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真珠湾奇襲をわびた元日本軍兵士 [戦争]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成18年12月12日火曜日)からの転載です


 時事通信によると、真珠湾攻撃から65年を迎えた今月7日、ハワイ・オアフ島に遺族や退役軍人ら5000人が集まり、追悼式が行われました。式には真珠湾攻撃に参加した日本人の姿も見られました。ある元日本軍兵士は、アメリカのメディアに対して「日本政府はすでに宣戦布告した、と航空隊は思っていた」と弁明し、奇襲攻撃をわびた、と伝えています。

 日本軍が宣戦布告の前に攻撃を仕掛けたことが従来から批判の対象とされていますが、ベトナム戦争ではそもそも宣戦布告がありませんでした。この日本軍兵士の論理に従えば、アメリカ人兵士はベトナム人に「わびる」べきでしょうか。日米の戦争は国際的ルールに従って、すでに終わっていますが、日本を代表する立場にあるとも思えないこの元兵士はいったい何をしたいのでしょうか。

 「もう昔のことですから」──。戦争中、中国大陸を転戦しながら、中国人捕虜たちとともに植樹活動をしたという、ある連隊長の行動に興味を持ち、遺族の方にお話をうかがおうとしたら、そういって断られたことがあります。

 日本人は一般的に、いい思い出であれ、つらい思い出であれ、過去を語りたがりません。日米開戦から65年、戦争体験の風化が指摘されるのは、過去を「水に流す」という日本人の美徳と無関係ではありません。

 けれども、最近では逆に戦争を積極的に語りたがり、謝罪したがる日本人が少なくありません。その場合に気になるのは、体験と歴史との混同です。あくまで歴史のごく一部分に過ぎない個人的体験が、これこそが歴史である、と戦争を知らない世代を威嚇し、脅迫するのです。

 まして周辺諸国や旧敵国にとっては、戦争は「過ぎ去った過去」ではありません。連合軍捕虜や元占領地のアジア人が戦時中の強制労働などに対する補償や謝罪を日本に要求する訴訟が、日本国内やアメリカ国内であとを絶ちません。講和条約が結ばれ、戦争が終わり、それから半世紀が過ぎたはずなのに、対日請求の動きは逆に高まっています。

 昭和天皇が第二次大戦に積極的な役割を果たしたとする評伝を書いたニューヨーク州立大学のビックス教授(歴史学)にように、東京裁判の不徹底ゆえに日本は「侵略」を反省できず、アジア諸国からの批判を浴びることになった、と主張し、同じ論理で教科書問題や靖国問題を批判する人もいます。

 しかし、アメリカに「日本の侵略」を批判する資格はあるのでしょうか。「アメリカの正義」はそれほど絶対的なのでしょうか。もとより善と悪、文明と野蛮、侵略国と被侵略国、加害者と被害者という二分法的図式で国際関係を考えることは公正なのでしょうか。
タグ:戦争
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