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昭和天皇の「不快感」は本当か [昭和天皇]

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昭和天皇の「不快感」は本当か
(2007年8月31日)
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 あす9月1日(土曜日)発売の雑誌「正論」10月号に拙文「昭和天皇の『不快感』は本当か」が掲載されます。

 靖国神社の「A級戦犯」合祀に、昭和天皇は「懸念」を示されていた。その「具体的な理由」を、故徳川義寛・元侍従長が昭和天皇の作歌の御相談役だった歌人の岡野弘彦氏に語っていたことが判明した──。そのように伝える記事が八月上旬、新聞各紙にいっせいに掲載されました。

 昭和天皇がいわゆるA級戦犯の合祀に「不快感」を示されていたとするニュースは、日本経済新聞が昨年七月にスクープした富田朝彦・元宮内庁長官のメモなどを根拠に、これまでも報道されてきました。昭和天皇晩年の肉声をつぶさに記録する「富田メモ」には、昭和天皇は「A級戦犯」合祀が原因で靖国参拝を中止し、「それが私の心だ」と語られたことが記されているといわれます。

「明治天皇の思し召し」によって創建された靖国神社にとって、「天皇の心」は究極の拠り所です。その天皇が「A級戦犯」合祀を批判されていたとなれば、靖国神社の立つ瀬はありません。共同通信が放った特ダネは、日ごろは反天皇の立場に立つ反ヤスクニ派をいやが上にも元気づけ、靖国神社をめぐる混乱に拍車をかけています。

一、 半年遅れの新刊紹介

 共同は三十年前には「A級戦犯合祀」を「スクープ」しました。東京裁判で絞首刑となった七人と受刑中に死亡した五人、それと公判中に病死した二人、の計十四人が合祀されたのは昭和五十三(一九七八)年秋で、共同は翌春、このニュースを加盟社に配信し、たとえば神奈川新聞は四月十九日付で、「東条英機元首相らを合祀 靖国神社が昨年秋 『昭和殉難者』として」と伝えています。

「国民感情の点から合祀が見送られていたが、靖国神社当局は『戦後三十余年も過ぎ、いつまでも例外を作る必要はなく、今日の時点で当然行うべきこと』として決めたと説明している。合祀は神社側がまず決断し、同神社崇敬者総代(東竜太郎元東京都知事、永野重雄日商会頭ら十人で構成する合祀諮問機関)全員の同意で決まった。戦犯処刑者はすべてられていたが、A級だけは実現されずにいた」

 記事は四段見出しながら、掲載は社会面の左下隅。扱いはけっして大きくはありません。後追いした朝日新聞も社会面での掲載でしたが、「秋季例大祭の前日にこっそりと合祀」とひと味違う報道でした。合祀は大々的に公表する性格のものではありませんし、「五十三年十月六日の総代会決定を受けて、権宮司が侍従職と掌典職に参上している」と述べる関係者もいますから、「こっそり」は正確ではありません。

 朝日に先んじた「スクープ」の経緯は、『共同通信社50年史』(一九九六年)に、誇らしげに説明されています。


……つづきは雑誌「正論」をお買い求めのうえ、拙文をご覧ください。

 今回は表紙の酒井和歌子さんのお顔の横にタイトルと名前が載っています。ちょっと気恥ずかしいです。


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