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島薗東大大学院教授の3つのご指摘に答える by 佐藤雉鳴──第2回 「国家神道」は教育勅語の曲解から生まれた [教育勅語]

以下は「誤解だらけの天皇・皇室」メールマガジン(平成22年8月13日)からの転載です


 前々回、畏友・佐藤雉鳴氏の教育勅語論「『教育勅語』異聞──放置されてきた解釈の誤り」に対する島薗進・東大大学院教授の批判を掲載しました。

 今号は、前回に引き続き、佐藤さんの反論の2回目です。

 戦後唯一の神道思想家といわれた葦津珍彦は、「学問は1人でするものではない」と考えて、思想の科学の会員と勉強会を重ねました。

 この研究所はその意思を引き継ぎ、学問的な交流の場を目指しています。


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島薗東大大学院教授の3つのご指摘に答える by 佐藤雉鳴
──第2回 「国家神道」は教育勅語の曲解から生まれた
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◇1 日本人の精神的武装解除を目的とした「神道指令」

 島薗進・東大大学院教授から拙論に対して頂戴した3つのご指摘について、前回にひき続いて、感謝を込めて反論させていただきます。今回はご指摘の第2点、いわゆる神道指令および「国家神道」についてです。

 島薗教授から以下のようなご指摘がありました。

 「神道指令にいう国家神道とは、教育勅語の「中外」の曲解がもとで出来た日本の超国家主義思想である」という佐藤さん(私)の理解は、「神道指令は、(1)神社神道を国家から切り離し「国家神道」ではなくし、民間宗教団体とすることと、(2)教育勅語の「中外」の語を拡張主義的に捉えるような超国家主義イデオロギーと神社神道を切り離し、前者を排除するという二つのことを目指した」というふうに改める必要があるのではないか?

 しかし私のテーマはあくまでGHQ神道指令にある国家神道です。

 GHQの占領目的は日本人の「物的武装解除」と「精神的武装解除」でした。「物的武装解除」は日本軍の解体で達成しました。したがって軍人勅諭は教育勅語のように国会で排除・失効決議はなされませんでした。ウッダードは「日本の軍隊の廃止によって、明治天皇の「軍人勅諭」(一八三三年)を考慮する必要はなくなった」(『天皇と神道』)と述べています。

 残るは「精神的武装解除」でした。GHQは昭和20年10月22日から翌21年1月9日までに具体的な5つの教育指令を発しました。

 1番目から4番目までがいわゆる四大教育指令と呼ばれるもので、日本の超国家主義的、軍国主義的な教育の一掃を求めたものでした。神道指令はその3番目の指令です。

 これに先立って、バーンズ国務長官は日本の降伏文書調印式の終了にあたり、次のような声明を発していました。

「日本国民に戦争でなく平和を希望させようとする第二段階の日本国民の「精神的武装解除」はある点で物的武装解除より一層困難である(中略)われわれは日本の学校における極端な国家主義および全体主義的教育をいっそうすると共に戦争指導者の軍事哲学を受け入れるに至った極端な日本国民の国家主権および全体主義的教育を完全に掃蕩するだろう」(「朝日新聞」1945年9月4日)

 軍国主義の除去は先に述べたとおりですが、GHQは、超国家主義は教育勅語を聖典とする国家神道にあると考えました。そのため神道指令で国家と神道を分離させました。


◇2 国家と神社神道の分離という発想はどこから来たのか

 島薗教授の言われる「神道指令は、(1)神社神道を国家から切り離し「国家神道」ではなくし、民間宗教団体とすること」、これはむしろ結果としてそうなった、という方がより正確かもしれません。

「(2)教育勅語の「中外」の語を拡張主義的に捉えるような超国家主義イデオロギーと神社神道を切り離し、前者を排除するという二つのことを目指した」

 このご指摘の(2)がまさに神道指令の目的だったと思います。神社神道から「世界征服」思想、つまり教育勅語を除去すれば目的は達成します。しかし、なぜ(1)にあるように神社神道と国家を切り離すことを考える必要があったのでしょうか。

 神道指令を発したのち、バンスを伴ったダイク民間情報教育局長は次のような談話を発表しました。

「日本古来の神道は決して軍国主義的なものではなかったが、明治以来これが侵略主義を合理化するために歪曲されたものであり、誤った他民族に対する優越感を與(あた)へてゐた『神の子』として侵略その他の蛮行がすべて合理化されたのは明治以来の官製神道の教義によるものである」(「朝日新聞」1945年12月17日)。

 本来は日本の世界征服思想・超国家主義の除去が目的でした。

 神道指令を起草したバンスが宗教学者D・C・ホルトムの著書を熟読玩味(がんみ)していたことは明らかです(『岸本英夫集第五巻』「嵐の中の神社神道」P14)。井上哲次郎が加藤玄智に影響を与え、さらに加藤玄智はホルトムに影響を及ぼしました。

 ホルトムはその著『日本と天皇と神道』において、加藤玄智や『国体の本義』から引用して話を展開しています。「日本が救世主たるの使命を持っている」(P32)とか「教育勅語は国家神道の主な聖典である」(P107)との言説にその影響が表れています。

 ことに加藤玄智は「宗教学者の立場からすれば、教育勅語は日本人の道徳書たると同時にその宗教書である」(『加藤玄智著作集』第9巻P309)と述べていました。

 教育勅語と神道が結び付き、国家神道が形成されたとバンスが考えても無理のない文言が日本の指導層にありました。チェンバレン「武士道──新宗教の発明」などと重ね合わせると、国家神道が実在する宗教だとイメージされたのかもしれません。


◇3 神道指令の目的は「国体のカルト」の廃絶だった

 ウッダードはのちに、「国体のカルト」の廃絶を命じた指令が「神道指令」の名で知られるようになった、と述べました(『天皇と神道』P9)。

「「国体のカルト」は、神道の一形式ではなかった。それははっきりと区分される独立の現象であった。それは神道の神話と思想の諸要素をふくみ、神道の施設と行事を利用したが、このことによって国体のカルトも神道の一種であったのだとはいえない。そうだったら、連合国軍最高司令官は、神道を全面的に廃絶しなければならなかったはずである」(同)。

 ウッダードによれば、「国体のカルト」とは、「政府によって強制された教説(教義)、儀礼および行事のシステム」です(同)。

 私はウッダードその他GHQスタッフの文言から、彼らが除去したかった超国家主義を追求しました。GHQのいう国家神道の教義に含まれる過激なる国家主義とは何か?

 島薗教授の近著『国家神道と日本人』第二章1「国家神道の構成要素」には「国家神道という用語は、明治維新以降、国家と強い結びつきをもって発展した神道の一形式を指す」(P57)と記されています。

 そしてさらに「私(島薗教授)の考え方は、狭い学界の用法にとらわれない論者の用法に近く、近代において国家と結びついた神道の様態が、確かにひとまとまりをなしていることを根拠に、これを国家神道とよぶものだ」(P58)とも述べられています。

 私(佐藤)の場合はあくまで神道指令にいう国家神道を追及していますが、島薗教授の国家神道は──誤解を恐れずに言えば──加藤玄智の「国家的神道」に近いのではないでしょうか?

 島薗教授の『国家神道と日本人』の内容は、明治維新期から今日に至るまでの総合的な「日本と天皇と国民と神道」を論じられた「国家的神道の近現代史」のように思います。


◇4 GHQスタッフが着目したのは「徳目」ではない

 島薗教授はこうも述べています。

 「教育勅語が国家神道の「教典」であり、そこに国家神道の教義が述べられているというのは誤解を招く言い方だろう」(P64)。

 しかし教育勅語が国家神道の「聖典」であるとしたのはGHQの関係者(バンス、ドノヴァン、スピンクスそしてホルトムら)であり、そう明言した文書が残されています(『続・現代史資料10』など)。

「教育勅語の中ほどに説かれている教えの道徳的側面は、国家神道に特有のものではない。むしろ儒教など東アジア的な伝統に基づきつつ、ある種の普遍性をもつ人倫の教えである。その限りでは「古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラズ」と勅語にあるのは奇異なことではない」(P64)。

 GHQが問題にしたのは、ダイク、バンスともに「之を中外に施して悖らず」であり、「之」とは「肇国の理想」でした。日露戦争以降の「斯の道」の変遷は私の主張するところですが、GHQは第2段落の「徳目」はほとんど問題にしませんでした。

 「之を中外に施して悖らず」は文部省編『臣民の道』(昭和16年)において、「まこと支那事変こそは、我が肇国の理想を東亜に布(し)き、進んでこれを四海に普(あまね)くせんとする聖業」となりました。

 島薗教授が言われるとおり、「徳目」に問題があるとは思えません。GHQも「徳目」は問題にしていません。戦前と戦後で五倫五常の「徳目」への評価が変わったとの文書は見つけられません。

 GHQのスタッフが第3段落を訳して、「日本人の救世主願望」は世界征服の思想だ、と考えたことが文書に残されています(『続・現代史資料10』)。


◇5 「中外」を「国の内外」と解釈するのが国家神道信者

 島薗教授の『国家神道と日本人』、第二章3「神道指令が国家神道と捉えたもの」を慎重に読むと、やはり過激なる国家主義、いわゆる超国家主義の教義を外して、神道指令の国家神道は把握できません。

 バンスが「神道の施設と行事を利用したが、このことによって国体のカルトも神道の一種であったのだとはいえない」と述べたことは先に引用したとおりです。

 国家神道から超国家主義(世界征服思想)を除去すると、国家の神社神道への関与の有無に関係なく「国体のカルト」は雲散霧消します。「降伏後における米国の初期対日方針」のうち、日本人の「精神的武装解除」は達成します。

 『国家神道と日本人』の第五章「国家神道は解体したのか?」において、島薗教授は「神道指令は皇室祭祀にはまったくふれなかった」(P185)から「実は解体していない」と断定されています。

 GHQが問題にしたのは超国家主義であり、「国体のカルト」ですから、国家神道の教義が除去されたのは1948年6月19日、国会において教育勅語の排除・失効決議がなされた時であると思います。

 国家神道は解体されていない、これは島薗教授によれば皇室祭祀が手つかずである、そのことが根拠です。しかし私は、歴史文献となった教育勅語の「中外」の解釈が未だに訂正されていないことをもって、国家神道は生きている、と述べました。「中外」を「国の内外」とすることこそ、超国家主義者=国家神道信者そのものの解釈だからです。


◇6 島薗教授はGHQスタッフの文書を検討していない

 島薗教授の『国家神道と日本人』はGHQ関係者の重要文書がほとんど検討されていません。それはなぜでしょうか?

 神道指令から要約すると、GHQによる国家神道の定義とは以下の通りです。

 「天皇・国民、そして国土が特殊なる起源を持ち、それらが他国に優るという理由から日本の支配を他国他民族に及ぼす」という過激なる国家主義、つまり超国家主義思想の要素を含む国家指定の宗教ないし祭祀。

 結局のところ、「日本の支配を他国他民族に及ぼす」という超国家主義が、彼らのいう国家神道の核心部分だったのではないでしょうか? そして教育勅語が「聖典」だというのですから、「之を中外に施して悖らず」を徹底解明する必要があると思います。

 私が神道指令を読んで「国家神道というものの特定もなく」と考えたのは、「世界征服」の思想を神道に見出せないからでした。そこにあったのは「之を中外に施して悖らず」を曲解した「肇国の理想を四海に宣布」でした。神道とは直接関係のないものでした。

 私は『国家神道と日本人』の第二章から読みはじめました。論じられる対象を確認するためでした。国家神道論は複雑ですが、明治維新以降の国家的神道とGHQ神道指令の国家神道を区別して整理することが必要なのかもしれません。

 神道の施設と行事を利用して国家がある種の考え方を普及するには、やはり基盤が必要です。総合的な意味での国家的神道という基盤の上に、GHQのいう国家神道が実現された、と考えることも可能かもしれません。

 『国家神道と日本人』にはこの国家神道における「世界征服」思想がほとんど語られていません。国家としてのその表現は文部省『国体の本義』以降ですから、島薗教授の国家神道(国家的神道)論からすると、あまりにも狭義に過ぎて、取るに足らないものなのかもしれません。

 『国家神道と日本人』を読み進めてゆくうちに、つねに第二章「国家神道はどのように捉えられてきたか?―用語法―」に戻っていることに気がつきました。今日までの国家神道研究の複雑さを思わないではいられません。(つづく)


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