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1 「掌典の御代拝」となった「建国記念の日」の御拝 by 斎藤吉久 [宮中祭祀簡略化]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


 体調を少しばかり崩しているので、手短に書きます。鳩山政権批判は次号にします。

 先週木曜日、2月11日は「建国記念の日」でした。メディアは、各地で祝賀行事と反対集会がそれぞれ開かれたと伝えています。毎年恒例の、よくいえば客観中立的報道ですが、十年一日のごときステロタイプの記事だなとつくづく思います。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20100212-OYT8T00044.htm

 報道したメディアがあるのかどうか、知りませんが、今年は例年と違うことがありました。この日、陛下はいつもなら宮中三殿で拝礼されるのですが、宮内庁の発表によると、掌典による御代拝となったのです。ノロウイルス感染症の影響によるものです。
http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/kohyo/kohyo-h22-0202.html

 御不例ですから、やむを得ないのですが、初代神武天皇の即位に由来するこの日、行われる御拝には、陛下のことのほか深いお思いがあるものと拝察されます。しかし宮内庁の扱いはあくまで「三殿御拝」であって、「紀元節祭」ではありません。


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 1 「掌典の御代拝」となった「建国記念の日」の御拝 by 斎藤吉久
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▽1 「紀元節祭」を避けている

 拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』に書いたように、昭和の宮中祭祀簡略化が表面化した昭和58(1983)年、尊皇意識に燃える神道人たちは抗議の声を上げました。とくに神社本庁は渋川健一事務局長名で、富田朝彦宮内庁長官に対して質問書を提出しました。

 質問内容は、三種神器や宮中三殿の法的位置づけ、伊勢神宮との関係など多岐にわたりましたが、2月11日の紀元節祭に関する質問も含まれていました。

 つまり、昭和20年暮れの神道指令との関連で、紀元節祭が廃されたほか、いまでは明治節祭も行われなくなった。41年に「建国記念の日」が法制化されたのにもかかわらず、紀元節祭は復活していない。廃止の理由を承りたい、と問い詰めたのです。

 これに対して、宮内庁サイドは5月になって、富田長官ではなく、宮中祭祀にたずさわる掌典職のトップ、東園基文掌典長が「宮内庁の公式見解」を発表します。

 神社界唯一の専門紙「神社新報」が伝えるところによると、「公式見解」には「皇室祭祀については諸般の事情により多少の変化はあるにせよ、その本筋は寸毫(すんごう)も変わることなく執行されており、将来も変わることがないと確信している」と記されています。けれども「紀元節祭」に関する具体的な回答は見当たりません。

「紀元節祭」について、現在も将来も、「寸毫も変わることなく」と回答したのだとすれば、まったく事実に反します。明治41年の皇室祭祀令では、紀元節祭は大祭に位置づけられていましたから、親拝ではなく、陛下みずから祭典を執行することになりますが、そのような実態はないからです。要するに、東園回答書は明確な回答を避けています。


▽2 なぜ及び腰なのか?

 たとえばアメリカでは、独立戦争さなかの1776年に独立宣言が公布されたことを記念して、7月4日が独立記念日の祝日となり、大統領がスピーチするほか、各地でパレードや花火大会などが官民を挙げて盛大に行われます。しかし、日本はまったく違います。

 皇位継承後、皇后陛下とともに宮中祭祀を学び直され、祭祀の正常化に努められてきた今上陛下は、この日、欠かさず宮中三殿に拝礼されています。けれども、民間による奉祝行事はあっても、日本政府が主催する祝典はありません。

 宮内庁だけでなく、歴代日本政府が及び腰なのです。問題は、なぜそうなるのか、です。

 紀元節反対派は、この日は神話に由来し、歴史的根拠がない。「紀元節」は天皇制の確立、侵略戦争の正当化に利用された、などと批判します。今年の陛下の御拝が側近の侍従による御代拝ではなく、掌典による御代拝となったのは厳格な政教分離主義によるもので、敗戦と占領政策を引きずっています。

 つまり、天皇論、靖国問題、侵略戦争論、政教分離問題は1つにつながっています。しかし、それらはどこまで科学的に解明されたことなのでしょうか?

 日米戦争中、アメリカ政府が「国家神道」こそ「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉である、と本気で考えていたことは確かのようです。だからこそ、戦時国際法にあえて違反して、神道撲滅運動に血道を上げ、「国家神道」の中心施設であると理解する靖国神社を焼却処分にしようとまで考えたのでしょう。

 しかし占領後期になると、アメリカの神道敵視政策はいとも簡単に転換され、松平参院議長の参議院葬が議長公邸で、神道式で行われます。貞明皇后のご大喪もほぼ宮中の伝統にのっとって執り行われました。


▽3 進まない「国家神道」研究

 なぜアメリカは神道を敵視するようになったのか? なぜ数年も経ずに敵視政策をやめたのか? この2つは歴史の謎のままです。

 いま当メルマガに連載を寄せている佐藤雉鳴さんの「『国家神道』異聞」は、この謎に大胆に切り込んでいます。

 占領軍の「国家神道」観に影響を与えたのは、『日本の天皇と神道』の著者として知られるアメリカの宗教学者ダニエル・ホルトムです。しかし彼は日本人の著作などを疑いもなく引用するばかりです。そして、国家神道の聖典とされた教育勅語を、じつは日本人自身が「日本の影響を世界に及ぼす」と誤解していました。

 釈迦は弟子たちに「正しい教えを説き広めよ」と命じ、イエス・キリストも「全世界に行って、福音を述べ伝えなさい」と教えています。しかし、自然発生的な日本の神道には布教という概念がそもそもありません。世界布教などあり得ないのです。

 今日、朝鮮侵略のシンボルとされている朝鮮神宮は、植民地支配の道具として建設が提案されたのではありません。創建を訴えた神道人は、日韓の融和のために「朝鮮民族の祖神をまつれ」と呼びかけたのです。であればこそ、天照大神と明治天皇を祭神とする朝鮮神宮が鎮座するというとき、猛反対したのがほかならぬ神道人でした。

 戦後唯一の神道思想家・葦津珍彦は、大東亜戦争には伝統的な神道的道義精神と明治以来の帝国主義の野望という2つの潮流が流れていた、と書いています。歴史的に問われているのは、日本人の宗教伝統ではなくて、近代化の末に道義的宗教伝統を喪失したことでしょう。私流にいえば、多神教的な日本人ではなくて、一神教化した日本人のあり方が問われているのです。

 それにしても、毎年、天皇制批判を繰り返している反天皇派の、なんと進歩のないことでしょうか? いや、天皇擁護派とて、同様です。敗戦から60年以上が過ぎたというのに、佐藤さんが指摘するように、実証的な国家神道研究は遅々として進みません。アカデミズムもジャーナリズムも怠慢のそしりを免れません。


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