のべ四千万ともいはれる署名を集めました。世論に後押しされて日本政府は重い腰を上げ、平和条約に基づいて、関係各国に「戦犯」赦免を勧告、米国など関係各国の協議が開始され、条約と各国間合意に基づいて「戦犯」の赦免が進められ、その結果、恩讐を超えて、「戦犯」は三十三年までにすべて釈放されました。

 他方、国会は二十七年夏以降、「戦犯」の釈放・赦免を数次にわたって決議し、さらにその翌年以後、右派社会党などの働きかけで「援護法」「恩給法」が改正されました。かうして戦犯刑死者の名誉が回復され、一般戦歿者と同様の待遇を受けられるやうになり、これが五十三年秋の「A級戦犯」合祀につながります。

 国に殉じた戦歿者を公認するのは当然、国の仕事であって、創建以来、靖國神社が独自の判断で合祀を決定したことはありません。

「A級戦犯をこっそり祀った」

 といふのも誤解です。通常と異なるのは、慎重を期して十数年の社内検討の末に実行されたことです。


▢3 「A級戦犯」の「分祀」はあり得ません


 靖國神社では戦争といふ国家の非常時に一命を国に捧げた二百四十六万余柱の戦歿者が祀られ、個々の祭神と遺族の仲を取り持つ宗教的な祭祀が日々、斎行されてゐます。しかし、より重要なのは幾多の祭神が一視同仁、一座の神「靖國の神」として鎮まってゐることで、同社の祭祀の基本は「靖国の神」に対する国家的儀礼としての慰霊だといふことです。

「A級戦犯」の御霊だけをを分離し、合祀を取り下げるといふ意味での「分祀」を、「あり得ない」とする見解を同社が表明してゐるのは、このためです。

「分祀」とは本来、元宮の神霊を勧請してほかに祀ることであり、靖國神社の神霊を「分祀」することは一座の神である「靖国の神」を勧請することにほかならず、したがって「A級戦犯」のみを切り離すやうな「分祀」はあり得ません。

 海外の批判をかはすために主張されてゐる「分祀」は何の意味もないのです。

「位牌を分離せよ」

 との要求も聞かれますが、神社に位牌がないのは、いはずもがなです。

 神社は「分祀を拒否」してゐるのではなく、世間で伝へられるやうな「分祀」は「あり得ない」のです。「分祀を拒否した」から「A級戦犯擁護の歴史認識を示した」といふ報道がありますが、まったくの濡れ衣です。


▢4 「慰霊」と「歴史検証」は異なります


 靖國神社はその名の通り「国安かれ」といふの祈りの祭場です。神社は現実の権力政治とは一線を画し、国家危急の時に国に殉じた戦歿者に対する「慰霊」「顕彰」の祭りを厳修することを第一義としてゐます。

 国に命を捧げた戦歿者の慰霊行為は国が務めるべきもので、明治以来、靖國神社は国家管理の下で、国家的慰霊の中心施設としての役目を果たしてきました。敗戦後は占領政策により、やむなく国の管理を離れ、一宗教法人となりましたが、この六十年間、国に代はって戦歿者への慰霊の誠を捧げてゐます。

 殉国者に対する国の代表者の表敬は当然のことで、首相参拝を批判される謂はれはありません。まして小泉首相の参拝を「侵略戦争の正当化」と断じ、批判するのは筋違ひです。

 戦歿者に対する慰霊行為と過去の歴史の評価とはまったく異なります。靖國神社の祭神は国家存亡の危機に私を去って公に殉じたといふ一点において祀られてゐるのであり、特定の歴史観や戦争観に基づいてゐるのではありません。

 先の大戦は国民の多大な犠牲とわが国土の荒廃を招きました。かうした戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、客観的かつ実証的な歴史検証は必要でせうが、それは日本の国家と国民の仕事であり、歴史家の領域です。靖國神社の目的はあくまで祭祀の厳修です。

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