津軽のお山参詣始まる [神社神道]
以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年9月10日月曜日)からの転載です
青森の陸奥新報が岩木山神社の祭りで、津軽最大の秋祭りである「お山参詣」が9日に始まったことを伝えています。
http://www.mutusinpou.co.jp/news/07091006.html
津軽地方の人々の信仰を集めてきた岩木山は津軽のシンボルで、親しみをこめて「お山」と呼ばれます。お山参詣は稲刈りを前に、旧歴8月1日に霊峰・岩木山へ登り、感謝をささげる祭りです。
この祭りをテーマにした石坂洋次郎の短編小説「お山」は、
「陰暦八月朔日(ついたち)の前後をかけて、一対隊をなし、岩木山に山かけをして、今年の祈願と感謝を酒好きで怒りっぽい陽気な山の神様に奉納する」のだと説明しています。
参詣する人たち(参詣人、さんけいと)はまるで稲穂の波を泳ぐ魚群のように近郷五郡から押し寄せるのだといいます。
「山麓に通う沿道筋は、各郡各村の参詣団体が絡えきとして往来し、素朴な、好ましい『サイギサイギ』の唱え言葉の合唱が秋空高くこだまして、絣のように群がり光る赤とんぼどもを脅かす」
「参詣の行列もまた目覚ましい見物」で、
「子連れ」「子供」「年寄り」「若勢(わかせ)」「囃子方」と続きます。白装束に身を固め、紅白金銀の幣束をうやうやしく捧げ持ち、ほかに十尺以上もある大きな御幣が何十本と林立するさまは
「うれしくって吐息がもれるようなものだ」
と石坂は表現しています。
最後尾で晴れ着を着た馬が荷車を引き、お歯黒の女性が赤子に乳房を含ませている。そうした集団が各村からいっせいにお山を目指す光景は
「そのまま錦絵にでもなりそうに印象が深い」
と津軽生まれの石坂はいささか興奮気味です。
「サイギサイギ(懺悔懺悔)、ドッコイサイギ(六根懺悔)、オヤマサハチダイ(御山八大)、コウゴウドウサ(金剛道者)、イチニナノハイ(一々礼拝)、ナムキンミョウチョウライ(南無帰命頂来)」
笛や太鼓、手平鉦の囃子にあわせて、胸からほとばしり出るように唱え文が唱えられます。それを聞く石坂は、
「何か腸(はらわた)へしみ込むような切ない感激にむち打たれ」るのでした。
それはお山が津軽人の底知れぬエネルギーの源泉だからでしょう。
遠いところでは、津軽半島の方からもやってきます。途中で一泊し、辻々の祠(ほこら)に詣でながら、といいますから、2日がかりです。
神社に到着した人々は、まず麓の本社にお詣りし、深夜、松明(たいまつ)をかざし、いよいよ山頂の奥宮を目指します。そして山頂で行われることがまた想像を超えています。
「参詣人が頂上をきわめて第一にする行いは、岩の上に建てられた小さな祠から一尺二、三寸の赤銅(しゃくどう)づくりの御神体をかかえ出し、頭から瓠(ひさご)の酒をドクドク浴びせて全身をなでさすり、『神様あ、いま来たであ〜』と叫んで、堂内の四壁に御神体をむやみにゴツンゴツンぶち当てることだ」
酒好きの神様はこのようにすることでお喜びになると信じられているというのです。
「お山参詣は八月朔日に山頂からご来迎を拝するをもって理想とする」
と石坂は書いています。夜が明け、明るくなれば、太平洋も日本海も、北海道まで見渡せる大パノラマが広がります。
けれども残念なことに、神社の神職によると
「戦後、祭りはすっかり様変わりした」そうです。
それはそうでしょう。沿道を踊り狂うような無数の行列を警察が許可するはずはありません。いまは神社までバスやトラックで参詣人はやってくるといいます。
それでも民謡大会やカラオケ大会、綱引き大会が今年も熱く、賑やかに行われることでしょう。
青森の陸奥新報が岩木山神社の祭りで、津軽最大の秋祭りである「お山参詣」が9日に始まったことを伝えています。
http://www.mutusinpou.co.jp/news/07091006.html
津軽地方の人々の信仰を集めてきた岩木山は津軽のシンボルで、親しみをこめて「お山」と呼ばれます。お山参詣は稲刈りを前に、旧歴8月1日に霊峰・岩木山へ登り、感謝をささげる祭りです。
この祭りをテーマにした石坂洋次郎の短編小説「お山」は、
「陰暦八月朔日(ついたち)の前後をかけて、一対隊をなし、岩木山に山かけをして、今年の祈願と感謝を酒好きで怒りっぽい陽気な山の神様に奉納する」のだと説明しています。
参詣する人たち(参詣人、さんけいと)はまるで稲穂の波を泳ぐ魚群のように近郷五郡から押し寄せるのだといいます。
「山麓に通う沿道筋は、各郡各村の参詣団体が絡えきとして往来し、素朴な、好ましい『サイギサイギ』の唱え言葉の合唱が秋空高くこだまして、絣のように群がり光る赤とんぼどもを脅かす」
「参詣の行列もまた目覚ましい見物」で、
「子連れ」「子供」「年寄り」「若勢(わかせ)」「囃子方」と続きます。白装束に身を固め、紅白金銀の幣束をうやうやしく捧げ持ち、ほかに十尺以上もある大きな御幣が何十本と林立するさまは
「うれしくって吐息がもれるようなものだ」
と石坂は表現しています。
最後尾で晴れ着を着た馬が荷車を引き、お歯黒の女性が赤子に乳房を含ませている。そうした集団が各村からいっせいにお山を目指す光景は
「そのまま錦絵にでもなりそうに印象が深い」
と津軽生まれの石坂はいささか興奮気味です。
「サイギサイギ(懺悔懺悔)、ドッコイサイギ(六根懺悔)、オヤマサハチダイ(御山八大)、コウゴウドウサ(金剛道者)、イチニナノハイ(一々礼拝)、ナムキンミョウチョウライ(南無帰命頂来)」
笛や太鼓、手平鉦の囃子にあわせて、胸からほとばしり出るように唱え文が唱えられます。それを聞く石坂は、
「何か腸(はらわた)へしみ込むような切ない感激にむち打たれ」るのでした。
それはお山が津軽人の底知れぬエネルギーの源泉だからでしょう。
遠いところでは、津軽半島の方からもやってきます。途中で一泊し、辻々の祠(ほこら)に詣でながら、といいますから、2日がかりです。
神社に到着した人々は、まず麓の本社にお詣りし、深夜、松明(たいまつ)をかざし、いよいよ山頂の奥宮を目指します。そして山頂で行われることがまた想像を超えています。
「参詣人が頂上をきわめて第一にする行いは、岩の上に建てられた小さな祠から一尺二、三寸の赤銅(しゃくどう)づくりの御神体をかかえ出し、頭から瓠(ひさご)の酒をドクドク浴びせて全身をなでさすり、『神様あ、いま来たであ〜』と叫んで、堂内の四壁に御神体をむやみにゴツンゴツンぶち当てることだ」
酒好きの神様はこのようにすることでお喜びになると信じられているというのです。
「お山参詣は八月朔日に山頂からご来迎を拝するをもって理想とする」
と石坂は書いています。夜が明け、明るくなれば、太平洋も日本海も、北海道まで見渡せる大パノラマが広がります。
けれども残念なことに、神社の神職によると
「戦後、祭りはすっかり様変わりした」そうです。
それはそうでしょう。沿道を踊り狂うような無数の行列を警察が許可するはずはありません。いまは神社までバスやトラックで参詣人はやってくるといいます。
それでも民謡大会やカラオケ大会、綱引き大会が今年も熱く、賑やかに行われることでしょう。
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