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祭祀を国事行為と定義する前に ──「祈りの存在」の伝統とは何か? 3 [女性宮家創設]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(2017年6月6日)からの転載です


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祭祀を国事行為と定義する前に
──「祈りの存在」の伝統とは何か? 3
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 さて、以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋です。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第2節 「祈りの存在」の伝統とは何か?──知的探求がうかがえない櫻井よしこさんの反対論


▽3 祭祀を国事行為と定義する前に
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 宮中祭祀の伝統からの逸脱は、用語だけではありません。概念それ自体が揺らいでいます。祭祀の概念の揺らぎは、歴史的天皇像の揺らぎにほかなりません。

 いわゆる「女性宮家」創設に関する皇室制度有識者ヒアリングでも、そのことが露呈しました。

 ほかの有識者とは大きく異なり、天皇の祭祀について言及したのは、ジャーナリストの櫻井よしこさんでした〈http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koushitsu/yushikisha.html〉。

 しかし、残念なことに、幼稚とは言わないまでも、追究がきわめて浅いのです。政府の要請に応じ、有識者の1人として、天皇について語るほど、日本を代表するジャーナリストの宮中祭祀論とはこの程度なのでしょうか?

 24年4月10日の第3回ヒアリングで、櫻井さんは、東日本大震災発生から5日後の陛下のお言葉〈http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html〉を挙げ、皇室が「祈る存在」であることを正しく指摘しています。順徳天皇の「禁秘抄」にも触れ、歴代天皇が祭祀を最重要視し、祈りによって国民を統合してきた、と説明しています。

 けれども、それだけなのです。

 他方、同じ日に意見発表した百地章日大教授とは異なり、祭祀を私的行為(私事)と見なすことを

「間違い」

 とも述べ、ご負担軽減のため祭祀を簡略することは「順序がまったく逆」であり、

「祭祀を御公務と定義し直すことが重要」

 とも主張しています。

 しかしながら、祭祀を御公務=国事行為と位置づけるべきだ、という主張なら、判断は慎重を要するでしょう。

 第1に、現行憲法では、国事行為は内閣の助言と承認に基づいて行われ、内閣が責任を負うこととされています。権力政治と一線を画されるべき天皇の聖域が、権力政治に翻弄される危惧が生じるからです。

 戦後70年の歴史を見れば、その危惧は現実です。昭和40年代以降、祭祀は簡略化され、平成の御代替わりには皇室伝統の諸行事が改変されました。民主党政権下では、陛下の御公務であるご引見が与党の政治的圧力を受け、ごり押し的に設定されました。

 第2に、「祭祀を御公務に定義し直す」ということになると、憲法第7条に定める国事行為の「十 儀式を行ふこと」の「儀式」に、祭祀を定め直すことになるのでしょうか?

 けれども、それだと「一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」「二 国会を召集すること」「三 衆議院を解散すること」などの、はるか下位に、天皇第一のお務めが位置づけられることになりませんか。伝統重視といいつつ、かえって伝統を軽視する、矛盾を冒すことにならないでしょうか?

 憲法が定める国事行為と定め直すことより、憲法に天皇をどう位置づけるのか、むしろ憲法そのものを定め直す必要がありませんか。天皇主権国家体制が崩壊し、国民主権主義によって民主化され、構築されたとする戦後体制の枠組みのなかで、天皇の祭祀を法的に正しく位置づけることはどうしても困難さがつきまといます。

 伝統主義に基づく櫻井さんの主張はおおむね同意できますが、古来、天皇はなぜ祈りの存在とされてきたのか、天皇の祈りによって国民が統合されるとはいかなる意味なのか、について、櫻井さんの説明は見当たりません。

 そのため、いま目の前に起きている、伝統からの逸脱に対する十分な防波堤になり得ていないのです。

 祭祀を国事行為とするか否か、を議論する前に、必要な議論があります。単に伝統だというだけでは、現代人は納得しないでしょう。その何よりの証明が、櫻井さんのヒアリングでした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります



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