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即位の礼と大嘗祭が相次いで挙行されるのは新例 ──平成の御代替わり「2つの不都合」 5 [御代替わり]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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即位の礼と大嘗祭が相次いで挙行されるのは新例
──平成の御代替わり「2つの不都合」 5
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 さて、もうひとつの不都合、つまり、即位の礼と大嘗祭の日程について、です。

 永田忠興元掌典補は問題点を、次のように指摘しています。

「即位礼の10日後に大嘗祭が行われるという日程も、再考する必要がありそうです。
 昭和の御代替わりが行われたときもそうでした。京都御所で行われた紫宸殿の儀のあと、京都市内はどんちゃん騒ぎでした。天皇陛下の一世一度の重儀が行われる、もっとも静謐(せいひつ)が求められるときに、京都は喧噪の巷と化していたのです。
 即位礼と大嘗祭とを、もっと期間を空けるべきだ、と民俗学者の柳田国男が書いているのを読んだことがあります」

 赤堀又次郎『御即位及び大嘗祭』(大正3年3月)が、即位の礼および大嘗祭が行われる「時期」と「期日」について解説していますので、ご紹介します。

 まず「時期」です。

「つつしみて按ずるに、登極令によれば、即位の礼と大嘗祭とは同時に相次いで挙行せられ、相離るべからざるものと定められたり。しかして大嘗祭には新穀を用ゐらるる例なれば、そのために秋冬のあいだに行はるることとなれるなり」

 ご承知の通り、登極令は、即位の礼・大嘗祭について。以下のように定めています。

第4条 即位の礼および大嘗祭は秋冬の間において、これを行ふ。大嘗祭は即位の礼を訖(おは)りたるのち続いてこれを行ふ。

 けれども、これは新例だったようです。

「古例は、即位の礼と大嘗祭とを必ずしも相続いて行はれしにはあらず。即位にはもとより定まれる時なく、大嘗祭は、新穀供進の関係よりして、7月以前に即位あれば、その年に大嘗祭を行はれ、8月以後に即位のときには、翌年、大嘗祭を行はれし例なり」

 すでに平安前期の儀式書にそのことが記されています。

「貞観儀式に、『7月以前の即位には当年ことを行ひ、8月以後には明年ことを行ふ。諒闇の登極を謂ふにはあらず』といへる、これなり」

 大行天皇の服喪期間に即位の礼・大嘗祭が行われないのはいうまでもありません。

「諒闇は凶事にして上下謹慎のなかにあり。その間に神事は行はざることなり。登極令第18条に、『諒闇中は、即位の礼および大嘗祭を行はず』と載せられしは、貞観儀式に伝へるところと同義なり」

 それなら譲位の場合はどうなのか。

「いにしへは譲位の例ありしかば、諒闇登極ならぬ例あれど、いまはその慣例を改められて、天皇崩ずるときは皇嗣すなはち践祚あることに規定せられたれば、こののちはすべて諒闇登極のみとなりたり。ゆゑに践祚ののち1カ年以上を経たる秋冬のあいだに、即位の礼および大嘗祭は挙行せらるるなり」

 こうして登極令のもとで行われた大正天皇の即位の礼、大嘗祭は大正4年の秋冬に行われることとなりました。明治天皇が崩御されたのは7月でしたから、当初は3年の予定でしたが、3年3月に昭憲皇太后が亡くなられ、一年延期されたのでした。

 昭和天皇の場合は、大正天皇が崩御されたのが12月で、1年の服喪を経て、昭和3年秋に即位の大礼が行われました。

 今上天皇の場合は、昭和天皇が崩御されたのが1月で、即位の礼・大嘗祭は翌2年秋に行われました。登極令も皇室服喪令も日本国憲法施行とともに廃止されましたが、これらの規定に準じて、挙行されたということでしょう。

 さて、となると、次の御代替わりはどうでしょうか。伝えられるように、今上陛下の譲位にもとづく皇位継承が来年暮れだとすれば、即位の礼および大嘗祭は再来年の秋という日程になるのでしょうか。

タグ:御代替わり
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