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遺族会会長様、あなたもですか [靖国問題]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」からの転載です。


 新聞報道によると、日本遺族会の会長を務める自民党の古賀誠氏は、秋の自民党総裁戦に向けて靖国神社の「A級戦犯分祀」を政策提言する意向だそうです。
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 朝日新聞が伝えるところでは、小泉参拝がきっかけで首脳会談が途絶えるほど中国・韓国との関係が悪化した現状を指摘した上で、「戦没者ではない一部の英霊を分祀することが検討の対象となろう」と提言に明記したとされています。
 http://www.asahi.com/politics/update/0512/013.html

 古賀氏は今年4月、春季例大祭期間中の靖国神社に「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバーの1人として参拝した際にも、「尊い命を国に捧げた方々に尊崇の念をもつことは当然大事」「日本遺族会として首相参拝の定着は大きな課題」と述べる一方で、「私はつねにお詣りするときは心の中で分祀している。心の問題だ」と記者会見で語っています。

 古賀氏のホームページによると、古賀氏は、昭和15年、福岡の商家に生まれました。しかし2歳のとき、出征していた父親がフィリピンで戦死します。以来、母親の苦労が始まりました。
 http://www.kogamakoto.gr.jp/index2.html

 ある日、母親が書類を前に考え込んでいました。「何を考え込んでいるの?」「お父さんが亡くなったから、国が助けてくれるの」。母親が手にしていたのは遺族年金の増額申請書類でした。「大きくなったら、弱い人を助ける国の仕事をやろう」と心に誓ったのが、古賀氏の政治家としてのスタートでした。「二度と戦争のない平和な国にする」が政治信条だといいます。

 古賀氏が遺族会の会長に地位にあるのも、このような生い立ちや信条と密接に関わっているのでしょう。そして「分祀」提言もまた同様なのでしょうが、「分祀」は間違っていると私は思います。

 第一に、古賀氏は、前線で戦って落命した父親たちと戦争裁判の結果、処刑されたA級戦犯とは別で、後者は「戦没者」ではない、とお考えのようですが、日本政府が刑死を公務死と認めたからこそ、国の遺族援護が行われてきたのではないでしょうか。

 刑死者以外にも、外交官や警察官、あるいは樺太・真岡の女性郵便局員のように、武器を取って戦い、亡くなったわけではない祭神は枚挙にいとまがありません。

 第二に、もっとも身近な肉親を戦争で失った悲しみの深さは察するにあまりありますが、一遺族としての参拝と公人としての参拝を混同すべきではないと思います。

 個々の祭神への思いを大切にする一遺族としての参拝なら「心の中の分祀」も許されますが、公人としての参拝としてはいかがでしょうか。まして古賀氏は遺族会の代表です。遺族会には戦犯者の遺族もいます。「分祀」など口にすべきお立場ではないと考えます。

 第三に、逆に、公人の参拝に期待されるのは、あくまで殉国者への「表敬」だと思います。心の有り様まで問うような「礼拝」「尊崇」ではありません。

 公人の参拝が信仰的なものだという前提に立てば、「戦争犯罪人を崇拝している」という批判を浴びることになるでしょう。中国の要人が特定の歴史観に基づき、中国革命に身を捧げた英雄をまつる人民英雄記念碑に参詣するのと日本政府要人の靖国参拝とは異なります。

 神社参拝が「礼拝」ではない、というのは戦前から指摘されてきたことです。たとえば、有名な上智大学の学生参拝拒否事件のとき、カトリックのシャンボン大司教は鳩山文部大臣に対して、神社参拝は愛国的意義を持つものか、それとも宗教的意義を持つものか、を問う質問状を送っています。

 これに対して、文部次官名の回答は、「敬礼は愛国心と忠誠とを表すものにほかならない」と答えています(田口芳五郎『カトリック的国家観』カトリック中央出版部、昭和7年)。

 これによってカトリック信徒は安心して、神社参拝することになります。いまもカトリック信徒が靖国神社に参拝している事例は珍しくありませんし、神社側も快く受け入れていると聞きます。

 最後に指摘しておきたいのは、戦没者に対する慰霊と歴史検証との違いです。公人の靖国参拝は戦没者への表敬であって、宗教的意義を持つものではなく、「戦犯を崇拝している」というような中国などの批判はまったく当たりません。中国の批判は、首相参拝が宗教的、あるいはイデオロギー的意義をもっているとする前提に立っています。

 しかしながら、百歩譲って、その批判にも理がある、と考えてみましょう。日本政府に何が欠けているのか、何が求められているのか、それは首相参拝の中止やA級戦犯の分祀などではなく、数百万の国民が命を失い、国土が焦土と化し、そしてアジア・太平洋を戦場とした悲劇の戦争がなぜ起きたのか、を探究、歴史の教訓を導く、本格的な実証的歴史検証、歴史批判ではないでしょうか。

 防衛庁には膨大な戦史研究があります。敗戦後解体された内務省には『内務省史』がありますが、外務省はどうですか。文部省はどうでしょうか。

「二度と戦争のない平和な国にする」が古賀氏の信念だそうですが、A級戦犯を「分祀」すれば「平和」が実現するのでしょうか。

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