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絶対分離主義は誤っている、ほか [政教分離]

以下は旧「斎藤吉久のブログ」(平成19年12月26日水曜日)からの転載です


〈〈 本日の気になるニュース 〉〉


1、「ニュース、イザ!」12月25日、「首相の伊勢神宮参拝、どうして?」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/112029/

福田首相が1月4日に恒例のお伊勢参りをするようです。

今村記者の記事は歴史をふり返り、その意義を見出そうとしていますが、紙幅上の理由からか、戦前の歴史にまでは踏み込んでいません。私もくわしいことは調べていないので、正確なところは分かりませんが、昭和20年9月の東久邇首相で途絶え、30年1月に復活というからには、戦前は恒例の参宮となっていたのでしょう。

もっと歴史をさかのぼるなら、2000年前のご鎮座の歴史にまでふり返らないといけませんが、記事にある官邸の説明のように「太陽の神様」云々という説明では、異論が聞こえてきそうです。『日本書紀』には大神が「天下(あめのした)の主者(きみたるもの)」として誕生されたと記述されており、皇祖神以外の何ものでもない、という議論があるからです。

難しい神学的な話はおくとして、神宮といえば私幣禁断(しへいきんだん)の社といわれ、もともとは一般国民のお詣りを認めないところだったようです。それでも江戸時代後半になると、じつに年間数十万の人々が全国からやってきました。百人に1人という計算でしょうか。

伊勢参宮を名目にすれば関所手形の申請を役所は拒否できなかったので、庶民は、産経と称して、もとい、参詣と称して諸国を物見遊山したのだといわれます。

▼政教分離問題は占領後期に解決済み

今村記者の記事では、戦後、昭和30年になって首相の年頭参宮が復活したとなっており、あたかも独立後まで復活できなかったようにも読めますが、そうではないでしょう。

終戦の年の暮れ、神道指令が出され、「宗教の国家からの分離」が図られました。被占領国の宗教に干渉することは明らかな戦時国際法違反でしたが、あえて国際法に違反してまで干渉しようとした背景には、「国家神道」を「軍国主義・超国家主義」の源泉と見る誤解があったようです。

そのGHQも誤解が解かれたからなのか、占領後期になると、「宗教と教会の分離」ではなく、「宗教教団と国家との分離」(教会と国家の分離)に解釈をあらため、昭和24年には松平参議院議長の参議院葬が神式で行われ、26年には吉田首相の靖国神社参拝も認められています。

その意味では、30年の首相の年頭参宮復活は遅きに失したといえるかも知れませんし、政教分離問題はすでに解決されているというべきです。

しかし今村記者が触れているように、きわめてわずかながら、首相の参宮を「憲法が厳格に定める政教分離の原則から見て、問題なしとしない。政府による特定宗教の特別視につながる懸念がある」という指摘があります。たとえば共産党の赤旗は昨年そのような記事を掲載しています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-04/2006010402_04_1.html
 
赤旗の記事は、「伊勢神宮は、天皇家の祖先神・天照大神を祭る宗教団体で、戦前、国家神道の頂点として、国民に対する思想統制の中核的役割を担い、靖国神社とともに侵略戦争遂行の精神的支柱となった歴史を持つ。憲法が定める信教の自由や政教分離原則は、国家神道が国民の思想統制の柱とされたことへの反省に基礎を置くもので、首相の伊勢参拝を、一般市民の“初もうで”のように「慣例行事」としてすますわけにはいかない」と主張しています。

これにはいくつか誤解があるようです。

▼明らかな論理矛盾

まず神宮は「天皇家の祖先神」をまつっている、つまりある私的な家系の祖先崇拝の神社だというのではありません。国家的歴史的性格が見逃されています。また、神宮はもともと私幣禁断の社であって、首相の参宮は公人としての表敬であり、信仰の表明とはいえません。だからこそクリスチャンの太平首相も参宮したのだろうと思います。

第2に、神宮が靖国神社とともに侵略戦争の精神的支柱だとすれば、これは断じて許し難いことです。GHQも心底そのように理解していたようで、靖国神社の焼却処分まで議論されたのでしたが、やがて誤解は解けたからこそ、首相参拝も認められているのではないでしょうか。

第3に、憲法が厳格な政教分離主義、言い換えれば絶対分離主義に立っているというのは誤りでしょう。GHQで宗教政策を担当したウッダードは、厳格な分離主義の本家本元と考えられているアメリカの政策を引き合いにして、「アメリカの世論は非宗教主義に終わる可能性のある政策を支持しないだろう。アメリカでは明らかに宗教と国家とのあいだに密接な関連がある」と述べています。

人間は宗教的存在であり、憲法は宗教を悪とは考えていないはずです。共産党自身、たとえば、16年1月、党大会で開会挨拶に立った不破議長は前大会以降の党員物故者追悼の黙祷を参加者に求めたと伝えられます。中国では「抗日戦争勝利・反ファシズム戦争勝利60年」の2005年、盧溝橋の抗日戦争記念館改装オープンの記念式典で、共産党・政府関係者らは戦争犠牲者に黙祷を捧げたといわれます。無神論者といわれる人たちも宗教的心理を持っています。

もしそれでも、国家は宗教的に無色中立であるべきだと信じ、絶対的分離主義を絶対的に主張されるのなら、靖国神社や伊勢の神宮だけでなく、小泉首相とブッシュ大統領による金閣寺参詣も問題にされなければならないでしょう。長崎県による教会群の世界遺産登録運動も取りやめなければなりません。

そうではなしに、特定の宗教のみ「分離」されなければならない、と主張することは、逆に、特定の宗教を特別視することになり、明らかな矛盾です。


2、「長崎新聞」12月25日、「宗教超え座禅組み、神父の詩編拝聴。厳かにクラシック演奏も」
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20071225/07.shtml

 南島原市口之津はその昔、長崎と並ぶキリスト教伝道の拠点といわれ、海岸の砂丘からキリシタン墓碑が発見されています。
http://www.city.minamishimabara.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1142061166976&SiteID=0&ParentGenre=1000000000046

 記事に出てくる玉峰寺は永平寺を大本山とする曹洞宗のお寺のようですが、キリシタン時代には教会があったところともいわれます。

 そのような土地柄だからなのか、お寺の付属幼稚園はスペイン・アンダルシア地方を思わせるデザインの園舎で、正面にはステンドグラスもあります。12月にはクリスマス会も行われるようです。

 記事によると、この日、お寺の本堂では座禅とピアノ演奏、カトリック神父の詩編朗読が行われ、市内外から詰めかけた市民は厳かな雰囲気に浸ったのでした。

 一言いえば、記事は「宗教を超え」と書いていますが、これこそ宗教であり、古来、多宗教的、多神教的文明を築いてきた日本なればこそのニュースといえます。


2、「救う会全国協議会ニュース」12月26日、「福田政権で日朝国交正常化? 自民党朝鮮半島問題小委員会発足」

 救う会事務局長の平田さんが、「政府の対北朝鮮外交をバックアップする」という小委員会が自民党外交部会内に設置されたことを取り上げ、なぜいま正常化を議論するのか理解できない、と述べています。

 報道では、北とのパイプを持つ山崎拓前副総裁の主導で設置されたといわれ、山崎氏は18日の初会合で、「党側にもバックアップして欲しい、という首相の意向がある。正常化交渉を福田政権のあいだに達成したい」と挨拶したようです。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/ntok0001/list/200712/CK2007122302074499.html


3、「Reuters」12月25日、「イスラム聖職者団体、異例のクリスマス・メッセージ」
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-29509920071225

 キリスト教世界に対話を呼びかけているイスラム教各派の聖職者が、呼びかけに応じてくれたことへの謝辞を述べているようです。


 以上、本日の気になるニュースでした。
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