神社人こそ最後の防波堤だった ──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 4 [天皇・皇室]
以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジンからの転載です
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神社人こそ最後の防波堤だった
──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 4
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拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。
第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える
第4節 オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論
▽4 神社人こそ最後の防波堤だった
1、神道指令は天皇の神道的儀式を私事として以外、認めなかった。しかし独立後、神道指令は失効した。宮内庁当局は「憲法の認める限度」で皇室の伝統的慣例を守ろうと考えており、昭和34年の東宮御成婚の際、賢所で行われた神式儀礼は国事行為として行われた。
2、神事を専門とする掌典は占領下では公務員ではないとされ、今日もそのまま続いているが、占領中であっても、侍従の毎朝御代拝は認められたし、掌典を補佐する掌典補は公務員が奉仕してきた。神道指令失効後は、社会党内閣時代も、当然のこととされた。
3、とくに重大な臨時の祭事は、内閣の助言と承認を得て「国事」として執行されるが、憲法20条(信教の自由)を守って参加を強制するかのような誤解が生じないようにする。
4、皇室の祭儀は法的に複雑だが、ときによっては「国事」と解される儀式もあるし、ことによっては国事と相関連する公的儀式と解されるものがあり、あるいは「内廷」限りの場合もあろう。
5、風説には「内廷限りのもの」と解されるものが多いが、宮内庁当局者が「皇室の祭事は陛下の私事以外のこととしては扱えない」と放言しているのは黙過できない。富田長官以下、新任者が前任者たちの言動を誤り、不法と思うのなら新見解を明示すべきだ。
宮内官僚などによる揉み消し工作などもあったようですが、紆余曲折の末、宮内庁は
「皇族親王殿下以下の御結婚の諸儀が国事で行われ、また公事として執り行われたことはご承知の通り。今後も国事たり得る場合もあり、公事として行われることもあると考えている」
とする、神道人の言い分を完全に認める「公式見解」を発表したと伝えられます(「神社新報」5月23日号)。
尊皇意識において人後に落ちぬ神社人こそ、宮中祭祀=「皇室の私事」説を阻む、最後の防波堤でした。
百地先生のいう
「葦津珍彦先生や大石義雄教授たちの驥尾(きび)に付し」
はおよそ正確な表現とはいえません。
ついでながら、このときの神社本庁と宮内庁のやりとりについて、昭和59年4月17日の参院内閣委員会で取り上げられています。共産党の内藤功議員が、側近の侍従にも信教の自由はあるから、侍従による御代拝は憲法違反の疑いが濃厚だ、と指摘したのに対して、山本悟宮内庁次長は、こう答えています。
「宮中三殿は、通俗的に言えば、家にある神棚みたいなものだろうと思う。おそばにお仕えする者に、かわって毎日先祖の霊に拝礼をさせられるということは、侍従というものの職務から見ても、憲法違反であるというようなことまで、私どもとしては考えていない」
違憲ではないというのなら、侍従による毎朝御代拝を洋装とし、拝礼場所を変える必要はないわけで、説明になっていませんが、ともかく宮内庁は、宮中祭祀は祖先崇拝である、御代拝は侍従による宗教的行為である、と理解しているわけです。であればこそ、「私事」説が生まれるのです。
百地先生の「私事」説も同様です。
蛇足ながら、つけ加えますが、宮中祭祀は皇祖神が祀られる賢所、歴代天皇および皇族方の御霊(みたま)が祀られる皇霊殿だけで行われるのではありません。祖先崇拝でないことは明らかです。
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
おかげさまで賛同者が300人を超えました。
〈https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB〉
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神社人こそ最後の防波堤だった
──オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論 4
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拙著『検証「女性宮家」論議──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの抜粋を続けます。一部に加筆修正があります。
第4章 百地章日大教授の拙文批判に答える
第4節 オウンゴールに気づかない百地先生の「大嘗祭」論
▽4 神社人こそ最後の防波堤だった
1、神道指令は天皇の神道的儀式を私事として以外、認めなかった。しかし独立後、神道指令は失効した。宮内庁当局は「憲法の認める限度」で皇室の伝統的慣例を守ろうと考えており、昭和34年の東宮御成婚の際、賢所で行われた神式儀礼は国事行為として行われた。
2、神事を専門とする掌典は占領下では公務員ではないとされ、今日もそのまま続いているが、占領中であっても、侍従の毎朝御代拝は認められたし、掌典を補佐する掌典補は公務員が奉仕してきた。神道指令失効後は、社会党内閣時代も、当然のこととされた。
3、とくに重大な臨時の祭事は、内閣の助言と承認を得て「国事」として執行されるが、憲法20条(信教の自由)を守って参加を強制するかのような誤解が生じないようにする。
4、皇室の祭儀は法的に複雑だが、ときによっては「国事」と解される儀式もあるし、ことによっては国事と相関連する公的儀式と解されるものがあり、あるいは「内廷」限りの場合もあろう。
5、風説には「内廷限りのもの」と解されるものが多いが、宮内庁当局者が「皇室の祭事は陛下の私事以外のこととしては扱えない」と放言しているのは黙過できない。富田長官以下、新任者が前任者たちの言動を誤り、不法と思うのなら新見解を明示すべきだ。
宮内官僚などによる揉み消し工作などもあったようですが、紆余曲折の末、宮内庁は
「皇族親王殿下以下の御結婚の諸儀が国事で行われ、また公事として執り行われたことはご承知の通り。今後も国事たり得る場合もあり、公事として行われることもあると考えている」
とする、神道人の言い分を完全に認める「公式見解」を発表したと伝えられます(「神社新報」5月23日号)。
尊皇意識において人後に落ちぬ神社人こそ、宮中祭祀=「皇室の私事」説を阻む、最後の防波堤でした。
百地先生のいう
「葦津珍彦先生や大石義雄教授たちの驥尾(きび)に付し」
はおよそ正確な表現とはいえません。
ついでながら、このときの神社本庁と宮内庁のやりとりについて、昭和59年4月17日の参院内閣委員会で取り上げられています。共産党の内藤功議員が、側近の侍従にも信教の自由はあるから、侍従による御代拝は憲法違反の疑いが濃厚だ、と指摘したのに対して、山本悟宮内庁次長は、こう答えています。
「宮中三殿は、通俗的に言えば、家にある神棚みたいなものだろうと思う。おそばにお仕えする者に、かわって毎日先祖の霊に拝礼をさせられるということは、侍従というものの職務から見ても、憲法違反であるというようなことまで、私どもとしては考えていない」
違憲ではないというのなら、侍従による毎朝御代拝を洋装とし、拝礼場所を変える必要はないわけで、説明になっていませんが、ともかく宮内庁は、宮中祭祀は祖先崇拝である、御代拝は侍従による宗教的行為である、と理解しているわけです。であればこそ、「私事」説が生まれるのです。
百地先生の「私事」説も同様です。
蛇足ながら、つけ加えますが、宮中祭祀は皇祖神が祀られる賢所、歴代天皇および皇族方の御霊(みたま)が祀られる皇霊殿だけで行われるのではありません。祖先崇拝でないことは明らかです。
以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります
☆ひきつづき「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンへのご協力をお願いいたします。
このままでは悪しき先例がそのまま踏襲されるでしょう。改善への一歩を踏み出すために、同憂の士を求めます。
おかげさまで賛同者が300人を超えました。
〈https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB〉
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