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文禄・慶長の役で祖国朝鮮を守った英雄の400年祭 [日韓関係]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年3月13日火曜日)からの転載です

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 韓国・東亜日報によると、文禄・慶長の役に際して、祖国朝鮮を守った当時の領議政・西柳成龍(ユ・ソンリョン)の没後400年に当たる今年の5月、柳成龍と、柳成龍に登用されて軍事を指揮した忠武公・李舜臣(イ・スンシン)の合同追悼式が両家の子孫によって行われるそうです。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2007031380458

 追悼式には小西行長と加藤清正の子孫、明の将軍・李如松の子孫が参加する予定とも伝えられます。東亜日報によれば、追悼式は「和解の場」で、

「日本の子孫は謝罪を前提に招待する予定だ。侵略を謝罪し、三国の新しい未来のために和解の心を分かち合いたい」

 と柳成龍の子孫は述べているそうです。

 さて、記事には柳成龍の位牌が置かれた書院のことが出てきます。朝鮮には、歴代王朝の始祖などをまつる殿(八殿)、歴代王の遺骸を埋葬した陵(六陵)など国家的な祭祀を行う場がありました。

 それらが日本統治時代、どのような状況に置かれたのか。

「神社参拝が強要され、朝鮮伝統の祭祀は顧みられなかったか」

 といえば、事実はそうではなく、朝鮮総督府は八殿・六陵に対しては年2回、国費で儒教形式の祭祀を行いました。

 このほかに、名儒賢臣の遺霊をまつる公認された祠(17カ所)と書院(27カ所)があり、そのなかには。忠武公・李舜臣をまつる忠烈祠(慶尚南道)も含まれています(『施政二十五年史』朝鮮総督府、昭和10年など)。

 つまり、今日、韓国人が

「国を奪われた。謝罪せよ」

 と声高に主張するこの時代、日本にとっては仇敵である「朝鮮の英雄」の祠廟が公認され、祭祀が励行されていたのです。韓国の国定教科書的な歴史イメージとは明らかに温度差がありますが、それでも韓国人は、日本人が400年前の「侵略」を「謝罪」しなければ、「和解」はない、とやはり考えるのでしょうか。

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