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「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」 ──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 9 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
http://melma.com/backnumber_170937/


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「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」
──「1.5代」象徴天皇制度下の創設論 9
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 やむにやまれぬ思いから、「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを1人で始めました。できましたら、ご協力をお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 それと先般、チャンネル桜で、「女性宮家」創設についての討論会に参加しました。どうぞご覧ください。国民的関心の高さからか、YouTubeでは試聴回数が3万5千回を超えているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=ZsI0wpXNppQ&t=209s

 さて、以下、拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第2章 有識者ヒアリングおよび「論点整理」を読む

第3節 「1.5代」象徴天皇制度下の創設論──戦後行政史を追究しない百地章日大教授の反対論

▽9 「仮に依命通牒が存在しなかったとしても」
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 22年5月3日に現行皇室典範が日本国憲法とともに施行され、その前日に明治以来の皇室令はすべて廃止されましたが、皇室祭祀の伝統は実質的に維持されました。その法的根拠が、「従前の例に準じて」とする宮内府長官官房文書課長の依命通牒でした。

 そして50年8月の宮内庁長官室会議で、宮内官僚たちがこの依命通牒を人知れず、事実上、「廃棄」するまで、この通牒は生きていました。

 いや、じつのところ、後述するように、依命通牒はいまも生きています。そのことを、宮内庁次長が国会で答弁しています。「廃止」の法的手続きは取られていないというのです。

 しかし「生きている」のなら、昭和天皇崩御から5か月も経って、政府が検討委員会、準備委員会などの会議を何度も重ね、参考人まで呼んで、何か月にもわたり、大がかりに「即位の礼」の「中身」を検討する必要はありません。旧登極令には御代替わりの儀式が事細かに定められているからです。

 要するに、依命通牒は法的手続きとしては「廃止」されていないけれども、事実上、「破棄」されたのです。そして、この依命通牒の「破棄」こそ、間違いなく、戦後の皇室行政史最大の画期です。

 ところが、百地先生の研究書にはこの歴史が抜け落ちています。

 先生の著書の第11章に「『依命通牒』をめぐって」という一節があります。大分県知事らが大嘗祭に関連する「主基(すき)斎田抜穂(ぬいぼ)の儀」に参列したことが違憲だと訴えられた裁判で、原告が主張したことのひとつが、依命通牒を法的根拠として大嘗祭を挙行することは、現行憲法施行によって「主権等の原理的転換」が行われた歴史を無視している、というものでしたが、百地先生はこう批判しています。

「仮に『依命通牒』が存在しなかったとしても、憲法自身が皇位の『世襲』に伴う不可欠の伝統儀式として大嘗祭を容認している以上、『皇室の公的行事』として大嘗祭を斎行することは可能と思われる」

「仮に存在しなかったとしても」は、「昔はあったが、いまはない」ではなくて、「昔もあり、いまもある」、つまり、昭和50年8月の宮内庁長官室会議での「破棄」はない、と読めます。

 官僚の通達を官僚が人知れず「廃棄」し、その結果、皇室の伝統の断絶を招き、御代替わりの諸行事について大掛かりな検討を行うことを迫られ、そのことについて政府が口をつぐんでいる、という理解ではないことになります。

 しかし「なかった」のならまだしも、「破棄された」意味は小さくありません。

 いみじくも百地先生自身が参加したヒアリングがそうであるように、そもそも有識者に参考意見を求め、皇室の諸制度を検討し決定するという手法が採られるようになったのは、依命通牒の「破棄」によって皇室の伝統の踏襲に関する明文的根拠が失われたことに、根本的原因があるのではないでしょうか?

 百地先生は、戦後の皇室史のエポックとなった依命通牒の「破棄」について、憲法学者として、なぜ追究(追及)なさらないのでしょうか?

 先生の『政教分離とは何か』が世に出たのは平成9年の暮れです。依命通牒の「破棄」が記録された『入江相政日記』(平成2~3年)はすでに公刊され、御代替わりに関する『昭和天皇大喪の礼記録』(内閣総理大臣官房、平成2年)、『平成即位の礼記録』(同、平成3年)など4冊の公的記録も公になっていたはずです。

 まさかご存じないわけではないでしょうに。

 百地先生は行政機関を被告とする大嘗祭関連訴訟などで、国側に立ち、擁護論を展開しています。法廷の反天皇派には有効な憲法論なのでしょうが、「本能寺の敵」に対してはどうでしょうか。古来、民が信じるあらゆる神々に、公正かつ無私なる祈りを捧げ、国と民をひとつに統合してきた天皇統治の歴史と伝統を守り得るのかどうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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