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「国家神道」研究より政治的な「闘い」 ──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 4 [女性宮家創設論]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です


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「国家神道」研究より政治的な「闘い」
──百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか? 4
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 拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。


第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える

第3節 百地先生にとって「国家神道」とは何だったのか?


▽4 「国家神道」研究より政治的な「闘い」

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 百地先生は

「斎藤氏は、戦後皇室行政史とやらを研究すれば、それだけで『天皇統治の歴史と伝統を守り得る』などと本気で考えているのであろうか」

 と拙文を批判していますが、話は逆でしょう。

 百地先生は、『政教分離とは何か─争点の解明』(1997年)の第11章「『主基斎田抜穂の儀』参列訴訟の問題点」(書き下ろし)に、「いわゆる『国家神道』をめぐって」と題する項目を立て、こう書いています。

「実のところ、筆者の『国家神道』研究は漸く緒に着いたばかりであり、詳細な検討は今後の研究に俟つ」

 1人の研究者が一生のうちに研究できる量は限られていますから、研究不足は批判されることではありません。不足があれば補えばいいことです。だから、私は総合的な共同研究の進展を訴え続けているのですが、

「ここでは現時点における研究成果をもとに、若干言及することにとどめたい」

 として、展開された先生の「言及」にはどうしても違和感があります。研究の方向性がまったく違うからです。

 つまり、先生は

「さて、『国家神道』とは何かということであるが、実はこの『国家神道』なるものはかなり曖昧かつ不明確な概念であって、様々な意味で用いられているように思われる」

 などと述べ、もっぱら日本人による「国家神道」論について「若干言及」しているだけです。

 解明されなければならないのは、日本人の「国家神道」ではなく、アメリカ人にとって「国家神道」とは何だったか、でしょう。

 宮中祭祀を「皇室の私事」に貶めたのは、政教分離訴訟の原告たちではなく、占領軍です。しかも占領後期には政教分離政策は変更されました。その理由もまた謎のままです。

 謎が具体的に、歴史的に明らかにされれば、戦後の政教分離問題なるものは歴史的解決へと大きく前進するはずです。政治的な「闘い」に走るより根本的な解決方法があるのではないかと私は考えますが、甘いでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります


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