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歴史的天皇像の命綱 ──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 2 [天皇・皇室]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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歴史的天皇像の命綱
──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 2
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第3節 百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか?


▽2 歴史的天皇像の命綱

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 敗戦後、天皇の祭祀は歴史的変革を迫られました。

 アメリカ政府は戦時中から「国家神道」こそが「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉であると考え、

「国教としての神道、国家神道の廃止」

 を占領政策の基本に置きました。

 ハーグ陸戦協定は占領軍が被占領国の宗教を尊重すべきことを規定し、ポツダム宣言には

「宗教・思想の自由は確立せられるべし」

 の項目があったにもかかわらず、です。

「国家神道」の中心施設とされた靖国神社は、アメリカ軍の東京進駐後、「焼却」の噂が持ちきりでした。上智大学のビッテル神父(法王使節代行)が

「国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊を祀られるようにすることを進言する」

 と最高司令官マッカーサーに答申し、免れたという経緯があります。

 しかし昭和20年暮れになって、いわゆる神道指令が発せられます。「神道国家主義の根絶」が目標とされました。翌21年には「国家神道」の教義とされた教育勅語の奉読や神聖的取り扱いが禁止されました。

 22年5月に日本国憲法が施行され、これに伴って皇室令は廃止され、宮中祭祀の明文法的根拠は失われました。

 それでも

「従前の条規が廃止となり、新しい規定ができないものは、従前の例に準じて事務を処理すること」(第3項)

 とする、宮内府長官官房文書課長高尾亮一名による依命通牒、いまでいう審議官通達によって、祭祀の伝統は辛うじて守られました。

 何しろ占領期ですから、皇室の伝統を守るため、当面、

「宮中祭祀は皇室の私事」

 という解釈で凌がざるを得なかったといわれます。「皇室の私事」として祭祀を存続することについては、占領軍は干渉しませんでした。

 繰り返しになりますが、依命通牒第3項こそ、戦後の皇室祭祀の、したがって祭祀王たる歴史的天皇像の命綱でした。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
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