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3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴 第2回 GHQの国家神道観 [国家神道]

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 3 「国家神道」異聞 by 佐藤雉鳴
    第2回 GHQの国家神道観
 (2010年2月2日)
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◇1 D・C・ホルトムが与えた影響

 GHQの国家神道観は、D・C・ホルトム『日本と天皇と神道』(昭和25年)、W・P・ウッダード『天皇と神道』(昭和63年)が参考になる。
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 まず『日本と天皇と神道』を読んでみよう。

 ──他国の国民、とくにいまや急速に日本の制圧と威力の支配の下に狩り立てられている極東諸国の国民にとって何よりも意味深いことは、この宗教的祭祀が神から授かった使命を担うという気持ちをもっていることである。これが国家神道である

 ホルトムのこの著作は、昭和25年に日本語訳として出版されたものである。そしてこの本の主要な部分を占める原著は、昭和18年に出版されていたとある。GHQへの影響力はもっとも大きい著作だったはずである。

 ただ、ホルトムが日本国家主義というものと神道をない交ぜにしていることはやむを得ないだろう。今日に至っても整理のついていない事柄だから、この時点で「国家神道」を読み解くことは至難の業である。

 ──すなわち彼らによれば、万世一系の皇室は神より出たものであるとの歴史的事実と、神に祀られている祖宗の霊が、国家と臣民とに永劫(えいごう)に変らぬ加護を垂れていることと、日本国民が比類なきその国民生活を他の国の人々にも施し、かようにして世界の民を救うという神聖な使命を担っていることの自覚とが、日本国家主義の本質的な基礎だというのである

 著作中のかずかずの引用文は、名前が違うだけでその内容はほとんど同じものである。そして必ずしも良質な言説とはいえないものが多いのである。ただ、大正から昭和戦前の言説を集めれば、上記のような文章にはなるだろう。皮相的にはこのとおり、といっても良い。しかし「世界の民を救うという神聖な使命」はどこから来たのだろう。


◇2 加藤玄智の謬論を疑いもなく引用

 ホルトムの研究に与えた加藤玄智らの影響は小さくない。その加藤玄智の『我が国体と神道』から、「天皇は昔から「あきつ神」(眼に見える神)、「あらひと神」(人間の姿をした神)および「あらみ神」(人間の姿をした大神)と呼ばれて来た」という説を何の疑いもなく引用している。
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 当サイトの「人間宣言異聞」にも述べたところであるが、この加藤玄智の説は謬論である。現在確認できるものでは、明治26年発行、久米幹文著『続日本紀宣命略解』あたりから、現御神=天皇、という説が出てくるのである。本居宣長『続紀歴朝詔詞解』を解読できず、宣命(せんみょう)にある「現御神止(あきつみかみと)」の「止(と)」の意味が説明できなくなってしまったのである。

 原因は「しらす」という天皇統治の妙(たえ)なる日本語の意味が分からなくなったことにあることは、同じく「人間宣言異聞」に述べたところである。加藤玄智の「あきつ神」論は事実に基づいていない。

 ──まことに、日本の国体は世界に冠たる強みと優秀さとを持つ、との主張は、その当然の帰結として、日本国民以外の国民は、日本の勢力の下に置かれてこそ、はじめて恵まれた国民となる、との思想が生まれて来なければならないわけである

 帝国主義の時代にあって、勢力拡大の途上にある国家なら上記のようなことも語られるだろう。宗教的なことに関係なく議論されるものである。しかし当時の我が国の言説の多くに、「神がかり」的な文言が氾濫している。日本の急激な版図拡大の基にある精神力の出所は気になるところだろう。


◇3 教育勅語は儒教主義ではない

 ──この国家主義を再確認した聖典は教育勅語であって、これはあらゆる点から考えて、近代日本の歴史の生んだもっとも有名で重要な文書である
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 さすがに知識人の皮相的な言説を集めただけでも、教育勅語に行きつくのは当然といえば当然である。文部省『国体の本義』は昭和12年であって、ここに至るまでの文書では教育勅語が気になるということは間違っていない。大日本帝国憲法に「世界の民を救うという神聖な使命」は述べられていないから、残るは教育勅語となるのだろう。

 ホルトムの教育勅語に対する見方は専門性を欠いている、と言わざるを得ない。教育勅語の官定解釈あるいは公定註釈書といわれた井上哲次郎『勅語衍義』が正しく教育勅語を解説できなかったことは、当サイト「教育勅語異聞」に述べたところである。

 教育勅語渙発時の文部大臣は芳川顕正であり、『勅語衍義(えんぎ)』には叙を寄せている。その芳川顕正の「教育勅語は四つの徳を基としている。仁義忠孝がこれである」を引用して、教育勅語を儒教を手本とした道徳と読み解いているのである。

 教育勅語が儒教主義などではないことは、教育勅語草案作成者である井上毅「梧陰存稿」にある。『勅語衍義』は明治天皇がその稿本にご不満であり、修正もされないまま、井上哲次郎の私著として出版されたものである。そして井上毅は文部大臣として『勅語衍義』を小学校修身書「検定不許」としたのである。仔細は「教育勅語異聞」にある。


◇4 天皇主権親授説という誤解

 『日本と天皇と神道』には見落とせない文章がある。

 ──もっとも日本の儒教には一大修正が加えられた。儒教は元来無能な統治者を追い出し、人民の選択によって新しい統治者を迎えることを認めている。ところが、天皇主権神授説を基礎とする日本の国体は、この儒教の教をもって天皇に対する叛逆(はんぎゃく)および神性の冒涜(ぼうとく)なりと断ずるとともに、侵すべからざる、また他をもって変えることのできない万世一系の天皇をもって、国家の中枢機関と定めている。

 支那の易姓革命と我が国の万世一系との比較から、「日本の儒教には一大修正が加えられた」というのである。この文章は幾重にも誤解が重なっているので分かりにくい。芳川顕正は教育勅語の内容を徳目のみととらえて、仁義忠孝を語っているのである。しかし教育勅語は徳目だけではない。「しらす」という意義の君徳がはじめに語られているのである。また仁義忠孝などは儒教の占有物にあらず、は井上毅の述べたところである。

 天皇主権神授説というのも誤りである。大日本帝国憲法に「主権」の文字はなく、神授説も我が国には存在しない。

「かの神勅のしるし有て、現に違はせ給はざるを以て、古伝説の、虚偽ならざることをも知べく」(本居宣長『玉くしげ』)とあるように、歴史を顧みるとまったくその通りだと思わざるを得ない古伝説がある、ということなのである。また古事記のような古伝説は、誰かが言い出したものではなく、したがって恣意性もないものである。

 教育勅語が儒教に基づくという誤り、天皇主権神授説という誤解、これらはホルトムだけではない。ホルトムが参考にした我が国著作の執筆者たちが、そもそも教育勅語を正しく解釈できなかったのである。


◇5 教育勅語を誤解していた日本の知識人

 そして教育勅語の「我が皇祖皇宗、国を肇(はじ)むること宏遠に」について、皇祖は初代天皇以前の祖先と神武天皇を指し、皇宗とは第二代から今上天皇までを指すとしている。このことから天照大神に直接触れているとし、それが教育勅語に宗教的文書としての性格を与えるものであり、そのため教育勅語は国家神道の主要な聖典となるのだと述べている。

 皇祖皇宗について、井上毅は「梧陰存稿」において、明確に皇祖を神武天皇とし、皇宗を第二代から先帝まで、としている。天照大神は「天しらす神」であり、「国しらす神」ではないということである。

「梧陰存稿」は明治28年に出版されているが、ホルトムは参考にしていなかっただろう。したがってホルトムはじつのところ、教育勅語がどういうものか理解していなかったと思われる。ただ、加藤弘之や井上哲次郎らのいわゆる国家主義者たちによるキリスト教と教育勅語は相容れないものだとする議論から、教育勅語を捉えていた感がある。

 ホルトムが日本国家主義をより分かりやすく把握し、教育勅語を重要視せざるを得なくなった基には、文部省『国体の本義』があるだろう。「惟神の国体に醇化」「教育に関する勅語」「皇祖皇宗の肇国樹徳の聖業」「国体に基づく大道」がはじめに語られている。そしてホルトムは次のように述べているのである。


◇6 文部省『国体の本義』からGHQ神道指令へ

 ──日本文部省は1937年(昭和12年)、『国体の本義』と題するすばらしい本を刊行した。この本はいわゆる精神的基礎という観点から、日本国家を研究したものである。これは日本国家主義の宗教的基礎について、政府自身の古典見解を披瀝(ひれき)したものである。本書はわれわれがいま前に掲げた詔勅よりももっと徹底したものであって、祭祀と政治と教育との間の三重の相互関係を確立するものである

 そうしてホルトムは、日本の著作家たちが挙げている日本国家主義の本質的な基礎として、先に引用した文章を書いたのである。

 論点を整理すると次のとおりである。

 〈1〉万世一系の皇室は神より出たものである、との歴史的事実

 〈2〉祖宗の霊が、国家と臣民とに永劫に変らぬ加護を垂れていること

 〈3〉日本国民が比類なきその国民生活を他の国の人々にも施し、かようにして世界の民を救うという神聖な使命を担っていることの自覚

 これらは神道指令の「日本の支配を、以下に掲ぐる理由のもとに、他国民ないし他国民族に及ぼさんとする日本の使命を擁護し、あるいは正当化する教え、信仰、理論」にある3つの内容にほぼ類似している。

 日本の天皇・国民・領土が特殊なる起源を持つゆえに他国に優るという主義、といったものであるが、これにほぼ等しい。神道指令にいう国家神道は、やはり『日本と天皇と神道』を無視しては解明できない。


◇7 国家神道を定義できなかったGHQ

 ウッダードの『天皇と神道』は、副題に「GHQの宗教政策」とあるように、国家神道なるものを解体しようと実行した当時の経緯をまとめ、昭和47年に出版したものである。しかし、ここに国家神道の具体的定義は見当たらない。
かつてGHQが置かれた第一生命ビル

 ──国体のカルトは、政府によって強制された教説(教義)、儀礼および行事のシステムであった。天皇と国家とは一つの不可分な有機的・形而上学的存在であり、天皇は伝統的な宗教的概念が過激派によって宗教的、政治的絶対の地位に転用された、すこぶる特異な意味での「神聖な存在」であるという考え方が、その中心思想になっていた

 この文章で国体のカルトは分からない。儀礼と行事はあっても政府によって強制された教説・教義は見当たらないからである。そして天皇と国家の来歴はもともと神秘的なものである。ここは特別問題になるところではない。「神聖な存在」とは大日本帝国憲法第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」よりは、加藤玄智や『国体の本義』にある、天皇=現御神・現人神からの連想だろう。

 ──それは国民道徳と愛国主義のカルトであって、「民族的優越感を基礎として、新しく調合された民族主義の宗教」であった

 これはホルトムらの言説を包含した見方であって、古来の日本にないものが新たに創造された、と見る考え方である。ただ、過激派が誰で、いつごろ「新しく調合」されたか、は明らかにしていない。

 この『天皇と神道』で理解できることは、GHQの民間情報教育局(CIE)が明確に国家神道を定義することに成功していなかったということである。


◇8 天皇の神格化は残してはならない

 ──ともあれ、11月の末近くに行われた話し合いの際に、明治天皇の「教育勅語」が話題にのぼった。ヘンダーソンが、一方では超国家主義および軍国主義を排除し、また一方では、日本の教育を民主化する責任を担うアメリカ軍の士官としての立場からこの問題をみると、問題は「教育勅語」自体にあるのではなかった。彼個人の意見としては、文書自体は差し支えないものであった

 CIE教育課長のヘンダーソンは、前田多門文部大臣とは旧知の間柄であった。前田多門の教育勅語解釈は『勅語衍義』にほぼ同じである。徳目としか捉えていない。その影響があったのかもしれないが、ヘンダーソンからすると、どう考えても教育勅語はいわば儒教的な倫理綱領である。英語訳を読んでいたとしても、おかしなところは見つけられないだろう。

 ──ヘンダーソンにとって困るのは、学校でのそれの取り扱いかた、とくに大勢の生徒を集めてその前で勅語を奉読する儀式であった。彼は、この儀式が「天皇の神格の教義を教え込む」という意図に出たものであることは疑いないと考えたのである

 日本および日本人が二度とアメリカに立ち向かうことのないよう、軍隊と日本人の精神を解体する必要がある。民主化という名前の下でその解体を行うには、天皇の神格化は残してはならないものだったろう。ホルトムらが国家神道の聖典とした教育勅語は、この観点から問題だとしたのである。


◇9 「神道を宣伝する」という意味

 また『天皇と神道』によれば、CIEの宗教課長であったバンスは、教育勅語について以下のように整理をしていた。

 ──(1)いかなる日本人にあっても、他人に向かって日本が膨張しなければならぬ使命を持つとか、あるいは、〈a〉祖先や家系ないしは独自の起源のために、天皇および国民が比類のない優越性を有し、〈b〉いわゆる神による独自の創造のために日本列島が他の国々よりも優れている、という理由によってその支配を他の諸国および国民におよぼす試みが正当化されると主張することは、愛国心の表現でもなければ天皇あるいは日本国家への奉仕にもならないことを明らかにすること

 これを読む限り特別なものではない。ホルトムや他のスタッフたちの感想をもとにまとめたもののようである。

 ──(2)神道の理論、学説、著述、あるいは教義を根拠として、日本がその他の諸国および諸国民に支配をおよぼす試みを正当化してきた人びと、あるいはそのような使命があると主張した人びと、ないしは歴代の天皇の詔勅、とりわけ1890(明治23)年の「教育勅語」をそのような使命の天皇による裁可の表現だと解釈した人びとは、すべて天皇および日本国家に迷惑をかけたものであることを明らかにすること

 明治の教育勅語に替えて新しい教育勅語という案があったことは周知の事実である。前田多門を父にもつ神谷美恵子の『遍歴』に非常に重要な文章がある。安倍能成文部大臣とダイクCIE局長との対談メモである。

 安倍大臣 新しい教育勅語とはどういうことをお考えなのか。

 ダイク 教育勅語としては、すでに明治大帝のものがあり、これは偉大な文書であると思うが、軍国主義者たちはこれを誤用した。また彼らに誤用されうるような点がこの勅語にはある。たとえば「之を中外に施してもとらず」という句のように、日本の影響を世界に及ぼす、というような箇所をもって神道を宣伝するというふうに、誤り伝えた

 安倍大臣はこれに対し、「之を中外に施してもとらず」の真意を説明できず、「天壌無窮の皇運を扶翼(ふよく)すべし」は問題になり得る、と答えている。しかしダイクはそのことに興味を示していない。

 ここに解明すべきポイントがある。「日本の影響を世界に及ぼす、というような箇所をもって神道を宣伝する」とはどういう意味か。そしてなぜここに神道が出てくるのだろう。(つづく)


 ☆斎藤吉久注 佐藤雉鳴さんのご了解を得て、佐藤さんのウェブサイト「教育勅語・国家神道・人間宣言」〈http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/index.html〉から転載させていただきました。読者の便宜を考え、適宜、編集を加えています。

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